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女冒険者サナ
自己嫌悪
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カインとの仕事を終えてから数日。
最近では雪がうっすら積もったり、朝方は霜が降りたりと街はすっかり冬景色になっている。
おかげで外を出歩くのも億劫になる程、外はキンキンに凍えていた。
この時期の冒険者の仕事といえば専ら行商人の護衛や手伝いぐらいしか仕事はない。
もはや冒険者というよりも便利屋だ。
こんな寒い日に宿屋を出て冒険者ギルドに顔を出している理由はただ一つ。
教会のゴタゴタが落ち着き、ようやく仕事の報酬が支払われる目処がついたからである。
「あ、おはようございます! サナさん、教会の噂聞きました?」
「話題になってますよね」
司祭か衛視かそれとも冒険者ギルドの職員がうっかり漏らしてしまったのかは定かではないが、『街を荒らし回っていた強盗や淫魔を裏で操っていたのはモルズ教団』という噂がまことしやかに囁かれている。
元々モルズ教団は秘密主義かつ実態も山賊や強盗といった反社会的勢力で構成されていることもあって、推測が憶測を呼び、尾鰭に背鰭までくっつけている状態だ。
私がこの前ぶちのめしたフィゼルという司祭は良い意味でも悪い意味でも街中で有名人だった。
それを目撃した市民が『これら一連は教会の陰謀だ』やら『教会は実はモルズ教団の隠蓑だ』の風評を垂れ流したせいでその対応に追われていた、という訳だ。
そのおかげで今日まで支払いが滞ったというので、相当困り切っていたと思われる。
延納を求める手紙もインクが滲み、書き損じていたが書き直す時間すら惜しいと伝わってくるほどだった。
「個人的にフィゼルさんが悪堕––––げほんげほんっ! 悪事に手を染めた理由が知りたいですね!」
よほど気になるのか、モニカは茶髪のツインテールをフリフリと揺らしながら首を傾げた。
頰に人差し指を当て、桜色に艶めく唇を尖らせた彼女に、暇を持て余した数人の冒険者が見惚れる。
「そればかりは教会か衛視でもない限りは……いえ、裁判を傍聴すれば分かりますね」
「うええっ! 私、裁判やってる時間帯はほとんど仕事なんですよお」
戯けながらシクシクと泣き真似をするモニカ。
この季節は比較的依頼に訪れる人も、仕事を受けに来る冒険者も少ないので会話を楽しめるだけの余裕はあるのだ。
「まあ、お喋りはこれぐらいにするとして……ご用件を伺います。依頼の受注でしょうか?」
「仕事の報酬を受け取りに来ました。二日ほど前の仕事です」
依頼書の控えをモニカに渡せば、彼女はすぐにカウンター下の金庫を開けて一つの封筒を取り出す。
上質紙に赤の蝋封、ドーナツのような丸に鋭い刺のついた特徴的なシンボルマークは教会のものだ。
「こちらが報酬になります。ご確認ください」
恭しく封筒を差し出すモニカから受け取った。
想像よりも軽い中身だが、あの時の失態を思えば仕方のないこと。
むしろ懐に余裕のある今で良かったと神に幸運を祈るべきだろう。
落ち込みかけた自分を慰めながら封を破って中身を取り出す。
封筒の中身は掌サイズの紙が一枚。
それに記入されている文字が目に飛び込んできた。
「ほぎゃあああああっ!?」
「どうしたんですかサナさんっ!」
私の叫び声に職員や冒険者が何事かと立ち上がる。
自分には関係ないと気づいて胸を撫で下ろしながら着席していくが、今は彼らに対して騒いだことを謝罪できる精神状態ではない。
目を擦ってもう一度見ても、事前に聞いていた報酬とも覚悟していた金額とも大きく乖離した数字がよりにもよって銀行の小切手に記入されていた。
「こ、これっ、これ本当に私のやつなの!? モニカ、確認して! 今すぐ、直ちに、迅速にっ!!」
「はいっ! 確認してきますっ!」
生まれて初めて目にした銀行の小切手という天上の存在に狼狽てモニカに封筒を突き返す。
面食らったモニカは尋常じゃない事態だとすぐに察知して封筒の照会に着手してくれた。
