冒険者の受難

清水薬子

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女冒険者サナ

仕事完了

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『研究は成功の兆しを見せた。この秘薬を摂取すればモルズ神の眷属として強靭な身体を手に入れることができる。次、目覚めた時は殺戮の宴が開かれるだろう。ーーフェドラー

メモ:秘薬の名前を考えておくこと。最有力候補はトランスαだが、イマイチな気がする』

 日誌の横には空になった瓶が置かれていた。
 本文の後に書かれた『フェドラー』は秘薬(推定トランスα)を摂取したようだが、その後日誌が更新された様子はない。

「フェドラー、たしかルクセンハナ伯爵家の当主にそんな名前がいたな」
「ルクセンハナ伯爵……当主が失踪して今は養子が引き継いでますよね?」

 貴族社会に明るいわけではないが、ルクセンハナ伯爵に関しては覚えている。
 当主失踪に養子が関わっているじゃないかと噂され、王宮からも家督簒奪を疑われたらしい。
 結局、証拠が見つからなかったもののルクセンハナ伯爵にまつわる黒い噂は絶えない。

「たまたま同じ名前だった可能性もあるが、あの印章を見る限り同一人物の可能性が高いな」

 好奇心が刺激されるほどゴシップ好きでもないので他に何かないかと部屋を見回す。
 個人的に例の『秘薬』の材料を知りたいところだ。
 どうせ碌でもないものに違いない。

 机の引き出しを物色し、一枚の折り畳まれた紙を見つける。
 しわを伸ばして見れば『調合レシピ』と書かれたものだった。
 その紙によれば、馬の糞を食した人糞をじっくり弱火で炒め、敬虔な信徒の血液を適量入れたものを注射器に入れるらしい。
 秘薬の結果はあの部屋の死体が全て物語っている。

 常軌を逸したそれをそっと見なかったことにして引き出しに戻す。
 カインの様子を伺えば、水晶に部屋の様子を記録させていた。

「露払いは済ませたし、これ以上俺たちで引っ掻き回すよりも専門家に任せたい。それで、報酬の件だが……」

 カインが胸元のポケットを弄ってギルドとの契約書を取り出す。
 金額の部分に訂正線を引くと当初の報酬よりも高い金額が書き込まれた。

「依頼した分の仕事を加味してこの金額を基本金として支払う。この部屋にあるものは一旦教会で預かりたいんだが……」
「冒険者ギルドには私から説明しておきます。一介の冒険者には手に余るものしかありませんからね」
「ああ、助かる」

 遺跡調査などで発見した財宝は通常、最初に発見した冒険者に所有権が発生する。
 金貨などであれば分配するのだが、まれに歴史的価値があるものや人目に触れるとまずいものがある。
 ニッチなコレクターに売りつけようとする冒険者と秘匿したい権力者の仁義なき戦いが始まるわけで……

「追加報酬は教会からギルドに通告するだろう。期間は……あの堅物どもなら一週間ほどか」

 うまく立ち回ることも冒険者には必要なのだ。
 過去に教会と諍いを起こし、引き際を間違えた冒険者の末路はそれはもう悲惨だった。
 わざわざ追加報酬を支払ってくれるのだ、ありがたく受け取っておこう。

「それじゃあ街に戻りますか」
「そうだな。……念のために扉を封じておくか」

 ツタの壁のカラクリを起動し、鉄の扉を閉めたカインはさらに呪文を唱えて本棚を扉の前に移動させた。
 禁書とかもあるのなら警戒するのも分かる。

 歩いてきた通路を引き返しているなか、聞き慣れない音が聞こえた。
 立ち止まって息を殺して聞き耳を立てれば複数の話し声が聞こえてきた。
 軽くジェスチャーで静かにするように促せば、彼は魔法で周囲を照らしていた光球を弱める。
 幸いにも彼らはまだ曲がり角の向こう側にいるようだが、ぐずぐずしていれば見つかるのも時間の問題だ。

「おい、マジで扉はどうにかなったのか!」
「声がでかいぞ、バレるだろうが」
「俺も外で待機したかったなあ……」

 侵入者が角を曲がる前に咄嗟に近くにあった部屋に入る。
 彼らの目的はまだ分からないので、部屋に逃げ込むのは一か八かの賭けだ。
 物色なら十中八九、この部屋に入るだろう。
 最深部が目的ならこの部屋をスルーしてくれるかもしれない。

