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Nail Excellent
第四話
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しばらくネイルケアをしに行けてない、つまり馨さんに会っていない。会いたいなぁ。 思わず口に出てしまいそうになって統太は我に返った。まだ社内で仕事中だったが、今日は仕事が一段落して早く帰れそうだと思い、すぐに予約を確認すると運良く今日の夜が空いていた。
僕は今日も運がいい! 今すぐにでも行きたい気持ちを抑え、目の前にある書類をいつもにはない早さで片付け、久しぶりに定時に職場を後にした。
「こんばんは」
ドアを開けるとあの柑橘系の香りとともに奥の部屋から馨が出てきた。
「いらっしゃいませ、こんばんは」
馨はいつもと同じように統太の上着を預かって、丁寧に道具を取り出し笑顔で統太の手をとる。それだけで統太は暖かい気持ちになり満足してしまいそうだ。
「お仕事忙しかったですか? ちょっとお疲れな感じがしますね」
「今日まですごく忙しくてやっとキリがついたんです。早くあ……来たかったから今日予約できてよかったー」
統太は「早く会いたかった」と言いそうになって慌てて言い直した。
「ありがとうございます。キレイになる楽しみを忘れないでいてもらえると思うとほんとに嬉しいです」
「忘れられないですよ、毎日見てますから。こんなに自分の手をしっかり見続けるなんて初めてですけど」
少し照れながら自分の手を顔の前に広げて見る統太に馨は目尻を下げた。
かすかに聞こえる音楽と表通りの雑音、爪を削る乾いた音のバランスが気持ちいい。その気持ち良さを壊したくない反面、統太はあの話をしたくて声を出した。
「この前教えてもらったパイシートの、あれ作ってみました」
「え、本当に? どうでした?」
「めちゃくちゃ美味しくできましたよ、あれは失敗がなくていいですね」
「材料は何にしたんですか? そこが気になる」
「えっと、長ネギ、餅、キムチ、ちくわ、ベーコンかな。変だと思ったけど全部つかっちゃいました」
「あ~餅か~それはまだやったことなかった、いいな。今度やってみよう」
馨がとても興味深く聞いてくれ、キムチは入れたことがあると言う話で盛り上がった。その流れで
「馨さんは紅茶飲みますか?」
なんて昨日の妄想が気になって聞いてしまった。
「紅茶、飲みますよ、食後に。豆乳いれたりして」
やはりな、おしゃれな人は紅茶だ、と思ってうんうんと頷いていたら
「コーヒーも飲みます。豆を焙煎しているお店が商店街の端にあるの知ってますか、そこで買うんですけど」
「あ、そのお店、閉まってる時間に通ったかも」
夜の商店街を思い出して答えたが、統太はコーヒーは粉を溶かすものだと思っていた。もちろんお店で飲むのは違うとは知っているけど家ではインスタントが普通。そしてまだそこまでコーヒーの美味しさがわかっていない気がしてたけど馨の話を聞きたくて。
「やっぱり豆から淹れると美味しいですか?」
「新鮮な豆を使うと誰が入れても美味しいと思いますよ」
手を動かしながら馨は丁寧に自分のコーヒーの淹れ方を教えてくれる。豆はそのお店で好みの味を相談するといいんだということも。だんだん統太もコーヒーに興味が湧いてきた。でもこれは馨さんが言うからだってわかってる。
「そういえば、今日サノヤでキャベツ50円なの知ってます?」
馨の話がいきなりコーヒーからキャベツの話になった。
「一玉50円? 安ーい。知らない知らない、買った方がいいかな」
統太は馨がどこで情報を得るんだろうと思いながら、相談するような返事をする。
「これ終わったらもう店閉めるからキャベツ半分こしませんか。一玉は魅力的だけど新鮮なうちに食べたいから」
「え、いいんですか? 僕も一玉は冷蔵庫が小さくて入らないんでそうしてもらえると助かります」
馨は店を出て扉に鍵をかけると、後ろで待つ統太に振り返って笑顔を向けた。
「お待たせしました行きましょう」
暗くなった通りは駅から離れるにつれて人が少なくなっていく。肩を並べて歩きながら統太は気になっていたことを聞いた。
「あの……どうやって半分に分けるんですか?」
「僕のうちで半分に分けるのはどうかな?」
覗き込むように顔を傾けている馨の髪が揺れて、統太は顔が熱くなるのを感じた。
え、家に行くの? 行っていいの? 統太はドキドキしながら頭を下げる。
「いいんですか、ありがとうございます」
「ついでにコーヒーでも飲んでいく? なんなら今晩はご飯食べていく?」
統太は心の中で「えええええーーーーーー!!!」というくらい声が出そうなのを抑え込んだ。
「あ、ありがとうございます。馨さんが良ければお邪魔させていただきます。お手伝いもします」
馨はくすくすと笑っている。統太は時々触れ合う肩を意識しながら、キャベツを使った料理も教えてもらおうと考えていた。
「基本的に……お客さんと個人的な連絡先の交換はしないんだけど、もし良かったらLINEの交換しませんか? もし良かったらだけど」
突然の馨からの提案に統太は慌ててポケットからスマホを取り出した。
「もちろんです! ちょっと待ってくださいね」
焦って画面を操作する統太を見てまたくすくすと馨はこぶしを口にあてた。
「そんなに焦らなくても大丈夫。まだ時間はたくさんあるんだから」
二人はスマホを振りお気に入りのスタンプを送り合った。
<終>
僕は今日も運がいい! 今すぐにでも行きたい気持ちを抑え、目の前にある書類をいつもにはない早さで片付け、久しぶりに定時に職場を後にした。
「こんばんは」
ドアを開けるとあの柑橘系の香りとともに奥の部屋から馨が出てきた。
「いらっしゃいませ、こんばんは」
馨はいつもと同じように統太の上着を預かって、丁寧に道具を取り出し笑顔で統太の手をとる。それだけで統太は暖かい気持ちになり満足してしまいそうだ。
「お仕事忙しかったですか? ちょっとお疲れな感じがしますね」
「今日まですごく忙しくてやっとキリがついたんです。早くあ……来たかったから今日予約できてよかったー」
統太は「早く会いたかった」と言いそうになって慌てて言い直した。
「ありがとうございます。キレイになる楽しみを忘れないでいてもらえると思うとほんとに嬉しいです」
「忘れられないですよ、毎日見てますから。こんなに自分の手をしっかり見続けるなんて初めてですけど」
少し照れながら自分の手を顔の前に広げて見る統太に馨は目尻を下げた。
かすかに聞こえる音楽と表通りの雑音、爪を削る乾いた音のバランスが気持ちいい。その気持ち良さを壊したくない反面、統太はあの話をしたくて声を出した。
「この前教えてもらったパイシートの、あれ作ってみました」
「え、本当に? どうでした?」
「めちゃくちゃ美味しくできましたよ、あれは失敗がなくていいですね」
「材料は何にしたんですか? そこが気になる」
「えっと、長ネギ、餅、キムチ、ちくわ、ベーコンかな。変だと思ったけど全部つかっちゃいました」
「あ~餅か~それはまだやったことなかった、いいな。今度やってみよう」
馨がとても興味深く聞いてくれ、キムチは入れたことがあると言う話で盛り上がった。その流れで
「馨さんは紅茶飲みますか?」
なんて昨日の妄想が気になって聞いてしまった。
「紅茶、飲みますよ、食後に。豆乳いれたりして」
やはりな、おしゃれな人は紅茶だ、と思ってうんうんと頷いていたら
「コーヒーも飲みます。豆を焙煎しているお店が商店街の端にあるの知ってますか、そこで買うんですけど」
「あ、そのお店、閉まってる時間に通ったかも」
夜の商店街を思い出して答えたが、統太はコーヒーは粉を溶かすものだと思っていた。もちろんお店で飲むのは違うとは知っているけど家ではインスタントが普通。そしてまだそこまでコーヒーの美味しさがわかっていない気がしてたけど馨の話を聞きたくて。
「やっぱり豆から淹れると美味しいですか?」
「新鮮な豆を使うと誰が入れても美味しいと思いますよ」
手を動かしながら馨は丁寧に自分のコーヒーの淹れ方を教えてくれる。豆はそのお店で好みの味を相談するといいんだということも。だんだん統太もコーヒーに興味が湧いてきた。でもこれは馨さんが言うからだってわかってる。
「そういえば、今日サノヤでキャベツ50円なの知ってます?」
馨の話がいきなりコーヒーからキャベツの話になった。
「一玉50円? 安ーい。知らない知らない、買った方がいいかな」
統太は馨がどこで情報を得るんだろうと思いながら、相談するような返事をする。
「これ終わったらもう店閉めるからキャベツ半分こしませんか。一玉は魅力的だけど新鮮なうちに食べたいから」
「え、いいんですか? 僕も一玉は冷蔵庫が小さくて入らないんでそうしてもらえると助かります」
馨は店を出て扉に鍵をかけると、後ろで待つ統太に振り返って笑顔を向けた。
「お待たせしました行きましょう」
暗くなった通りは駅から離れるにつれて人が少なくなっていく。肩を並べて歩きながら統太は気になっていたことを聞いた。
「あの……どうやって半分に分けるんですか?」
「僕のうちで半分に分けるのはどうかな?」
覗き込むように顔を傾けている馨の髪が揺れて、統太は顔が熱くなるのを感じた。
え、家に行くの? 行っていいの? 統太はドキドキしながら頭を下げる。
「いいんですか、ありがとうございます」
「ついでにコーヒーでも飲んでいく? なんなら今晩はご飯食べていく?」
統太は心の中で「えええええーーーーーー!!!」というくらい声が出そうなのを抑え込んだ。
「あ、ありがとうございます。馨さんが良ければお邪魔させていただきます。お手伝いもします」
馨はくすくすと笑っている。統太は時々触れ合う肩を意識しながら、キャベツを使った料理も教えてもらおうと考えていた。
「基本的に……お客さんと個人的な連絡先の交換はしないんだけど、もし良かったらLINEの交換しませんか? もし良かったらだけど」
突然の馨からの提案に統太は慌ててポケットからスマホを取り出した。
「もちろんです! ちょっと待ってくださいね」
焦って画面を操作する統太を見てまたくすくすと馨はこぶしを口にあてた。
「そんなに焦らなくても大丈夫。まだ時間はたくさんあるんだから」
二人はスマホを振りお気に入りのスタンプを送り合った。
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