恋という音は君の名前に似ている

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

文字の大きさ
10 / 18
第四章 離

4-3

しおりを挟む
 宿舎に帰る気にもなれず、昼間から開いているビアホールの前で降ろしてもらう。隅の席で鬱々とした気分を追い払おうと、ひたすらジョッキを重ねた。しかしつい、どうするのが最善だったのか考えてしまう。
「あー……」
 唐突に浮かんできた考えを、頭を振って慌てて追い出した。これは絶対に実行してはいけない。成功の可能性は低いし、そもそも手伝ってくれる人間がいるとは思えなかった。それに成功したところで誰も幸せにならない。国を巻き込んで地獄への道まっしぐらだ。
「飲み過ぎだな」
 などと自嘲しつつ、今の考えを忘れようとさらにビールを呷る。しかしそれは頭にこびりついて離れなかった。
「ウォルター中佐?」
 随分時間が経ち、俺としては珍しく半ば潰れかけていた頃、ひとりの将校が俺の前に立った。
「誰だ?」
「私です、イェルナーです」
 いいともなんとも言っていないのに、彼は勝手に俺の前の椅子に座ってきた。彼のことは知っている、俺の三つ下でかつて参謀本部で一緒に勤務していた。成績優秀で軍学校を首席で卒業、俺も首席卒業だったので参謀本部には優秀な人材が集まって羨ましい、などと言われていたものだ。
「おひさしぶりです、お元気でしたか」
「あ、ああ」
 後輩に無様な姿は見せられなくて、崩れていた体勢をどうにか立て直す。
「ルミアの英雄と呼ばれる中佐にお会いできて光栄です」
「よせよ。あれは俺の功績じゃない」
 彼の褒め言葉に居心地の悪さを感じジョッキを口に運んだが、空だった。イェルナーが注文するのと一緒に俺の分も頼む。
「そうやって謙遜するところ、相変わらずですね」
 彼はくすくすとおかしそうに笑っているが、これは謙遜などではない。英雄なのはこんな無理な作戦にもかかわらず、勇猛果敢に攻めた兵士たちだ。しかしそんな説明をするのも面倒臭くて、黙っておいた。
 まもなくイェルナーと俺の分のビールが届く。
「中佐の、昇進に」
「ああ、ありがとう」
 彼がジョッキを上げるので、仕方なく俺も上げる。イェルナーはごくごくと一気に飲み干し、新しいビールを頼んだ。
「南方司令部はどうですか」
「忙しいに決まってるだろ」
 カリーブルストをつまみに彼はビールを飲んでいる。俺もこのままビールだけを消費していても悪酔いするだけだとウィンナーを追加した。
「南方の女性は日に焼けた小麦色の肌に黒髪で、北部の色白な女性とは違った美しさがあると聞いたんですが、本当ですか?」
「知るか」
 興味津々に聞いてきた彼を一蹴する。
「えー、中佐は気になったりしないんですか」
 イェルナーはおかしそうに笑っているが、だいたい俺とこんな話をしようというのが間違っている。
「南部美人、私にも紹介してくださいよ」
「俺に女性が紹介できると思っているのか」
「そうでした。機械人形のウォルター少佐ですもんね。あ、失礼。中佐でした」
 彼はなおも笑っているが、なにがそんなにおかしいのだろう。そもそも、どうして俺と飲みたがる? 笑わない、冗談も言わない俺と飲んでも酒が不味くなるだけだとニコ以外は敬遠するのに。
 その後もイェルナーは俺にかまわず世間話を続けた。最初は律儀に返事をしていたが、途中からは面倒臭くなって相槌すら打たなくなった。なのに彼はひとりで話し続ける。
「そういえばたばこ税がまた上がって、一箱七フェーンだそうですよ。終戦直後ならいざ知らず、あの頃の二倍以上ですよ。信じられますか? 政府はいったい、なにを考えているんだか」
 じっと俺を見るイェルナーからは、先程までの軽さはなくなっていた。その瞳はまるで俺を試すようだ。
「……ねえ。ウォルター中佐。あなたの幼馴染みはいったい、なにを考えているんでしょうね」
「……知るか」
 どくん、どくん、と心臓が大きく脈打つ。これから先の話を聞いてはいけない。今すぐここを立ち去るべきだ。頭ではわかっているが、身体が動かない。からからになった喉に生ぬるくなったビールを流し込む。しかしそれはなぜか、ウィスキーのように俺の喉を焼いた。
「幼馴染みの間違いは、あなたが正すべきじゃないですか」
 イェルナーはなにが言いたいのだろう。いや、俺はすでにわかっている。俺だってニコをこの手に取り戻すには、それしかないのではないかと考えた。しかしそれは絶対に考えてすらいけないことなのだ。
「我々と一緒に、……いや。ウォルター中佐がスティングナー大統領を正しませんか」
 怖いくらい真剣なイェルナーの瞳を、ただ見ていた。

