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昨日までの世界
第10話
しおりを挟むそれから数日、進也(=さやか)は何となく時間を過ごしていた。
──来週から学校に戻れる。
そう父親から言われたものの、まだ気持ちの整理がつかない。
"自分の体"は、あの病室の中にある。
"自分の意識"は、こうして生きている。
それが、どうしようもなく不自然に感じた。
"さやか"として生きることに、違和感を覚えながらも、本当の"進也"に戻る方法は、何もわからない。
(……俺は、これからどうすればいいんだ?)
ギターを手に取ってみる。
だが、コードを押さえることすらできなかった。
──この手は、"さやか"の手なのに、"さやか"のように動かせない。
ベッドに寝転び、天井を見つめる。
ゆっくりと目を閉じると、さやかの声がどこか遠くから聞こえてくるような気がした。
◇
ある日、何気なく机の引き出しを開ける。
そこには、筆記用具やバンドのメモ帳が無造作に置かれていた。
──でも、何かが引っかかった。
引き出しの底。
少し奥の方を探ると、"古いノート"が挟まるように隠れていた。
表紙は少し擦れていて、色あせている。
大事にしていたものなのか、それとも忘れ去られていたのか。
進也は、ためらいながらもノートを開いた。
そこには、"さやかの言葉"が詰まっていた。
『私は、歌いたい。』
ノートの最初のページには、そう書かれていた。
進也は、息を呑んだ。
ページをめくる。
そこには、さやかの本当の気持ちが綴られていた。
『小さい頃、私は歌を歌うのが好きだった。
でも、それはただの「好き」じゃなかった。』
『歌えば、母が笑ってくれた。』
『母は、いつも悲しそうだった。
家に帰ってきても、疲れた顔をしていて、私と目を合わせないこともあった。
でも、私が歌うと、少しだけ笑ってくれた。
その笑顔が、私の宝物だった。』
進也は、ページをめくる手が止まる。
──"母"?
さやかの母親のことは、これまでほとんど語られていなかった。
父親に聞いても、「出て行った」としか言わなかった。
(……さやかの母親は、どんな人だったんだ?)
次のページには、もっと深い言葉が綴られていた。
『でも、ある日、お母さんはいなくなった。
家に帰ってこなくなった。
お父さんに聞いても、何も教えてくれなかった。
私は、母のいない家で、歌を歌い続けた。』
進也は、息を呑んだ。
(……さやかは、母親を想って、歌を歌い続けていた?)
そして、ページの最後には、こう書かれていた。
『私は、歌で誰かを笑顔にしたい。
私は、あの日の母みたいに、悲しそうな人の心に届く歌を歌いたい。
それが、私が歌手になりたい理由。』
進也は、ノートを閉じた。
静寂が、部屋を包む。
──さやかは、ただ漠然と歌手を目指していたわけじゃなかった。
──誰かのために、歌う理由があった。
(……それなのに、お前はどこにいる?)
このノートに、さやかの"今"は書かれていない。
彼女の夢も、想いも、ここに残っているのに。
(お前は、本当に消えてしまったのか……?)
進也は、強く拳を握った。
(まだ終わりじゃない。何か、まだ足りない。)
何かが欠けている。
それを見つけなければ、前に進めない。
進也は、再びノートを開き、ゆっくりと読み返した。
──そこに、"答え"があるかもしれないから。
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