1 / 2
ビールを買う
しおりを挟む
よろよろと電車を降り、迷うことなく、しかしおぼつかない足取りで自宅であるマンションへと歩いていくこのサラリーマンは田代という。28歳、独身。彼女歴、なし。目は虚ろ、無気力感にみちた後ろ姿。言うところの、社畜である。
今日も怒鳴る上司を疲れ切った笑顔でいなしながら「転職」の文字を頭に浮かべ、しかし痩せていく同僚と後輩を見捨てられず、鞄の中の退職届を出さずに帰路に向かう始末。
まったく、自分の意志の弱さを恨む。
「・・・たまにはいいだろ・・」
ぽつりとこぼしたあと、田代はマンションまであと数十メートルというところでコンビニへと入っていった。
明日は土曜日だ。ブラック会社に務める以上、ほぼ人権はないと言っていいのだが、田代は土日の休みの日に会社に行ったことはない。どんな嫌がらせをされようと怒鳴られようと唾を吐かれようと、彼にとって2日間の休みは死守するべきものなのだ。
今日は上司のことを忘れて、お気に入りの値上がりしたビールを味わってから、テレビを見ながら寝落ち。昼ごろまで寝てから昼飯を作り、まったりしながら一日を過ごす。最高のプランだ。
迷うことなく酒飲料売り場に進み、ビールとつまみ、納豆、もやし、値引きされたハムをかごに入れる。コンビニの賞味期限間近の商品は、たまにスーパーより安い時があるのだ。駅前のスーパーより10円ほど安いな、と思い出したようにネギも入れて列に並んだ。レジを待っているときにいい匂いがしたものだから、うっかりチキンも買う。
「・・・買いすぎたか?」
Lサイズのビニール袋にはいった食材たちを重く感じながら、まあいいだろうとまた歩き出す。こうなると田代の足取りは軽いのだ。もうすぐ家につく。
しかし、コンビニから出て数分後、男は気づく。マンションへは十字路を曲がればすぐなのに、これっぽっちも見えてこない。
本来あるはずのない柳の木が恐ろしく感じ、田代は背筋が冷えた。人も通らないし、風を切る音がいやに耳にはいって、小心者の田代は震え上がった。
ガサッ、と背後から葉の音がして、田代は思わず振り返った。
目に映ったのは小さなヘビだ。なんでヘビ?と、田代は首をかしげた。真っ白い鱗を持つ蛇だ。目は真っ赤で、なんだか昔の祖母の言葉を思い出した。
「白い蛇は神様のお使いだから、とても縁起がいいのよ。みつけても追いかけ回したり、傷つけてはいけないわ」
祖母は信心深く、祖母思いだった田代はそんな話をよく聞いていたので、自然と恐怖は消えた。
しかし蛇は逃げもせずにじっと田代のことを見つめていた。さすがにこちらに向かってきて噛まれても嫌なので、一歩後退りをした。
「こんばんわ」
「ひッ!?」
背後から聞こえた声に上ずった声を上げて、田代は尻餅をついた。すぐ耳元で聞こえた声にもかかわらず、後ろにぶつかった感触はなく、かわりに、クスクス、と上品な笑い声が聞こえる。
「ここに迷い込むのに、私の声には怖がるなんて、面白い人ねぇ」
ガタガタと震えながら振り返ると、大きな帽子を被った女性が立っていた。顔よりも大きのではないだろうか。そのせいで顔は見えないが、若い声色とは裏腹に、話し方はどこかのんびり、童話に出てくるような老婆を彷彿とさせた。その矛盾に、田代は余計混乱する。
「あ、あんたは、だれ、だ!?」
どうにかして声を出したものの、女は笑うばかりで返答しようとしなかった。すると、後ろから蛇がしゅるりと女の腕へ絡みつき、舌を出した。女も顔を傾けて近づける。まるで会話をしているようだ。
そんなわけあるか。
どうやら話し終わったらしい女は頬に手をあてて、こつ、こつ、とヒールで一歩ずつ進み、田代を見定めるように覗き込んだ。
「私は、魔女」
ようやく見えた顔は、とびきり恐ろしいのだろう、という予想に反して、とびきり美しかった。
今日も怒鳴る上司を疲れ切った笑顔でいなしながら「転職」の文字を頭に浮かべ、しかし痩せていく同僚と後輩を見捨てられず、鞄の中の退職届を出さずに帰路に向かう始末。
まったく、自分の意志の弱さを恨む。
「・・・たまにはいいだろ・・」
ぽつりとこぼしたあと、田代はマンションまであと数十メートルというところでコンビニへと入っていった。
明日は土曜日だ。ブラック会社に務める以上、ほぼ人権はないと言っていいのだが、田代は土日の休みの日に会社に行ったことはない。どんな嫌がらせをされようと怒鳴られようと唾を吐かれようと、彼にとって2日間の休みは死守するべきものなのだ。
今日は上司のことを忘れて、お気に入りの値上がりしたビールを味わってから、テレビを見ながら寝落ち。昼ごろまで寝てから昼飯を作り、まったりしながら一日を過ごす。最高のプランだ。
迷うことなく酒飲料売り場に進み、ビールとつまみ、納豆、もやし、値引きされたハムをかごに入れる。コンビニの賞味期限間近の商品は、たまにスーパーより安い時があるのだ。駅前のスーパーより10円ほど安いな、と思い出したようにネギも入れて列に並んだ。レジを待っているときにいい匂いがしたものだから、うっかりチキンも買う。
「・・・買いすぎたか?」
Lサイズのビニール袋にはいった食材たちを重く感じながら、まあいいだろうとまた歩き出す。こうなると田代の足取りは軽いのだ。もうすぐ家につく。
しかし、コンビニから出て数分後、男は気づく。マンションへは十字路を曲がればすぐなのに、これっぽっちも見えてこない。
本来あるはずのない柳の木が恐ろしく感じ、田代は背筋が冷えた。人も通らないし、風を切る音がいやに耳にはいって、小心者の田代は震え上がった。