「そろそろ口を閉じろ。ここに入っていった奴に気づかれるぞ」

 リーダーらしき男がそう告げると彼らは部屋の前を通過して奥へと進んでいった。
 ガチャガチャと武器がぶつかる音が通路を反響し、暗闇へと吸い込まれていく。
 足音が聞こえなくなったのを確認して、カインの方へ振り返った。

「どうします? あの様子ですと外にも見張りがいるかもしれません」
「塞ぎはしたが魔法使いがいないとも限らない。急いで動かした方がいいな。一度街に戻るか……」

 彼が荷物を背負い直すと私の手を取る。
 私の手の甲に額を当てると小声で呪文を呟いた。
 フッと体が宙に浮く感覚に襲われ、とんと足の裏に地面が触れる。
 前回と違い、ベッドの上ではなく寝室の扉の前に転移したようだ。

「さすがに連日二人分は魔力がきついな」

 カインは魔力不足によって覚束ない足取りで机の引き出しを開けて魔草を取り出して口に含んだ。
 さらに魔力の回復を促す効果を持つポーションを飲み干す。

「大丈夫ですか?」
「ああ、ちょっと慣れないことをしただけだ。それよりも共に教会に来てくれないか? 俺より冒険者の意見があればあいつらも早く動くと思うんだが……」

 どのみち神殿の内部について尋ねられる。
 それなら今のうちにこちらから神殿へ赴いて地図を渡すなり情報を共有するなり手早く済ませた方がいい。
 荷物を背負い直して彼の後をついて神殿へと向かった。


◇◆◇◆


 教会に赴き、求められるままに神殿の罠の位置や大まかな見取り図を教えた。
 さすがに入れ替わり立ち替わり別の人に一から説明するように言われた時は堪忍袋の緒が切れそうになったが寸前で堪えた。
 私が怒ったところで依頼人カインの立場が悪くなるばかりだからだ。
 ようやく解放された頃には日が暮れて星が空に浮かんでいた。

「風の神アテンタ=フィラウティア様に誓って、これほど時間をかける理由はないと思います」

 教会の扉をくぐって肩肘張っていた体の力を抜く。
 石造りの建物だからなのか、それとも教義が禁欲に目的を置いているからなのかは定かではないが、どうも空気が肌に合わない。
 格式やら伝統を重んじるのは結構だが、第三者からすれば手間が増えるばかりだ。

「……すまなかった。この埋め合わせは必ずする」

 彼自身もここまで時間がかかると思っていなかったのだろう。
 眉を下げるまではいかなかったが宿屋まで送り届けると申し出てきたほどだ。
 一度は断ったものの、しつこく食い下がられたので諦めて受け入れることにしたのだ。

「まあまあ。カインさん、昇進が決まって良かったじゃないですか。これからもご贔屓にお願いしますよ」
「え!? あ、ああ。神殿の近くに魔物が住み着いているらしいからな……退治を願うときもあるかもしれないな」

 ついうっかりいつもの癖でゴマをすってしまった。
 昨日のことを忘れたわけではないが、染み付いた性分というものはなかなか消えてくれない。
 面食らいつつも彼は丁寧に社交辞令を返してくれた。

 今回の件で彼は司教から司祭に昇進が決定したらしく、彼はその連絡を真顔で聞いていた。
 彼自身も神殿の調査が功を奏するとは思っていたかったようで複雑な心境だと言っていた。

 途中にある冒険者ギルドに立ち寄って依頼完了を報告して報酬を受け取ると、そのまま宿屋に帰っても夕食が出ない時間帯になってしまった。

「そういえばカインさんも夕食まだでしたよね。お口に合うか分かりませんが、良ければ一緒にどうです?」
「店はこちらが決めても?」
「貴族御用達じゃなければ問題ないですよ」

 一人で食べるのも味気ないし、折角なので夕食に誘えば彼のおすすめだという店に寄ることになった。
 そういえば何度か彼の依頼で仕事をこなすことはあったが、食事などの個人的な付き合いに誘ったのは初めてだ。

 彼の後に続いて店の中に入れば、酒場兼食事処として繁忙している証拠に給仕係があちらこちらを行ったり来たりしていた。
 テーブルの上は注文が行き交い、酔っぱらった客が隅で酒瓶を抱えて眠っている。
 いつも行く店ではないので、隣の客が食べていたピラフを注文する。
 カインは肉料理の二人前とビールを注文していた。

「お前は随分と少食なんだな」

 教会の信徒は節制が美徳と聞いていたが、食事は別なのだろうか。
 私がピラフの半分を食べ終わる頃には彼は二人分をほとんど平らげていた。
 朝のパン一斤に加え、彼はそこなしの胃袋を持っているに違いない。
 彼はとっくにビールをグビグビと飲み干し、暇を持て余してテーブルに頬杖をついていた。

