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第3話 これは持ってはいけない感情だ

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次に連れてこられたのは、――宝飾店だった。
入ってすぐに天倉社長と同じくらいの年の男性がやってくる。

「天倉様、お待ちしておりました」

「うん、よろしく頼むよ」

そのまま、個室へと案内され、紅茶が出される。
もしかして今のって、支配人とかだったんだろうか。
さすが、セレブは違う。
それにしても宝飾店に一体なんの用が?

「あの……」

「結婚指環、買わなきゃだろ?」

いたずらっぽく彼が、私に向かって片目をつぶってみせる。
結婚したのに指環がなければ怪しまれやすいのはわかる。
でも、天倉社長は……。

「いいんですか
その、天倉社長は深里さんとの結婚……」

さりげなく彼の左手を見て、言葉が途切れた。
そこには昨日まで嵌まっていた深里さんとの結婚指環がない。

「ん
それならここにあるよ」

思わず彼の顔を見上げたら、目のあった彼はシャツの下からチェーンに通った指環を見せてくれた。

「こうやって深里とは常に一緒だからね。
偽装の指環くらいきっと、許してくれるよ」

指環に口付けし、またシャツの下へと彼が大事そうに戻す。
それに、キュンとした。
こんなに奥様を想っているなんて、素敵すぎる……!

「本日はご結婚指環をお求めと聞いておりますが、それでよろしいでしょうか」

少しして先ほどの男性が私たちの前に座った。

「うん、さきほど婚姻届を出してきてね」

証明するかのように天倉社長が私の腰を抱き寄せる。
それに思わず悲鳴が出そうになったが、かろうじて耐えた。

「それはおめでとうございます。
では」

すぐにペアのリング――結婚指環が目の前に並べられる。

「夏音の好きなのを選んでいいよ」

「いいんですか?」

「僕は深里との結婚指環以外、興味がないからね」

人が聞けば酷い言葉だが、私は尊い純愛に興奮していた。

深里さんとの愛を守るための偽装妻である私が高級な結婚指環などおこがましく、並べられた中で一番シンプルなものを選んだ。

「それでいいのかい?」

「はい、これで」

天倉社長は意外そうだが、私は偽物として慎ましやかでいいのだ。

今日は作るのもあれだし夕食を食べて帰ろうという話になったが、まだ時間が早いので天倉社長は前言どおりディーラーに寄った。

「夏音はどんな車がいい?」

「えっと……」

笑顔で聞かれ、困ってしまう。
私としては国産軽自動車でいいと思っていた。
それが問答無用で、高級外車ディーラーに連れていかれると誰が思う?

「……軽自動車でいいです」

私が言った途端、社長がぷっと噴き出し、なにが起こっているのかわからない。

「そこも、深里と同じこと言うんだ?」

「えっと……」

ツボにでも嵌まったのか、天倉社長は笑い転げていて途方に暮れた。

「ごめん、ごめん」

ようやく笑い終わり、彼が笑いすぎて出た涙を、眼鏡を上げて指の背で拭う。

「なんか、深里とこうやって話したのを想い出すよ」

眼鏡の奥で目を伏せた社長は淋しそうで、私の胸まで切なく締まる。

「でも、軽自動車はダメだよ。
深里にも同じこと言ったけど、外装が薄くて事故に遭ったときが心配だからね。
大きな車にしろとはいわないから、できれば外車がいいかな」

「……わかりました」

私の安全を思い言ってくれているなら、反対はできない。
ましてや、スポンサーは彼なのだ。

「でも、サイズは奥様の車と同じくらいのがいいです」

「わかった。
じゃあ……」

社長は店員に言い、コンパクトカーサイズの車を案内してもらった。

その日で車は決まらず、夕食を食べて帰る。

「それにしても夏音は本当に、深里と同じことを言うね」

帰りの車の中、おかしそうにくつくつと天倉社長が笑う。

「えっ、と……」

奥様のことを想い出させてつらい思いをさせているんじゃないかと申し訳なくなったが、彼は楽しそうだ。

「こんなに深里と一緒にいるような気分になれたのは、ひさしぶりだよ。
ありがとう」

「あ、いえ
別に私は!」

さらにお礼まで言われ、慌ててしまう。

「偽装結婚だけど、妻に夏音を選んでよかったって思ってる」

ふっと笑みが消え、真剣なまなざしで彼は前を見て運転している。

「夏音は僕が深里の話をしても嫌がったり、止めたりしない。
それに考え方も深里に似ていて、素敵な女性だ。
まあ、僕の深里はセクハラ上司に怒って、胸ぐら掴んで啖呵を切ったりしないけどね」

思い出しているのか、社長がくすっと小さく笑い、頬が熱くなった。

「……その話は黒歴史として葬り去りたいので、忘れていただくとありがたいです」

あれは自分でも、今となってはやり過ぎだったなという自覚がある。
いや、だからといって今からあそこに戻っても、やはり同じ行動を取るだろうけれど。

「どうしてだい?
僕に深里がいなければ惚れるくらい格好いいのに。
ああ、その場に僕がいなかったのが残念だ」

本当に残念そうに彼がため息をつく。
それが酷く嬉しかった。
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