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村の朝市
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三人で並んで眠れるベッドはゼリンダの家になかったので、カイが魔法でゼリンダの部屋のベッドを大きくした。部屋のほとんどがベッドで埋まる。応急処置なので魔法の効果が切れれば元に戻る。
カイとシエルに挟まれて横になると、ゼリンダはとても贅沢な気分がした。今日出会ったばかりとは思えない馴染みっぷりもふしぎだ。自宅にひとりぼっちではない夜に嬉しさもあった。
「明日は朝市のある日なので、ご飯の調達に行きませんか?」
「朝市か。良いね」
シエルからの同意にゼリンダはにこにこする。
「だけどゼリンダさんは身体、辛くない?」
大きな手にふわりと頬を撫でられて、ゼリンダはどきどきした。こんな美男子が優しく気遣ってくれるのは物語の中だけだと思っていたが、シエルは自然にやってのける。心臓に悪い。
「夕方は問題なかったので、眠れば明日の朝も大丈夫だと思います」
下腹部がじんじんしているが、一緒に出かけたい気持ちがあった。明日には治っているだろうと自分の回復力を信じる。
「無理はしないでね」
「はい。ありがとうございます」
照れながらシエルに微笑む。ゼリンダは先ほどから無言のカイの様子が気になった。
「カイさんは」
「敬語はいらないって言っただろ。後でペナルティな」
「え、あれ、まだ続いて……」
「当然」
目を丸くしたゼリンダの唇に、ニヤリと笑ったカイがキスをする。
「今でも良いけど」
「あ、明日で……」
「わかった」
ゼリンダは頬が熱いが、小さく咳払いをして話題を変える。カイはカイで心臓に悪い。
「カイは何か食べたいものある?」
「ゼリンダの好きなもの」
カイの返答にゼリンダはキュンとした。シエルとはまた違ったときめきを感じてしまう。
「わかった。いっぱいあるよ。朝起きたら三人で行こうね」
シエル、カイ、それぞれの手を握って、ゼリンダは幸せな気持ちで眠りについた。身体中を温かなものが巡っているのを感じられた。
翌朝は快晴だった。絶好のお出かけ日和だ。
ゼリンダが目覚めたとき、すでにカイとシエルはベッドにいなかった。あわてて着替えてリビングへ行くと、すでにカイとシエルは起きて身支度もできていた。
「ゼリンダさん、おはよう」
シエルが爽やかに挨拶をしてくれる。カイはソファーで昨日も読んでいた書物を読み耽っていた。かなり集中しているのか、ピクリとも動かない。呼吸をしているのか心配になるほどだ。
「おはようございます。ふたりとも早いですね」
「習慣、かな?」
シエルは曖昧に微笑む。カイは聞こえていないようで返答がない。
「朝市へ出かけますか?」
「そうだね」
本の虫にどう伝えれば良いだろうかとゼリンダは悩んだが、ぱたんと本を閉じたカイが顔を上げる。
「おはよう」
「おはよう……」
カイの言動はいつも予測不能だ。猫のようにのんきな欠伸をするカイをゼリンダはどきどきしながら見つめる。
「腹減った」
「朝市で何か食べるから、我慢しろ」
「じゃあ、行きましょうか」
ゼリンダの案内で三人はツキフジ村の朝市へ出かけた。朝市はシエルの予想よりずっとにぎわっていた。行列のできている露店もある。
「ゼリンダさんのおすすめは?」
すれ違う女性たちが老若問わずシエルに見惚れていた。しかしシエルの目にはゼリンダしか映っていなかった。
「小さい頃からずっと大好きなパン屋さんです」
ゼリンダの無邪気な微笑みにシエルも自然に笑顔になる。この感覚に癒されていた。
カイは魔導の足しになるおもしろいものはないかと周囲を見回す。ふと、こちらを睨みつける若い女性がいることに気づいた。シエルもカイと同時に気配に気づいてそちらを見やる。
「あれ、知り合い?」
天才魔導師の問いかけにゼリンダは目を泳がせた。
「一応知り合いって程度で、理由はわからないけど嫌われてるというか、一方的に目の敵にされてるというか……」
「ゼリンダ、なんかしたの?」
「一応知り合いって程度だもん。なんにもしてない! なんにもしてないのに、いきなりいちゃもんつけられたの!」
「なら放置」
詳しい事情は何も聞かずに対応を決めたカイの決断力にゼリンダはおかしくなって吹き出してしまう。
「カイのそういうところ、好きかも」