ガサッ、と背後から葉の音がして、田代は思わず振り返った。
目に映ったのは小さなヘビだ。なんでヘビ?と、田代は首をかしげた。真っ白い鱗を持つ蛇だ。目は真っ赤で、なんだか昔の祖母の言葉を思い出した。
「白い蛇は神様のお使いだから、とても縁起がいいのよ。みつけても追いかけ回したり、傷つけてはいけないわ」
祖母は信心深く、祖母思いだった田代はそんな話をよく聞いていたので、自然と恐怖は消えた。
しかし蛇は逃げもせずにじっと田代のことを見つめていた。さすがにこちらに向かってきて噛まれても嫌なので、一歩後退りをした。
「こんばんわ」
「ひッ!?」
背後から聞こえた声に上ずった声を上げて、田代は尻餅をついた。すぐ耳元で聞こえた声にもかかわらず、後ろにぶつかった感触はなく、かわりに、クスクス、と上品な笑い声が聞こえる。
「ここに迷い込むのに、私の声には怖がるなんて、面白い人ねぇ」
ガタガタと震えながら振り返ると、大きな帽子を被った女性が立っていた。顔よりも大きのではないだろうか。そのせいで顔は見えないが、若い声色とは裏腹に、話し方はどこかのんびり、童話に出てくるような老婆を彷彿とさせた。その矛盾に、田代は余計混乱する。
「あ、あんたは、だれ、だ!?」
どうにかして声を出したものの、女は笑うばかりで返答しようとしなかった。すると、後ろから蛇がしゅるりと女の腕へ絡みつき、舌を出した。女も顔を傾けて近づける。まるで会話をしているようだ。
そんなわけあるか。
どうやら話し終わったらしい女は頬に手をあてて、こつ、こつ、とヒールで一歩ずつ進み、田代を見定めるように覗き込んだ。
「私は、魔女」
ようやく見えた顔は、とびきり恐ろしいのだろう、という予想に反して、とびきり美しかった。
0
あなたにおすすめの小説
王様の恋
うりぼう
BL
「惚れ薬は手に入るか?」
突然王に言われた一言。
王は惚れ薬を使ってでも手に入れたい人間がいるらしい。
ずっと王を見つめてきた幼馴染の側近と王の話。
※エセ王国
※エセファンタジー
※惚れ薬
※異世界トリップ表現が少しあります
何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか
風
BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。
……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、
気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。
「僕は、あなたを守ると決めたのです」
いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。
けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――?
身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。
“王子”である俺は、彼に恋をした。
だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。
これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、
彼だけを見つめ続けた騎士の、
世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
残念でした。悪役令嬢です【BL】
渡辺 佐倉
BL
転生ものBL
この世界には前世の記憶を持った人間がたまにいる。
主人公の蒼士もその一人だ。
日々愛を囁いてくる男も同じ前世の記憶があるらしい。
だけど……。
同じ記憶があると言っても蒼士の前世は悪役令嬢だった。
エブリスタにも同じ内容で掲載中です。
【8話完結】僕の大切な人はBLゲームの主人公でした。〜モブは主人公の幸せのためなら、この恋も諦められます〜
キノア9g
BL
転生先は、まさかのBLゲームの世界。
モブであるリセルは、恋を自覚した瞬間、幼馴染・セスがこの世界の“主人公”だと気づいてしまう。
このまま一緒にいても、いつか彼は攻略対象に惹かれていく運命——それでも、今だけは傍にいたい。
「諦める覚悟をしたのに、どうしてこんなにも君が愛おしいんだろう」
恋の終わりを知っているモブと、想いを自覚していく主人公。
甘さと切なさが胸を締めつける、すれ違いから始まる運命の物語。
全8話。
楽な片恋
藍川 東
BL
蓮見早良(はすみ さわら)は恋をしていた。
ひとつ下の幼馴染、片桐優一朗(かたぎり ゆういちろう)に。
それは一方的で、実ることを望んでいないがゆえに、『楽な片恋』のはずだった……
早良と優一朗は、母親同士が親友ということもあり、幼馴染として育った。
ひとつ年上ということは、高校生までならばアドバンテージになる。
平々凡々な自分でも、年上の幼馴染、ということですべてに優秀な優一朗に対して兄貴ぶった優しさで接することができる。
高校三年生になった早良は、今年が最後になる『年上の幼馴染』としての立ち位置をかみしめて、その後は手の届かない存在になるであろう優一朗を、遠くから片恋していくつもりだった。
優一朗のひとことさえなければ…………
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる