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5話 甘いアップルパイと、我慢できない本能
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昨夜は自分らしくない出来事があったが、今日のラナの生活もいつもと変わらない。
家と買い物と職場の往復の毎日。
しかし、週末に恋人と会う予定があるというだけで待ちきれない気持ちになった。
今回も何か作っていくべきだろうか。魚のパイにするか、他の物にするか……――いつまでも決められずに迷っていると、いつの間にか約束の週末の前日になってしまった。
結局、得意の魚のパイと、甘いものとしてアップルパイも焼くことに決めた。
ラナは仕事が終わると買い出しに行き、家に帰ると魚のパイとアップルパイを焼いてベッドに潜った。
翌朝。ゆっくり起きてもいいのに、ラナはいつも通りの時間に起きてしまう。
固くなりつつある丸いパンをスライスしてトーストする。そこにジャムを塗ったものを齧って紅茶で流して朝食を済ませる。
リゲルとの約束の時間まで、部屋の掃除や本を読んで過ごした。街の時報の鐘が昼を知らせると、昨夜作った二種類のパイと紅茶の茶葉の缶をバスケットに入れ、家を出た。
「リゲルさん、ラナです」
「ほんとに来てくれたんだ」
「約束しましたし……?」
戸を開けると、ぽかんとしているリゲルの様子にラナは首を傾げる。
「あれから会えなかったから夢だったかと思って」
「夢じゃないよ」
来訪を待って不安になるような可愛いところが彼にもあるのだと、ラナは自然と顔がほころんでしまう。
尻尾をぶんぶんと振るリゲルに入ってと促され、ラナは中に入る。
「またパイ作って来てくれたんだな」
「うん。一緒に食べようと思って」
ラナがバスケットを差し出すと、リゲルはまた暖炉に網を用意して温め始めた。
「ラナちゃん本当に料理が上手いな」
「そうかな。私はリゲルが美味しそうに食べてくれて嬉しいよ」
家での食事はいつも一人なため、ラナは誰かにこうして美味しいと言ってもらえることが何より嬉しかった。
人の姿のリゲルでも狼のように大きな口でパクパクとパイを胃に収めていく。
デザートに作って来たアップルパイも、あっという間になくなった。
ラナは紅茶を飲みながら、栄養が偏らないように今度は野菜中心の物も作ってこようと思った。誰かの顔を思い浮かべながら作る料理はやり甲斐があって楽しい。
「あ~美味かった。ラナちゃんうちに住んで毎日ご飯作ってよ。オレが養うし」
ああ、でも一緒に住むなら仕事変えないとすれ違っちゃうな、と真剣に悩むリゲルに、ラナは気が早いと笑った。
ラナは洗い場で片付けをしていると、音もなく近付いてきたリゲルに後ろから、ふわりと抱き締められる。
気配もなく背後に表れたことにびくりと肩を震わせて驚くが、リゲルと分かると身体の力を抜く。
「びっくりした……。物音もなく近付いてくるから」
「ああ、ごめん。気配消すの癖で」
移動の際に気配を消すのは、特に肉食の獣人によくある癖だった。ミュカもよく気配なく近付いて来て、気付いたら後ろにいるからラナは驚いてばかりだ。
抱き着くリゲルにすんすんと頭の匂いを嗅がれる。ラナは匂いを嗅がれるのは恥ずかしかったが、そういう習性なのだろうと黙って受け入れた。自分よりずっと大きな身体で子どものように甘えられると可愛いと思ってしまう。
「終わった?」
リゲルがラナが食器を洗い終わるのを見届けて、確認する。
「終わったよ」
ラナがそう言うなり、リゲルはその身体を抱き上げて、ベッドに向かって歩きだす。
「わ、ちょっと!」
丁寧にベッドに降ろされ、リゲルもベッドに乗り上げた。その重さに、ベッドがギッと音を立てて軋む。
ラナを見下ろすリゲルの瞳が熱を帯びているようなのは、気のせいだろうか。
「あ、あの、まだお昼だよね?」
「そうだな」
「変なこと、しないよね……?」
不穏な雰囲気を感じて慌てるラナに、リゲルはフッと息を吐いて微笑った。
「変なことってこういうこと?」