待っている間も気が動転した私は冷や汗をダラダラ流しながらあれこれ考える。
ふと、こんな事態に陥ったのは自分のせいだと気づいてしまった。
報酬の金額変更を自主的に申し出ようとした途中、フィゼルらに襲撃を受けて忘れてしまったのだ。
油断させるための芝居とそれまでの言葉をつなぎ合わせてみると当時のカインの心境が忍ばれる。
そう、『報酬に不満を持っている』と思われてもなんらおかしくない。
実態は全く違うのだが。
「いやいや、それにしてもあの金額はおかしいでしょ……っ!」
想定外の出来事にカウンターの上で頭を抱える。
報酬の減額やクリーニングの請求ならまだ納得できるが、小切手に書かれた数字は本来受け取る予定だった金額の二倍。
どうか間違いであってくれという祈りは届かなかったようで、モニカが封筒を再度渡してきた。
「間違いなくサナさん宛てのものです」
「おおう……マジか、マジかあ……!」
確信を持った表情でそう告げられてしまえば、受け取るしかないのが冒険者だ。
これまでの人生で報酬の少なさを嘆いたことはあれど、高額の報酬で肝を冷やすことになるとは思わなんだ。
「あの、サナさん。報酬になにか問題でも……?」
「問題しか、ないねえ……。いやホントにカインさん、なに考えてんだあ!?」
「うがー!」っと頭をかき回しても現実が変わることはなく。
モニカの心配を余所にこれからすべき事をリストアップする。
まずはカインに話をしなければいけない。
次に報酬を返金して、それから報酬金額変更手続きを済ませて……。
ああ! 考えたらお腹が痛くなってきた!
「あの、どちらへ……?」
「ちょっと依頼人と“大事なお話”をしてきます!」
「あ、ハイ。お気をつけて……」
見送るモニカの視線を背中に感じつつも、私はカインが務めている教会へ続く道を急いだ。
◇◆◇◆
うっすらと積もり始めた雪を踏みしめ、滑って転ばないように歩く事数分。
「ほんの少しでも外を出歩くのは辛い」
霜焼けですっかり赤くなった手を温めながら目の前の建物を見上げる。
曇天の空を背景に聳え立つ白亜の教会は相変わらず荘厳な雰囲気を醸し出していた。
微かに歌声や楽器の音が漏れ聞こえるのでミサの最中なのだろう。
「おや、ミサの参加者ですか?」
ミサを邪魔するわけにもいかず、どうしたものかと困り果てていると声をかけられた。
声がした方を向くと、司祭服を身に纏った青い髪の男が愛想よく微笑んでいる。
教会にはラッセル、私には本名のクリスと名乗った怪しい司祭だ。
カインの話を聞くに今頃は拘束か尋問されているかのどちらかだと思っていたが、そうでもないらしい。
「これはサナさん、会うのは淫魔討伐以来ですね。お変わりありませんか?」
「はい、お陰様で……」
無難に受け答えをしつつも内心では動揺している。
見れば見るほど怪しい。
だが、教会の内情など私には分からないので鎌首をあげる好奇心を押さえつけて態度に出ないようにしなければいけない。
「その、クリスさん……でしたっけ? カインさんに用があるのですが、出直した方が良いですか?」
危うくラッセルと呼びかけたが咄嗟に誤魔化せた。
教会を訪れたのはこの怪しい男との会話を楽しむためではなく、報酬についてカインと話し合う必要があるからだ。
今後の冒険者生活を左右しかねない大事な用件なので、もう目的を違えないようにしたい。
「カイン先輩–––––カイン司祭は今週休みを取っています。急なご用件であれば言伝を預かりますが、どうしますか?」
依頼主は教会ということになっているが、いきなり叩きつけるよりも根回しした方が良いだろう。
それに、来週には感謝祭が開催されるので余計教会の対応は遅れてしまう。
金に関する問題は時間を置かない方が良いという経験上、休みのカインには申し訳ないが自宅を訪問させてもらうとしよう。
「いえ、また今度にします」
「そうですか。ところで、一つお聞きしたいことがあるんですけど……」
話を切り上げようとした矢先、クリスが笑顔を浮かべながら話を続行させてきた。