「どーも」
カイはニヤリと笑って応えた。三人は知らんぷりを決め込んで、朝市を楽しもうと進んでいく。
ゼリンダを睨んでいたマリアンヌは穏やかではなかった。
「どうしてあの子がシエル様といるのよ!?」
マリアンヌは下級貴族で役人の父親の都合で半年前に王都からフジツキ村へやってきたので、カイとシエルのことを知っていた。昨日、彼らがこの村に突如現れ、魔物を倒した話も聞いていた。こんな機会は二度と来ないと思った。これを逃す手はないと、カイとシエルの居所を探ったが見つけられなかった。もしかすると朝市で偶然出会えるかもしれないと、わざわざ早起きをしておめかしまでして出てきたというのに。
若くて有能で容姿端麗なカイとシエルは王都の若い女性たちには有名人だった。カイはローズブレイド家という大貴族の末っ子の上、変わり者なので話しかけるきっかけ作りも難しい。しかしシエルは家柄が飛び抜けて高くなく、人当たりがとても良いので王都のハイエナ女子たちは彼をロックオンしていた。マリアンヌもそのひとりだ。うわさを聞きつける度にいろいろ画策したものの、何の接点も作れぬままフジツキ村で生活することになってしまった。
フジツキ村へ来てすぐに、村の若い男たちはマリアンヌの王都で洗練された華やかな美貌に鼻の下を伸ばしてちやほやしてくれた。娯楽の少ない田舎でマリアンヌは男たちを手玉に取って遊ぶことを楽しんでいた。父のツキフジ村での任期が終わればまた王都へ戻れる。それまでここで女王として振る舞って楽しく過ごそうと考えていた。
だが気に食わないことがいくつかあった。ひとつは村長の息子、アレクだ。シエルやカイのような王都の洗練されたイケメンには劣るが、この村では一番の美男子だと目をつけた。だがマリアンヌのどんな色仕掛けにもちっとも乗ってこない。好きな人がいるのかとマリアンヌが直球で尋ねると、赤い顔をしてうなずいた。
どこの誰が相手なのか知りたいと思い周囲の男たちに探りを入れた。アレクはゼリンダという身寄りのない娘を妹のようにかわいがっているという話が出てきた。いつまでも上達しない白魔法を教えて、面倒をみているらしい。冴えない村娘は都会のお嬢様が弁えるように一喝すれば身を引くだろうと思い、マリアンヌは何の接点もないゼリンダに会いに行った。
ゼリンダがマリアンヌの予想に反して、それなりの美女だったことが気に食わないことのふたつめ。マリアンヌが何度忠告しても言う事をゼリンダが全く聞き入れず、村長の家に出入りしていることがみっつめ。その気はないのに粉をかけた男の何人かがしつこく迫ってくるようになったことがよっつめ。そして今、この村でいつつめの気に食わないことが生まれた。
カイとシエルに挟まれてのほほんと笑っているゼリンダの横顔が、マリアンヌの癇に障った。お嬢様は鬼の形相で人波をかき分けて三人のところへ足早に向かう。
「ゼリンダさん、あなた、カイ様とシエル様に同行しているなんて、身の程知らずにも限度がありましてよ?」
マリアンヌがゼリンダの腕を掴もうとしたところにシエルが割って入った。
「ゼリンダさんに何か?」
いつもの柔らかさのない、冷たい声での問いかけにマリアンヌは怯む。
「シエル様には関係ございません。ゼリンダさんが、あまりに身分を弁えていらっしゃらないので教えて差し上げようと思いましたの」
一方的に知られていることにシエルはマリアンヌを警戒した。シエルはマリアンヌのことなど全く知らない。彼女の言葉遣いや身なりから王都から派遣されてきた役人の子女だと推測する。
「あんたには関係ない」
カイの突き放すような言葉にマリアンヌはカッとなった。
「その子は村長のご子息と恋仲ですのよ!?」
「え? 村長さんの息子さんは今、結婚式の準備で隣町の婚約者さんに会いに行ってるって聞いたけど……」
「私もそううかがっています」
シエルの情報にゼリンダはうなずく。シエルもカイもゼリンダも村長夫妻からそう聞いていた。
マリアンヌは呆然となった。思い込みで突っ走り、正確な関係を裏取りしていなかった。恥をかかされたと逆上する。
「あなたのせいで……!」
右手を大きく振りかぶったマリアンヌがゼリンダにつかみかかろうとした。シエルはゼリンダを全身で庇う。
「動くな」
カイの短い言葉でマリアンヌはピタリと動きが止まった。マリアンヌは抗おうとするが、カイの魔法には勝てなかった。