 次の日、大佐昇進の辞令を受け取り、南方司令部への帰途に就く。
「その。……ご友人とのご面会はどうでしたか」
 おそるおそる副官が尋ねてくる。俺とニコが幼馴染みなのは周知されていたし、彼としては噂の真相が気になるのだろう。なにしろ、国の今後を左右する事項なのだ。
「ああ。元気にしていたよ」
「そう、ですか」
 俺の答えを聞いて副官は少しだけほっとしたような顔をした。
「ああ、元気だったとも」
 そうだ、ニコは好き好んでセドリードとの関係に溺れているわけではない。たまたま苦痛から逃げ込むのに、彼がそこにいただけだ。なら、俺が救ってやればいい。大統領の軛から解き放ち、今度こそ俺がずっと傍にいてやればいいのだ。そうすればきっとニコは正気を取り戻す。……いや。正気など取り戻さなくてもいい。思いっきり俺に甘やかされ、あの蕩けた顔を俺だけに向けるようになればいい。なんでこんな簡単なこと、思いつかなかったのだろう。
「大佐……?」
 恐ろしいものでも見るかのように副官が俺の顔をうかがう。知らず知らず唇が緩んでいたようだ。
「いや、なんでもない」
 顔を引き締め、窓枠に頬杖をついて流れていく風景を見る。待ってろよ、ニコ。俺が絶対に、その地獄から救ってやる。俺はイェルナーの話に――クーデターを、起こす
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

嘘をついたのは……

hamapito
BL
――これから俺は、人生最大の嘘をつく。 幼馴染の浩輔に彼女ができたと知り、ショックを受ける悠太。 それでも想いを隠したまま、幼馴染として接する。 そんな悠太に浩輔はある「お願い」を言ってきて……。 誰がどんな嘘をついているのか。 嘘の先にあるものとはーー?

王様の恋

うりぼう
BL
「惚れ薬は手に入るか?」 突然王に言われた一言。 王は惚れ薬を使ってでも手に入れたい人間がいるらしい。 ずっと王を見つめてきた幼馴染の側近と王の話。 ※エセ王国 ※エセファンタジー ※惚れ薬 ※異世界トリップ表現が少しあります

【完結】後悔は再会の果てへ

関鷹親
BL
日々仕事で疲労困憊の松沢月人は、通勤中に倒れてしまう。 その時に助けてくれたのは、自らが縁を切ったはずの青柳晃成だった。 数年ぶりの再会に戸惑いながらも、変わらず接してくれる晃成に強く惹かれてしまう。 小さい頃から育ててきた独占欲は、縁を切ったくらいではなくなりはしない。 そうして再び始まった交流の中で、二人は一つの答えに辿り着く。 末っ子気質の甘ん坊大型犬×しっかり者の男前

【完結】I adore you

ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。 そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。 ※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由

スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの少年二人は、15歳になり神の祝福でスキルを得た事で道をたがえる。彼らはやがて青年となり、片方は魔王討伐に旅立つ勇者として華々しい活躍をし、もう片方はただ彼の帰還を待つ相変わらずスラム暮らしの存在となる。 これは何も持たない青年がただ勇者の帰りを待つ日常を描いた作品です。 無自覚両片想いの勇者×親友。 読了後、もう一度だけ読み直して頂けると何か見える世界が変わるかもしれません。

だって、君は210日のポラリス

大庭和香
BL
モテ属性過多男 × モブ要素しかない俺 モテ属性過多の理央は、地味で凡庸な俺を平然と「恋人」と呼ぶ。大学の履修登録も丸かぶりで、いつも一緒。 一方、平凡な小市民の俺は、旅行先で両親が事故死したという連絡を受け、 突然人生の岐路に立たされた。 ――立春から210日、夏休みの終わる頃。 それでも理央は、変わらず俺のそばにいてくれて―― 📌別サイトで読み切りの形で投稿した作品を、連載形式に切り替えて投稿しています。  エピローグまで公開いたしました。14,000字程度になりました。読み切りの形のときより短くなりました……1000文字ぐらい書き足したのになぁ。

勇者様への片思いを拗らせていた僕は勇者様から溺愛される

八朔バニラ
BL
蓮とリアムは共に孤児院育ちの幼馴染。 蓮とリアムは切磋琢磨しながら成長し、リアムは村の勇者として祭り上げられた。 リアムは勇者として村に入ってくる魔物退治をしていたが、だんだんと疲れが見えてきた。 ある日、蓮は何者かに誘拐されてしまい…… スパダリ勇者×ツンデレ陰陽師(忘却の術熟練者)

処理中です...