琵琶のほとりのクリスティ

石田ノドカ

文字の大きさ
66 / 76
第4章 『水とともに生きる:後編』

第5話 読みたい

しおりを挟む
 善利さんの件で建物だけは目にしていた図書館へやって来た。
 図書館と言うより、どこかのイベント会場やホールのような見た目をしている。
 入り口前の銅像周りには水も張ってあって、モダンな造りのように思えるけれど、しかして中は想像通りの図書館なものだから、ギャップにやられてしまいそうになる。
 色々と見て回りたいところではあるのだけれど、今日はしっかりと目的がある。
 また今度、お散歩がてらに立ち寄ることとしよう。

「すみません、お尋ねしたいのですが」

 クリスさんが、受付の若いお姉さんに尋ねる。

「はい、どういったご用件でしょうか?」

「ここ近江八幡市、そして出来ればイタリアはヴェネツィア、その二つの地図を閲覧したいのですけれど」

「市内とヴェネツィア、ですね。少々お時間を頂きますが、大丈夫ですか?」

「ええ、お願いいたします。私はここで待っていますから、お二人はご自由に回っていてください」

 クリスさんは、振り返りそう言った。
 申し訳ないことだけれど、確かに受付付近で三人も溜まっているのもあまり良くはないかな。

「分かりました。行こっか、ジブリールさん」

「はい、おねえさん」

 ジブリールさんが頷くのを受けて、私たちは一度、その場を離れる。
 そうして少し歩いたところで、ジブリールさんが私の袖を引いた。

「おねえさんは、本をよむしますか?」

「読むします……ああ、うん、多少はね。そこまで詳しい訳じゃないけど」

「しょうせつ、読みますか?」

「漫画とか実用書よりはね。どうして?」

「ニホンゴのべんきょう、したい思います。だから、わたしでも読めるな本、おしえてほしい」

「うっ、難しい話を……」

 何か簡単な日本語で書いてある小説ってあったかな。
 児童書なら読み易いかな……?
 なんて考えていたところで、私はふと、クリスさんが以前言っていたことを思い出した。

「そう言えばクリスさん、小説を出版してるって……」

「クリス? あそこにいるクリスですか?」

「う、うん、あのクリスさん。確か、過去に五作品だか世に出してるって言ってたよ」

 そう口にした瞬間、ジブリールさんの表情がパッと明るくなった。
 興味深々といった様子である。

「わたし、それがいいです! クリスの本、よみます!」

「あー待って待って、簡単には見つからないと思う。その話を聞いた時、タイトルを尋ねても『恥ずかしいです』って教えてくれなかったんだよね」

「むぅ、そうですか……クリスの本、よみたいです」

「だよね。あのおっとりぽわぽわでいて大事なところでは頭の切れる人から、どんな物語が作られてるのか、私も気になる」

「……わたしが聞くと、おしえてくれないですか?」

「うーん、どうだろ。ジブリールさんが尋ねてる時点で、私から聞いたんだろうってことは容易に想像つくし。誰か、他に知ってる人から教えてもらうしかないかな」

「だれか……あっ! ケーキくれたひと! ノンナ!」

「ノンナ、が何かは分かんないけど、ケーキってことは珠子さんのことかな? 確かに、あの人が知らない筈はないけど……」

 クリスさんが孫とは言え、自分でない誰かのことをそうおいそれと教えるような人ではないとは思う。
 一朝一夕にはいかないだろう。
 でも……知りたい。
 何とかして教えてくれるなら、是非とも何とかしたい。

「よしっ! 今度お仕事の時に、珠子さんにかけあってみるよ」

「ほんとですか!」

「もちろん。私も知りたいし、読みたいからね。協力して欲しいことが出来たら言うよ」

「ありがと、おねえさん!」

 大いに喜びながら、ジブリールさんは私を強く抱擁した。
 未だ何が進展した訳でもないけれど、その道標だけでも見えたことに歓喜しているのか……こういう素直というか真っ直ぐなところは、やっぱり年下なんだなって思う。
 ……年下?

「痛い痛いって……それよりジブリールさん、貴女っていくつ? そう言えば名前と出身地以外知らないなって」

「いくつ? ねんれい、ならディチオットです」

 ジブリールさんは、私から離れつつ答えた。

「でぃち……なんて?」

「あっ……えっと、じゅうはち、ですね」

「うそ、同い年!?」

 驚きに大きな声を出してしまった。
 慌てて見回す周囲に人はいないようだったけれど、しまったと口を強く閉じる。
 私のことを『おねえさん』と呼ぶものだから、年下だと思っていた。そのつもりで、私も砕けた話し方をしていたけれど……そっか。
 ジブリールさん、お顔はとても整っていて身長もあるから大人びて見えるのに話すほどに幼さを感じる、という印象だったけれど、私の感じたあの幼さは、天真爛漫さゆえの素直さだったんだ。

