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第二章:牡丹は可憐に咲き乱れる
五
しおりを挟む音楽鑑賞会の会場には、飾り付けられたいくつもの円卓が並び、中央が広く開けられている。少し高い壇上には音楽団員が控えているが、演奏はしていない。
和泉たちが席に着いた頃、軽快なジャズ音楽が始まり料理が運ばれてきた。食事を摂りながら音楽を楽しむのかと思えば、食事途中の数名の男女が会場の空いている場所で向き合いダンスを始めた。
「まるでダンスホールだな」
呆れたように和泉の隣に座る毅が零す。
一昨年の昭和八年に、伯爵夫人初め数名の華族・上流階級の夫人たちがダンスホールで不貞を働く不祥事を起こし新聞紙上を賑わしたのは記憶に新しい。それでなくとも、ダンスホールはカフェーと同じでいかがわしい場所だという話しか聞いたことがないだけに、和泉は内心驚いた。
「名目上は音楽鑑賞会ですね。なに、音楽を聴いたら踊りたくなるものです。悪いことじゃないんですから、兄さんもダンサーと踊って来たらどうですか?」
「馬鹿を言え。ジャズなんかでちゃらちゃら踊れるか」
「御足労ありがとうございます、遠藤さま。楽しんでおられますか?」
テーブルに来た丸眼鏡の老紳士は、毅に話しかけた。
「ええお陰様で。なかなか鈴木さまがお見えにならないので、こちらから参ろうかと思っていたところです」
「少し具合が変わってしまいましてな。ある男を遠藤さまと引き合わせたく、席を準備させておりました。どうぞお越しください」
取引先の老紳士を焦らすように毅は押し黙ると、一瞬だけ英嗣を見た。英嗣は小さく肩を上げる。その身振りはどういう意味なのか、和泉には測りかねた。
毅は立ち上がると、老紳士と席を外した。一言「あとは宜しく」とだけ残して。
「和泉さん。もう少し椅子をこちらへ。それから、なるべく僕を見てください。そうしないと、ハイエナやハゲタカに食われてしまいますよ?」
英嗣の視線は周りのテーブルだ。和泉がその視線の先を追いかけると、身なりのいい男たちと目が合った。顔をそむける者、笑顔を向けてくる者、親しげに手を振る者……。
「あなたのように淑やかで可憐な人をダンサーと勘違いしているのですよ。まったく失礼な男たちだ」
「ダンサーですか?」
「見てごらんなさい。ここにいるたちのほとんどは商売女です。そうじゃない場合は愛人か私娼でしょうね」
悪天候と災害の悪影響で凶作が続く貧しい農村部から、奉公に出されるか身売りされる娘達が後を絶えない。花街だってそんなに娘を抱えきれないのだから、新しい商売ができる――そう、英嗣が語る。
身売りは他人事ではないだけに、やり切れない気持ちに和泉はなった。
「こんな場所にあなたを連れてきた理由があります」
「……理由ですか?」
「いつもは女を同伴させない遠藤には、男色家を疑うありがたくない噂がありました。あなたがいることでその噂も消える」
噂の火消しの道具に連れてこられたのがわかると、心のどこかが落胆した。毅にとっては道具なのだ。和泉こそ、毅を裏切り英嗣と共に過ごせる時間を喜んだのに。
おのれの醜い浅ましさをなんて、目の当たりにしたくなかったと、和泉は目線を落とし俯いた。
「わたしでなくとも良かったのではないですか? もっと器量も愛嬌もある方とかおられるでしょう」
「和泉さんなら見目好いし、諜報員になりえないから連れ歩くには丁度いい。……それで兄さんから、あなたの身の安全を守るように言われましたが」
和泉は椅子ごと引き寄せられ、英嗣の強引さに驚いた。
「よもや、僕があなたを誑かしている一番危険な男だとは夢にも思っていないでしょうね」
どきんと胸が高鳴った。英嗣の狡猾さを見たのに、ときめくのはどうしてなのか。
「あなたを夜に堂々と連れ出せるまたとない好機だと思い、僕が提案しました」
ぴったり寄り添うように肩がぶつかった。毅然としていなければ。嬉しさを隠していなければ。
