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第一章 噂
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いい時間になり、ニコと一緒にビアホールに入った。
「ひさしぶりの再会を祝して」
「乾杯」
隅の席でふたり、ジョッキをあわせる。
「あー、でも、明日にはもう、レンは帰っちゃうのか……」
まだひとくちしか飲んでいないのに、ニコはテーブルの上に崩れ落ちた。
「わるいな」
それに笑い、ジョッキを口に運ぶ。本当はこの休暇で、帰ってくるつもりもニコに会うつもりもなかった。――しかし。
「もっとたくさん、レンと遊びたかったなー。遠乗りに行く時間もなかったし」
身体を起こし、ビールをごくごくと一息に飲み干したニコが、憂鬱なため息をつく。それは、いつもどおりの彼に見えた。
……気のせい、か。
最近、ちらりとニコの悪い噂を聞いたのだ。執務中にセドリードと淫行に耽っている、執務室でまぐわっているのを見た人間もいる、と。そんなはずはない、ただの噂だと必死に否定したがいても立ってもいられず、できた休暇で取りもとりあえずニコに会いに来た。
「イルヴィッヒの結婚が決まった話、したっけ?」
顔をうかがうが、ニコはなんでもないように話している。
「いや」
「兄を差し置いて先に結婚していいとでも思ってるのかね」
言葉の割にニコは嬉しそうだ。可愛がっている妹の結婚だ、そりゃ嬉しいだろう。
「レンにも、結婚式に出席してほしいって言ってたよ」
「あー、考えておく」
曖昧に笑ってそれに答える。ニコとは家が隣同士で、家族ぐるみの付き合いをしていた。もちろん、俺もイルヴィッヒを知っているし、実の妹のように可愛がっていた。
「おめでとうと伝えておいてくれ。というか、早く言ってくれれば、なにかプレゼントを用意したものを」
今日は街をぶらついていたのだ、あのあいだに結婚祝いを買うくらいできたのに。
「なんか、忘れてた」
ジョッキを口に運びながら自嘲するように笑ったニコは、どこか疲れているように見えた。
「ニコ……」
「イルヴィッヒも結婚するんだし、早く僕らも身を固めないとね。レン、彼女くらいできた?」
なにか悩んでいるんじゃないかと聞こうとしたが、遮るようにニコが勢いよく頭を上げる。彼は笑っていたが、それは無理をしているように見えた。
「まだだな。だいたい、軍は男所帯だから、出会いがない」
なんでもないように話に乗りながら、気持ちがざわめいて落ち着かない。
「そんなの、言い訳だよ。レンは格好いいからモテるって。昔はよく、女の子に声をかけられていたじゃないか」
「二、三日付き合ったあと、『笑わないから怖い』って必ずフラれたのは忘れたのか」
「そうだった」
おどけるように小さくニコが舌を出してみせる。
「お前のほうこそどうなんだよ。女の子に手を振り返したりしてたじゃないか」
付き合っている子がいる、せめて気になる子がいると答えてくれ。心の中で祈り、返事を待つ。
「あー……。忙しくてそんな暇、ないよ」
力なく笑い、ニコはジョッキを置いた。
「それにまわりは男ばかりだからね。僕のほうも出会いがない」
ニコが、俺の顔を見る。しかしその目は、どこか虚ろだった。
「僕らふたり、ダメ兄貴だね」
「だな」
自嘲し、ジョッキを口に運ぶ。しかし、胸のざわめきが止まらない。もしかしてあの噂は本当なのか。
「……レン、さ」
少しの沈黙のあと、躊躇い気味にニコが声をかけてくる。
「やっぱり、僕のもとで働く気は、ない?」
縋るように彼が俺を見る。あの日と、同じ目で。
ニコが次の大統領になると決まったとき、声をかけられたのだ。
