アルマン伯爵と男装近侍

早瀬黒絵

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# The fourth case :The people who took the wrong choice.―間違った人々―

道、三路。

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* * * * *





 それから五日後、学院へ行くこととなった。

 身分証自体は伯爵が三日ほどで用意してくれた。

 地方から来た下級貴族の庶子で庶民の母親は既に病で他界、それを機に医学分野に進みたいと決心して王都に出て来たという設定である。ちなみに年齢は十四。三歳ほどサバを読んでいるが外見年齢と学院へ通うことを考えての配慮らしい。

 学院は十三から十九歳まで通うため、十四ならばギリギリ途中から転入出来る年齢だそうだ。

 童顔小柄な民族性のわたしならば絶対に誤魔化せると太鼓判を押された。

 ……余計なお世話だっての。

 ついでに服もその間に用意した。伯爵の意見を大いに参考にさせてもらい服は全体的にランクを落とし、しかし庶民の服にしては質の良いものを古着屋で購入することで貴族の庶子らしさを出す。

 髪もかなり短く見える方法を使う。

 まず髪を逆立て、後ろと左右で三つに分ける。それを緩く編み、毛先を上向きに曲げて髪紐で括る。それから三つ編みを内側に丸め、首の付け根辺りでピンで留める。後は全体的に髪を解して整えると背中まであった髪はゆるふわの柔らかなボブになる。

 色はやや明るめのブラウンに染めた。

 この間キースに頼んだのは実は髪の染料で、落とした時に色が残り難いものを探してもらったのだ。届いてすぐに試してみたらしっかり落ちたので大丈夫だろう。

 それからメイク道具一式も購入した。童顔に見え過ぎないよう一つ年下のキースを参考にアイラインを長めに描き、肌を白く見せるため薄っすらと白粉をはたき、額や鼻などにもハイライトを入れて高く見せている。顔色が悪くなると不自然なので頬骨にも薄くチークをはたく。

 あと、目元に偽の泣き黒子ぼくろもつけた。

 黒子屋という職業があって、貴族の間ではお洒落の一環として偽の黒子を付けて楽しむことがあるのだそうな。ちょっと面白い。金を多めに支払うことで口止め料とした。

 キースを待ちながら玄関ホールで服装に乱れがないか確認する。

 その様を見ていた伯爵が感心した様子でわたしの髪にそっと触れてきた。



「編み込んだのか」

「ええ、髪形を変えるだけでも印象は変わりますので。如何《いかが》でしょうか?」

「親しい者なら別だが、少し顔を見たことがある程度の者ならば気付かないだろうな」



 今度はひょいと顔を覗きこまれた。



「……化粧もしたのか? かなり違うな。この国の十四歳ならばこれくらい、という年相応さに見える。こうも変われるとは器用なものだ」

「お褒めに与り光栄です」



 そういう伯爵も前に驚くほど違う変装をしていましたけどね。

 気になるのか手袋越しの指が髪を少し持ち上げて編み込みを見る。簡単には崩れないよう留めてはいるが、あんまり弄るとほつれてしまうのでそろそろ止めてもらいたい。

 気付いたのか伯爵の手が引っ込んだ。



「伯爵も今度編み込んでみますか?」



 そんなに長さがないから沢山は無理だが、サイドを編むくらいなら出来るかもしれない。

 編み込んだ銀灰色はきっと綺麗だろう。



「要らん。どうせ似合わんさ」

「そうですか? 編み込みにも色々ありますから、試してみないことには分かりませんよ」



 サイド部分を耳の後ろへ編み込んで全体的に少し巻いて毛先を跳ねさせたら、冷たい印象が和らいで結構似合う気がする。髪質も柔らかそうだし癖を付けさせるのは簡単そうだ。

 ジッと目の前の頭を見つめていたら伯爵は無言で後退あとずさった。

 少し乱れてしまった髪を整えているとノッカーが鳴る。

 玄関扉を開ければ予想通りキースが立っており、わたしを見てキョトンとし、数秒後に目を丸くした。体をのけ反らせてわたしを矯めつ眇めつし、口笛を吹く。



「顔も髪型も違うから一瞬誰かと思った。でもその編み込み洒落てていいな、俺も髪伸ばしてやってみたい」



 現代の若者とお洒落の美的感覚が近いのかもしれない。羨ましげに見つめてくるキースに「簡単なので今度編み方を教えますよ」と言えば嬉しそうに笑った。

 甘い顔立ちだからふんわりした髪形も似合うだろうな。

 キースの髪はサラサラっぽいので弄るのは楽しそうだ。

 ちょっとした楽しみが増えて喜んでいると、伯爵の呆れとも感心ともつかない声が横から飛んでくる。



「相も変わらずお前達は仲が良いな」

「友人ですから。……それでは行って参ります」

「ああ、行って来い。あまり遅くなるなよ」

「善処します」



 見送りをしてくれる伯爵に頷き、リディングストン家の、家紋のないやや質の悪い馬車に乗って屋敷を後にする。侯爵家の子息が乗るには質素な馬車だ。

「相変らず伯爵ってセナに過保護だよなあ」とキースが苦笑した。

 しかし心配されて悪い気はしないので笑って流しておいた。

 上着の内側から身分証を取り出して再度設定を確認する。母親が病で他界、それ故に医学方面に興味を持ち、医師になることを将来の夢とした地方出の下級貴族の庶子。年齢は十四。男。

