この恋は、曰く付き

あしゅ太郎

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ととのう距離、さぐる心(3)

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「ぅあ……おはよ……」

パジャマ姿の斎が、髪をくしゃっとさせたまま玄関のドアを開けると、そこにはいつもの飄々とした笑みを浮かべる神坂 月詩の姿があった。

「おはよーさん、斎くん。呪物、取りに来たで」

「……あー、そっか。ごめ、まだ寝てて……ちょっと上がって」

斎は目をこすりながら、寝癖もそのままに月詩を部屋へ通す。
ひとり暮らしのワンルームは狭く、月詩の高身長が余計に際立っていた。

斎がヨレたTシャツの裾を直しながら、部屋の隅に置いていた、髪の毛が伸びてくる人形入りの木箱を取ろうとしたときーー

「待って」

月詩の声が、すっと静かに落ちた。

気づけば斎のすぐそばに立っていた月詩が、そのまま腕を伸ばし、斎の身体をふわりと抱き寄せた。

「――!?」

突然のことに、斎は息をのむ。

身長差のせいで、自然と斎の頭は月詩の胸元に当たる形になっていて――

その瞬間、耳に響くのは、月詩の鼓動。

「……わかる?」

低く甘い声が、耳に直接届く。

「俺、こんなにドキドキしてるんやけど」

「は……ぁっ!?」

斎の目が一気に見開く。

まだぼやけていた頭が、突然のアドレナリンで強制的に覚醒した。

「え、え、お、おま、ちょ、近……!」

「ふふ」

いたずらっぽく笑った月詩が、斎の耳元にさらに顔を近づける。

「どう? 俺のこと、ちょっとは……意識した?」

「っ……してねぇし!!!」

「ほんま~? そんだけ耳まで真っ赤にしといて?」

「う、うるせぇ! 近づくな! この変態!!!」

斎はパジャマの裾をぎゅっと握りしめて、顔を真っ赤にして暴れた。

それでも月詩は、斎が逃げようとする肩を軽く押さえて、からかうように笑っていた。

「ふわふわした寝起きの斎くんが悪い。
そんな無防備な顔してたら、俺、つい……手ぇ出したくなるやん?」

「出すな!!!」

狭い部屋に、斎の怒鳴り声と、月詩の笑い声が響いた。

――その笑い声が、どこかやさしくて、斎はますます混乱するのだった。

---

怪談イベントのタイトルは――
夜ノ聲よるのこえ~語られざるモノたち~』

「……ん、終了っと」

マイクを置き、照明が落ちたステージの上で深く一礼した斎は、舞台袖に引っ込んで大きく息をついた。
夜9時、イベント『夜ノ聲』の最後の語り手として、しっかりトリを務めきった満足感と疲労が同時に襲ってくる。

(終わった……さて、帰るか)

袖から出て、控室で荷物をまとめていたところ――スマホが震えた。

《月詩》
「おつかれさん、斎くん。今日もええ声やったわ」
「今どこ? まだ帰ってへんよな? 腹減ってへん? よかったら、飯付き合ってや」

「は? なんでお前と……って、来てたのかよ今日のイベント」

《月詩》
「そら行くやろ。“俺のために怪談喋ってくれる人”が出てんねんから」

(はぁぁ……)

心の中で盛大に溜息を吐きつつ、断りきれずに“じゃあ一杯だけ”という名目で誘いに応じることにした。


---

駅近くの路地裏にある、木目調の落ち着いた個室居酒屋。
ふたりが通されたのは、畳敷きの静かな四畳半、掘りごたつ式のテーブル席だった。

「改めて、おつかれさん。今日の斎くん、めっちゃ良かった」

そう言って運ばれてきたグラスを斎に差し出す月詩。
氷がカランと鳴る音に、斎は少し照れながらも応じる。

「……ありがとな。……てか、また来てたの、ほんとに」

「うん。今回は一番後ろの席。チケット取るん、ちょっと苦労したで」

「お前、マジで何やってんだよ……」

そう言いながらも、どこか心の片隅がほんのり嬉しくなってしまうのが、悔しい。

先日、胸に耳を当てられたドキドキの感触がふと脳裏をよぎる。

(……ちょっと、意識し始めてんのか、俺)