周囲の人間たちも騒ぎに気づき始め、チラチラとマリアンヌを見ては過ぎ去っていく。マリアンヌには屈辱だった。
「おー、すごい。さすが天才魔導師」
彫刻のように恐ろしく整った顔に張り付けたような笑顔を浮かべた、背の高い銀髪の青年がカイの魔法へ拍手を送りながら急に声をかけてきた。からっと明るい声はよく響く。すれ違う女性は皆、彼のご尊顔に視線が吸い寄せられていた。
ここにいる男性三人のあまりの顔面偏差値の高さにゼリンダは戸惑う。
「別にすごくない」
素っ気ないカイに対して、青年が表情を崩すことはなかった。それどころか、口角がいっそう上向く。
「魔力のない一般人を傷つけずに瞬時に拘束するための手段で、言霊を迷わず選べる能力を持ってる魔法使いなんてこの世界で一握りでしょ」
カイに話しかける青年は笑顔だが、笑っていないようにゼリンダには思えた。そして彼の中を強大で強力な魔力が巡っているのを感じ取る。不安になったゼリンダはシエルの影に隠れて、彼の服の裾をぎゅっと握った。
「あんたもやりたいなら会得すれば良い」
「みんなカイくんみたいにやればできるわけじゃないのよ。ね、シエルくん?」
「ウォルフガングさんなら可能だと思いますよ」
愛想笑いのシエルの返答から、知り合いだったのかとゼリンダは驚く。カイの様子から初対面だと思い込んでいた。しかし仲良しではなさそうだ。
「カイくんほど勉強熱心じゃないからなー」
世間知らずのゼリンダは気づいていないが、マリアンヌはウォルフガングを見て驚いていた。彼は現在この国で一番強いと言われている魔法剣士だ。カイやシエルと同じく、主に国から依頼された魔物退治を請け負って生計を立てている。今朝のフジツキ村はどうなっているのかと混乱する。
「お嬢さん、事情は知らないけど、爽やかな朝に往来のド真ん中で他人を叩こうとするのは辞めておいた方がいいよ」
「はい……」
マリアンヌの目は、ずっと張り付いたような笑みを崩さないウォルフガングを映してハートマークになっていた。その隙にカイとシエルとゼリンダは手をつないで人混みに紛れる。
「逃げられたか」
ウォルフガングはもっと彼らと話したかった。仕方がないのでマリアンヌに向き直る。カイの魔法は解かれてマリアンヌの身体に自由が戻っていた。
「お嬢さん、あのふたりと一緒にいた女の子のこと、知ってる?」
「はい……♡」
マリアンヌはすっかりウォルフガングに夢中になって、カイとシエルはどうでも良くなった。
カイとシエルに挟まれて横になると、ゼリンダはとても贅沢な気分がした。今日出会ったばかりとは思えない馴染みっぷりもふしぎだ。自宅にひとりぼっちではない夜に嬉しさもあった。
「明日は朝市のある日なので、ご飯の調達に行きませんか?」
「朝市か。良いね」
シエルからの同意にゼリンダはにこにこする。
「だけどゼリンダさんは身体、辛くない?」
大きな手にふわりと頬を撫でられて、ゼリンダはどきどきした。こんな美男子が優しく気遣ってくれるのは物語の中だけだと思っていたが、シエルは自然にやってのける。心臓に悪い。
「夕方は問題なかったので、眠れば明日の朝も大丈夫だと思います」
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「無理はしないでね」
「はい。ありがとうございます」
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「カイさんは」
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「当然」
目を丸くしたゼリンダの唇に、ニヤリと笑ったカイがキスをする。
「今でも良いけど」
「あ、明日で……」
「わかった」
ゼリンダは頬が熱いが、小さく咳払いをして話題を変える。カイはカイで心臓に悪い。
「カイは何か食べたいものある?」
「ゼリンダの好きなもの」
カイの返答にゼリンダはキュンとした。シエルとはまた違ったときめきを感じてしまう。
「わかった。いっぱいあるよ。朝起きたら三人で行こうね」
シエル、カイ、それぞれの手を握って、ゼリンダは幸せな気持ちで眠りについた。身体中を温かなものが巡っているのを感じられた。
翌朝は快晴だった。絶好のお出かけ日和だ。
ゼリンダが目覚めたとき、すでにカイとシエルはベッドにいなかった。あわてて着替えてリビングへ行くと、すでにカイとシエルは起きて身支度もできていた。
「ゼリンダさん、おはよう」
シエルが爽やかに挨拶をしてくれる。カイはソファーで昨日も読んでいた書物を読み耽っていた。かなり集中しているのか、ピクリとも動かない。呼吸をしているのか心配になるほどだ。
「おはようございます。ふたりとも早いですね」
「習慣、かな?」
シエルは曖昧に微笑む。カイは聞こえていないようで返答がない。
「朝市へ出かけますか?」
「そうだね」
本の虫にどう伝えれば良いだろうかとゼリンダは悩んだが、ぱたんと本を閉じたカイが顔を上げる。
「おはよう」
「おはよう……」
カイの言動はいつも予測不能だ。猫のようにのんきな欠伸をするカイをゼリンダはどきどきしながら見つめる。
「腹減った」
「朝市で何か食べるから、我慢しろ」
「じゃあ、行きましょうか」
ゼリンダの案内で三人はツキフジ村の朝市へ出かけた。朝市はシエルの予想よりずっとにぎわっていた。行列のできている露店もある。
「ゼリンダさんのおすすめは?」
すれ違う女性たちが老若問わずシエルに見惚れていた。しかしシエルの目にはゼリンダしか映っていなかった。
「小さい頃からずっと大好きなパン屋さんです」
ゼリンダの無邪気な微笑みにシエルも自然に笑顔になる。この感覚に癒されていた。
カイは魔導の足しになるおもしろいものはないかと周囲を見回す。ふと、こちらを睨みつける若い女性がいることに気づいた。シエルもカイと同時に気配に気づいてそちらを見やる。
「あれ、知り合い?」
天才魔導師の問いかけにゼリンダは目を泳がせた。
「一応知り合いって程度で、理由はわからないけど嫌われてるというか、一方的に目の敵にされてるというか……」
「ゼリンダ、なんかしたの?」
「一応知り合いって程度だもん。なんにもしてない! なんにもしてないのに、いきなりいちゃもんつけられたの!」
「なら放置」
詳しい事情は何も聞かずに対応を決めたカイの決断力にゼリンダはおかしくなって吹き出してしまう。
「カイのそういうところ、好きかも」
「どーも」
カイはニヤリと笑って応えた。三人は知らんぷりを決め込んで、朝市を楽しもうと進んでいく。
ゼリンダを睨んでいたマリアンヌは穏やかではなかった。
「どうしてあの子がシエル様といるのよ!?」
マリアンヌは下級貴族で役人の父親の都合で半年前に王都からフジツキ村へやってきたので、カイとシエルのことを知っていた。昨日、彼らがこの村に突如現れ、魔物を倒した話も聞いていた。こんな機会は二度と来ないと思った。これを逃す手はないと、カイとシエルの居所を探ったが見つけられなかった。もしかすると朝市で偶然出会えるかもしれないと、わざわざ早起きをしておめかしまでして出てきたというのに。
若くて有能で容姿端麗なカイとシエルは王都の若い女性たちには有名人だった。カイはローズブレイド家という大貴族の末っ子の上、変わり者なので話しかけるきっかけ作りも難しい。しかしシエルは家柄が飛び抜けて高くなく、人当たりがとても良いので王都のハイエナ女子たちは彼をロックオンしていた。マリアンヌもそのひとりだ。うわさを聞きつける度にいろいろ画策したものの、何の接点も作れぬままフジツキ村で生活することになってしまった。
フジツキ村へ来てすぐに、村の若い男たちはマリアンヌの王都で洗練された華やかな美貌に鼻の下を伸ばしてちやほやしてくれた。娯楽の少ない田舎でマリアンヌは男たちを手玉に取って遊ぶことを楽しんでいた。父のツキフジ村での任期が終わればまた王都へ戻れる。それまでここで女王として振る舞って楽しく過ごそうと考えていた。
だが気に食わないことがいくつかあった。ひとつは村長の息子、アレクだ。シエルやカイのような王都の洗練されたイケメンには劣るが、この村では一番の美男子だと目をつけた。だがマリアンヌのどんな色仕掛けにもちっとも乗ってこない。好きな人がいるのかとマリアンヌが直球で尋ねると、赤い顔をしてうなずいた。
どこの誰が相手なのか知りたいと思い周囲の男たちに探りを入れた。アレクはゼリンダという身寄りのない娘を妹のようにかわいがっているという話が出てきた。いつまでも上達しない白魔法を教えて、面倒をみているらしい。冴えない村娘は都会のお嬢様が弁えるように一喝すれば身を引くだろうと思い、マリアンヌは何の接点もないゼリンダに会いに行った。
