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2.柴崎真人
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あの人――柴崎さんは私よりも六つ年上で、上司だった。
「水城」
喫煙室の側を通りかかると、コンコンとガラスを叩く音がする。
書類を抱えたまま振り返ると喫煙室の中で柴崎さんが、スクエアの黒縁眼鏡の奥から笑っていた。
「待ってろ」
頷いて、近くの壁に寄りかかる。
少しして煙草を吸い終わったのか、柴崎さんが喫煙室から出てきた。
「水城はミルクティだっけ」
私の返事なんか待たずに自販機の前に立つと、ちゃりんちゃちんと柴崎さんは小銭を入れていく。
「まあ、元気出せや」
ピッ、柴崎さんがボタンを押すと、すぐにがこんと缶の落ちた音がした。
「そんなこともあるって」
腰を屈めて缶を掴むと、私の方へと歩いてくる。
私の手を取るとぽんとミルクティの缶を乗せた。
「でも……」
課長に怒鳴られたのは私のせいだ。
社外メールでCCに入れるアドレスの順番を間違えた。
営業課長と企画営業課長のどっちが偉いかなんて判断はつかない。
さらには香川さんと香月さんとややこしい。
しかしそれは言い訳でしかないのだ。
「俺はわざわざ課長に怒鳴り込むほどのことじゃねーと思うし、課長も水城に怒鳴るほどのことじゃねーと思うぞ」
くいっ、人差し指で柴崎さんがブリッジを押し上げると、レンズに光が反射してきらりと光った。
そのせいで、どんな顔をしてるのかわからない。
「……ありがとうございます」
ぽんぽん、慰めるように柴崎さんの手が私のあたまにふれる。
つんと痛くなった鼻の奥を誤魔化すように顔をあげた。
「でもミスはミスだ。もっと俺なり課長なり聞けばよかったんだ」
「はい」
厳しくなった柴崎さんの声に背筋が伸びる。
「次からは気をつけろよ」
「はい」
壁から身体を起こすと、柴崎さんは振り返って笑った。
笑い返すと手が伸びてきて、私の髪の毛がぐしゃぐしゃになるほどあたまを撫で回す。
「セクハラですよ」
「そうか?」
私がわざとらしく頬を膨らませて唇を尖らせると、ニシシとおかしそうに柴崎さんは笑った。
「おまえはいつもあぶなっかしーから目が離せいない」
柴崎さんの、眼鏡の奥の目が眩しそうに細くなると、心臓がどきんと跳ねる。
どきどき、どきどき、甘い鼓動を刻み続ける心臓に胸がぎゅーっと苦しくなった。
「さっさとそれ飲んで仕事に戻れ」
ひらひらと手を振ると、柴崎さんは去っていった。
すっかりぬるくなったミルクティの缶をカシュッと開けて口に運ぶ。
「……柴崎さんにはかなわないな」
きっと、私がひとりで泣きに行くのがわかってて声をかけてくれたんだと思う。
おかげで、そんな気分はすっかりなくなっていた。
それにただかばって慰めるんじゃなく、ダメなところはダメだとはっきり注意してくれるところが好きだ。
「もし告白したら、柴崎さんはどうするんだろう」
係長の柴崎さんの部下になってから、少しずつ気持ちは募っていった。
へこんでいればすぐに慰めてくれる。
無茶したら怒られるし、間違いは厳しく叱ってくれる。
毎回そのあと、笑って私のあたまを撫でる柴崎さんに何度も救われてきた。
「告白、しようかな……」
なんとなく、告白すれば柴崎さんも受け入れてくれそうな気がした。
飲み終わったミルクティに壁から離れる。
「もうすぐ、バレンタインだし」
ゴミ箱に缶を捨てると、私の気持ちを後押しするかのように、カコンと気持ちのいい音がした。
バレンタインに告白する、そう決めた私はその日をどきどきしながら待った。
百貨店のバレンタイン戦争に参戦し、揉みくちゃにされながらも自分の思う最高のチョコレートを勝ち取る。
いろいろ悩んで勝負下着だって準備した。
振られたときを考えると盛大に落ち込みそうだったがそれでも、「俺も好きだよ」って言ってくれる柴崎さんを想像して、わくわくが止まらない。
けれど――そんな日は永遠に来なかった。
「水城」
喫煙室の側を通りかかると、コンコンとガラスを叩く音がする。
書類を抱えたまま振り返ると喫煙室の中で柴崎さんが、スクエアの黒縁眼鏡の奥から笑っていた。
「待ってろ」
頷いて、近くの壁に寄りかかる。
少しして煙草を吸い終わったのか、柴崎さんが喫煙室から出てきた。
「水城はミルクティだっけ」
私の返事なんか待たずに自販機の前に立つと、ちゃりんちゃちんと柴崎さんは小銭を入れていく。
「まあ、元気出せや」
ピッ、柴崎さんがボタンを押すと、すぐにがこんと缶の落ちた音がした。
「そんなこともあるって」
腰を屈めて缶を掴むと、私の方へと歩いてくる。
私の手を取るとぽんとミルクティの缶を乗せた。
「でも……」
課長に怒鳴られたのは私のせいだ。
社外メールでCCに入れるアドレスの順番を間違えた。
営業課長と企画営業課長のどっちが偉いかなんて判断はつかない。
さらには香川さんと香月さんとややこしい。
しかしそれは言い訳でしかないのだ。
「俺はわざわざ課長に怒鳴り込むほどのことじゃねーと思うし、課長も水城に怒鳴るほどのことじゃねーと思うぞ」
くいっ、人差し指で柴崎さんがブリッジを押し上げると、レンズに光が反射してきらりと光った。
そのせいで、どんな顔をしてるのかわからない。
「……ありがとうございます」
ぽんぽん、慰めるように柴崎さんの手が私のあたまにふれる。
つんと痛くなった鼻の奥を誤魔化すように顔をあげた。
「でもミスはミスだ。もっと俺なり課長なり聞けばよかったんだ」
「はい」
厳しくなった柴崎さんの声に背筋が伸びる。
「次からは気をつけろよ」
「はい」
壁から身体を起こすと、柴崎さんは振り返って笑った。
笑い返すと手が伸びてきて、私の髪の毛がぐしゃぐしゃになるほどあたまを撫で回す。
「セクハラですよ」
「そうか?」
私がわざとらしく頬を膨らませて唇を尖らせると、ニシシとおかしそうに柴崎さんは笑った。
「おまえはいつもあぶなっかしーから目が離せいない」
柴崎さんの、眼鏡の奥の目が眩しそうに細くなると、心臓がどきんと跳ねる。
どきどき、どきどき、甘い鼓動を刻み続ける心臓に胸がぎゅーっと苦しくなった。
「さっさとそれ飲んで仕事に戻れ」
ひらひらと手を振ると、柴崎さんは去っていった。
すっかりぬるくなったミルクティの缶をカシュッと開けて口に運ぶ。
「……柴崎さんにはかなわないな」
きっと、私がひとりで泣きに行くのがわかってて声をかけてくれたんだと思う。
おかげで、そんな気分はすっかりなくなっていた。
それにただかばって慰めるんじゃなく、ダメなところはダメだとはっきり注意してくれるところが好きだ。
「もし告白したら、柴崎さんはどうするんだろう」
係長の柴崎さんの部下になってから、少しずつ気持ちは募っていった。
へこんでいればすぐに慰めてくれる。
無茶したら怒られるし、間違いは厳しく叱ってくれる。
毎回そのあと、笑って私のあたまを撫でる柴崎さんに何度も救われてきた。
「告白、しようかな……」
なんとなく、告白すれば柴崎さんも受け入れてくれそうな気がした。
飲み終わったミルクティに壁から離れる。
「もうすぐ、バレンタインだし」
ゴミ箱に缶を捨てると、私の気持ちを後押しするかのように、カコンと気持ちのいい音がした。
バレンタインに告白する、そう決めた私はその日をどきどきしながら待った。
百貨店のバレンタイン戦争に参戦し、揉みくちゃにされながらも自分の思う最高のチョコレートを勝ち取る。
いろいろ悩んで勝負下着だって準備した。
振られたときを考えると盛大に落ち込みそうだったがそれでも、「俺も好きだよ」って言ってくれる柴崎さんを想像して、わくわくが止まらない。
けれど――そんな日は永遠に来なかった。
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