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7.ロゼッタと火災現場
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しおりを挟む南地区の昔からある上流階級用の古い集合住宅で降ろしてもらい、ロゼッタは一階の角部屋に入る。
なぜか一緒に家に上がったマシューにお茶を出そうとして、固い蛇口と格闘しているあいだ、マシューは部屋の窓を開けて、シャンデリアのホコリよけをはずして灯りをつけてくれていた。魔導ランタン・ティールだけだった前回よりも明るくてホッとする。
ホコリ臭さが幾分かマシになったリビングのテーブルにティーカップを置いて、ソファに腰を下ろす。
「窓とシャンデリア、ありがとうございました」
「ああ、窓は帰る前には締めておくよ」
夜中。しかも一階だから、さすがのロゼッタも不用心だと笑う。前回は窓を開けることなかったし、寝室も掃除せずに寝泊まりしたので、今回は掃除をしてから寝ようと思うと話した。ベッドのシーツを替えるのは大変だが、身の回りのことは長い寮生活うちひとりでやってきたことだ。
ひとりでなんでもやってきたし、ひとりは慣れている。
それが、どうしてか、寂しい。一週間以上、ずっと彼と一緒にいたせいだろうか。でも、たった一週間だ。それに知らないところが多すぎるのに。
「明日の朝、迎えに来る」
「ええ、待ってます」
玄関先にいるマシューがどことなく切なそうにしているのは、願望だ。手を差し出されて、別れの握手をすると、大きな手がすっぽりとロゼッタの手を包んだ。
「おやすみなさい、マシューさん」
手を引っ張られ、ロゼッタはマシューの身体に倒れ込んだ。え? と思った瞬間、ぎゅっと抱きしめられて、ロゼッタの思考が止まった。
「……おやすみ、嬢ちゃん」
そっと離れたマシューは、間違いなく切なそうに微笑んでいた。そして、頬を撫でられ──額にキスをされた。
おやすみのキスをなぜマシューがしたのかさっぱりわからないが、嬉しくてロゼッタは微笑った。
──が、マシューがいなくなってから、ロゼッタはぐるくる考えを巡らせ悩んだ。
(なぜ、おやすみのキスを?)
一週間以上、一緒に過ごすうちに妹だと思われたのかもしれない。
(それはそれで、嬉しいような……嬉しくないような……)
夜着に着替える力を削がれたロゼッタは、シュミーズ姿でふらふらとソファの上に転がった。風呂と寝室はまだ掃除していないので入る気にならなかった。
(お風呂を洗って、それからシーツを替えて……それから……。……それから、マシューさんは今ごろ何をしてるんでしょうか……)
「いやいや、マシューさんは今ごろパブに着いたぐらいでしょうね! わかってますよぅ!」
ごろりと寝返りをうって、クッションをたぐり寄せて抱きしめる。
(わからないですよ。あれ以来、ハニートラップのレッスンをしてくれないし)
「違いますよ! マシューさんを利用したくないんです! だっていい人だから!」
(実際、いい人ですよ。なにも知らないわたしにハニートラップの初歩の初歩だというトーク術を教えてくれましたし。実践できてませんけど。無理やりとか、強引とかそんなのないですし。嫌なことは絶対にしない、紳士ですよ。
……わたしに魅力がまったくないからそんな気も起きないのかもしれないですけど)
考えていて、ずぅぅんと落ち込む。
「……かわいいって、嘘でも、嬉しいんですね」
言葉にして、ぎゅっと胸が痛かった。イメリアのことを思い出したからだ。
心の奥底でバカだと思ったのだ、イメリアを。出会ったばかりの男から誉めそやされ、愛してるとそそのかれ舞い上がって、金を貢いで身を崩して、フリューズ家の宝物を渡してしまったことを。
(今なら、姉さんの気持ちが分かります)
今度から裁縫魔術を使うときはデザイン性を高めてみようとか、三つ編み意外もできるようになろうとか、お風呂でピカピカになるまで洗って香油をしっかり塗って、少しでもどこかを褒めてもらいたい。
かわいく変わりたい。
見た目だけじゃなくて、仕草も性根も変えたいと思うほどに。
優しくしてもらいたい。優しくしたい。優しくなりたい。
「……どうしてでしょうね。こんなこと、生きてきて思ったことはありませんでした。胸のこの辺りがあったかくて……。そう、まるで恋をしているみたいで……す…………?」
胸の上で手を合わせていたロゼッタは、ガバッと勢いよく起き上がった。
そしてそのまま風呂へ向かい、汚れた浴室を掃除してから魔術で湯を沸かして、しっかり身体と髪を洗う。風呂上がりにクリームと香油をいつもより丁寧に塗って、夜着に着替え、水筒の飲み水をぐびぐび煽り、コップをターンッ! と勢いよく置いた。
「こ。こ、こ、……恋を!」
(いやいやいやいや、ロゼッタ・フリューズ、落ち着いてくださいよ! 相手はマシューさんですか? あんな無駄にキラキラした長髪イケメンを? いや、相手を好きになったのはわたしですから、相手がどんな人かは重要じゃないです。ちがうちがう。そうじゃないですってばぁ)
人参色の湿った頭をバリバリ掻いて、バッグからメモ帳を取り出し、ガリガリとペンを走らせる。
知り合ったばかりで、知っていることが少なすぎる相手を好きになることがあるのか否か。得意な古代エノク文字でしたためた。
(哲学の命題のようなタイトルになってしまいました。センスがなさすぎです)
「……少しでも知らないこと知ると嬉しくなるじゃないですか。それに……少しは、マシューさんがどんな人か知ってます」
相手に少しでもよく思われたい。少しでも知りたい。たくさんお喋りをしたい。一緒にいたい。
離れると、少し寂しくて、切ない。
まるで離れた星座のロンリネス……。
メモ帳に書き込んだ手が止まる。
「……って、中学女子みたいなポエムを書いてしまいました! 今まで恋したことがないから勝手がわからないんです! ああ! 一体誰にいいわけを!」
こうして、ロゼッタはあーでもないこーでもないと遅すぎる初恋について考えていた。
落ち着こうと、メモ帳を読み返して、やることを思い出した。
「ライアードが結婚詐欺を働いた証拠を掴んで、わたしと関係を持ってもらって、アデラード公のパーティか女王陛下のお茶会で悪事を暴く。これがわたしの使命です」
初めにマシューから言われたことだ。
(でも、わたし……、マシューさん以外の男の人と仲良くなれるのでしょうか? マシューさんを利用して? 憎いライアードと仲良く? そんなのできません!)
「……でも、初志貫徹です! そう、マシューさんを利用したくないなら、利用しないように動くべきなんですよ。わたしが!」
そうだと、ロゼッタは立ち上がる。
(朝になったら、ひとりで火災事故現場に行ってみましょう……)
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