Nail Excellent 〜ネイル エクセレント〜

むに

文字の大きさ
2 / 6
Nail Excellent

第二話

しおりを挟む
    統太はスマホでNail Excellentに予約をいれた。もちろん指名を忘れないように。
    仕事が終われば楽しみが待っていると思うと何もかもが上手くいく気がする。そのせいか無事、残業もなく誰かに声を掛けられることもなく会社を出ることが出来た。
    
    予約時間の五分前、小さな扉の前に統太は立っていた。はずむ気持ちを抑え小さく息を吐いてからドアを開ける。

「こんばんは」

覗き込むようにドアを開けると馨が迎え入れてくれる。

「いらっしゃいませ!    お待ちしてました」

統太は思わず目を細め満面の笑顔になり、嬉しさを隠せてないことに頬を赤らめた。

「お願いします」

    統太は上着を脱がせてもらい席に着くと

「あのっ、すごく気分よく過ごせました!    仕事もなんか上手くいってるような気がするんです」

と嬉しそうに言い、馨は

「それはよかったです。指先はいつでも目に入るから、きれいになってるだけで気分が上がりますよね」

と統太の手を取りながら笑顔になる。

「女性のお客さんによく見られてるみたいで、話題作りにもなるんです。あ、僕は営業やってるんで」

「大変そうなお仕事ですね。お役に立てたら嬉しいです。今日はネイルケアにハンドマッサージも入れてくれたんですね、ありがとうございます」

 馨は道具を揃えながら今日のメニューの確認をした。統太は少しでも長く馨と話をしたくて、自分がやってもらってもおかしくなさそうなメニューを追加したのだ。

「最初に前回と同じように爪の長さから整えますね」

馨は指先を親指と人差し指で挟んで爪を削り始める。

「すみません、また乾燥してますよね。頑張って保湿してたつもりだったのに」

「お仕事で書類とか紙類をよく触ったりしませんか?    そういうことでも乾燥するんですよね」

「そうなのかー。パンフレットや契約書類を毎日触ってるから。あと、一人暮らしで家事を少しやるんでそれもあるかも」

「一人暮らし大変ですね。自炊もしてるんですか?」

「そうなんです。仕事も一人暮らしもなかなか慣れなくて。でもなるべく食事は作りたいと思ってます。お惣菜買ったりすることもあるけど」

    二回目だから少し親しくなった気持ちで、統太は誰にもしていなかった一人暮らしのことを少しだけ口にした。
 二人だけの空間、向かい合って手を触ってもらって親近感が一気に増している。統太はいろいろ話したいと思っていた。その気持ちを察するように馨はこの前はしなかった質問をした。

「お家はこの近くですか?」

「そうです、歩いて十分くらいかな」

「遅くまでやってるスーパー知ってますか? サノヤっていうところ」

「知らないです、いつも一駅向こうの駅前のイヨンに行ってます」

 統太は動き続ける馨の手を見つめている。職場では仕事の話と学生時代の話くらいしかしたことがなく、就職してから近くに友人もいなくて、さらにこんなご近所情報を話せるなんて思ってもみなかったから嬉しくて仕方がない。

「ここの前の道を駅とは逆に進んで突き当たって左に曲がると三件目くらいかな? 間口が狭くてわかりにくいけど、自転車がたくさん止まってるからわかると思いますよ。たぶん夜十二時までやってるはず」

「じゃあ仕事が遅くなってもやってますね、いいこと聞いた~」

「僕も一人暮らしなんですよ、だからよく帰りに買い物して家でご飯作るんです」

「一人暮らしの先輩ですね、いろいろ教えてください」

会話が弾んでいる間に指先はまたきれいに整っていた。

「次にハンドマッサージしますね。肘までシャツをめくらせてもらってもいいですか?」

馨は慣れた手つきでシャツの袖を丁寧にあげながら肘のところで落ちてこないように曲げてとめた。

「ちょっとシワになるかもしれませんが」

「もう帰るだけだから気にしないでください」

 にこやかな顔を返して馨はたっぷりとハンドローションを手にとり、左右の手のひらで温めるようになじませてからくるくると手先から腕全体にのばした。肌の上を滑るように動いて全体に馴染ませると手首から肘に向ってほどよい強さで擦り上げたり腕をつかむようにしたりしてマッサージをする。普段触らないようなところを刺激され統太はふーっと息を吐いた。