ゼリンダがマリアンヌの予想に反して、それなりの美女だったことが気に食わないことのふたつめ。マリアンヌが何度忠告しても言う事をゼリンダが全く聞き入れず、村長の家に出入りしていることがみっつめ。その気はないのに粉をかけた男の何人かがしつこく迫ってくるようになったことがよっつめ。そして今、この村でいつつめの気に食わないことが生まれた。
カイとシエルに挟まれてのほほんと笑っているゼリンダの横顔が、マリアンヌの癇に障った。お嬢様は鬼の形相で人波をかき分けて三人のところへ足早に向かう。
「ゼリンダさん、あなた、カイ様とシエル様に同行しているなんて、身の程知らずにも限度がありましてよ?」
マリアンヌがゼリンダの腕を掴もうとしたところにシエルが割って入った。
「ゼリンダさんに何か?」
いつもの柔らかさのない、冷たい声での問いかけにマリアンヌは怯む。
「シエル様には関係ございません。ゼリンダさんが、あまりに身分を弁えていらっしゃらないので教えて差し上げようと思いましたの」
一方的に知られていることにシエルはマリアンヌを警戒した。シエルはマリアンヌのことなど全く知らない。彼女の言葉遣いや身なりから王都から派遣されてきた役人の子女だと推測する。
「あんたには関係ない」
カイの突き放すような言葉にマリアンヌはカッとなった。
「その子は村長のご子息と恋仲ですのよ!?」
「え? 村長さんの息子さんは今、結婚式の準備で隣町の婚約者さんに会いに行ってるって聞いたけど……」
「私もそううかがっています」
シエルの情報にゼリンダはうなずく。シエルもカイもゼリンダも村長夫妻からそう聞いていた。
マリアンヌは呆然となった。思い込みで突っ走り、正確な関係を裏取りしていなかった。恥をかかされたと逆上する。
「あなたのせいで……!」
右手を大きく振りかぶったマリアンヌがゼリンダにつかみかかろうとした。シエルはゼリンダを全身で庇う。
「動くな」
カイの短い言葉でマリアンヌはピタリと動きが止まった。マリアンヌは抗おうとするが、カイの魔法には勝てなかった。
周囲の人間たちも騒ぎに気づき始め、チラチラとマリアンヌを見ては過ぎ去っていく。マリアンヌには屈辱だった。
「おー、すごい。さすが天才魔導師」
彫刻のように恐ろしく整った顔に張り付けたような笑顔を浮かべた、背の高い銀髪の青年がカイの魔法へ拍手を送りながら急に声をかけてきた。からっと明るい声はよく響く。すれ違う女性は皆、彼のご尊顔に視線が吸い寄せられていた。
ここにいる男性三人のあまりの顔面偏差値の高さにゼリンダは戸惑う。
「別にすごくない」
素っ気ないカイに対して、青年が表情を崩すことはなかった。それどころか、口角がいっそう上向く。
「魔力のない一般人を傷つけずに瞬時に拘束するための手段で、言霊を迷わず選べる能力を持ってる魔法使いなんてこの世界で一握りでしょ」
カイに話しかける青年は笑顔だが、笑っていないようにゼリンダには思えた。そして彼の中を強大で強力な魔力が巡っているのを感じ取る。不安になったゼリンダはシエルの影に隠れて、彼の服の裾をぎゅっと握った。
「あんたもやりたいなら会得すれば良い」
「みんなカイくんみたいにやればできるわけじゃないのよ。ね、シエルくん?」
「ウォルフガングさんなら可能だと思いますよ」
愛想笑いのシエルの返答から、知り合いだったのかとゼリンダは驚く。カイの様子から初対面だと思い込んでいた。しかし仲良しではなさそうだ。
「カイくんほど勉強熱心じゃないからなー」
世間知らずのゼリンダは気づいていないが、マリアンヌはウォルフガングを見て驚いていた。彼は現在この国で一番強いと言われている魔法剣士だ。カイやシエルと同じく、主に国から依頼された魔物退治を請け負って生計を立てている。今朝のフジツキ村はどうなっているのかと混乱する。
「お嬢さん、事情は知らないけど、爽やかな朝に往来のド真ん中で他人を叩こうとするのは辞めておいた方がいいよ」
「はい……」
マリアンヌの目は、ずっと張り付いたような笑みを崩さないウォルフガングを映してハートマークになっていた。その隙にカイとシエルとゼリンダは手をつないで人混みに紛れる。
「逃げられたか」
ウォルフガングはもっと彼らと話したかった。仕方がないのでマリアンヌに向き直る。カイの魔法は解かれてマリアンヌの身体に自由が戻っていた。
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