 ……よし、今からわたしは下級貴族の庶子、セディナ=ブランシャールだ。家名は母親の性という設定だ。そして相変わらず伯爵の名決めは分かりやすいような分かり難いような微妙なラインを攻めてくる。セナだからセディナって、男とも女とも取れそうな名前だ。

 誰に頼んだのかは知らないが随分とよく出来た偽造証を頭の中へ叩き込む。誕生日も出身地も地位も、何もかもがデタラメだからこそ、一度でもヘマをしたら偽造がバレてしまう。

 半ば暗示の如く偽名を心の中で復唱していると馬車の速度がゆっくり落ち始めたので窓を少し開けて外を見遣れば、何と見覚えのある学院が視界に飛び込んで来た。



りにってココですか」

「あれ、もしかして来たことある?」

「以前、一度だけ旦那様に連れて来ていただきました」



 そこは以前に伯爵と訪れた学院だった。

 これ、バレる確率が上がるんじゃないか?



「ふうん? でも知ってる場所の方が緊張しなくていいだろ」

「それもそうですね」



 キースの前向きな発言に気持ちを奮い起こす。

 門で身分証を提示して見学に来たと告げれば難なく通過し、敷地内に入って馬車から降りると大きな建物を一度見上げ、振り返る。



「送ってくださり、ありがとうございました」



 キースはニッと笑って気にするなと言う風に軽く手を振り、すぐにカーテンを引くと馬車は門を抜けて通りの向こうへ走り去った。それを見送ってからわたしも敷地内を歩き出す。

 整えられた石畳を踏み締めつつ、まずは建物の周囲をグルリと見て回る。

 外と区分するための塀のきわには木々と花壇が置かれ、中庭に設置された噴水は涼しげな音を立てて水を湛えていた。建物もそうだが敷地内もなかなかに綺麗だ。

 建物の裏側に回ると不意に嗅ぎ慣れた臭いが鼻腔を掠める。

 鉄が混じった、思わず眉を顰めたくなるそれは決して良い匂いではない。

 風に乗ってやって来るそれを辿って足を進めた先にはレンガ造りの小さな建物があった。まるで置き去りにされたかのように古びている。濃い焦げ茶色の屋根には壁と同色の赤茶けた煙突が突き出し、灰色の煙がそこから流れて行く。

 臭いはそこから漂っているようだ。

 近付いて行くと建物の前に数人の人影があり、赤く染まった空の麻袋を幾つも運んでいた。

 その表情は一様に硬く、大きな台車の箱から取り出してはレンガ造りの建物へ袋を移動させて行く。



「こんにちは」



 声をかけた途端にパッと人々が振り返る。

 全員まだ若い。十代前半から半ばくらいで、恐らく院生だろうと見当をつけて更に歩み寄る。



「……何か用か?」

「学院内を見学させてもらっているのですが、臭いが気になって来てしまいました。これは一体何をしているんですか?」

「解剖を終えた献体を入れていた袋の焼却だよ。献体自体は別の場所に埋められるけど、そこまで入れていた袋は持ち帰って焼く決まりなんだ」



 押し殺したように平坦な声が答えた。

 解剖された遺体はどこか別の場所に埋葬されるのだろうとは考えていたが、それを入れた袋はそのまま埋めずに持ち帰ると聞いて驚いた。体液に触れることで移る病もあるため、そういうものとの直の接触は極力減らされていると思っていたのだ。

 袋を見つめたわたしの思いに気付いたらしく院生達は目を伏せた。



「実は俺達はまだ解剖じっしゅうは許されてないんだ」

「それなのに使った物の焼却処分はあなた方が?」

「ああ。献体を運ぶのも、袋を焼くのも、下っ端の仕事ってことだろうさ」



 話しながらも院生達はバケツリレーの如く麻袋を手渡して運ぶ。

 わたしが見学者だったからか、院生はポツリポツリと呟くように教えてくれた。

 遺体は学部に持ち込まれるとすぐに割り振られた院生達によって解剖され、バラバラになる。解剖後はこの麻袋に適当に詰められて、学部に入りたての院生達が当番制で埋葬地に運び、使用済みの袋を焼却するそうだ。この建物はそれを焼き捨てるための焼却炉か。

 血だらけの袋を焼却炉に投げ入れ、院生達は建物の煙突から昇る煙へ束の間、黙祷する。

 医学のために身を捧げた人々が必ずしも丁寧に扱われる訳ではない。

 立ち上る煙を眺めながら思考を巡らせる。

 もしも埋葬地で一緒くたに埋められているとしたら少々厄介だ。現代の技術であればバラバラにされても死因や個人を特定出来るが、この世界では尚更難しい。

 献体の中に殺害された者が混じっていたとしてもそれを立証する術がない。

 考えてみれば解剖学部は死体の処理に打って付けの場所であった。

 ――……それは事件が起きていると仮定した話だ。今はまだ事件性は見られない。



「……杞憂だったらいいんだけど」



 血と麻の焼ける臭いが強くなってきたため、残っている院生達に礼を述べてその場を離れ、学院の建物内へ入ることにした。

 出入口で声をかけられるかと思ったが受付の者はチラリとこちらを見ただけで何も言わなかった。

 潜入する側が言ってはお節介だがこんなにざるな警備で大丈夫なのだろうか?