「ひゃ、ぁっ」
リゲルがラナの首筋に顔を埋め、耳の裏に舌を這わせた。
ぬるついた舌の這う感触に、背中がゾクゾクする。ラナは思わずぎゅっと目を閉じて身体を震わせた。
「キスまでならいいだろ?」
まるで捕食される前の小動物のような反応のラナが愛らしく、リゲルの気持ちが昂る。
このまま食べてしまいたい――。
本能の赴くまま、その小さな赤い唇を奪った。
「ん、っう、ん……」
リゲルは自らの柔らかな唇を重ね、舌で彼女の口を割り開いて中に入る。歯列をなぞって奥に差し入れると、柔らかな舌があった。狼の姿なら人より長い舌でラナの舌を絡め取ることも出来ただろうが、今の姿ではそこまで舌が届かない。
ラナの柔らかな舌を味わうために、リゲルは誘うように舌先でつついた。そっと差し出されたラナの舌に自らの舌を擦り合わせ、吸う。なんと柔らかくて甘い舌だろうか。
リゲルはちゅう、ぢゅる、と音を立て、夢中になって唾液ごと何度もその舌を吸った。
ラナはキスも初めてだというのに甘く舌を吸われ、身体の奥底が熱を持って疼くのを感じた。甘く吸われる度に気持ちが良くて身体が震えてしまう。
しかしずっとそうしてもいられない。
「んん……! ん~っ!」
リゲルはラナとのキスがいつまでも続けばいいと思ったが、甘い声から苦しそうなものに変わったことに気付く。
唇を離すと、絡み合った唾液が二人の間に垂れた。
ようやく解放されたラナは脱力してパタリと後ろに倒れ、呼吸を乱していた。
酸欠なのか顔も赤く、目は虚ろなその姿が余りにも扇情的だ。
そんな姿を見せられては、リゲルは自らの衝動に逆らえない。
「なぁ、いいよな」
「えっ、――あ……っ!」
またキスをし、服の上から彼女の胸の膨らみに触れる。
控えめだが確かにある柔らかなそれを、リゲルは大きな手で揉みしだいた。
「待って……だめ……」
ラナはか弱い力で必死にリゲルを押し返す。
「我慢できねぇ。こんなに甘い匂いさせてるのに」
「甘い匂い……? リゲルさん、今日、これからお店あるんでしょ……っ!」
この期に及んで仕事の話をするラナに、リゲルは顔を上げてあからさまにムッとした顔を見せる。しかしラナとて、まだ心の準備が出来ていない。
「その……、心の準備がしたいというか……。お仕事サボるのは駄目なことだし……」
「ラナちゃんは真面目だなぁ」
リゲルとしては酒場の仕事なんて、気が進まなければよくサボっているものだ。
今更サボることに罪悪感は無かったが、ラナが心の準備をしたいと言うなら尊重したい。
「そう言うならこの家で良い子にして待っててくれるか?」
「うん……」
ラナが頷くとリゲルは漸く身体を離した。店に行くために準備をして、店に向かった。
静かな部屋に一人になったラナは、ベッドに仰向けに倒れる。さっきまであんなにリゲルの体温を感じていたのに、急に一人になるとそれが嘘のようだ。火照った体を部屋の冷たい空気が冷やした。
ラナは本が好きでよく読むが、図書館の本には猥褻な内容のものはほぼない。だからキスより先の行為がどんなものなのかはよく知らなかった。
茂みや建物の影でまぐわっているカップルを見かけたことくらいはあったが、当然ながらよく見ず立ち去っているため、何をしているのかなんて見ていない。
こんなことならミュカにもっとちゃんと聞いておけば良かったと、毛布を頭の上まで被った。
暫く布団の中で悶々としていたが、このまま呆けて一人でリゲルが帰宅する夜中まで待つなんてとても出来そうもない。
ラナは何かすることはないかと家の中を見回した。
――よし、掃除をしよう。
リゲルのあの性格ではまめに掃除をしているとは思えない。
物がなくて一見きれいに見えるが部屋の隅は案の定埃っぽい。
ラナは少し寒かったが、ドアや窓を開けて空気の通り道を作る。
隅っこに追いやられていた、最後にいつ使われたかもわからない箒を手に取った。
動いていれば寒さも気にならない。
ラナは少しの時間だが寝具も外の物干しに干し、部屋の中の埃を外に追い出すように掃き始めた。
