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第二章:牡丹は可憐に咲き乱れる
十一
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自家用車に乗り込んだ途端、和泉は英嗣に肩を抱かれた。傍若無人な男の愛しい胸に、和泉は身を預ける。
「我ながら心が狭くて嫌気が差しますよ」
それでも英嗣には笑っている余裕がある。過去に妬いても仕方がないと言った時は冗談だと言っていたが、今は冗談ではないと態度が言っていてる。
「兄のような人です」
「そうでしょうね。僕とは喋り方からして違いますからね」
「敬愛する英嗣さんの前では気安く子供っぽくならないよう気をつけているのです」
「どうしてですか?」
手を繋ぐ英嗣の指が和泉の指を絡め取り、手の甲を撫でる。細やかな場所まで愛されて和泉は、ほうと甘やかな息を吐いた。
「大人の男の人に釣り合う女になりたいんです」
「充分釣り合っていますよ」
「いえ……。本当はみっともないぐらい嫉妬深いのです。見えない女の影にやきもちをしています」
夏の日以来、英嗣と過ごす時間は長くなった。けれど毎日会えるわけではない。
英嗣が邸に泊まることがあっても、会えない時になにをしているのか、和泉は不安だった。
「約束をして下さるようになって、欲が深くなったのです」
「それは僕も同じですよ」
繋いだ手の指先に英嗣がくちづけた。
「今日はあなたを帰したくないな」
いつものような軽い口調の英嗣は、艶然と笑う。そしてくちづける指に歯を立てた。
「……っ。今日は毅さんが戻ると」
「夫が戻る日に義弟と観劇をする予定を立てていたのはあなただ」
責める口調の声音は優しくて、和泉の鼓動は増していく。
「なんて。元から帰すつもりなどありませんでした。気がつきませんか? 車は屋敷と逆方向に向かっているのを」
言われて車窓を見るが、景色は締め切られたカーテンの向こうだ。運転席も仕切るようにカーテンをしているから、和泉にはほとんど景色は見えない。
「いい買い物をしたのであなたに差し上げます。受け取って頂けますよね」
「まあ、なにかしら?」
「花のようなものです」
停車したのは、どこかのホテルのエントランスだった。英嗣にエスコートされて、支配人が先導する最上階に案内された。
明るい室内はモダンなインテリアで統一されており、都会的で清潔感がある。
促された和泉はソファに腰掛けると、給仕が恭しく注いだワインを英嗣に勧められた。
「英嗣さん。お花はどちらにあるのですか?」
「僕は花のようなもの、と言ったのです。身につけられないのなら、花と同じですからね」
それならワインなのだろうかと、和泉はグラスのワインを見つめた。
「このホテルをあなたに差し上げます。僕は以前買うと言いましたよね」
「でも、あれは」
毅から多額の支出をさせる訳にはと断ったはずだ。
「言い分は受け取っておきましょう。でもね、和泉さん。ホテルはほかの客が宿泊できますから、別荘などより有益です」
「……それは、確かにそうですが」
「ここはこれから発展していく新宿ですから、客入りもいいかと思って買収しました。ホテル経営のノウハウはありませんから、オーナーが遠藤になっただけです」
「そうですか。それなら英嗣さんの名義でよろしいのではありませんか?」
「現在は僕の名義です。そこからあなたへ譲渡するのですが、動くのは株だけになります。株はご存じですか?」
難しい株の話をされているが、ワインのせいで和泉は徐々に理解ができなくなってしまった。ただ、数枚の書類にサインをしたのはなんとなく覚えている。
「和泉さん?」
「……ごめんなさい。酔ってぼうっとしがちに……」
ほろ酔いが過ぎた身体は、座っているのにふらついてしまう。
「奥で休まれますか?」
英嗣に立ち上がるよう手を借りたが、和泉は足をもつれさせてしまった。
「あなたはホテルの株を保有するようになりましたが、経営権も支配権もありません。オーナーである僕に権利だけ残っています。わかりますか?」
「……え、なにが、です?」
「ホテルはあなたのものだが、責任は僕が背負う契約をしたのです」
「……英嗣さんだけが、責任を背負わないでください」
和泉は足をもつれさせ、英嗣の胸にしなだれかかった。
「こうなったのは、わたしにも責任があるのです。弱いわたしが……いけないの」
「酔っていますね」
「ええ、酔っているわ」
和泉は英嗣の背広を掴んだ。
「英嗣さん。こんなことをしたら毅さんに知られてしまうわ。もしも……そうなったら、英嗣さんとお別れしてしまう可能性も……あるんです」
毅に遠慮しないと英嗣が宣言をして、屋形船で愛し合ったのは先月だ。
それから邸の客間に英嗣が数回宿泊した。夜遅くまで書斎や東の離れ屋で兄弟で話をした英嗣は、その後で和泉とベッドの上で過ごした。短い夜が明けるまで抱き合って、そして明け方客間へ戻った。
このホテルは、帝都で過ごした時に愛を語らう場所になるのだろう。こうして宿泊もするだろう。