「カインさんこそよく二人前が入りますね」

 ピラフを食べ終えると給仕係が皿を下げ、カインが注文した追加のビールをテーブルに置く。
 何故か私の前にもビールが置かれた。

「あの、私ビールは……」
「俺が注文した。教会で同僚が迷惑をかけた分だと思って受け取ってくれ」
「そういうことならありがたく」

 彼がジョッキを掲げたので私も持ち上げて軽くぶつける。
 仕事で忙しくて忘れていたが、三ヶ月前に成人を過ぎていたのだ。
 無事に仕事が終わったのだから少しぐらい飲んでもいいか、なんて自分に珍しく甘くなりながら飲んだビールは想像以上に苦かった。

「そういえばどうして冒険者なんてやってるんだ?」
「故郷で魔物狩りを担当していた狩人が引退しましてね、スライムやゴブリンを狩っているうちに冒険者になってました」
「そうか」

 聞いた割には関心が薄そうなカイン。
 つまみのピーナッツを口に放り込み、ポリポリと咀嚼する。

「教会の教義は禁欲的だと伺ってますが実際はどうなんです?」
「宗派による違いは大きいな。聖書には『節制は重要』と書いてあるが禁欲せよとは書いていない」
「ふーん」

 自分から聞いておいてなんだが、至極無難な回答が帰ってきた。
 部外者の私に本心や内情をあっぴろげに話す訳がないのも確かなので深く掘り下げず、ピーナッツを頬張ってビールを舐める。

「そういえばカインさんって普段どんな仕事をしてるんですか?」
「最近は新興宗教の調査だな。といっても司祭同士の予定を調整するぐらいだが」
「中間管理職ってやつですねえ」
「まあな」

 初冬だというのにアルコールを摂取した所為で熱くなってきた。
 胸元をほんの少しだけ緩めて手を団扇のようにして顔を扇ぐ。

『あつい』

 ふと昨日のカラクリのことを思い出してしまった。
 あの時の彼もこんな感じだったのだろうか、なんて思いを馳せていると変な気分になってきたのでビールを呷って腹の底に押し込む。

「『もっと』飲むか?」
「あ、いや大丈夫! あんまり遅くなるのも悪いので!」
「それもそうだな」

 カインは給仕係を呼ぼうとした手を引っ込め、残りわずかとなったビールを流し込んだ。
 私もビールを飲み干し––––思わず咽せそうになったが堪え–––––て立ち上がる。
 グラリと視界が反転し、慌ててテーブルに手をついて転倒を防ぐ。

「どうした?」
「いえ、なんでもないです」

 数回呼吸すれば目眩は治まったので深く考えず店を出た。
 どちらが喋るわけでもなく無言で宿屋通りまで歩く。

「サナ」
「ん~?」
「お前が泊まる予定の宿屋ってあそこか?」
「そうだね~」

 彼が視線を向ける先にはオンボロの宿屋があった。
 衛視が出入り口を封鎖し、野次馬が周囲を取り囲んでいた。
 何か事件でもあったのかもしれない。

「封鎖されてるねえ~」
「呑気にしている場合じゃないだろう」

 彼のいう通り、悠長に眺めている場合ではないようだ。
 他の宿屋も数軒封鎖された影響か、珍しく『満室』の札を掲げるほど客が溢れている。
 今から宿屋を探しても空き部屋があるとは思えない。
 ここまで来ると楽しくなってきた。

「……どうするつもりだ?」
「んふふ~街の外で野宿かなあ~」
「それはやめとけ」

 呆れたような声で窘められた。
 野宿もダメとなるとそこら辺の店で夜明けを待つしかない。
 彼を付き合わせるのも悪いのでここらへんで別れた方がいいだろう。

「んじゃまあ、そういうわけでまた今度~!」
「はあ。……ああ、もう! 昨日から災難続きだな」

 グルリと体の向きを強引に変えられ背中を押されて歩き出す。

「どこに連れて行くつもりですか~」
「俺の家だ」
「2日連続は申し訳ないですよ~」
「このまま放置できるわけがないだろうが!」

 無料で泊まれるならそれもアリかもしれない、なんて守銭奴な悪魔が囁く。
 そのまま連れられるままに彼の家に向かった。


◇◆◇◆


 連日の宿泊に手土産もないというのは申し訳ないので途中飲みたりなさそうな彼の為にワインを一本と少々摘めるものを買った。
 この時間帯だといつもは閉まっているのだが、騒ぎを稼ぎ時と捉えた強欲な商人が慌てて店を開いていたおかげで購入できた。

