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深淵からの使者
第195話
しおりを挟む街中の電線に止まる海猫。
海岸線沿いの漣は穏やかな風の中に漂い、キラキラと陽射しが揺れている。
路地裏に傾くマンションの影。
木漏れ日に触れる、公園のフェンス。
午後1時を過ぎた空は、朝の喧騒から解き放たれたように長閑な時間の流れを運んでいた。
名古屋市全域では、緊急招集が敷かれているにもかかわらず、それを微塵も感じさせないほどに“静か”だった。
「人間界」は、天使に守られている。
これは文字通り、社会の根幹に根付く人間と天使との【関係性】に紐づく地盤を基にしており、現在に至るまでの【歴史】を物語っている。
人々は日常の中に天使がいることを知らない。
管制塔のシステムは、人々が安全に暮らすためのネットワークを張り巡らせており、24時間体制で地域の保全に当たっている。
元より、人々の歴史は、人間自身が形作ってきた。
地上にあるあらゆる建造物や社会的なシステムは、一部を除いて人間の歴史の歩みの中で積み上げられてきたものであり、そこに天使の介入はほとんど無いと言っても過言ではない。
これは「天使」の役割があくまで天界の意向に沿っているからであり、天界・下界・魔界の【三界】の構造を紐解いていくことで、人間の生活や社会がいかに人々にとっての習慣や規則性に従っているかが、経済的、——あるいは政治体制的な側面の中で自然と見えてくる。
街中を歩く人々は、名古屋城内で起こっていることの事態を認知することは、ほとんど不可能に近い状況だった。
それは“いつものこと”だ。
現在名古屋城への出入りは禁止されていた。
普段名古屋城内で働いている職員たちは警備隊、及び「公安」の担当者たちによって特別保護施設へと移送されていた。
今回のような緊急指令時には、人々は皆『生活安全局』の管轄下に移され、危険が及ばないように保護される。
それぞれの生活に影響を及ぼさないよう、保護のため移送された者たちは皆、情報の修正とそれに基づく“記憶の改竄”が実施される。
これは「天使」や「魔族」といった存在が日常的に知られないよう、管制塔内のネットワークによって機械的に統制され、天界と地上との社会的な構造に物理的な区分化が実行されているためだ。
現在地上では情報局によって構築されたシステムが機能している状態であり、このシステム下に於いて、人々は天使の活動やそれに付随する出来事を認識することはできず、また、それを“閲覧”することもできない。
仮に街中で魔族と遭遇したとしても、その出来事に対する「経験」や「知識」は物理的に消去され、脳内の記憶領域に「情報」として処理されることもない。
これらの管理ネットワークの総称を『人類環境保護統制プログラム』と呼ぶ。
リンがサユリに教えた、「生前の頃の情報を下界に持ち込まない」という暗黙のルールは、そういった社会的な背景が日常の中に組み込まれているからでもあった。
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