回数が重なり頻度が増えたら、いくら和泉に興味を持たない夫でも、疑うであろう。
「別れませんよ。絶対に。だから、安心して抱かれなさい」
横抱きに抱えられた和泉は、ベッドに運ばれてふわふわした酩酊感の中、英嗣の肌の熱さに身を焦がすのだった。
「我ながら心が狭くて嫌気が差しますよ」
それでも英嗣には笑っている余裕がある。過去に妬いても仕方がないと言った時は冗談だと言っていたが、今は冗談ではないと態度が言っていてる。
「兄のような人です」
「そうでしょうね。僕とは喋り方からして違いますからね」
「敬愛する英嗣さんの前では気安く子供っぽくならないよう気をつけているのです」
「どうしてですか?」
手を繋ぐ英嗣の指が和泉の指を絡め取り、手の甲を撫でる。細やかな場所まで愛されて和泉は、ほうと甘やかな息を吐いた。
「大人の男の人に釣り合う女になりたいんです」
「充分釣り合っていますよ」
「いえ……。本当はみっともないぐらい嫉妬深いのです。見えない女の影にやきもちをしています」
夏の日以来、英嗣と過ごす時間は長くなった。けれど毎日会えるわけではない。
英嗣が邸に泊まることがあっても、会えない時になにをしているのか、和泉は不安だった。
「約束をして下さるようになって、欲が深くなったのです」
「それは僕も同じですよ」
繋いだ手の指先に英嗣がくちづけた。
「今日はあなたを帰したくないな」
いつものような軽い口調の英嗣は、艶然と笑う。そしてくちづける指に歯を立てた。
「……っ。今日は毅さんが戻ると」
「夫が戻る日に義弟と観劇をする予定を立てていたのはあなただ」
責める口調の声音は優しくて、和泉の鼓動は増していく。
「なんて。元から帰すつもりなどありませんでした。気がつきませんか? 車は屋敷と逆方向に向かっているのを」
言われて車窓を見るが、景色は締め切られたカーテンの向こうだ。運転席も仕切るようにカーテンをしているから、和泉にはほとんど景色は見えない。
「いい買い物をしたのであなたに差し上げます。受け取って頂けますよね」
「まあ、なにかしら?」
「花のようなものです」
停車したのは、どこかのホテルのエントランスだった。英嗣にエスコートされて、支配人が先導する最上階に案内された。
明るい室内はモダンなインテリアで統一されており、都会的で清潔感がある。
促された和泉はソファに腰掛けると、給仕が恭しく注いだワインを英嗣に勧められた。
「英嗣さん。お花はどちらにあるのですか?」
「僕は花のようなもの、と言ったのです。身につけられないのなら、花と同じですからね」
それならワインなのだろうかと、和泉はグラスのワインを見つめた。
「このホテルをあなたに差し上げます。僕は以前買うと言いましたよね」
「でも、あれは」
毅から多額の支出をさせる訳にはと断ったはずだ。
「言い分は受け取っておきましょう。でもね、和泉さん。ホテルはほかの客が宿泊できますから、別荘などより有益です」
「……それは、確かにそうですが」
「ここはこれから発展していく新宿ですから、客入りもいいかと思って買収しました。ホテル経営のノウハウはありませんから、オーナーが遠藤になっただけです」
「そうですか。それなら英嗣さんの名義でよろしいのではありませんか?」
「現在は僕の名義です。そこからあなたへ譲渡するのですが、動くのは株だけになります。株はご存じですか?」
難しい株の話をされているが、ワインのせいで和泉は徐々に理解ができなくなってしまった。ただ、数枚の書類にサインをしたのはなんとなく覚えている。
「和泉さん?」
「……ごめんなさい。酔ってぼうっとしがちに……」
ほろ酔いが過ぎた身体は、座っているのにふらついてしまう。
「奥で休まれますか?」
英嗣に立ち上がるよう手を借りたが、和泉は足をもつれさせてしまった。
「あなたはホテルの株を保有するようになりましたが、経営権も支配権もありません。オーナーである僕に権利だけ残っています。わかりますか?」
「……え、なにが、です?」
「ホテルはあなたのものだが、責任は僕が背負う契約をしたのです」
「……英嗣さんだけが、責任を背負わないでください」
和泉は足をもつれさせ、英嗣の胸にしなだれかかった。
「こうなったのは、わたしにも責任があるのです。弱いわたしが……いけないの」
「酔っていますね」
「ええ、酔っているわ」
和泉は英嗣の背広を掴んだ。
「英嗣さん。こんなことをしたら毅さんに知られてしまうわ。もしも……そうなったら、英嗣さんとお別れしてしまう可能性も……あるんです」
毅に遠慮しないと英嗣が宣言をして、屋形船で愛し合ったのは先月だ。
それから邸の客間に英嗣が数回宿泊した。夜遅くまで書斎や東の離れ屋で兄弟で話をした英嗣は、その後で和泉とベッドの上で過ごした。短い夜が明けるまで抱き合って、そして明け方客間へ戻った。
このホテルは、帝都で過ごした時に愛を語らう場所になるのだろう。こうして宿泊もするだろう。
回数が重なり頻度が増えたら、いくら和泉に興味を持たない夫でも、疑うであろう。
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