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第4章 『水とともに生きる:後編』
第1話 昔日の想い
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拙い日本語とイタリア語とで頑張ってくれたジブリールさんの話を要約すると、こうだ。
自宅から、ある一つの絵が見つかった。地図のような絵だという。
それは、まだうんと幼い頃に仲良くなった、日本から観光に来ていた年上の男の子と一緒に描いたものだった。
美しいヴェネツィアの街はこんな風になっているんだよ、といった具合にジブリールさんが案内がてらに描きつつ、そこに男の子も好きな絵を描いていったものだと。
書き連ねられたそれらが何かと尋ねると、その男の子は『ピクトグラムって言ってね。元々ある絵なんかをとても簡単にしたものさ。これは、僕の国にある色んなもの。地元の看板を任されることもあるんだ』といったような内容のことを話していたと言う。
その子とはとても親しくなったけれど、彼女がふざけて『けっこんしようね』と言った時には、とても難しい顔をして何も答えてはくれなかったと言う。
その子がどこまでの思いを持っていたのかは分からないけれど、ジブリールさんは当時、親切で楽しかったその子に、幼心にも本当の『恋』をしてしまったらしい。
再会を強く望むジブリールさんは、将来どこに行けば会えるのかと尋ねたところ、『近江八幡。日本のヴェネツィア』とだけ返答をもらった。
その子が日本に帰る頃にはすっかり片思いをしていたジブリールさんは、いつか絶対にそこへ行こうと誓った。が、程なく学業などで忙しくなると、思いはやがて、記憶の中で思い出になってしまった。
それがたまたま、母の仕事の関係で日本へ、それも滋賀県の近江八幡市へとやって来た後、家の整理をしていたところ出て来たようで、絵を見た瞬間に様々な感情に襲われたのだそうだ。
絶対に、と思っていたことを忘れてしまっていたこと。
転勤先が『おうみはちまん』という場所だと分かっても、思い出せなかったこと。
幼心にも好きになった相手のことを忘れてしまっていたこと。
色んなことを一気に思い出して、混乱して、ふらふらと出て来た先が、あのお堀にかかった橋だった。
そこにいると、不思議とヴェネツィアにある『溜め息橋』を思い出して落ち着いたことから、母親が仕事でいない時に訪れるようになった。
ジブリールさんのお母さんは介護職員で、早番に遅番、夜勤と、一定でない勤務の為、ジブリールさんが現れる時間帯もバラバラだったというわけだ。
「……何だか素敵だけど、ちょっと寂しい思い出だね」
ジブリールさんは、言いようのない複雑な表情で笑った。
「ただのかみきれだけど、わたしはそれ、マコトのいるところかと思う。いみのしらないピクトグラムばかりだったから、いみがあると思う」
マコト、というのが、その子の名前なのだろう。
「マコト、またあおう言ってた。だから、このピットゥーラは、マコトにあえるところ、おもう。わたし、マコトにあいたい。でも、このピットゥーラはヴェネツィアのマッパ……だから、おかしい」
ピットゥーラは、ジェスチャーからこの絵のことを言っているのかな?
マッパ……?
「地図のことですね」
と、隣からクリスさん。
相変わらず、こちらの意を汲み取るのが早い。
「なるほど、そのような事情が。意味が分からないからこそ意味があるかもしれない絵。気になりますね」
クリスさんは真剣な眼差しで言う。
「うん……でも、ガッティーノのことで、クリスはめいわくかかってる。だから、わたし、自分でさがす。これは、おしえて言うクリスに話しただけ」
迷惑、という言葉を使っているなら、ガッティーノは子猫のことだろうか。
クリスさんに対し子猫のことで既に迷惑をかけているから、自分で探す。これは、クリスさんが『本当の理由を教えてくれたら』と言ったから、子猫の為に話しただけ、と。
そこまでの事情を話されて、この人がそのまま黙ってるわけ――
「ジブリールさん。その絵を見せて頂くことは出来ますか?」
ないよね。
ジブリールさんは面食らったように口を開けたて固まってしまった。
「クリス…! だめ、それは。めいわく、ふえるよ」
「構いません。知りたがったのは他でもない私ですし。それに――」
クリスさんは、口元に手を添えて、
「その男の子の話も気になりますし……」
難しい顔で言った。
以前、善利さんの写真の謎を考えていた時にも、同じ仕草をしていた。
頭の中でぐるぐると思考が巡っている時に、無意識にやってしまう癖なのだろう。
「……ホントに、いいの?」
駄目だ、という姿勢だったジブリールさんがそう尋ねたことで、クリスさんはいつもの柔らかな笑みで頷いた。
「勿論です。先ほども言いましたよね。教えて欲しいのは、力になりたいからだ、と」
「い、いった……」
「そういうことです。あなたはしっかりと話してくれました。なら、私は自分で口にした通り、それに協力いたします」
「クリス……」
ジブリールさんは、悩ましそうに笑いながらも、小さく頷いた。
「私が言うことじゃないけど、ドーンと甘えちゃっていいと思うよ。クリスさん、ほんと頼りになるから。勿論、私も協力する」
「おねえさん……ありがと、ございます。あっ、ピットゥーラ、いえにあります……」
「それは一旦、後から考えましょう。まずは、早いところこの子のことを。知り合いに電話しますから、抱いててもらってもよろしいですか?」
「あっ、はい…!」
クリスさんから子猫を預かると、ジブリールさんは安心したように微笑みながら、子猫の頬や顎を撫で始めた。