その後は雑巾のようなぼろきれで窓や床を拭き上げ、干していた寝具を叩いて取り込んだ。
少し掃除しただけで家の中の空気が変わった様に感じる。
掃除がひと段落すると、台所に野菜などの食べ物がある事を確認する。今日は買い出しに行く必要はないようだ。
となると必要なのは燃料だ。ラナは家の外で暖炉や調理に使う薪を割った。
作業をしていると余計なことを考えなくて済み、あっという間に時間は過ぎて行った。
すっかり日も暮れた頃、家の中にあった食材を鍋に入れて、暖炉に掛け、簡単なスープを作った。
リゲルの帰りを待って一緒に食べたかったが、酒場の勤務はまだ終わらないだろうと、ラナは一人で残っていたパンとスープを食べた。
あと何をして待てばいいだろうと手持ち無沙汰になった時、体を清めていないことに気付く。昼間にせっせと動いてじんわりと汗もかいているのだからどうにかしたい。
ラナは家の外に出て、井戸から水を汲んだ。辺りはすっかり真っ暗で、森の木々も見えない。この辺りは他に誰も住んでいないとはいえ夜の森は恐ろしく、ラナは水をこぼさないよう気を付けながらも、急いで家の中に戻った。
鍋に井戸の水を入れて沸かし、桶に移して触れる程度の湯にした。
そこに綺麗な布を浸して絞り、体を拭く。温かな布で体を拭くとそれだけでも疲れが取れるようだ。
しまった――ラナは着替えを持ってきていないことに気付く。
掃除で汚れてた同じ服をまた着るのも気が引ける。部屋を見回すと、壁にリゲルのシャツが掛けてあった。
悪いとは思ったが、今はそれしかない。後で謝ろうと、ラナはリゲルのシャツに袖を通す。
着ていた服と下着は台所で洗って暖炉の前に干した。
ラナも暖炉の前で座って炎の揺らめきを見ていると下着はすぐに乾いた。
リゲルのシャツの下に下着を穿いて、暖炉の前で膝を抱える。ラナよりずいぶん大きな体のリゲルのシャツは、だいぶ大きく、丈はワンピースのようだ。
シャツに覆われた膝に顔を埋めるとリゲルの纏う獣の匂いがして、彼の帰宅が恋しくなる。
リゲルはあとどのくらいで帰ってくるのだろう――。
静かな夜に、パチパチと薪が爆ぜる音。
暖炉の温かさにうとうとしていると、ラナはそのまま横になって寝てしまった。
家と買い物と職場の往復の毎日。
しかし、週末に恋人と会う予定があるというだけで待ちきれない気持ちになった。
今回も何か作っていくべきだろうか。魚のパイにするか、他の物にするか……――いつまでも決められずに迷っていると、いつの間にか約束の週末の前日になってしまった。
結局、得意の魚のパイと、甘いものとしてアップルパイも焼くことに決めた。
ラナは仕事が終わると買い出しに行き、家に帰ると魚のパイとアップルパイを焼いてベッドに潜った。
翌朝。ゆっくり起きてもいいのに、ラナはいつも通りの時間に起きてしまう。
固くなりつつある丸いパンをスライスしてトーストする。そこにジャムを塗ったものを齧って紅茶で流して朝食を済ませる。
リゲルとの約束の時間まで、部屋の掃除や本を読んで過ごした。街の時報の鐘が昼を知らせると、昨夜作った二種類のパイと紅茶の茶葉の缶をバスケットに入れ、家を出た。
「リゲルさん、ラナです」
「ほんとに来てくれたんだ」
「約束しましたし……?」
戸を開けると、ぽかんとしているリゲルの様子にラナは首を傾げる。
「あれから会えなかったから夢だったかと思って」
「夢じゃないよ」
来訪を待って不安になるような可愛いところが彼にもあるのだと、ラナは自然と顔がほころんでしまう。
尻尾をぶんぶんと振るリゲルに入ってと促され、ラナは中に入る。
「またパイ作って来てくれたんだな」
「うん。一緒に食べようと思って」
ラナがバスケットを差し出すと、リゲルはまた暖炉に網を用意して温め始めた。
「ラナちゃん本当に料理が上手いな」
「そうかな。私はリゲルが美味しそうに食べてくれて嬉しいよ」
家での食事はいつも一人なため、ラナは誰かにこうして美味しいと言ってもらえることが何より嬉しかった。
人の姿のリゲルでも狼のように大きな口でパクパクとパイを胃に収めていく。
デザートに作って来たアップルパイも、あっという間になくなった。