強引に切り上げるわけにもいかず、渋々疑問に答えることにした。
「カイン先輩とは、どういう御関係で?」
なにを聞かれるのかと身構えた私の気持ちなどいざ知らず、クリスは好奇心に目を輝かせて小声で下らない質問をしてきた。
その表情は色恋に関心を持つ青年のそれで、おまけに「勿論誰にも言わないので安心してください!」という人生で一番信用できない言葉を連ねる。
それまでの辛うじてあった司祭としての威厳はとうに消え失せ、他人の私事が気になってしょうがない一市民と成り果てていた。
とはいえ、教会からモルズ教団との関係性を疑われている。
変に答えて疑いを深めないように気をつけておく。
「……一時的な雇用関係ですが、それがどうかしましたか?」
さりげなく探りを入れれば、クリスは私の答えに納得できないのか首を傾げた。
「うーん、サナさんでもないのかあ。……ここだけの話なんですけど、最近カイン先輩の機嫌が良いんですよ。俺の勘によれば十中八九恋人が出来たんだと思うんですが、全然教えてくれないんですよ~!」
「はあ……?」
「まったく、俺を疑っておいて『すまなかったが、普段の態度が悪いお前にも非はある』なんてひどくないですか!? 教えてくれてもいいじゃないですか! なのに全然教えてくれないんですよ! 俺、先輩と恋愛トークしたいのに!」
なんというか、このクリスという青年は色々と残念な人なのかもしれない。
司祭とは思えない言動と終わりが見えないカインへの愚痴に辟易し始めていると、ようやく彼も私の白けた顔に気づいたらしい。
「ゴホン、失礼しました。最近何かと立て込んでまして……」
「心中お察しします。それではこれで失礼しますね」
キリが良さそうなところで会話を切り上げれば、クリスは未練がましそうに私の顔を見つめたがついに諦めて見送ってくれた。
教会からカインの自宅までの道を歩く最中、なんとなしにクリスの言葉を心の中で反芻する。
あの生真面目なカインに恋人が出来たというのもあながち間違いではないのかもしれない。
特に痛みもなく行為に及べたこと、手慣れた様子の愛撫など思い当たる点は多々ある。
容姿端麗かつ司祭という身分であれば世の女性も放っておかないと思う。
最もモニカは彼を『堅物すぎて退屈』やら『何考えているか分かんなくて怖い』などと散々な評価を下していたが。
となると、一つ問題が生じてくる。
その恋人から見た私はどのような立ち位置になるか。
『泥棒猫』と言われて刺されても文句は言えない。
カインは無闇矢鱈に言いふらすような性格ではないと思うし、私が迂闊に口を滑らせなければ露見することはないだろう。
それでも気分が明るくなるということはなく、むしろ責任が一挙に襲ってくるような気さえしてきた。
「うう……お腹痛い……」
増えるだけで減ってはくれない懸念事項にいよいよ腹痛となって苛み始めてきた精神的負荷を耐えつつ、曇天の空から落ちてくる氷の結晶のなかフラフラと目的地まで歩いて移動した。
◇◆◇◆
記憶を頼りに雪化粧を纏った住宅街を歩く。
普段の歩き慣れた道では見かけないような家族連れやら恋人の姿が目立つここは、冒険者の私にとってなんとなく居心地が悪い。
角から飛び出してきた子供をヒョイと避けながらカインの家を目指して歩くこと数分、簡素な作りの家を見つけた。
「ここに来たのは随分前だったけど意外と覚えているものね」
他の家は感謝祭に向けてモミの葉を輪っかに結んだリースを天井から吊り下げ、足元には鈴をくくりつけた紐を張っているが、彼の家だけは遠目から見てなんの装飾も施されていない。
それもなんらおかしいことではない。
カインが信仰しているのは唯一神だけであり、それ以外の超常は神の御業か悪魔の所業。
教会の教義によれば他の宗教の神は唯一神の使いという括りになるらしい。
他の宗教の信徒からすれば、己の信仰対象が知らぬうちに他所の神の手先扱いになっているのだからたまったものではないだろう。
ちなみにモルズ教団や妖精、魔物は人を堕落させる悪魔だそうだ。
感謝祭は元々この街周辺特有の土着信仰が起源である。
