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第一章:仇桜は嵐に翻弄される
十
しおりを挟むそれから季節が流れた。桜が散り、花菖蒲も紫陽花も終わり、朝顔もすぐに萎んでしまいそうな暑い季節が巡ってきた。
結婚して二回目の盆の折にも、義理の両親は外地から帰ってこなかった。
息子が結婚したのを知らない両親がいるだろうか――、和泉は懐疑的に思う。毅は、この結婚を隠したいのでは、と。
――だけど、なぜ?
家名を買ったような結婚だったから、報告できないのかしら? 大勢の来賓の方がいらっしゃっていたから、隠し果せないはず。
毅さんがなにを思って結婚したのか、一度聞いてみたいわ。
和泉はカーテンを開けた。暑くなりそうな予感をさせる朝焼けが東の空を赤く染め上げている。けれど、盛夏だというのに、心は底冷えしている。
どんよりとした寒さが晴れるのは、あの人とすごす午後のひとときだけ。
……考えてはいけないわ。
今日は暑く長い一日になりそうで、内側に閉じこもりじっとしていたかった。逃げ出す勇気を持っていないのだから。
ちらりと文机の上を見た。英嗣のおかげで出せた手紙の返信は、なにも書かれていない台北市の写真絵葉書が一枚きりだった。言葉がないのは寂しいが、できた繋がりが孤独を少し和らげてくれる。
台北市の夏も暑いのかしら?
そう思い、弱い考えに蓋をした。
□
盆の中日は、義理の両親の代わりに、和泉が大姑と寺へ盆参りに向かうことになっていた。初終日、火を焚きに行かなくて済んだのは、『夜に家を空けないように』と、毅から言い渡されたからだった。
蝉の鳴き声が身体に染みつくように降る、暑い日になった。
大正の初め頃に建て直したという墓は古くなく、苔もこびりついていない。
茹だるような暑さの中、玉の汗をかいて墓を磨き草をむしる和泉を、番頭が差す日傘の下から、亡者を見張る鬼のように黙ったままの大姑が睨んでいる。
陽射しが強くて、景色さえ白ばんで見えてきた。暑さで目眩を起こしているのに、支える足にも力が入らず身体がふらつく。
広い墓地を鬱蒼とした木々が囲んでいるから、蝉が鳴いて耳鳴りのように頭に響く。もしかしたら、耳鳴りが蝉の声のように聞こえるだけかもしれない。
「なにをやらせてもお優しい。賎しい家の墓なんかしっかり掃除できないって言うのかね? 本当に嫌味な嫁だよ」
「いえ……心を込めてお掃除しております」
「見ているあたしが掃除できていないって言っているんだ。口答えするんじゃないよ」
強烈な陽射しは足元に濃い影を作っている。そして和泉の鬱々とした思いも濃い影色だった。
「草抜きひとつ、まともにできやしないのに口答えをするなんて、横柄な嫁だ。恥ずかしくてご先祖さまに顔向けできない。それともまともじゃないのかね。まともならとうに子供が産まれてるわねぇ」
どこの一年、毅さんとふれあいを持とうと努力しました。まともだから、子供に恵まれないんです!
そう言いたくても、暑いのに身体が震えて声が出てこない。
「まともだって言いたければ、跡継ぎを産んで嫁の仕事をなさい」
猛暑のせいか、大姑の嫌味も直接的で感情的になっている。
汗のようにじわりと、暗澹とした負の感情の澱が心に広がる。
「あなたのおっ母さんもえらい不良を産んだものだ」
大姑は冷ややかに嘲笑う。
酷暑で風は吹かない。頭に響くように蝉が鳴く。耳鳴りが酷くて目の前がくらくら動く。
耳障りな笑い声に胸をざくざく刺されて、泣き叫びたかった。堪えた痛みで手を強く握ると、返って鼻の奥がツンと痛い。
「石女の嫁なんて用無しだよ」
視界の白ばむ地面が滲んでぼやけて見える。大姑の暗い色の影が動くと続いて番頭らしき影も動き、気配が遠くなっていく。
どうして……。どうしてそんなに酷いことが言えるの? わたしがなにをしたと言うの?
泣いていけない。つらくてどん底の暮らしをしてけれど、泣いたのは一度だけ。
泣いても状況は変わらないのだし、一度泣いてしまえばきっと泣いて暮らすようになるから……。だから。
大きく息を吸って吐いてを繰り返して、息を整えた。
それでも蝉はうるさくて、耳鳴りも止まない。
真夏の太陽は憎らしいほど天頂にあって、じりじりあたりを構わずに焼いている。それなのに寒くて凍えそうだ。
泣かないわ……。こんなことでは。
――――ひどく、ひどく暑い夏の日だった。
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