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43話 遠乗り 後編

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 伏し目がちに私の手を見て微笑む少女に甦る思い出があった。
 態度も言葉も見た目も全然違うのに。ただ年が近いだけなのに。

「……殿下っ……」

 刺繍をして針を刺した私の指の手当てをした微笑む王女殿下が否応なしに被る。
 私の声が届いていないステラモリスの公女は私から手を離し軽く会釈をして背中をむけた。

「お休み、楽しんで下さい」
「楽しむ?」
「ええ。騎士様は普段お忙しいでしょうから、お休みの日ぐらい気持ちの動くままに過ごされてもと思って」

 言葉が出ない私に少女は静かに微笑んで会釈と共に去っていく。
 ああ殿下が、王女殿下が去っていく。

「っ……あ、の」
「はい」

 足取りが止まり、顔だけこちらを向ける少女に言葉を振り絞った。

「ありがとう、ございます」
「はい」

 笑顔で去っていく。勝手に思い出と重ねて失礼なことをしている。けど、消せなかった。

「殿下……」
「ユツィ?」

 タイミングよろしくヴォックスが帰ってきた。フードをとり向き直ると小首を傾げて近づいてくる。

「何かあったか?」
「あー……」

 なにも隠しきれてない以上誤魔化しても無駄だと悟り、ステラモリス公女と会ったことを端的に伝えた。フードはウニバーシタスの人間だと知られるとこじれる可能性を危惧したと伝えて。

「そうだったか……」
「ステラモリス公国は平穏な国だ。戦禍に飲まれたら簡単に滅びそうで心配になったよ」
「……御祖父様も武力介入を諦めていない」
「この国への?」
「ああ」

 休みにこんな話をするのもと迷いを見せた末にヴォックスが急に重大なことを言ってのけた。

「ユツィ、近い内に父上が皇帝になる」
「は?」
「御祖父様を退かせて」
「え? は?」
「けれど、兄上が御祖父様と深く結び付いている。たとえ代替わりが出来たとしても兄上が御祖父様の意志を継いでステラモリス公国に戦争を吹っ掛ける可能性が生きている」

 いきなり重い話だが、私がステラモリスに好意的な思いを抱いたことを察して話してきたのだろう。
 この国が戦火に飲まれる。それはなんとしてでも避けたい。

「武力介入の阻止は」
「皇帝時に出された勅命であれば覆せない。だからその前に代替わりをするつもりだと父上は考えている」

 挙げ句ヴォックスの兄である第一皇子と婚約者の結婚を急ぐらしい。
 継承権はヴォックスの父にあるも、退いた時に動ける傀儡を用意するための結婚。いや皇弟が継いでもすぐに第一皇太子にして代替わりさせる気なのか。どちらにしろ最近のヴォックスが行っている和平交渉による併合が気に食わず且つ実績に焦っていると言えるだろう。

「皇太子殿下の結婚が防げなくても、代替わりが遅れても、私達がこの国を守ればいい」
「ユツィ」
「いつもの和平交渉を行う。他の国と変わらない。なるたけ生かした上で話し合いにもっていけばいい」
「……そうだな」

 我々は出来うる限りのことをすればいい。

「いきなり重大な話を聞いて驚いたよ」
「すまない……その」
「切り替えようか? 軽く食事を取って」
「ああ……」

 そこからは長閑なものだった。軽く食事をとり、とりとめのない話をして、ぼんやりステラモリス公国を眺める。眼下、公国の子供たちが走り遊んでいるのが見えた。

「いい国だな」
「そうだね。ずっといられる」

 それこそ先程の公女が言っていた自分の気持ちの動くままにという言葉が甦る。今はただ立場や過去をなかったことにして、好きな人と時間を過ごしたかった。

「ここが相当気に入ったようだな」
「いい場所だと思わない?」
「いや。俺もここを好ましく思う」

 ステラモリス公国境界あたりの土地を領地として賜ろうかとヴォックスが再びさりげなく大事を言ってのけた。

「はい?」
「俺は皇位を継ぐつもりはないから、爵位と領地を貰って過ごすことになる。ユツィが結婚に了承してくれればこういう場所を領地にして一緒に暮らしたい」
「……相変わらず性急だよ」
「すまない」
「……それも悪くないけど」

 どこまでも真面目な男だから、領地と爵位の話も真面目に言ってきたと分かった。
 結婚してステラモリス近くに領地を持って、長閑な日々を過ごす。殿下が言っていたような幸せな日々が想像できた。ただ好きな人といられる幸せを感じるだけの日々だ。
 この時になって、私はヴォックスとの未来も、ヴォックスへの気持ちも全く褪せてないことを悟った。自覚して湧き上がった気持ちを抑えようにも既に遅く。想いだけが急に湧き上がっておさまらない。
 芝生を撫でるヴォックスの手に自身の手を重ねる。不思議そうにこちらを見下ろした。

「ユツィ?」
「……触れたい」
「え?」

 互いに剣を握るが故にかたさの残る手だ。けれどやはりヴォックスの方が大きく、握ろうとしても包み込むことはできない。

「触れて欲しい」
「それ、は」

 駄目だと言おうとする言葉を遮った。

「ヴィー」
「!」

 今まで意図して言っていなかった彼の愛称を口にする。
 今日だけだと自分に言い聞かせて、ずっと望んでいたことを言葉にした。この触れたいが何を意味するか、ヴォックスはよく分かっている。

「……ヴィー」
「ユツィ」

 観念したように瞳を一度閉じた。
 次に合った瞳は深く滲んでいるあまり見る事のない色合いで、了承の意を示している。そしてそれが今日だけである事も。

「……」

 風が心地良いこの場所で、私達は静かに唇を寄せた。
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