冬にだけ姿を現し、悪戯を仕掛ける妖精を懲らしめるための罠が変化したものだと言われている。
リースの真ん中を妖精が通り抜けようとすればモミの葉で翅が傷つき、這って侵入しようとすれば紐が鳴るという仕組みだ。
昔は弱った妖精を捕まえて鱗粉を死ぬまで採取したそうだが、今では祭りの意味はすっかり変わっている。
日頃の幸福を各々の信仰するものに感謝し、親しいものと食卓を囲み娯楽を楽しむというなんとも家庭的な内容になっている。
それでも教会にとっては悪魔を崇拝する儀式に見えているらしく、感謝祭の期間は堕落する人間を一人でも減らすために祈りを捧げるらしい。
この前司祭の一人が『俺もみんなと遊びたかった』とぼやいているのが聞こえたので、司祭全員が教会の意向に従っているわけではなさそうだが大っぴらに祝うわけにもいかないのだろう。
「さて、と。封筒よし、手土産よし、服装よし」
これからカインの自宅を訪問するわけだが、手土産も持たずに突撃するのは気が引けたので軽く食べられるものをチョイスした。
しっかりと脳内で報酬についてどのように説明するかシミュレーションし、万全に整えて足を踏み出そうとした矢先。
「えっと、たしかカインの家はここね!」
メモを片手に一人の女性が私を追い越してカインの家の前で立ち止まった。
襟首を魔物の毛皮で覆われた、一目見てわかるほどの高級なコートにプラチナピンクの豊かなウェーブのかかったロングヘアー。
手に持った大きな鞄に使われる革も市井で見かけることはない素材が使われている。
顔も名前も知らないが高貴な出自であることが窺えた。
彼女は爛々と銀色の瞳を輝かせながらカインの家の扉を数回叩いた。
数秒と経たないうちにガチャリと扉が開いた。
私の位置からでは扉に阻まれてカインの姿は見えない。
「カイン~! 私よ、エリザベスよ!」
「エリザベス? 外は寒かっただろ、中に入れ」
軽い抱擁を交わした後、エリザベスと呼ばれた女性は誘われるままに部屋の中に入っていった。
外の冷気を遮断するようにパタンと扉が閉まる。
「……ああっと、どうしたものかな」
これまで重さを感じなかった手土産を入れた紙袋が途端に掌に食い込んでくるような気がして、やりきれなくなったもう片方の手で髪についた雪を払い落とす。
ぼんやりしている間にカインの自宅には来客が訪れてしまった。
「恋人、なのかなあ? 邪魔するのも悪いよね。うん、出直そう」
恋人達の愛を語らう時間に水をさすのも忍びない。
私の用事など、それほど急を要していないのだから日を改めても問題ない。
どのみち。
「いてて……」
右肩の古傷が傷み始めたのだから、直に話をするどころじゃなくなる。
カインの家に背中を向け、今日は一室借りている宿屋に戻って早めに休むことにした。
最近では雪がうっすら積もったり、朝方は霜が降りたりと街はすっかり冬景色になっている。
おかげで外を出歩くのも億劫になる程、外はキンキンに凍えていた。
この時期の冒険者の仕事といえば専ら行商人の護衛や手伝いぐらいしか仕事はない。
もはや冒険者というよりも便利屋だ。
こんな寒い日に宿屋を出て冒険者ギルドに顔を出している理由はただ一つ。
教会のゴタゴタが落ち着き、ようやく仕事の報酬が支払われる目処がついたからである。
「あ、おはようございます! サナさん、教会の噂聞きました?」
「話題になってますよね」
司祭か衛視かそれとも冒険者ギルドの職員がうっかり漏らしてしまったのかは定かではないが、『街を荒らし回っていた強盗や淫魔を裏で操っていたのはモルズ教団』という噂がまことしやかに囁かれている。
元々モルズ教団は秘密主義かつ実態も山賊や強盗といった反社会的勢力で構成されていることもあって、推測が憶測を呼び、尾鰭に背鰭までくっつけている状態だ。
私がこの前ぶちのめしたフィゼルという司祭は良い意味でも悪い意味でも街中で有名人だった。
それを目撃した市民が『これら一連は教会の陰謀だ』やら『教会は実はモルズ教団の隠蓑だ』の風評を垂れ流したせいでその対応に追われていた、という訳だ。
そのおかげで今日まで支払いが滞ったというので、相当困り切っていたと思われる。
延納を求める手紙もインクが滲み、書き損じていたが書き直す時間すら惜しいと伝わってくるほどだった。
「個人的にフィゼルさんが悪堕––––げほんげほんっ! 悪事に手を染めた理由が知りたいですね!」
よほど気になるのか、モニカは茶髪のツインテールをフリフリと揺らしながら首を傾げた。
頰に人差し指を当て、桜色に艶めく唇を尖らせた彼女に、暇を持て余した数人の冒険者が見惚れる。
「そればかりは教会か衛視でもない限りは……いえ、裁判を傍聴すれば分かりますね」
「うええっ! 私、裁判やってる時間帯はほとんど仕事なんですよお」
戯けながらシクシクと泣き真似をするモニカ。
この季節は比較的依頼に訪れる人も、仕事を受けに来る冒険者も少ないので会話を楽しめるだけの余裕はあるのだ。
「まあ、お喋りはこれぐらいにするとして……ご用件を伺います。依頼の受注でしょうか?」
「仕事の報酬を受け取りに来ました。二日ほど前の仕事です」
依頼書の控えをモニカに渡せば、彼女はすぐにカウンター下の金庫を開けて一つの封筒を取り出す。
上質紙に赤の蝋封、ドーナツのような丸に鋭い刺のついた特徴的なシンボルマークは教会のものだ。
「こちらが報酬になります。ご確認ください」
恭しく封筒を差し出すモニカから受け取った。
想像よりも軽い中身だが、あの時の失態を思えば仕方のないこと。
むしろ懐に余裕のある今で良かったと神に幸運を祈るべきだろう。
落ち込みかけた自分を慰めながら封を破って中身を取り出す。
封筒の中身は掌サイズの紙が一枚。
それに記入されている文字が目に飛び込んできた。
「ほぎゃあああああっ!?」
「どうしたんですかサナさんっ!」
私の叫び声に職員や冒険者が何事かと立ち上がる。
自分には関係ないと気づいて胸を撫で下ろしながら着席していくが、今は彼らに対して騒いだことを謝罪できる精神状態ではない。
目を擦ってもう一度見ても、事前に聞いていた報酬とも覚悟していた金額とも大きく乖離した数字がよりにもよって銀行の小切手に記入されていた。
「こ、これっ、これ本当に私のやつなの!? モニカ、確認して! 今すぐ、直ちに、迅速にっ!!」
「はいっ! 確認してきますっ!」
生まれて初めて目にした銀行の小切手という天上の存在に狼狽てモニカに封筒を突き返す。
面食らったモニカは尋常じゃない事態だとすぐに察知して封筒の照会に着手してくれた。
待っている間も気が動転した私は冷や汗をダラダラ流しながらあれこれ考える。
ふと、こんな事態に陥ったのは自分のせいだと気づいてしまった。
報酬の金額変更を自主的に申し出ようとした途中、フィゼルらに襲撃を受けて忘れてしまったのだ。
油断させるための芝居とそれまでの言葉をつなぎ合わせてみると当時のカインの心境が忍ばれる。
そう、『報酬に不満を持っている』と思われてもなんらおかしくない。
実態は全く違うのだが。
「いやいや、それにしてもあの金額はおかしいでしょ……っ!」
想定外の出来事にカウンターの上で頭を抱える。
報酬の減額やクリーニングの請求ならまだ納得できるが、小切手に書かれた数字は本来受け取る予定だった金額の二倍。
どうか間違いであってくれという祈りは届かなかったようで、モニカが封筒を再度渡してきた。
「間違いなくサナさん宛てのものです」
「おおう……マジか、マジかあ……!」
確信を持った表情でそう告げられてしまえば、受け取るしかないのが冒険者だ。
これまでの人生で報酬の少なさを嘆いたことはあれど、高額の報酬で肝を冷やすことになるとは思わなんだ。
「あの、サナさん。報酬になにか問題でも……?」
「問題しか、ないねえ……。いやホントにカインさん、なに考えてんだあ!?」
「うがー!」っと頭をかき回しても現実が変わることはなく。
モニカの心配を余所にこれからすべき事をリストアップする。
まずはカインに話をしなければいけない。
次に報酬を返金して、それから報酬金額変更手続きを済ませて……。
ああ! 考えたらお腹が痛くなってきた!