『レン。僕の傍にいてくれないか』
――と。あのときもニコは、泣き出しそうな顔で縋るように俺を見ていた。こんな大役、荷が重すぎる、しかし国民の期待には応えたい。せめて、俺が傍にいて支えてほしい。ニコの考えは手に取るようにわかった。ニコにとって俺が、唯一の心の拠り所だったのも。しかし、その手を振り払ったのは、俺だ。
『わるい、無理だ』
あっという間に絶望へと変わった、ニコの顔が今でも忘れられない。
傍にいてやる、俺はいつでもお前の味方だ。そう、言ってやればいいのはわかっていた。でも、俺にはできなかった。ニコへのこの気持ちが、恋だと気づいてしまってからは。決して許されない、報われないこの気持ちに気づいてしまってから、ニコの傍にいるのが苦しくなった。同じ大学へ進む道だってあったのに、ギムナジウムを卒業して軍学校へ進んだのはニコから離れるためだ。なのに、傍にいてくれ? そんなの俺が耐えられない。
軍人の俺がお前の傍にいるなんて、よくない醜聞が立つ、そうニコには理由を話した。そんなの、ただの言い訳でしかないとわかっていた。けれどニコはそれで、納得してくれた。
離れていてもお前の幸せを祈っている、そう約束した。しかし、本当にそれでよかったのかと今のニコを見ていると不安になってくる。
しばらく逡巡したあと、ゆっくりと口を開いた。
「……わるい」
今、ニコの手を離してはいけないのでは、そんな気もする。あんな噂があるくらいだし、今のニコを見ていると真実なのではないかという疑惑も持ち上がってくる。しかしそれでも今日一日ニコと一緒にいて、この気持ちを抑えながら傍にいるなど耐えられないと思った。
「……そっか」
小さく呟いたきり、ニコは黙っている。居心地の悪い沈黙が、俺たちのあいだを支配した。今ならまだ、撤回できる。これからは一緒にいてやる、だから安心していい――。
「じゃあ、仕方ないよね」
顔を上げたニコが、にっこりと笑う。涙で濡れた目は、完全に俺を拒否していた。失敗した、そう悟ったがもう、取り返しがつかなかった。
「ひさしぶりの再会を祝して」
「乾杯」
隅の席でふたり、ジョッキをあわせる。
「あー、でも、明日にはもう、レンは帰っちゃうのか……」
まだひとくちしか飲んでいないのに、ニコはテーブルの上に崩れ落ちた。
「わるいな」
それに笑い、ジョッキを口に運ぶ。本当はこの休暇で、帰ってくるつもりもニコに会うつもりもなかった。――しかし。
「もっとたくさん、レンと遊びたかったなー。遠乗りに行く時間もなかったし」
身体を起こし、ビールをごくごくと一息に飲み干したニコが、憂鬱なため息をつく。それは、いつもどおりの彼に見えた。
……気のせい、か。
最近、ちらりとニコの悪い噂を聞いたのだ。執務中にセドリードと淫行に耽っている、執務室でまぐわっているのを見た人間もいる、と。そんなはずはない、ただの噂だと必死に否定したがいても立ってもいられず、できた休暇で取りもとりあえずニコに会いに来た。
「イルヴィッヒの結婚が決まった話、したっけ?」
顔をうかがうが、ニコはなんでもないように話している。
「いや」
「兄を差し置いて先に結婚していいとでも思ってるのかね」
言葉の割にニコは嬉しそうだ。可愛がっている妹の結婚だ、そりゃ嬉しいだろう。
「レンにも、結婚式に出席してほしいって言ってたよ」
「あー、考えておく」
曖昧に笑ってそれに答える。ニコとは家が隣同士で、家族ぐるみの付き合いをしていた。もちろん、俺もイルヴィッヒを知っているし、実の妹のように可愛がっていた。
「おめでとうと伝えておいてくれ。というか、早く言ってくれれば、なにかプレゼントを用意したものを」
今日は街をぶらついていたのだ、あのあいだに結婚祝いを買うくらいできたのに。
