黒薔薇の刻印 ~死ぬほど愛される、重すぎる愛の逆ハーレム~【ダークファンタジー】

ALMA

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第1部:鮮血の王冠

第8話:女戦士と偽りの涙

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「うわあああーっ!」 「た、助けてくれー!」
 森の中に、兵士たちの凄惨な悲鳴が響き渡った。
 三本の首を持ち、ドラゴンのような翼を備えた巨大な魔獣――ヴォルテクス・ハイドラが、灼熱の炎と、煮えたぎる酸を吐き出している。兵士が、甲冑ごと音もなく溶け、蒸発していく。

「下がれ! 全軍、後退しろ!」
 指揮官が叫ぶが、もう遅い。
 魔獣の巨体が、翼を広げ、襲いかかる。
「援軍を呼べ――! 国王に報告を!」




 王都外れの広大な森に、伝説級の魔獣が出現したとの報が舞い込んだ。討伐隊の損耗は激しく、援軍が必要だという。
 国王は病床にあり、王子の出陣が求められた。
 だが、第一王子エルネストは「体調不良」を訴えて自室に引きこもった。
(ただの仮病だろう。臆病風に吹かれたに違いない)

 結果、第二王子アルカディアスが騎士団を率いて討伐に向かうことになった。

 出陣の準備が進む中、アルカディアスは信じられないものを見たかのように足を止めた。

「ロゼノア……!? その格好は、何をしているんだ?」

 そこに立っていたのは、いつものドレス姿の令嬢ではない。
 濃紺の生地に銀の刺繍が施された、特注の戦闘服に身を包んだ私だった。
 身体のラインに吸い付くような軍服仕立てのジャケットに、白く引き締まった脚を包むスリムパンツ。足元は機能的かつ艶やかなロングブーツで固めている。
 腰には細身の小剣を帯び、髪は動きやすいよう高く結い上げている。

「わたくしも同行します」
 私はブーツの踵を鳴らし、凛と顔を上げた。

「危険だ。貴女が来る必要はない! それに、そんな格好で……」
「いいえ」
 私は、きっぱりと言った。
 戦闘服が強調する胸の膨らみと、くびれた腰のライン。ドレスよりも露骨に「女」を感じさせるその姿で、私は彼に歩み寄った。

「真の聖女は、戦う兵士を鼓舞し、傷ついた人々を癒やす義務があります。それに――」

 私は一歩踏み出し、アルカディアスの黄金の瞳を真っ直ぐに見つめた。
 至近距離。私の吐息がかかる距離で囁く。
「あの魔獣には、厄介な特性があります。……わたくしが行かねば、勝てません」

 私の有無を言わせぬ気迫、そして凛々しさの中に潜む色香に圧倒され、アルカディアスは私の胸元を凝視したまま息を呑んだ。
「う……仕方ない。だが、絶対に私のそばを離れるな」




 森は深い霧と、肉の焦げる異臭に包まれていた。
 すでに兵士たちの戦線は崩壊寸前だった。

「いたぞ、ヴォルテクス・ハイドラだ!」  
 騎士の一人が叫んだ。
 木々をなぎ倒し、三つの鎌首をもたげる絶望的な巨体。

(やっぱりね。ゲーム中盤の難関ボス……)
 本来なら、主人公と二人の攻略対象が協力して倒すイベントボスだ。
 今の私には、その攻略法ギミックがわかっている。

 魔獣は強烈な火属性の障壁を帯びており、近づくことすら困難だ。ユリウスと騎士たちは剣を構えたが、熱波に阻まれて前に出られない。

「皆、よく聞いて! この魔獣は再生します!」
 私は戦場に響く声で冷静に告げた。
「首が残っていると、何度切ってもたちまち再生する。三本の首を、同時に切断しなければ、討伐は不可能なのです!」

 皆が一斉に私を見た。そんな特性は、この国の書物にはない。
「どうして、そんなことを――」
 アルカディアスが口を開くのを、私は手で制した。

 視線を巡らせ、魔術部隊の中に一人の小柄な女性を見つけた。
 赤みがかった茶色の髪の女性――王宮魔術師シルヴィア。
 ゲームでは隠しキャラ扱いだった天才魔術師だ。

「シルヴィア!」
 私は魔術隊の指揮を執る彼女に指示を飛ばした。
「雷属性の魔力を最大まで高めて! 魔獣の動きを数秒間でも完全に痺れさせなさい!」
「なっ……公爵令嬢ごときが私に命令を!? それにあの規模の魔獣を止めるなど――」
「やりなさい!!」
 私の怒号に、シルヴィアがビクリと肩を震わせた。
「わ、わかった!」
 シルヴィアと部下たちは目を閉じ、全身に膨大な魔力を集中させる。

「アルカディアス、ユリウス! 私に合わせて!」
 私は掌に魔力を集中させた。黄金の粒子が収束し、一本の長く鋭い「光の剣」を形成する。
 聖なる光に照らされた私の横顔、そして、風に靡く赤金の髪は、戦場の男たちには戦場の女神ヴァルキリーのように映っただろう。

「ロゼノア、危険だ――!」
 アルカディアスが止める間もなく、私は迷いなく魔獣に向かって走り出した。
 革のブーツが力強く地面を蹴る。身体にフィットした戦闘服が、躍動する私の肢体のしなやかさを扇情的に強調する。
 二人は、慌てて私に続く。