 前回訪れた教授の研究室を思い出す限り、学院には危険な薬品などもあるだろうに。それが盗まれ、良からぬことに使われた日にはもう目も当てられない。

 わたしの知ったことではないか、と思考を頭の隅へ追いやった。

 休日のせいか全く人と擦れ違わない。

 所々の壁に設置された案内図を頼りにウロウロと院内を歩いてみる。

 現代の学校の建物と違い部屋の廊下側に窓がないので室内は見えない。時折漂ってくる薬品の匂いが学校の理科室を彷彿とさせて、少しだけ懐かしい気持ちになる。

 薬品を保管している部屋などは基本的に施錠してるらしく入ることは出来なかった。

 それくらいは当然なのだが、何となくガッカリしたのは秘密にしておこう。

 そんな風に寄り道をしつつ解剖学部のある棟へ向かう。

 解剖学部というだけあって廊下には熊や鹿など沢山の動物の剥製が飾られていた。それらを通り過ぎて‘解剖実習室’と書かれた部屋の扉の前で足を止め、二度ほど扉を叩いてみた。

 誰もいないのか物音はしない。

 ドアノブを捻ってみたが案の定開かなかった。この世界の鍵って結構ちゃちい作りだし髪を留めているピンを使えば開けられるのでは?

 一瞬、邪な思考が頭を過ぎる。

 …いや、それは流石にマズいか。

 頭(かぶり)を振って思考を追い払い、溜め息を一つ零すと隣りの扉から人が出て来る。

 あれ、あの人って――……?



「……おや?」



 わたしに気付いて足を止めた相手が白髪混じりの頭を不思議そうに傾げる。

 中年というには少々年老いたその男性は、伯爵と一緒に来た時に会った教授だった。



「こんにちは」

「こんにちは。いきなりで失礼だが、以前どこかで君とは会った気がするんだが知らないかね?」



 問われ、苦笑する。

 短時間の邂逅かいこうだったし、今は髪も染め、化粧もしているから分からないのは当然だ。多分、何となく既視感があるといった具合なのだろう。



「セディナ=ブランシャールと言います」

「セディナ君……聞かない名だな。いや、すまない、私の勘違いだったようだ」



 申し訳なさそうに言われて首を振る。



「いえ、この髪も大勢いる色ですから何方どなたかと間違えられたのかと。お気になさらず」

「それは良かった。私も年かな。学部の生徒が多くてなかなか顔が覚え切れなくてね」



 好々爺の笑みを浮べる教授にわたしも笑う。

 偽だが身分証を見せ、休日だったので学院の見学に来た旨を伝えた。知り合いが学院へ通っており、母が病で亡くなったこともあって医学に興味が湧いたのだと言うと、やけに嬉しそうにされる。

 こういう人は教師としても好かれるだろう。



「勉強も大切だけれど無理をしてはいけないよ」

「はい、気をつけます」

「うん、良い返事だ。ところで、解剖学部も見て行くつもりだったのかい?」



 フライングで核心を突かれてドキリとする。

 それに気付かれぬよう、ここ一年近くで培った笑顔で肯定した。



「はい、人の体を知らなければ医者にはなれないので、出来れば一度見学したいと思っています。でも今日は誰もいらっしゃらないので、また日を改めようかと」

「いやいや、せっかく来たのだから部屋の中くらい見て行きなさい」

「え? だけど、勝手に入るのは……」



 申し出は有り難いけれども、後であれやこれやと言われたくはない。

 言葉を濁したわたしに教授が笑う。



「大丈夫。こう見えて、実は解剖学の教授でね。気晴らしと趣味を兼ねて薬品弄りはやってるが、専門は解剖学なんだ」

「そうなんですか?」



 てっきり薬品方面の研究をしている人だとばかり思っていたので少し驚いた。

 教授は白衣の内側から鍵束を取り出し、そのうちの一つを鍵穴に差し込んで捻る。軽い音がして錠が開いた扉の中へ促されて入ると、室内は綺麗でこざっぱりとしていた。

 棚には解剖用だろうメスや鉗子など医療器具らしきものが並べられている。縫合関連の道具が見当たらないのは不必要だからだろうか。器具は全て同じ数ずつ揃っていた。

 幾つか手術台のようなものがあり、その上には重ねられた大きめのトレイが置かれている。

 解剖で遺体を選り分ける際に使うのかもしれない。

 その場面を想像し、思わず脇腹の辺りを擦ってしまう。


 
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