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第弐帖・デッサン
壱 許婚・1
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11月半ばになり、紅葉の季節も終わりを迎えてきた。年が明けて春になると、形だけの見合いが行われる。
福井県おおい町に居を構える久遠家は、再来年の春頃に当主の嫁を迎えるため改築工事が行われていた。もともと家屋だけでも百坪の広さを誇る数寄屋造りだ。老朽化が進んだ先々代が使用していた離れを取り壊し、同じ場所に離れを建て直す。そこには先代当主夫妻が住み、母屋には現当主夫妻が住む予定になる。連日、大工たちの声や釘を打つ音が喧しい。
「はあ、冗談じゃないよ」
母屋の縁側で横になり、庭の紅葉を眺めながら、当主の久遠馨は思わず溜息を吐いた。丁字茶色の作務衣を着込んだ、22歳の青年は忌々しげに離れを見やると、もう一度深く息を吐いた。
顔も見たことのない許婚と、結婚しなければいけない。しかも相手はまだ高校生で、卒業したら嫁いでくるという。その前に見合いという名の顔合わせがあるが、普通の見合いと違って互いに拒否権は認められない。青年が溜息を吐くのも無理はない。
「坊ちゃま、奥様がお呼びでございます」
住み込みのお手伝いさんである百原千佐子が、鳶色の小袖の上に真っ白な割烹着を着け、静かに青年の枕頭に座した。七十三歳という年齢の割には腰もスッキリと伸びている。
「何処にいるの?」
「応接間でございます。坊ちゃま、お急ぎになりませんと」
「その坊ちゃまってやめてよ。もう成人したんだよ、僕は」
不服そうに言うが千佐子からすれば赤ん坊の彼を世話していたので、いつまでもそう呼びたくなる。やれやれと立ち上がり、母屋の玄関に近い応接間へと急ぐ。基本的に和室中心のこの家で、唯一の洋間がこの応接間だ。来客は奥座敷に通すが改修工事を行っている現在は、この応接間に通していた。
「千佐子さん、来客なの? だったら着替えてくるよ」
作務衣姿で客――依頼人に会うのは甚だ失礼だろうと、踵を返すが、腕を掴まれてしまった。
「奥様だけですので、どうぞそのままに」
そう、と青年は返事をすると、急ぎドアを開けた。
「遅いですわよ」
黒革のソファに腰掛けた、30代前半の和服美女が睨むように青年を見やった。常磐色の紬を着、艶やかな黒髪を結い上げた彼女からは色香が漂う。
「すみません、母さん」
「薫さんと呼べと言ってるでしょう。何度言ったら判るの、この茶漉し脳みそ息子は」
さっと白い頬を紅色に染めて美女が叫ぶ。
「だって母さんは母さんですよ。見た目が30代前半でも、実年齢は五十半ばなんですから。そこは動かしようのない事実ですからね」
淡々と無表情で告げる息子とは対照的に、母は今にも口から泡を吹いて卒倒しかねないほど、全身を震わせて睨みつけている。
「可愛くない。あぁ可愛くないわ馨さん。子供の頃はあんなに可愛かったのに」
「子供の頃から外見が殆ど変わっていない母親を見ていたら、まともじゃいられなくなりますよ。で? 用件は何ですか母さん」
薫さんと呼びなさいよとぶつぶつ言いながらも母は、息子に座るよう促す。母子が向かい合ったタイミングを見計らったかのように、千佐子が緑茶を持ってきた。彼女が下がると、薫はテーブルの上に置いてあった大判の茶封筒から、釣り書きと写真を取りだした。
「な、なんですか、これは」
「馨さんの許婚である、円城寺佳奈さんの個人情報よ」
許婚と聞いて、馨の肩が動いた。
「待ってください。見合いは来年じゃなかったですか?」
「事情が変わったのよ」
いいから見ろと言わんばかりに差し出され、仕方なく写真を手に取った。
福井県おおい町に居を構える久遠家は、再来年の春頃に当主の嫁を迎えるため改築工事が行われていた。もともと家屋だけでも百坪の広さを誇る数寄屋造りだ。老朽化が進んだ先々代が使用していた離れを取り壊し、同じ場所に離れを建て直す。そこには先代当主夫妻が住み、母屋には現当主夫妻が住む予定になる。連日、大工たちの声や釘を打つ音が喧しい。
「はあ、冗談じゃないよ」
母屋の縁側で横になり、庭の紅葉を眺めながら、当主の久遠馨は思わず溜息を吐いた。丁字茶色の作務衣を着込んだ、22歳の青年は忌々しげに離れを見やると、もう一度深く息を吐いた。
顔も見たことのない許婚と、結婚しなければいけない。しかも相手はまだ高校生で、卒業したら嫁いでくるという。その前に見合いという名の顔合わせがあるが、普通の見合いと違って互いに拒否権は認められない。青年が溜息を吐くのも無理はない。
「坊ちゃま、奥様がお呼びでございます」
住み込みのお手伝いさんである百原千佐子が、鳶色の小袖の上に真っ白な割烹着を着け、静かに青年の枕頭に座した。七十三歳という年齢の割には腰もスッキリと伸びている。
「何処にいるの?」
「応接間でございます。坊ちゃま、お急ぎになりませんと」
「その坊ちゃまってやめてよ。もう成人したんだよ、僕は」
不服そうに言うが千佐子からすれば赤ん坊の彼を世話していたので、いつまでもそう呼びたくなる。やれやれと立ち上がり、母屋の玄関に近い応接間へと急ぐ。基本的に和室中心のこの家で、唯一の洋間がこの応接間だ。来客は奥座敷に通すが改修工事を行っている現在は、この応接間に通していた。
「千佐子さん、来客なの? だったら着替えてくるよ」
作務衣姿で客――依頼人に会うのは甚だ失礼だろうと、踵を返すが、腕を掴まれてしまった。
「奥様だけですので、どうぞそのままに」
そう、と青年は返事をすると、急ぎドアを開けた。
「遅いですわよ」
黒革のソファに腰掛けた、30代前半の和服美女が睨むように青年を見やった。常磐色の紬を着、艶やかな黒髪を結い上げた彼女からは色香が漂う。
「すみません、母さん」
「薫さんと呼べと言ってるでしょう。何度言ったら判るの、この茶漉し脳みそ息子は」
さっと白い頬を紅色に染めて美女が叫ぶ。
「だって母さんは母さんですよ。見た目が30代前半でも、実年齢は五十半ばなんですから。そこは動かしようのない事実ですからね」
淡々と無表情で告げる息子とは対照的に、母は今にも口から泡を吹いて卒倒しかねないほど、全身を震わせて睨みつけている。
「可愛くない。あぁ可愛くないわ馨さん。子供の頃はあんなに可愛かったのに」
「子供の頃から外見が殆ど変わっていない母親を見ていたら、まともじゃいられなくなりますよ。で? 用件は何ですか母さん」
薫さんと呼びなさいよとぶつぶつ言いながらも母は、息子に座るよう促す。母子が向かい合ったタイミングを見計らったかのように、千佐子が緑茶を持ってきた。彼女が下がると、薫はテーブルの上に置いてあった大判の茶封筒から、釣り書きと写真を取りだした。
「な、なんですか、これは」
「馨さんの許婚である、円城寺佳奈さんの個人情報よ」
許婚と聞いて、馨の肩が動いた。
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