19 / 48
第二章:牡丹は可憐に咲き乱れる
四
しおりを挟むホテルの外観は近代的なビルで、欧州を意識して作られた内装は洗練された威厳を漂わせている。
ロビーの高い天井からは、絢爛なシャンデリアが燦然と煌めき、磨かれた大理石の床に反射している。壁も大理石なのに息苦しくないのは、最新の空調設備があるからだ。伝統と最新の近代が融合したホテルは、震災後に建てられたものだ。
ホテルにいる男女はみんな着飾り、ここだけ震災も恐慌もなかったような別世界になっている。
英嗣にエスコートをされている和泉は、振り返る人の視線に俯いてしまいそうだった。少女の頃は人の目が集まるのが嬉しかったのに。
見られているのは、濃紺のイブニングドレスの背中が開きすぎているせいかもしれないわ。
けれど、振り返っているのは女性ばかりだと気づいき、ハッとした。タキシード姿の英嗣が貴公子のようで、女性たちが見惚れているのだ。
わ、わたしったら……。
自意識過剰なのを恥じて、和泉は扇子で口元を隠した。
家が倒れたスキャンダルは六年も前だ。そんな昔を覚えている人間なんてそうそういないだろう。
「和泉さん、気分がすぐれませんか?」
「い、いえ……」
「そうですか。なにかあれば遠慮なく申してください」
英嗣が貴公子に見えるのは、タキシードのせいだけではない。いつもは無造作に下ろしている髪を、後ろに流してきちんと整えているせいもある。
まるで俳優さんみたいだもの。ほかの方が見惚れてしまうのも無理ないわ。わたしも初めて英嗣さんとお会いした時、王子さまみたいって思ったもの。
心配そうな英嗣に、和泉は大丈夫だと微笑み返した。
「お気遣いありがとうございます。……あっ」
レースの手袋のせいで滑った扇子はひらりと落ちる。目で追いかけると、軍服の見知らぬ男の革靴の先に扇子がぶつかってしまった。
男は拾った扇子の埃を払い、和泉に差し出した。
「落とされましたよ」
「拾ってくださってありがとうございます」
「……お嬢さん? 和泉お嬢さんではないですか?」
声には聞き覚えがなかった和泉は、男の顔を見つめてハッとした。理知的で涼やかな目元に見覚えがある。
「あなたは……征十郎さん?」
すっかり青年になった征十郎は、一昨日見た写真の印象のままで、和泉は懐かしさに破顔した。
「ご無沙汰でございます。お嬢さん。お変わりありませんか?」
「ええ。変わりないわ。征十郎さんはご立派になられたようで、父が知ったら喜びますわ」
高等学校を卒業した優秀な征十郎は、士官学校へ上がり軍服を纏っていることが階級章を見て取れる。和泉の記憶が確かならば、征十郎の階級は准尉だ。
「お世話になった旦那さまと奥さまに、なんのご報告もお礼もすることが出来ず、無礼をしてしまい申し訳ありません」
「いいのよ、気になさらないで」
家がどうなったか心配をした征十郎は、話を耳にしているかもしれない。和泉と一家がどうなったのか。それだけに、近況を掻い摘んで話そうとしたとき、和泉は名前を呼ばれた。
「会場に向う」
言葉短いその声は毅のだった。隣には英嗣もいる。
「あ、はい」
大きな背中を見せて先に歩き出した毅に、英嗣がエスコートをするようにやんわり諌めた。しかし、日本男児がすることではないと一蹴した夫は、そのまま歩いていく。
和泉はその背中を急いで追いかけようと、征十郎に会釈をした。
「ごきげんよう。どうかお元気で」
偶然会った懐かしい人とは、もう二度と会うことはないだろうと和泉は思う。
振り返らなかった和泉は知らない。征十郎が切なげな表情で見つめていたのを。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる