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第3章 スパダリとの生活は常識じゃ計れませんでした

1.いってらっしゃいの、ちゅー

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月曜日。
朝起きたら、隣に佑司はいなかった。

「おはようございます……」

キッチンではすでに着替えを済ませた佑司が、朝食を作っている。

「おはよう、チー」

ちょいちょいと手招きするので近付くく。
すぐにちゅっと彼の唇が私の唇に触れた。

「さっさと顔洗って着替えてこい。
もうすぐできるから」

「えっと。
……そうします」

「あ、服は一昨日買った奴な!」

会社にあれを着ていくのかと思うと気が重い。
でも佑司が勝手に詰めてきた服はあまり数がないし、そもそも通勤着にできそうなものが入っていなかった。
なのであれを着るしかないのだ。

朝から憂鬱な気分で洗面所へ行き顔を洗う。
そういえば昨日も起きたらすでに佑司が朝食を作っていた。
そんなの悪いなって思ったんだけど。

『俺がチーのために朝メシ作りたいの』

そう言って笑い飛ばされた。
それでちょっと揉めたので、今日はおとなしくなにも言わないことにした。

黒のノースリーブニットに同じく黒の膝下丈プリーツスカートに着替える。
これだと真っ黒だけど、プリーツスカートは透け感のある生地なので、そこまで重くない。
さらにやっぱり買ってくれた一粒パールのネックレスをつけ、銀糸を編み込んだグレーのカーディガンを羽織れば完璧。

「これ、私だよね……」

少しだけ化粧も変えた私は、別人みたいに見えた。

「おっ、着替えたのか。
……やっぱりよく、似合ってる」

ちゅっと軽く、佑司の唇が触れる。
どうでもいいがなにかするたびにキスしないと気がすまないのだろうか。

勧められてついたテーブルの上には、ホテルの朝食並みのメニューがのっている。
ふわとろのスクランブルエッグはカリカリに焼いたベーコン付き。
グレープフルーツのサラダにヨーグルト。
今日のパンはクロワッサンでやっぱりジャムは三種類並ぶ。
飲み物は牛乳というよりミルクと、たぶん絞りたてオレンジジュース。
キッチンにジュースプレッソがあったから。

「平日も朝から豪華ですね」

「普通だろ」

いや、普通じゃないって。
私の平日の朝ごはんは、トーストだけですよ……。
スパダリ様にとってはこれが、当たり前なんだろうか。

とはいえ、美味しく料理をいただく。
朝からちょっと食べ過ぎな気がしないでもないけど。

後片付けは食洗機にお任せ。
キッチンにはお鍋も入るビルトイン食洗機がある。
一昨日、並んで洗い物をしたのはなんだったんだと思うけど、きっとしたかったからとかそんなどうでもいい理由に違いない。

「んじゃ、行くか」

佑司はネクタイを締めベストを着て、ジャケットは腕に掛けていた。
私だって薄いカーディガンだから、ジャケットありは暑いだろう。

「ん」

「……はい?」

なぜか佑司が少しその高い背を屈めて目を閉じ、私に顔をわざわざ近付けてくる。
これはなにをしろと言っているんですかね?

「ん!」

理解ができなくてぼけっと顔を見ていたら、さっきより少し強めにさらに顔を近付けてきた。
でもやっぱり、私にはわけがわからない。

「……いってらっしゃいのちゅーだろ」

目を開けた佑司はくいっと大きな手で覆うように眼鏡を上げた。

……いってらっしゃいのちゅーって、いまから一緒の会社に行くのに必要ですか。
それにそんな、恥ずかしいこと。

「ほら早く。
遅刻するだろ」

また目を閉じ、顔を近付けてくる。
私としてはしたくないのだが、やらないと永遠これを続けそうで面倒臭い。

「知りませんよ、そんなこと。
さっさと出勤しますよ」

ちょうど手近にあったネクタイを掴んで引っ張る。
バランスを崩した佑司は慌てて壁に手をついた。

「チーがいってらっしゃいのキスしてくれない……」

「えっ、うわっ」

覆い被さるように彼が抱き着いてくる。
しかも、しくしくと泣きマネしていて鬱陶しい。

「チーがいってらっしゃいのキスしてくれるまで俺、出勤しない……」

なんだこいつは。
本当に面倒だな。

仕方ないので佑司を思いっきり引き離す。
眼鏡の奥から本気で泣いていたのかちょっとだけ潤んだ瞳が私を見ていた。

「……はぁーっ」

もう癖になりつつあるため息をついて、一瞬だけ唇を触れさせた。

「……ほら、さっさと出勤しますよ」

「うん、出勤する!」

スキップすらしそうな勢いで佑司がドアを開ける。
もしかしてこれから毎日、これをしないと出勤しないんだろうか。
ううっ、ほんとに面倒臭い。

電車かなにかで行くのかと思ったら、地下駐車場に下りて車だった。

「今日からは毎日、車通勤する」

佑司の運転する車の、助手席にちまっと収まる。

「今日からって……。
いままではどうしてたんですか。
そういえば金曜日は、タクシーで帰りましたよね」

「車と電車と半々くらい。
飲んだりしたとき、困るからな」

接待とかあるから、その日は電車だったとか?
けれど佑司が満員電車に揺られているのを想像したら、ちょっとおかしくなった。

「……なーに笑ってんだ?」

「あっ、いえ……。
ならいいいんですか、毎日車通勤とか」

飲んだとき困るから電車通勤併用だったのだ。
それを毎日車にしたら、不便じゃないんだろうか。

「いい。
チーを送り迎えしないといけないからな」

本当にいいんだろうか。
いや、よくない。

もう癖になってしまった自問自答をする。
別に私は送り迎えしてもらわなくたって、ひとりで通勤できる。
どうしても心配なら、遅くなった日だけ一緒に連れて帰ってくれればいい。

けれど言ったところで俺がいいんだからいいとかまた言われそうなので、諦めた。
それに正直、満員電車で潰されそうになりながら通勤するより、車で、しかも助手席に座っているだけの方がずっと楽だし。

特に話すこともないので、ぼーっとしていた。
佑司も黙って運転している。

ちらっと見た、ハンドルを握る左手薬指には指環。
もちろん、私も同じ指に。

――帰ってからめちゃくちゃ揉めた、それが。
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