黒薔薇の刻印 ~死ぬほど愛される、重すぎる愛の逆ハーレム~【ダークファンタジー】

ALMA

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第1部:鮮血の王冠

第5話:跪く獣、焦れる騎士

 私はアルカディアスに告げた。
「公の場で私が聖女の力を発現した以上、慈善事業の総指揮を速やかに始める必要があります。すぐ貧民街へ行きたいのですが」

「承知した。私は報告会の残務処理がある。……信頼できる護衛をつけよう」
 そして、私の額に軽い口づけをし、抱き寄せて切なそうに続けた。
「本当は他の男を近づけたくはないのだが……仕方あるまい……」

 アルカディアスが用意した護衛の先頭に立っていたのは――

「お久しぶりです、ロゼノア・デ・ローゼン公爵令嬢」

 ユリウス・ノヴァ。第二王子付きの近衛騎士団長。王国最強の呼び声が高い剣士。
 夜の闇を溶かしたような漆黒の髪。冷徹なまでに整った顔立ち。全てを見透かすような、怜悧な黒い瞳。
 その身に纏うのは、他者を寄せ付けない禁欲的な空気だ。

 ユリウスは、ゲームの攻略対象ではなかった。
 だが、ロゼノアがゲームの初期に、エルネストの理不尽な処罰から密かに救った騎士である。
 そして――私が前世で、一番「推して」いたキャラクターでもあった。

「ユリウス!」
 私はあえて少女のように無邪気に微笑んだ。
「会えて嬉しいわ。あなたに護衛を頼めるなら心強い」
「……光栄です」
 ユリウスは表情を崩さず、淡々と答えた。

 その鉄壁の反応。
(……やはり、この人は他の者とは違うわね)
 アルカディアスのような狂気的な依存心も、ザックのような剥き出しの野心もない。
 清廉潔白で、堅牢な理性の鎧を纏った騎士。だからこそ、その鎧を剥ぎ取り、乱したくなる。

 私は侍女のマリエを連れ、目立たぬよう平民の外套を羽織り、貧民街へ足を踏み入れた。
 ユリウスと護衛兵は、数歩下がって控えている。
 継ぎ接ぎだらけの古びた家屋が立ち並ぶ、薄暗い路地裏。
 生活感とすすまみれたこの場所に、騎士団長の凛とした立ち姿はあまりにも異質で――そして、酷く美しかった。
 
「ロゼノア様!」
 野太い声と共に、ザックが駆け寄ってきた。
 汗と泥にまみれた筋肉質な体躯。粗野な男の熱気が、むせ返るように押し寄せる。

「水源の浄化、本当に効果があった! 病の流行が止まったんだ」
 彼の目には、心からの喜びと、隠しきれない崇拝の色が宿っている。
「誰も、貴族がこんなことをしてくれるなんて……アンタは、本当に約束を守った」

「もちろんよ、ザック」
 私は彼の手を握った。
 ゴツゴツとした掌。私の滑らかな指先が触れると、彼は感電したようにピクリと震えた。

「この国を正すために、あなたが必要なの」
 ザックの顔が、わずかに赤黒く染まる。
「え、あの……」
 裏社会の顔役が、純情な少年のように照れている。可愛いものだ。

 その時、ザックの表情が曇った。
「でも、治らない病もある。元々体が弱かった者は……」
「誰か、重い病の者がいるの?」
「俺の弟が……」
 私は即座に言った。
「案内して」
「でも、病はうつる。それに、あんな汚い場所にアンタを入れるわけには――」
「何を言うのです。あなたの大切な弟でしょう?」
 
 案内されたのは、路地裏にある石造りの家だった。
 周囲の崩れかけたあばら屋とは違い、壁や屋根は修繕され、しっかりとした造りをしている。
 中に入ると、そこは質素だが、綺麗に整頓されていた。

「……こちらです」
 通されたのは、奥の小さな寝室だった。部屋には、独特な薬草の匂いが充満している。
 木製のベッドに、一人の少年が横たわっている。
 少年は、枯れ木のように痩せ細っていた。呼吸は浅く、全身に浮いたどす黒い斑点が、痛々しく肌を侵食し、高熱にうなされている。

 私は躊躇なく、少年のそばに膝をつく。ドレスの裾が汚れることなど意に介さない。

(見ていなさい、ユリウス。これが「本物」の聖女よ)

 私は背後の視線を感じながら、その痩せた額に手をかざした。
 
 ――癒やしなさい。
 私の意思に応え、温かく眩い光が溢れ出す。
 薄暗い小屋が、聖なる輝きで満たされた。
 少年の熱が下がり、湿疹が引き、苦しげだった呼吸が穏やかな寝息へと変わっていく。

「……っ」
 目の前で起きた奇跡に、ザックの目から涙がこぼれ落ちた。
 背後で、ユリウスが静かに息を呑む気配が伝わってきた。その冷静な黒い瞳も、今ばかりは見開かれているはずだ。

 私は立ち上がり、ふらつくような仕草を見せた。
「ロゼノア様!」
 すかさずザックが私を支える。
 私はその逞しい腕に身を預け、指先でザックの涙を拭った。

「弟さんには栄養が必要です。これで何か食べさせてあげて」
 私は首元のサファイヤのペンダントを外し、ザックに渡した。
「こ、こんな高価なもの……!」
「母の形見だけれど……困っている者のために使うなら、きっと許してくれるわ」

 もちろん嘘だ。これはエルネストから貰った趣味の悪いプレゼント。この瞬間のために、わざわざ身に着けてきたゴミだ。

 だが、効果は絶大だった。
 ザックは、その場に膝をつき、私の足元に崩れ落ちた。
「ロゼノア様……! 俺は生涯、貴女のものです。この命、貴女のために使い潰してください」

 ひれ伏す野獣。
 私はしゃがみ込み――彼の耳元に、唇を寄せた。
 背後のユリウスやマリエからは私の表情は見えない。
 私は聖女の仮面を外し、妖艶に目を細めた。

「……本当に?」
 熱い吐息を吹きかけるように囁く。唇がそっと触れる。
「……っ!」
 ザックの肩が、ビクッとした。
 喉元が激しく脈打ち、生々しい雄の匂いが濃くなる。私の甘い香りと、彼の獣の匂いが混じり合う。

「ロゼノア、様……」
 掠れた声。彼の視線は、私の唇と胸元を往復し、焦点が定まっていない。
 恐怖と、畏敬と、そして強烈な劣情。
 抑えきれない欲望が膨らみ、今にも飛びかかってきそうな勢いだ。 

「ザック」
 私は彼の手を取り、自身の膝の上に置かせた。
 ドレス越しに伝わる私の体温に、彼の指が震える。
 私は彼の手を導き、さらに奥――内太ももの柔らかな場所へと這わせた。
「っ……!」
「あなたは、わたくしのものよ。……『全部』、ね?」

 ザックの荒い指先が、ドレスの生地越しに私の肌を鷲掴みにする。
「あ……うぅ……ッ」
 彼は理性を保とうと必死に耐えているのか、指が震え、爪が食い込むほどの力が入る。
 だが、あえて拒絶はしない。彼は本能だけで、私を求めている。

(この男は、もう私に欲情している)

 それは忠誠ではない。雄としての、生々しい渇望だ。
 私はゆっくりと身を離した。
 ザックは肩で荒い息をしている。顔は真っ赤で、目は潤み、まるで交尾を待つ獣そのものだ。

「……これからも、よろしくね」
 私は聖女の顔に戻り、清らかに微笑んで立ち上がった。

 マリエが思わず前に数歩踏み出す。
 彼女は頬を上気させ、熱っぽい瞳で私と、足元で荒い息をつくザックを見比べている。

『……ああ、ロゼノア様』
 彼女の心の声が聞こえるようだ。

『あの荒くれ者の狂犬を、まるでただの子犬のようになさってしまうなんて。なんて恐ろしく、そして美しいお方……!』

 マリエの瞳には、歪んだ信仰心と興奮が宿っていた。私の侍女は、どうやら私の「支配」を見るのが何よりもお好きなようだ。

 そして――。

 ユリウスは腕を組んで壁に寄りかかっていたが、その指先は二の腕に強く食い込み、微かに白くなっていた。
 視線は、私の顔ではなく、ドレスの腰から下――先ほどザックの手が這い回った、太もものあたりに注がれている。

(……あら)
 鉄仮面の下で、何を感じたのかしら。
 不快感? 嫉妬? それとも、主君の婚約者が平民に肌を触れさせたことへの、背徳的な興奮?

 ユリウスは私と目が合うと、ハッとしたように視線を逸らし、短く一礼した。
「……参りましょう」
 その声は、いつもより僅かに低く、渇いていた。
 
 王宮へ到着した時。
 エスコートされ馬車を降りた私に、ユリウスが静かに口を開いた。

「ロゼノア様。……先ほど拝見した力は、疑う余地のない、本物の聖女の力でした」
「ありがとう、ユリウス」
 私は彼に向き直った。
 夕闇に染まる王宮の前で、彼の整った顔立ちは陰影を帯びて、ひどく色っぽい。

「あなたは、わたくしに力を貸してくれますか。この国を正しく導くために」
 ユリウスは少しの間をおいて、静かにひざまずいた。
 
「我が剣は、貴女の理想と共にあります。……ロゼノア様」
 彼が私の手を取る。
 その手は熱かった。
 ひんやりとした外気の中で、彼の手のひらだけが、火傷しそうなほどの熱を帯びている。
 彼はその熱を押し隠すように、恭しく私の手の甲に額を寄せた。
 唇は、触れなかった。
 寸前で止める、ギリギリの忠誠。

(……熱い)
 額から伝わる熱が、彼の内側の動揺を物語っている。
 彼は理性で必死に抑え込んでいるのだ。
 目の前の女が、男を狂わせる「魔性」であると気づきながら、それでも騎士として仕えなければならない葛藤を。

「ありがとう」
 私は余裕の笑みを浮かべ、あえてゆっくりと手を引いた。
 名残惜しそうに、彼の指が私の肌を滑り落ちる。

「アルカディアス殿下に、この貧民街の真実を報告してちょうだい。そして、私がこの力を、王国の全ての不幸を癒すために使うのだと」
「……御意のままに」
 ユリウスは深く頭を垂れた。

(この人は……まだ、私のものではない)

 アルカディアスのような愛欲も、ザックのような盲目的な発情も、まだ足りない。
 彼は常に踏みとどまり、理性で自身を縛り付けている。

(ふふ、難攻不落の騎士様……)

 でも、だからこそ燃える。
 私はそびえ立つ王宮を見上げ、口角を吊り上げた。
 いつかその冷静な仮面を剥ぎ取り、理性の鎖を引きちぎって、私を求めて乱れさせたなら――。
 その時、彼はどんな顔で鳴くのだろうか。
 想像するだけで、身体の奥が甘く疼くのを感じた。
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