「おっ邪魔っしま~あす!」
「頼むから落ち着いてくれ」
「折角昇進したのに元気ないぞ~!」
「…………」

 家に着くや否やカインは疲れが溜まっているのかソファーに座り込んで頭を抱え始めた。
 ぶつぶつと「あのまま帰らせればよかった」だの「そもそも飲ませなければよかった」だの後ろめたい発言を繰り返している。

「ほらほらお酒飲んだら楽しくなりますよ~」

 プレゼントで貰ったのか生活感のない部屋に不釣り合いなワイングラスにワインを注ぎ入れる。

「乾杯~!」
「ああ、もう酔いつぶした方がいいか?」

 グラスを軽くぶつけると高く澄んだ音が部屋に響く。
 ワインの香りはいいが、味はビールと違って渋味も合わさった苦味があった。
 ある程度減るとカインが注いで私のグラスが満たされる。
 おおよそ二杯ほど飲んだところで思考がふわふわとしてきて座っているはずなのに体が揺れているような気分になってきた。

「……昨日の話なんだが」
「あれは大変だったねえ~」
「大変で済ませるような話じゃないと思うんだが」

 彼の話の意図が掴めずに首を傾げれば、彼は背もたれにもたれかかる。

「処女を失ってどうしてそんなに平然としていられるんだ……」
「ん~? まあ、冒険者なんてやってればいつかは失うものだからねえ」

 乾いた口をワインで潤す。
 ついでにピーナッツをポリポリ食べていると彼がポツリと呟く。

「だからってあんな形で奪うなんて……俺が欲に流されていなければ……!!」

 グラスをテーブルに置くと再び頭を抱えてうめき始めた。
 ふわふわしてた気分が一転、冷や水を浴びせられたような罪悪感に襲われる。

「カインさんは悪くないですよ」
「いいや、悪い。俺が欲に流されなければお前はもっと別の、俺よりいい男と結婚できたかもしれないのに……俺は、取り返しのつかないことを……!」
「カインさんは頑張りましたって」

 懸命に彼の背中をさすりながら慰める。
 私が想定していたよりも彼は随分とお堅い考えを持っていた。

「欲に流されたかどうかは知りませんが、優しかったですし。だから本当にもう気にしないでください」
「え!? あ、いやそういうわけには……」
「うーん……」

 気にするなと伝えても彼自身が納得しなければ意味がないのだろう。
 ここで彼が満足するまで懺悔させてもいいのだが、明日以降顔を付き合わせる度に罪悪感に満ちた表情を浮かべられても困る。
 どうすべきか悩んでいると妙案を閃いた。

「じゃあ、します?」
「……へ?」

 彼が目を丸くしながら顔を上げて私を見た。
 私の発言を飲み込まず、数秒呆然としていた彼の顔が段々と朱く染まっていく。
 アワアワと狼狽えながらソファーから立ち上がった。

「いや、いやいや、ダメだろうそれは! というか、なんでそんな話になったんだ!?」
「まあまあ、座ってください。カインさんは昨日の件を欲に流されて致したから気にしてるんですよね?」

 彼は素直にソファーに座り直し、グラスを飲み干した。
 代わりを注ぎながら自分の妙案を説明する。

「なら欲に流されない今、上書きすれば気にならなくなるんじゃないかと」
「お前はそれでいいのか!?」
「気にされると困るので」

 バッサリと自分の心境を述べれば彼は困ったように呻き声を上げた。
 その声は困り果てた時に出るもので、嫌悪を感じているのか判別がつかない。
 無理強いしては元も子もないので助け舟を出す。

「まあ、この案もカインさんが私に魅力を感じなければ意味がありませんが……」
「ちょっと待ってくれ。お、お前は本当にいいのか? 俺だぞ?」

 自分を自信なさげに指差すカイン。
 気恥ずかしさを誤魔化すために「構いませんよ」と答えながらグラスを傾ける。
 私の魅力云々に関して流されたので少しだけ複雑な気持ちになったこともワインで強引に流し込む。

「どうします?」

 考えが纏まらないのか、彼は忙しなくグラスを回す。
 チャプチャプと音を立てながら紅の液体は波を立ててグラスにぶつかる。
 意を決したのか、彼は口を開いた。

「先に体を洗ってくれ……準備、してくる」
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