Nail Excellent 〜ネイル エクセレント〜

むに

文字の大きさ
4 / 6
Nail Excellent

第四話

しおりを挟む
 しばらくネイルケアをしに行けてない、つまり馨さんに会っていない。会いたいなぁ。 思わず口に出てしまいそうになって統太は我に返った。まだ社内で仕事中だったが、今日は仕事が一段落して早く帰れそうだと思い、すぐに予約を確認すると運良く今日の夜が空いていた。
    僕は今日も運がいい!    今すぐにでも行きたい気持ちを抑え、目の前にある書類をいつもにはない早さで片付け、久しぶりに定時に職場を後にした。



「こんばんは」

ドアを開けるとあの柑橘系の香りとともに奥の部屋から馨が出てきた。

「いらっしゃいませ、こんばんは」

 馨はいつもと同じように統太の上着を預かって、丁寧に道具を取り出し笑顔で統太の手をとる。それだけで統太は暖かい気持ちになり満足してしまいそうだ。

「お仕事忙しかったですか? ちょっとお疲れな感じがしますね」

「今日まですごく忙しくてやっとキリがついたんです。早くあ……来たかったから今日予約できてよかったー」

統太は「早く会いたかった」と言いそうになって慌てて言い直した。

「ありがとうございます。キレイになる楽しみを忘れないでいてもらえると思うとほんとに嬉しいです」

「忘れられないですよ、毎日見てますから。こんなに自分の手をしっかり見続けるなんて初めてですけど」

少し照れながら自分の手を顔の前に広げて見る統太に馨は目尻を下げた。

かすかに聞こえる音楽と表通りの雑音、爪を削る乾いた音のバランスが気持ちいい。その気持ち良さを壊したくない反面、統太はあの話をしたくて声を出した。

「この前教えてもらったパイシートの、あれ作ってみました」

「え、本当に? どうでした?」

「めちゃくちゃ美味しくできましたよ、あれは失敗がなくていいですね」

「材料は何にしたんですか? そこが気になる」

「えっと、長ネギ、餅、キムチ、ちくわ、ベーコンかな。変だと思ったけど全部つかっちゃいました」

「あ~餅か~それはまだやったことなかった、いいな。今度やってみよう」

    馨がとても興味深く聞いてくれ、キムチは入れたことがあると言う話で盛り上がった。その流れで

「馨さんは紅茶飲みますか?」

なんて昨日の妄想が気になって聞いてしまった。

「紅茶、飲みますよ、食後に。豆乳いれたりして」

やはりな、おしゃれな人は紅茶だ、と思ってうんうんと頷いていたら

「コーヒーも飲みます。豆を焙煎しているお店が商店街の端にあるの知ってますか、そこで買うんですけど」

「あ、そのお店、閉まってる時間に通ったかも」

夜の商店街を思い出して答えたが、統太はコーヒーは粉を溶かすものだと思っていた。もちろんお店で飲むのは違うとは知っているけど家ではインスタントが普通。そしてまだそこまでコーヒーの美味しさがわかっていない気がしてたけど馨の話を聞きたくて。

「やっぱり豆から淹れると美味しいですか?」

「新鮮な豆を使うと誰が入れても美味しいと思いますよ」

手を動かしながら馨は丁寧に自分のコーヒーの淹れ方を教えてくれる。豆はそのお店で好みの味を相談するといいんだということも。だんだん統太もコーヒーに興味が湧いてきた。でもこれは馨さんが言うからだってわかってる。

「そういえば、今日サノヤでキャベツ50円なの知ってます?」

馨の話がいきなりコーヒーからキャベツの話になった。

「一玉50円? 安ーい。知らない知らない、買った方がいいかな」

統太は馨がどこで情報を得るんだろうと思いながら、相談するような返事をする。

「これ終わったらもう店閉めるからキャベツ半分こしませんか。一玉は魅力的だけど新鮮なうちに食べたいから」

「え、いいんですか? 僕も一玉は冷蔵庫が小さくて入らないんでそうしてもらえると助かります」



 馨は店を出て扉に鍵をかけると、後ろで待つ統太に振り返って笑顔を向けた。

「お待たせしました行きましょう」

    暗くなった通りは駅から離れるにつれて人が少なくなっていく。肩を並べて歩きながら統太は気になっていたことを聞いた。

「あの……どうやって半分に分けるんですか?」

「僕のうちで半分に分けるのはどうかな?」

    覗き込むように顔を傾けている馨の髪が揺れて、統太は顔が熱くなるのを感じた。

え、家に行くの? 行っていいの? 統太はドキドキしながら頭を下げる。

「いいんですか、ありがとうございます」

「ついでにコーヒーでも飲んでいく?    なんなら今晩はご飯食べていく?」

統太は心の中で「えええええーーーーーー!!!」というくらい声が出そうなのを抑え込んだ。

「あ、ありがとうございます。馨さんが良ければお邪魔させていただきます。お手伝いもします」

馨はくすくすと笑っている。統太は時々触れ合う肩を意識しながら、キャベツを使った料理も教えてもらおうと考えていた。

「基本的に……お客さんと個人的な連絡先の交換はしないんだけど、もし良かったらLINEの交換しませんか?    もし良かったらだけど」

突然の馨からの提案に統太は慌ててポケットからスマホを取り出した。

「もちろんです!    ちょっと待ってくださいね」

焦って画面を操作する統太を見てまたくすくすと馨はこぶしを口にあてた。

「そんなに焦らなくても大丈夫。まだ時間はたくさんあるんだから」

二人はスマホを振りお気に入りのスタンプを送り合った。



<終>
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?

cheeery
BL
サークルに一人暮らしと、完璧なキャンパスライフが始まった俺……広瀬 陽(ひろせ あき) ひとつ問題があるとすれば金欠であるということだけ。 「そうだ、バイトをしよう!」 一人暮らしをしている近くのカフェでバイトをすることが決まり、初めてのバイトの日。 教育係として現れたのは……なんと高二の冬に俺を振った元カレ、三上 隼人(みかみ はやと)だった! なんで元カレがここにいるんだよ! 俺の気持ちを弄んでフッた最低な元カレだったのに……。 「あんまり隙見せない方がいいよ。遠慮なくつけこむから」 「ねぇ、今どっちにドキドキしてる?」 なんか、俺……ずっと心臓が落ち着かねぇ! もう一度期待したら、また傷つく? あの時、俺たちが別れた本当の理由は──? 「そろそろ我慢の限界かも」

処理中です...