ラナは紅茶を飲みながら、栄養が偏らないように今度は野菜中心の物も作ってこようと思った。誰かの顔を思い浮かべながら作る料理はやり甲斐があって楽しい。
「あ~美味かった。ラナちゃんうちに住んで毎日ご飯作ってよ。オレが養うし」
ああ、でも一緒に住むなら仕事変えないとすれ違っちゃうな、と真剣に悩むリゲルに、ラナは気が早いと笑った。
ラナは洗い場で片付けをしていると、音もなく近付いてきたリゲルに後ろから、ふわりと抱き締められる。
気配もなく背後に表れたことにびくりと肩を震わせて驚くが、リゲルと分かると身体の力を抜く。
「びっくりした……。物音もなく近付いてくるから」
「ああ、ごめん。気配消すの癖で」
移動の際に気配を消すのは、特に肉食の獣人によくある癖だった。ミュカもよく気配なく近付いて来て、気付いたら後ろにいるからラナは驚いてばかりだ。
抱き着くリゲルにすんすんと頭の匂いを嗅がれる。ラナは匂いを嗅がれるのは恥ずかしかったが、そういう習性なのだろうと黙って受け入れた。自分よりずっと大きな身体で子どものように甘えられると可愛いと思ってしまう。
「終わった?」
リゲルがラナが食器を洗い終わるのを見届けて、確認する。
「終わったよ」
ラナがそう言うなり、リゲルはその身体を抱き上げて、ベッドに向かって歩きだす。
「わ、ちょっと!」
丁寧にベッドに降ろされ、リゲルもベッドに乗り上げた。その重さに、ベッドがギッと音を立てて軋む。
ラナを見下ろすリゲルの瞳が熱を帯びているようなのは、気のせいだろうか。
「あ、あの、まだお昼だよね?」
「そうだな」
「変なこと、しないよね……?」
不穏な雰囲気を感じて慌てるラナに、リゲルはフッと息を吐いて微笑った。
「変なことってこういうこと?」
「ひゃ、ぁっ」
リゲルがラナの首筋に顔を埋め、耳の裏に舌を這わせた。
ぬるついた舌の這う感触に、背中がゾクゾクする。ラナは思わずぎゅっと目を閉じて身体を震わせた。
「キスまでならいいだろ?」
まるで捕食される前の小動物のような反応のラナが愛らしく、リゲルの気持ちが昂る。
このまま食べてしまいたい――。
本能の赴くまま、その小さな赤い唇を奪った。
「ん、っう、ん……」
リゲルは自らの柔らかな唇を重ね、舌で彼女の口を割り開いて中に入る。歯列をなぞって奥に差し入れると、柔らかな舌があった。狼の姿なら人より長い舌でラナの舌を絡め取ることも出来ただろうが、今の姿ではそこまで舌が届かない。
ラナの柔らかな舌を味わうために、リゲルは誘うように舌先でつついた。そっと差し出されたラナの舌に自らの舌を擦り合わせ、吸う。なんと柔らかくて甘い舌だろうか。
リゲルはちゅう、ぢゅる、と音を立て、夢中になって唾液ごと何度もその舌を吸った。
ラナはキスも初めてだというのに甘く舌を吸われ、身体の奥底が熱を持って疼くのを感じた。甘く吸われる度に気持ちが良くて身体が震えてしまう。
しかしずっとそうしてもいられない。
「んん……! ん~っ!」
リゲルはラナとのキスがいつまでも続けばいいと思ったが、甘い声から苦しそうなものに変わったことに気付く。
唇を離すと、絡み合った唾液が二人の間に垂れた。
ようやく解放されたラナは脱力してパタリと後ろに倒れ、呼吸を乱していた。
酸欠なのか顔も赤く、目は虚ろなその姿が余りにも扇情的だ。
そんな姿を見せられては、リゲルは自らの衝動に逆らえない。
「なぁ、いいよな」
「えっ、――あ……っ!」
またキスをし、服の上から彼女の胸の膨らみに触れる。
控えめだが確かにある柔らかなそれを、リゲルは大きな手で揉みしだいた。
「待って……だめ……」
ラナはか弱い力で必死にリゲルを押し返す。
「我慢できねぇ。こんなに甘い匂いさせてるのに」
「甘い匂い……? リゲルさん、今日、これからお店あるんでしょ……っ!」
この期に及んで仕事の話をするラナに、リゲルは顔を上げてあからさまにムッとした顔を見せる。しかしラナとて、まだ心の準備が出来ていない。
「その……、心の準備がしたいというか……。お仕事サボるのは駄目なことだし……」