「なんか、忘れてた」
ジョッキを口に運びながら自嘲するように笑ったニコは、どこか疲れているように見えた。
「ニコ……」
「イルヴィッヒも結婚するんだし、早く僕らも身を固めないとね。レン、彼女くらいできた?」
なにか悩んでいるんじゃないかと聞こうとしたが、遮るようにニコが勢いよく頭を上げる。彼は笑っていたが、それは無理をしているように見えた。
「まだだな。だいたい、軍は男所帯だから、出会いがない」
なんでもないように話に乗りながら、気持ちがざわめいて落ち着かない。
「そんなの、言い訳だよ。レンは格好いいからモテるって。昔はよく、女の子に声をかけられていたじゃないか」
「二、三日付き合ったあと、『笑わないから怖い』って必ずフラれたのは忘れたのか」
「そうだった」
おどけるように小さくニコが舌を出してみせる。
「お前のほうこそどうなんだよ。女の子に手を振り返したりしてたじゃないか」
付き合っている子がいる、せめて気になる子がいると答えてくれ。心の中で祈り、返事を待つ。
「あー……。忙しくてそんな暇、ないよ」
力なく笑い、ニコはジョッキを置いた。
「それにまわりは男ばかりだからね。僕のほうも出会いがない」
ニコが、俺の顔を見る。しかしその目は、どこか虚ろだった。
「僕らふたり、ダメ兄貴だね」
「だな」
自嘲し、ジョッキを口に運ぶ。しかし、胸のざわめきが止まらない。もしかしてあの噂は本当なのか。
「……レン、さ」
少しの沈黙のあと、躊躇い気味にニコが声をかけてくる。
「やっぱり、僕のもとで働く気は、ない?」
縋るように彼が俺を見る。あの日と、同じ目で。
ニコが次の大統領になると決まったとき、声をかけられたのだ。
『レン。僕の傍にいてくれないか』
――と。あのときもニコは、泣き出しそうな顔で縋るように俺を見ていた。こんな大役、荷が重すぎる、しかし国民の期待には応えたい。せめて、俺が傍にいて支えてほしい。ニコの考えは手に取るようにわかった。ニコにとって俺が、唯一の心の拠り所だったのも。しかし、その手を振り払ったのは、俺だ。
『わるい、無理だ』
あっという間に絶望へと変わった、ニコの顔が今でも忘れられない。
傍にいてやる、俺はいつでもお前の味方だ。そう、言ってやればいいのはわかっていた。でも、俺にはできなかった。ニコへのこの気持ちが、恋だと気づいてしまってからは。決して許されない、報われないこの気持ちに気づいてしまってから、ニコの傍にいるのが苦しくなった。同じ大学へ進む道だってあったのに、ギムナジウムを卒業して軍学校へ進んだのはニコから離れるためだ。なのに、傍にいてくれ? そんなの俺が耐えられない。
軍人の俺がお前の傍にいるなんて、よくない醜聞が立つ、そうニコには理由を話した。そんなの、ただの言い訳でしかないとわかっていた。けれどニコはそれで、納得してくれた。
離れていてもお前の幸せを祈っている、そう約束した。しかし、本当にそれでよかったのかと今のニコを見ていると不安になってくる。
しばらく逡巡したあと、ゆっくりと口を開いた。
「……わるい」
今、ニコの手を離してはいけないのでは、そんな気もする。あんな噂があるくらいだし、今のニコを見ていると真実なのではないかという疑惑も持ち上がってくる。しかしそれでも今日一日ニコと一緒にいて、この気持ちを抑えながら傍にいるなど耐えられないと思った。
「……そっか」
小さく呟いたきり、ニコは黙っている。居心地の悪い沈黙が、俺たちのあいだを支配した。今ならまだ、撤回できる。これからは一緒にいてやる、だから安心していい――。
「じゃあ、仕方ないよね」
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