「おないどし、とはなんですか?」

「えっと、私も十八歳ってこと。ディチオット、だっけ?」

「おー! ホントですか! じゃあアミーカですね!」

「あ、アミーカ……?」

「あぅ…ニホンゴで、『ともだち』のいみですね。シズクはともだちです!」

「ともだち……うん、友達。改めてよろしくね、ジブリールさん」

「はい、シズク!」

 パッと明るく笑って、うんうんと頷くジブリールさん。
 こういうところが幼く見える理由なんだろうな。

「さて、そろそろ――」

「ええ。こちらの準備も整いましたよ」

 背後からクリスさんが声を掛ける。
 振り返ると、大きな紙を二つ、手に持っていた。
 力なく項垂れるそれを一つ受け取り、共用スペースにある机へと持ってゆく。
 クリスさんは、それらを横に並べて見比べ始めた。私たちも倣って見てみるけれどヒントの一つも分かりはしない。
 ここの地図は日本語、ヴェネツィアの地図はイタリア語だ。
 やがてクリスさんは、ジブリールさんの持っていた地図をも机上に開けさせると、ますます険しい表情でそれらを凝視した。

「桜を見ている神父さんの絵……ジブリールさん、ヴェネツィアの何処かで桜を見られる場所はございますか?」

 ジブリールさんは、意外にもすぐに頷いた。

「さくら見れる、あります。でも、ただの広場です。とくべつなこと、ありません」

「場所はどの辺りになるか分かりますか?」

「はい。ここですね」

 ジブリールさんの指すそこには、ローマ広場という文字が書かれていた。
 イタリア本土よりヴェネツィアへと至る電車の停車駅、サンタ・ルチア駅から橋を渡った、すぐの場所だ。
 しかし、そこには特別何があるという訳ではないらしい。

「ここについて、何か思い当たることはございますか?」

「思い当たる……あっ、そういえばここ、マコトといった気がします。たぶん、ですね」

「例の男の子と?」

「はい。でも、何をしてもないと思います。さくらのもじ? が、何かとまちがえるねって、マコトは言ってました。何かは、おぼえてないですね」

「――なるほど。『桜』の謎は、一旦置いておきましょうか」

 クリスさんはそこで、小さく息を吐いた。

「『聖職者』については心当たりがありますが、はっきりとは申し上げられません。『漁師と墓場』も……考え方を変えましょう。ジブリールさん、貴女がその男の子とどのようなことをしたか、あるいはどこへ行ったか、といった思い出話を、差し支えない範囲で教えていただけませんか?」

 クリスさんはそう言うけれど、ジブリールさんは渋い顔。
 どうしたのかと横から尋ねると、

「あまり、おぼえてないですね……」

 とのことだった。
 あちこち回ったことは覚えているが、具体的にどこかと問われると分からない、というのがジブリールさんの答えだった。
 古い記憶というのも理由なのだろうけれど、それ以上に、当時はそのマコトさんと遊ぶことそれ自体が楽しく、どこで何を、という具体的なことは二の次だったのだそうだ。
 それだけ、マコトさんのことを本気で慕っていたんだ。

「さくらのことも、さっきだけ思いだしたから……すみません、です」

「いえ。では、話しながら思い出していきましょう。この二つの地図も、印刷して頂いたものなので、このまま持って帰っても差し支えありませんし。お店へ戻りつつ、お散歩しましょうか」

「あっ! なら、八幡宮の方から帰りませんか?」

「構いませんが、またお勉強の続きですか?」

「じゃなくて、ほら、あそこのお堀に掛かってる橋、ヴェネツィアの『溜息の橋』でしたっけ、あれと似ているってジブリールさんが話してたから。あそこらへんぶらぶらしてたら、何か思い出せることもあるんじゃないかなって」

 クリスさんは、一瞬間考えた後で、なるほど、と笑った。

「雫さん、ナイスアシストかもしれません。今日はこれから雨の予報もありませんし、舟も稼働していると知り合いが言っていましたから」

「ふね……?」

「小さな屋形船だよ。ヴェネツィアにもゴンドラがあるでしょ? あれと同じようなもの」

「ゴンドラ……わたし、それたしかめたいです。あの水路とゴンドラあじわったら、何か思いだすかも」

 真剣な面持ちで言うジブリールさんに、クリスさんはふわりと笑って頷いた。

「では、八幡宮経由で『水郷めぐり』をさせていただきましょうか」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜

二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。 そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。 その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。 どうも美華には不思議な力があるようで…?

あやかし警察おとり捜査課

紫音みけ🐾書籍発売中
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。  しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。  反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。  

美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞> 住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。 看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。 最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。 どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……? 神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――? 定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。 過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。

私の守護霊さん

Masa&G
キャラ文芸
大学生活を送る彩音には、誰にも言えない秘密がある。 彼女のそばには、他人には姿の見えない“守護霊さん”がずっと寄り添っていた。 これは——二人で過ごした最後の一年を描く、かけがえのない物語。

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

小さなパン屋の恋物語

あさの紅茶
ライト文芸
住宅地にひっそりと佇む小さなパン屋さん。 毎日美味しいパンを心を込めて焼いている。 一人でお店を切り盛りしてがむしゃらに働いている、そんな毎日に何の疑問も感じていなかった。 いつもの日常。 いつものルーチンワーク。 ◆小さなパン屋minamiのオーナー◆ 南部琴葉(ナンブコトハ) 25 早瀬設計事務所の御曹司にして若き副社長。 自分の仕事に誇りを持ち、建築士としてもバリバリ働く。 この先もずっと仕事人間なんだろう。 別にそれで構わない。 そんな風に思っていた。 ◆早瀬設計事務所 副社長◆ 早瀬雄大(ハヤセユウダイ) 27 二人の出会いはたったひとつのパンだった。 ********** 作中に出てきます三浦杏奈のスピンオフ【そんな恋もありかなって。】もどうぞよろしくお願い致します。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

処理中です...