エスメラルドの宝典

のーが

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第40話

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《慧ッ! そっちに二人ほど行ったわッ! なんとかしなさいッ!》
「簡単にいってくれるな」

 想定外の事態への対処を練らなければならないが、腰を据えて考える暇もない。
 数秒と置かず宿舎の方角から銃弾が飛来する。慧は慌てて階段を盾にする。
 明かりの差さない暗闇でなぜこうも簡単に見つかったのか。
 その疑問は、自分の周囲を浮遊する輝石を見下ろして合点がいった。

「魔術も便利なばかりじゃないなっ!」

 階段横の窓枠から外に飛び出る。
 命を一つ犠牲にして渡った道を、今度は逆側から折り返さなければならない。
 広場では様々な色の光が入り乱れていた。戦況は不明瞭だが、鏡花はともかく琴乃には助言するだけの余裕がある。慧は別段、彼女たちの心配はしなかった。
 鏡花と琴乃の奮闘があってか、今度は被弾せず手前の建物に戻ることが叶った。後方から追っ手の銃撃を受けたが、幸い命中はしていない。
 同じように窓枠から内部に入る。壁際で息を潜める。手前の建物も、階全体が一つの広間となっていた。

 壁越しに、乱暴に土を踏み散らす足音が近づく。
 慧は存在を勘付かれないよう発光する石を左手で押さえる。便利なことに、輝石は動きを止めてすっぽりと手のひらに収まった。
 右手の大刀を握り直す。
 慧の侵入した窓から一人目の追っ手が飛び込む。銃口と視線が右往左往する。慧の姿を捜しているのだ。
 遅れて二人目の追っ手が現れる。こちらは窓枠を跨ぎ、冷静に。
 瞬間、二人目の脇腹を慧の直刀が突き貫く。悲鳴をあげる暇さえ与えない。即座に刃を引き抜き、左足の甲で敵の顎を蹴り上げる。
 絶命の間際、敵は窓枠から転げ落ちながらもライフルを乱射した。天井に蜂の巣を築く。
 当然異変に相方は振り返る。素早くライフルで慧を捉える。訓練していない者には実現不可能な反応速度だ。

「惜しかったな」

 慧は右足を踏み込む。鮮血を振り撒きながら刀を大きく外側から振り抜く。
 刀の先端がライフルの銃身を叩き、衝撃に敵の手元からライフルがこぼれた。
 唖然とする敵を意に介さず、姿勢を落として返す刀で懐を一閃。
 言葉にならない呻き声。敵は膝から崩れ、倒れ伏した。
 追っ手を片付け、彼は改めて辺りを観察する。
 上階に続く階段は、すぐ右後ろにあった。
 階段の正面に移動し、進む先を見上げる。こちらは塞がれていない。
 足音を立てないよう細心の注意を払い、慧は闇の先へ進んだ。
 
   ◆
 
 二階を素通りし、折り返していた階段を三階までのぼりきる。
 いずれの階も、一階と同様に広間に支柱がいくつかあるだけの不思議な造りだった。
 部屋の壁をつたい、慎重に移動する。暗闇を照らす光源は、窓枠から漏れる僅かな月明かりと、琴乃のくれた御守りのみ。
 銃声や魔術の奏でる騒音は、ここからでは遠くの世界の出来事のように小さく感じられる。
 やがて、手をつくべき壁を消失する。
 途切れる手前の壁に身体を密着させ、慧は奥の様子を窺う。

 その先には、二つの建物を繋ぐ連絡通路がある。
 間近で見ると、外から見上げた印象よりも広く感じられた。向かい側までの距離も長い。
 連絡通路の両脇では、交差して組まれた支柱が奥まで続く。柱の外側に壁はなく、冷たい秋風が支柱の隙間を吹き抜ける。微かな月光が差し込み、その通路だけは闇から守られていた。
 けれども通路の反対側までは届かない。
 視線の奥に待ち受ける深淵が、慧を引きずり込もうと手招く。
 階段を塞がれた以上、ここを通るより他に道はない。
 たとえ何が潜んでいようとも、彼に選択肢は用意されていないのだ。
 これが最後の障害だ。
 ここを渡らなければ、フリーフロムとの戦いは終わらない。
 意を決した慧は暗闇から歩み出る。月光を浴びる連絡通路に身体をさらけ出す。

 琴乃がくれた御守りが、消滅した。一瞬にして、呆気なく。
 不意を突かれたが、彼にとっては想像通りの展開だった。
 〝彼女〟は慧と違い、狙撃が得意だったから。
 耳に装着していたイヤホンマイクをはずす。慧はそれを口元に近づけた。

「目標を発見した」

 短く告げる。返答には耳を貸さずに胸ポケットにしまった。
 対峙する奥の闇から、カツカツと規則的な足音が奏でられる。
 鞘に納められたままだった残りの刀を左手で握り、引き抜く。順手から逆手に持ち替え、目標の出現を待つ。
 慧の胸によぎるのは、自分に都合の良い理想的な展開。実はもう改心してくれていて、刃を交える必要はもうないのだと、〝彼女〟がそう答えてくれる幸せな結末。
 その実現を、彼は何度も願った。覚悟は固めているが、それこそが慧の抱える偽りのない本音だ。

 ――こんなことをせずとも、もっと平和に、もっと簡単に……。

 彼自身、そんな甘さが許されないことは充分に理解している。
 困難を乗り越えずに果たせるほど、己の願望は小さくないのだと。

 ――だが、あと少しだ。

 行く手を覆う暗黒から、一人の少女が現れる。
 身軽な服装に、ショルダーホルスターとナイフが一本。外見は見慣れた姿だが、振り撒く雰囲気が違う。つい数日前までは向けられるはずのなかった憎悪と殺気をはらんでいる。
 彼のよく知る少女。月明かりに身体の半分をさらし、右手に拳銃を構える。
 少女の無感動な瞳が、通路の反対側に佇む男を映した。

「待ってたよ、慧」

 低く、憎しみに染まった声が、慧の脳に染み込んだ。
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