「ラナちゃんは真面目だなぁ」
リゲルとしては酒場の仕事なんて、気が進まなければよくサボっているものだ。
今更サボることに罪悪感は無かったが、ラナが心の準備をしたいと言うなら尊重したい。
「そう言うならこの家で良い子にして待っててくれるか?」
「うん……」
ラナが頷くとリゲルは漸く身体を離した。店に行くために準備をして、店に向かった。
静かな部屋に一人になったラナは、ベッドに仰向けに倒れる。さっきまであんなにリゲルの体温を感じていたのに、急に一人になるとそれが嘘のようだ。火照った体を部屋の冷たい空気が冷やした。
ラナは本が好きでよく読むが、図書館の本には猥褻な内容のものはほぼない。だからキスより先の行為がどんなものなのかはよく知らなかった。
茂みや建物の影でまぐわっているカップルを見かけたことくらいはあったが、当然ながらよく見ず立ち去っているため、何をしているのかなんて見ていない。
こんなことならミュカにもっとちゃんと聞いておけば良かったと、毛布を頭の上まで被った。
暫く布団の中で悶々としていたが、このまま呆けて一人でリゲルが帰宅する夜中まで待つなんてとても出来そうもない。
ラナは何かすることはないかと家の中を見回した。
――よし、掃除をしよう。
リゲルのあの性格ではまめに掃除をしているとは思えない。
物がなくて一見きれいに見えるが部屋の隅は案の定埃っぽい。
ラナは少し寒かったが、ドアや窓を開けて空気の通り道を作る。
隅っこに追いやられていた、最後にいつ使われたかもわからない箒を手に取った。
動いていれば寒さも気にならない。
ラナは少しの時間だが寝具も外の物干しに干し、部屋の中の埃を外に追い出すように掃き始めた。
その後は雑巾のようなぼろきれで窓や床を拭き上げ、干していた寝具を叩いて取り込んだ。
少し掃除しただけで家の中の空気が変わった様に感じる。
掃除がひと段落すると、台所に野菜などの食べ物がある事を確認する。今日は買い出しに行く必要はないようだ。
となると必要なのは燃料だ。ラナは家の外で暖炉や調理に使う薪を割った。
作業をしていると余計なことを考えなくて済み、あっという間に時間は過ぎて行った。
すっかり日も暮れた頃、家の中にあった食材を鍋に入れて、暖炉に掛け、簡単なスープを作った。
リゲルの帰りを待って一緒に食べたかったが、酒場の勤務はまだ終わらないだろうと、ラナは一人で残っていたパンとスープを食べた。
あと何をして待てばいいだろうと手持ち無沙汰になった時、体を清めていないことに気付く。昼間にせっせと動いてじんわりと汗もかいているのだからどうにかしたい。
ラナは家の外に出て、井戸から水を汲んだ。辺りはすっかり真っ暗で、森の木々も見えない。この辺りは他に誰も住んでいないとはいえ夜の森は恐ろしく、ラナは水をこぼさないよう気を付けながらも、急いで家の中に戻った。
鍋に井戸の水を入れて沸かし、桶に移して触れる程度の湯にした。
そこに綺麗な布を浸して絞り、体を拭く。温かな布で体を拭くとそれだけでも疲れが取れるようだ。
しまった――ラナは着替えを持ってきていないことに気付く。
掃除で汚れてた同じ服をまた着るのも気が引ける。部屋を見回すと、壁にリゲルのシャツが掛けてあった。
悪いとは思ったが、今はそれしかない。後で謝ろうと、ラナはリゲルのシャツに袖を通す。
着ていた服と下着は台所で洗って暖炉の前に干した。
ラナも暖炉の前で座って炎の揺らめきを見ていると下着はすぐに乾いた。
リゲルのシャツの下に下着を穿いて、暖炉の前で膝を抱える。ラナよりずいぶん大きな体のリゲルのシャツは、だいぶ大きく、丈はワンピースのようだ。
シャツに覆われた膝に顔を埋めるとリゲルの纏う獣の匂いがして、彼の帰宅が恋しくなる。
リゲルはあとどのくらいで帰ってくるのだろう――。
静かな夜に、パチパチと薪が爆ぜる音。
暖炉の温かさにうとうとしていると、ラナはそのまま横になって寝てしまった。
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