「加減はいかがですか? 強すぎて痛かったら遠慮なく言ってくださいね」

「気持ちいいです、ちょうどいい刺激で。こういうの初めてですけど、すごくいいですね。みんなやればいいのに」

自分も初めてなのに何言っちゃってるんだと統太はちょっと恥ずかしく思ったけど馨は気にしてないようだ。

「あまり手のマッサージってしないですよね。でも手を使わない日はないから、もっと労ってあげてもいいと思ってます」

    腕から手先のマッサージに移り、統太の親指と小指が馨の左右の小指と薬指に挟まれ手を広げられる。親指で手の甲を丁寧に擦り上げる刺激が張っている手の筋を意識させる。

「僕の手、疲れてるみたいです」

「そうですね、特に右手は常に使いますからね。でも今は左手もパソコンとか使うから同じくらい疲れてるかな」

指一本一本も揉み解され、裏返してまた手のひらをぐりぐりと押さえられるとなぜか体もぽかぽかしてきた。

「体も暖かくなってきたみたいです」

統太はなんとなく反対の手を見ながらそう言うと

「血行が良くなるのか、そう言う人が多いですよ」

と馨は指の間の水かきみたいなところを押さえながら統太を見て目を細めている。

「そこも気持ちいいー」

ふふふと満足そうに笑う馨は楽しそうに施術してくれる。好きなんだな、この仕事が。いいな、そういうの。

「そういえば、昨日サノヤでパイシートが特売に出てたんですよ」

「パイシート?」

突然またスーパーの話になって統太はパイシートがわからず疑問で返した。

「パイ生地が冷凍されてるんですよ。小麦粉から作らなくていいから便利」

「なんかおしゃれな食材ですね」

「そうかな? 鉄板にクッキングシートを敷いてそこにパイシートを隅まで伸ばして、トマトソースとかケチャップとかなんでもいいんだけど多めに塗って、タマネギやネギや昨日の残りのおかずとかのせて、溶き卵と溶けるチーズをかけてオーブントースターで焼くだけなんだけど」

馨は一気に謎の食べ物の作り方を話して統太の顔を見た。

「めちゃくちゃ美味しくて、冷蔵庫に余ってきた食材を一気に使えるんですよ」

「え、なんか想像がつかないけど……お腹空いてきました」

「あ、すいません、つい。美味しかった話を誰かにしたくて」

つい話したくなるようなことを自分にしてくれるなんて、統太はむずがゆくなるような気持ちで聞いてみた。

「残りのおかずは何を入れたんですか?」

と質問した。

「きんぴらごぼうとほうれん草とコーンの炒めたの」

「えー全然合わなそう!」

「それがそうでもなくて、ほんと何でも美味しくなるからやってみて下さいよ」

馨とこんな風に笑ってご飯の話をするなんて、統太は自分の生活がぱっと明るくなった気がした。仕事だけの毎日だったのに、生活に色がつく感じってこういうことなのかもしれない。

「サノヤ行ってみます。パイシート安くなってるといいな」

自分の手を行き来する馨の手を眺めながら、うつむく顔もしっかり見ていた。馨はその視線に気づいて目を合わせると照れたように笑って、また手の方に視線を戻した。
 
 ホットタオルで軽く拭かれた手を統太はグーパーグーパーと動かして目を見開いた。

「なんだかすごく軽くなった!」

その様子を見守る馨はマスクを外して穏やかに微笑んだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?

cheeery
BL
サークルに一人暮らしと、完璧なキャンパスライフが始まった俺……広瀬 陽(ひろせ あき) ひとつ問題があるとすれば金欠であるということだけ。 「そうだ、バイトをしよう!」 一人暮らしをしている近くのカフェでバイトをすることが決まり、初めてのバイトの日。 教育係として現れたのは……なんと高二の冬に俺を振った元カレ、三上 隼人(みかみ はやと)だった! なんで元カレがここにいるんだよ! 俺の気持ちを弄んでフッた最低な元カレだったのに……。 「あんまり隙見せない方がいいよ。遠慮なくつけこむから」 「ねぇ、今どっちにドキドキしてる?」 なんか、俺……ずっと心臓が落ち着かねぇ! もう一度期待したら、また傷つく? あの時、俺たちが別れた本当の理由は──? 「そろそろ我慢の限界かも」

処理中です...