「英嗣さん。人の目があります……ですから……」
「あなたは誰のものか見せつけてやらないと、頭の悪いハイエナ共にはわかりませんよ」
和泉が小さな声で咎めれば、英嗣も声を小さくした。そして囁くように言う。
「それより、さっきの男は誰ですか?」
「え?」
サラサラのドレスの生地を撫でるかのように、英嗣の手が和泉の太腿を撫で始めた。
テーブルクロスで誰からも見えないだろうが、人も大勢いるし、毅だっていつ戻るかわからない。
「英嗣さん、やめてください」
「僕の質問に答えるのが先ですよ」
囁く低い声が耳を責める。イブニングドレスの長い裾を捲った不埒な手は、長靴下に包まれた柔らかな和泉の腿を撫でるのを止めない。
「話しますから……」
英嗣の顔を見ることも出来ず、かと言って毅然としてもいられず、テーブルの装花に視線を落とす。ストッキングと肌の境目を英嗣の爪が軽く引っ掻くのが擽ったくて、身を捩ってしまいたい。
「ドレスは艶やかですが、無防備すぎる……。ほら、秘された場所に呆気なく届いてしまった」
着付けをする時に、ズロースの線が見えてみっともないからと女中頭に言われ、下穿きはコルセットとスリップしか身につけていない。
この無防備な秘された場所を英嗣の指が擽る。その僅かな刺激で、秘所が潤いしっとりしていくのが恥ずかしいほど和泉にわかった。
「……ふ。いやです……後生ですから」
一時途絶えていた音楽が聴こえ始めた。しっとりしたジャズナンバーと共に、ダンスをしている男女が密着し抱擁を始めると、照明が落とされ薄暗くなってしまった。
周囲の破廉恥さに驚く暇もなく、英嗣の手は大胆になり奥へ侵入しようとする。
「あの男はどなたですか? あなたとの関係は?」
「……ぅ、あの、かたは……村瀬、征十郎さんと」
英嗣の濡れた指先に膨らんでいる鋭敏な芽を捉えられ、和泉は身体を強ばらせた。
「家が……あったとき……お世話をして、いた……しょ、書生さん……ぁ」
英嗣は涼しい顔で、テーブルクロスとスカートに隠された場所を容赦なく責め立てる。
じっと耐えるのは困難で、和泉は唇を噛み締めたふるふる震えた。
「……ん、んぅ……っ」
「懐かしく思えましたか?」
和泉は首を振る。確かに懐かしかったが、それだけだ。
どうしてこんなことを……こんな所で……。
急速に快楽に塗りつぶされながら和泉は考える。英嗣はこんな悪戯をする男ではない。征十郎を気にしているのなら、それは。
悋気を起こしているの?
それほど愛されているのかとわかると、昂る気持ちが抑え難かった。
「もう……お会い、することはありま……せ、ん」
期待してしまう。英嗣に。この刹那に。先のない関係だからこそ。
「…………――んぅっ」
ぐちゅりと秘芽を摘まみ上げられ、和泉は軽く達した。奥からとろとろ淫水が溢れ出しドレスのスカートを汚したのに、淫らな望みは身体の中で燻り続けている。
熱くなった身体で息を整えていると、明かりが戻り視界が滲んでいる。
気怠げに扇子を持ち顔を隠した和泉は、ちらりと英嗣を見やる。薄く微笑んだ男は、しとどに濡れているその指をペロリ舐めた。その淫猥な雰囲気に、和泉は目眩を起こしそうになる。
「どうしました? 葡萄酒でも飲んで、ご気分でも悪くしましたか、お義姉さん」
何事もなかったかのように明るく振る舞う英嗣に、肩を寄せられた和泉は大人しくしなだれた。
そうよね。ここでは義理の関係だわ。義姉が義弟に寄り掛かることもあるのかもしれない。
「少し……酔ってしまったようです」
鼻腔を擽るパルファムすら、今の和泉には淫靡な気持ちを焚きつける。危ない綱渡りだとわかっていてながら、年上の義弟の男の色香と悋気に酔ったのだ。
「それはいけませんね。部屋を取らせますから休みましょう」
耳を掠める低い声は熱っぽい。こくりと頷いた和泉は、地獄に落ちるのは自分だけでいいと空いている夫の席を見つめた。
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