 シルヴィアの詠唱が完成する。
「雷帝の裁き――降臨せよ!」

 カッッ!!
 閃光が森を白く染めた。
 バチバチバチッ! 極大の稲妻が、魔獣を直撃する。
「ギャアアアアッ!」
 魔獣は巨大な体を痙攣させ、完全に動きを止めた。障壁が霧散する。

「今よ!」
 私の叫びが、森に響く。
 三人が、同時に飛び上がった。

 アルカディアスの蒼き槍が、右の首を貫く。
 ユリウスの剛剣が、左の首を断つ。
 そして私の光の剣が、中央の首を一閃する。

「はあああっ!」

 ズンッ!!
 三本の首が、同時に地面に落ちた。
「ギャ……ア……」
 断末魔の叫びと共に、魔獣の巨体がシュウウウと音を立てて蒸発していく。跡形もなく、消え去った。

 静寂。
 そして――

「やった!」「勝ったぞ!」「聖女様のおかげだ!」
 歓声が、爆発するように森に響いた。

 だが、私は勝利に酔うことなく走り出した。
 周囲には、瀕死の重傷を負った兵士たちが倒れている。酸に焼かれ、うめき声を上げる者たち。

「ロゼノア様…!?」
 シルヴィアが後ろで叫んだが、構わない。私は休む間もなく、一人ずつ聖女の回復魔法をかけていく。
 仕立ての良い戦闘服が泥と汗で汚れることも厭わず、兵士の身体に触れる。
 額に汗が滲み、呼吸が荒くなる。その必死な姿は、ただ美しいだけの令嬢とは違う、生々しい魅力を放っていた。
 温かい光が、兵士たちの無残な傷を次々と癒やし、命を繋ぎとめていく。

「ありがとうございます、聖女様……!」
「あぁ……痛みが消えた……」
 兵士たちの声が、次々と響く。

 だが――
 中には、既に息を引き取った者もいた。魔獣の体液を頭から浴び、手遅れになった若い兵士。

 私は、死んだ兵士の傍に跪いた。
 手で、その泥だらけの顔に触れる。
 冷たい。

(聖女の力でも、死者は蘇らせられない)

 無力感が、胸を締め付ける。
 この無力感は、本物だった。
 命の灯火が消えれば、私の力でも、どうにもならない。それが「ことわり」だ。

 ……でも。

(ここで泣けば、完璧ね)

 私は瞬時に思考を切り替え、前世の記憶を呼び起こした。
 婚約者に裏切られ、毒を飲まされた瞬間。
 喉を焼く痛み。裏切りの絶望。孤独な死。
 その感情を、今、利用する。

「うっ……ぅぅ……!」
 私の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
 ボロボロと、美しい顔を歪めて兵士の亡骸に取りすがる。

「ごめんなさい……ごめんなさい……! わたくしがもっと早く来ていれば……!」

 悲痛な叫び。
 泥にまみれた戦闘服で涙を流す聖女の姿。それは、ドレス姿よりも遥かに凛々しく、そして儚く、男たちの心を揺さぶった。
 周囲の騎士たちが、息を呑む。
 勝利したにも関わらず、一人の兵士の死にこれほど心を痛める高貴な女性。

(この方は、知性と勇気だけでなく、これほどまでに慈悲深いお心をお持ちなのか……)
 兵士たちの瞳に、崇拝の色が宿るのがわかった。

「ロゼノア……」
 アルカディアスが、たまらず私の肩を抱き寄せた。
 強く、強く。まるで私がどこかへ消えてしまわないように。
 ユリウスが、私を見つめている。その目には、深い感動と、抑えきれない敬愛が宿っていた。
 生意気だったシルヴィアさえも、帽子を取り、静かに頭を下げている。

 私は、アルカディアスの胸の中で涙を拭った。

(……これで、いい)

 立ち上がり、周囲を見渡す。兵士たちが、次々と膝をついた。
「聖女ロゼノア様!」 「我らが聖女様、万歳!」
 その声が、森に轟いた。
 私は、慈愛に満ちた聖女の仮面を被り、静かに微笑んだ。

 その夜。
 村の生き残った家で、私は椅子に深く腰掛けている。
 マリエが、そっと紅茶を差し出す。

「ロゼノア様。お疲れ様でございました」
「ありがとう、マリエ」
 私はカップを受け取った。
 窓の外を見る。月が、雲に隠れている。

(聖女の力では、死者は蘇らせられない)

 それは、知っていたことだ。
 だが、今日、改めて実感した。

 アルカディアスが、ユリウスが、もし死んだら?
 ザックが、マリエが――私の手駒たちが、あっけなく消えてしまったら?
 
 ――嫌だ。
 大切なものを、理不尽に奪われるのはもうたくさんだ。
 私のものは、永遠に私のままでなくてはならない。
 彼らの心も、肉体も、命さえも。全て私が管理し、その命が燃え尽きる最期の瞬間まで私の手の中になければ。

 私は、紅茶をひと口飲んだ。

(いずれにせよ、今日は成功だったわ)

 魔獣を倒し、兵士たちを治癒し、涙を流した。
 完璧な聖女を演じきった。
 これで軍部の掌握も完了した。

 思わず、笑みが漏れる。
 私は、窓の外を見た。
 明日、王都に戻る。

 そして次は――。
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