よかった。たすかる。元気なる。と、幸せそうに語り掛けている。
程なくクリスさんの電話も終わったようで――これからすぐに診てもらえる話がついたとのことだった。
自宅から、ある一つの絵が見つかった。地図のような絵だという。
それは、まだうんと幼い頃に仲良くなった、日本から観光に来ていた年上の男の子と一緒に描いたものだった。
美しいヴェネツィアの街はこんな風になっているんだよ、といった具合にジブリールさんが案内がてらに描きつつ、そこに男の子も好きな絵を描いていったものだと。
書き連ねられたそれらが何かと尋ねると、その男の子は『ピクトグラムって言ってね。元々ある絵なんかをとても簡単にしたものさ。これは、僕の国にある色んなもの。地元の看板を任されることもあるんだ』といったような内容のことを話していたと言う。
その子とはとても親しくなったけれど、彼女がふざけて『けっこんしようね』と言った時には、とても難しい顔をして何も答えてはくれなかったと言う。
その子がどこまでの思いを持っていたのかは分からないけれど、ジブリールさんは当時、親切で楽しかったその子に、幼心にも本当の『恋』をしてしまったらしい。
再会を強く望むジブリールさんは、将来どこに行けば会えるのかと尋ねたところ、『近江八幡。日本のヴェネツィア』とだけ返答をもらった。
その子が日本に帰る頃にはすっかり片思いをしていたジブリールさんは、いつか絶対にそこへ行こうと誓った。が、程なく学業などで忙しくなると、思いはやがて、記憶の中で思い出になってしまった。
それがたまたま、母の仕事の関係で日本へ、それも滋賀県の近江八幡市へとやって来た後、家の整理をしていたところ出て来たようで、絵を見た瞬間に様々な感情に襲われたのだそうだ。
絶対に、と思っていたことを忘れてしまっていたこと。
転勤先が『おうみはちまん』という場所だと分かっても、思い出せなかったこと。
幼心にも好きになった相手のことを忘れてしまっていたこと。
色んなことを一気に思い出して、混乱して、ふらふらと出て来た先が、あのお堀にかかった橋だった。
そこにいると、不思議とヴェネツィアにある『溜め息橋』を思い出して落ち着いたことから、母親が仕事でいない時に訪れるようになった。
ジブリールさんのお母さんは介護職員で、早番に遅番、夜勤と、一定でない勤務の為、ジブリールさんが現れる時間帯もバラバラだったというわけだ。
「……何だか素敵だけど、ちょっと寂しい思い出だね」
ジブリールさんは、言いようのない複雑な表情で笑った。
「ただのかみきれだけど、わたしはそれ、マコトのいるところかと思う。いみのしらないピクトグラムばかりだったから、いみがあると思う」
マコト、というのが、その子の名前なのだろう。
「マコト、またあおう言ってた。だから、このピットゥーラは、マコトにあえるところ、おもう。わたし、マコトにあいたい。でも、このピットゥーラはヴェネツィアのマッパ……だから、おかしい」
ピットゥーラは、ジェスチャーからこの絵のことを言っているのかな?
マッパ……?
「地図のことですね」
と、隣からクリスさん。
相変わらず、こちらの意を汲み取るのが早い。
「なるほど、そのような事情が。意味が分からないからこそ意味があるかもしれない絵。気になりますね」
クリスさんは真剣な眼差しで言う。
「うん……でも、ガッティーノのことで、クリスはめいわくかかってる。だから、わたし、自分でさがす。これは、おしえて言うクリスに話しただけ」
迷惑、という言葉を使っているなら、ガッティーノは子猫のことだろうか。
クリスさんに対し子猫のことで既に迷惑をかけているから、自分で探す。これは、クリスさんが『本当の理由を教えてくれたら』と言ったから、子猫の為に話しただけ、と。
そこまでの事情を話されて、この人がそのまま黙ってるわけ――
「ジブリールさん。その絵を見せて頂くことは出来ますか?」
ないよね。
ジブリールさんは面食らったように口を開けたて固まってしまった。
「クリス…! だめ、それは。めいわく、ふえるよ」
「構いません。知りたがったのは他でもない私ですし。それに――」
クリスさんは、口元に手を添えて、
「その男の子の話も気になりますし……」
難しい顔で言った。
以前、善利さんの写真の謎を考えていた時にも、同じ仕草をしていた。
頭の中でぐるぐると思考が巡っている時に、無意識にやってしまう癖なのだろう。
「……ホントに、いいの?」
駄目だ、という姿勢だったジブリールさんがそう尋ねたことで、クリスさんはいつもの柔らかな笑みで頷いた。
「勿論です。先ほども言いましたよね。教えて欲しいのは、力になりたいからだ、と」
「い、いった……」
「そういうことです。あなたはしっかりと話してくれました。なら、私は自分で口にした通り、それに協力いたします」
「クリス……」
ジブリールさんは、悩ましそうに笑いながらも、小さく頷いた。
「私が言うことじゃないけど、ドーンと甘えちゃっていいと思うよ。クリスさん、ほんと頼りになるから。勿論、私も協力する」
「おねえさん……ありがと、ございます。あっ、ピットゥーラ、いえにあります……」
「それは一旦、後から考えましょう。まずは、早いところこの子のことを。知り合いに電話しますから、抱いててもらってもよろしいですか?」
「あっ、はい…!」
クリスさんから子猫を預かると、ジブリールさんは安心したように微笑みながら、子猫の頬や顎を撫で始めた。
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