焼き鳥の盛り合わせが運ばれてきたタイミングで、ふいに月詩が言った。

「……なあ、斎くん。今日の怪談、ほんまによかったよ」

「あ、ああ、ありが――」

「特にあの、“鏡の裏で見てるやつ”の話。あれ、俺めっちゃ好き」

「っ……えっ、あれ、マニアックだぞ? 一般ウケ悪いって言われてるし……」

月詩はゆっくり身を乗り出して、グラスを傾けるフリをしながら、斎の耳元へそっと口を寄せた。

「でも……俺は好きやで。怖い声も、ぞくっとする語り方も。……また俺だけに、聞かせて?」

「……ッ!!」

斎の肩がびくっと震え、耳まで熱くなる。

「おま、……何なんだよいちいち!」

「なにが?」

とぼけた顔で月詩はにこりと笑う。
その顔は、斎の鼓動をわざと煽って楽しんでいるとしか思えなかった。

「そんなん言って、そんなに耳まで真っ赤にして……かわいいなぁ」

「かっ……やめろっつってんだろ!」

(なんでコイツ、こんなサラッと甘いこと言ってくんだよ……!)

斎は焼き鳥の串を口に運ぶフリで顔を逸らし、ごまかすようにグラスをあおった。

居酒屋の柔らかな照明の中、
月詩はどこか満足げに笑っていた。

その笑みに――斎はまた、胸がざわつくのを止められなかった。

---

「……けっこう飲んだな」

夜の空気は思ったより涼しく、斎はほんのり紅潮した頬を風で冷やしながら、口の中に残ったお酒の余韻を誤魔化すように言った。

「言うほど飲んでへんやろ? 斎くん、顔すぐ赤くなるだけやん」

「……うるせぇな。酔ってないし」

月詩はとなりで手持ち無沙汰に缶コーヒーをプシュッと開け、細長い指でくるくると缶を回しながら歩調を合わせてくる。

「でも今日は、ごはん付き合ってくれてありがとな」

「……あんましつこく誘ってくんなよ。……断れなくなんだろ」

「ふふ、ほんなら毎回しつこくしたらええってこと?」

「そういう意味じゃねえ!」

斎の耳がまた赤く染まり、月詩はおかしそうに笑った。

二人の影が街灯の下で並ぶ。
高身長の月詩と、小柄な斎。
それはまるで、正反対の何かが絶妙に釣り合っているような影だった。

「なぁ、斎くん」

「……ん?」

「この前さ。うち来たとき、“俺の歌、聞かせたる”って言うたやん?」

「……あったな、そんな話……」

「今度、ほんまに聞かへん? 俺の、斎くんだけのためのやつ」

「――っ」

斎はまた、喉の奥が詰まったようになり、立ち止まった。

(……本気なのか? 冗談か?)

「そんで、その曲の感想、俺だけに聞かせて」

「お、お前さ、何なの……ほんと、……抜け目ねぇ、そういうの」

ふいに、月詩の手が斎の後ろ頭に軽く触れた。
そのまま、ふわっと頭を撫でるように優しく指が動く。

「……俺が、斎くんのこと、ちょっと本気かもしれへんって言ったら……どうする?」

「……えっ、」

斎の鼓動が一拍ずれる。

「ふふ、冗談やって。……今んとこはな?」

そう言って、月詩はあの飄々とした笑みを浮かべたまま、歩き出す。

「……マジで、ずるい……」

斎はぽつりと呟きながらも、黙って月詩の背中を追いかけた。

(冗談だって、嘘だろ……)

ざわざわと揺れる鼓動を抱えたまま――
ふたりの歩幅が、夜の街に溶けていった。
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