「あの、どちらへ……?」
「ちょっと依頼人と“大事なお話”をしてきます!」
「あ、ハイ。お気をつけて……」
見送るモニカの視線を背中に感じつつも、私はカインが務めている教会へ続く道を急いだ。
◇◆◇◆
うっすらと積もり始めた雪を踏みしめ、滑って転ばないように歩く事数分。
「ほんの少しでも外を出歩くのは辛い」
霜焼けですっかり赤くなった手を温めながら目の前の建物を見上げる。
曇天の空を背景に聳え立つ白亜の教会は相変わらず荘厳な雰囲気を醸し出していた。
微かに歌声や楽器の音が漏れ聞こえるのでミサの最中なのだろう。
「おや、ミサの参加者ですか?」
ミサを邪魔するわけにもいかず、どうしたものかと困り果てていると声をかけられた。
声がした方を向くと、司祭服を身に纏った青い髪の男が愛想よく微笑んでいる。
教会にはラッセル、私には本名のクリスと名乗った怪しい司祭だ。
カインの話を聞くに今頃は拘束か尋問されているかのどちらかだと思っていたが、そうでもないらしい。
「これはサナさん、会うのは淫魔討伐以来ですね。お変わりありませんか?」
「はい、お陰様で……」
無難に受け答えをしつつも内心では動揺している。
見れば見るほど怪しい。
だが、教会の内情など私には分からないので鎌首をあげる好奇心を押さえつけて態度に出ないようにしなければいけない。
「その、クリスさん……でしたっけ? カインさんに用があるのですが、出直した方が良いですか?」
危うくラッセルと呼びかけたが咄嗟に誤魔化せた。
教会を訪れたのはこの怪しい男との会話を楽しむためではなく、報酬についてカインと話し合う必要があるからだ。
今後の冒険者生活を左右しかねない大事な用件なので、もう目的を違えないようにしたい。
「カイン先輩–––––カイン司祭は今週休みを取っています。急なご用件であれば言伝を預かりますが、どうしますか?」
依頼主は教会ということになっているが、いきなり叩きつけるよりも根回しした方が良いだろう。
それに、来週には感謝祭が開催されるので余計教会の対応は遅れてしまう。
金に関する問題は時間を置かない方が良いという経験上、休みのカインには申し訳ないが自宅を訪問させてもらうとしよう。
「いえ、また今度にします」
「そうですか。ところで、一つお聞きしたいことがあるんですけど……」
話を切り上げようとした矢先、クリスが笑顔を浮かべながら話を続行させてきた。
強引に切り上げるわけにもいかず、渋々疑問に答えることにした。
「カイン先輩とは、どういう御関係で?」
なにを聞かれるのかと身構えた私の気持ちなどいざ知らず、クリスは好奇心に目を輝かせて小声で下らない質問をしてきた。
その表情は色恋に関心を持つ青年のそれで、おまけに「勿論誰にも言わないので安心してください!」という人生で一番信用できない言葉を連ねる。
それまでの辛うじてあった司祭としての威厳はとうに消え失せ、他人の私事が気になってしょうがない一市民と成り果てていた。
とはいえ、教会からモルズ教団との関係性を疑われている。
変に答えて疑いを深めないように気をつけておく。
「……一時的な雇用関係ですが、それがどうかしましたか?」
さりげなく探りを入れれば、クリスは私の答えに納得できないのか首を傾げた。
「うーん、サナさんでもないのかあ。……ここだけの話なんですけど、最近カイン先輩の機嫌が良いんですよ。俺の勘によれば十中八九恋人が出来たんだと思うんですが、全然教えてくれないんですよ~!」
「はあ……?」
「まったく、俺を疑っておいて『すまなかったが、普段の態度が悪いお前にも非はある』なんてひどくないですか!? 教えてくれてもいいじゃないですか! なのに全然教えてくれないんですよ! 俺、先輩と恋愛トークしたいのに!」
なんというか、このクリスという青年は色々と残念な人なのかもしれない。
司祭とは思えない言動と終わりが見えないカインへの愚痴に辟易し始めていると、ようやく彼も私の白けた顔に気づいたらしい。
「ゴホン、失礼しました。最近何かと立て込んでまして……」
「心中お察しします。それではこれで失礼しますね」
キリが良さそうなところで会話を切り上げれば、クリスは未練がましそうに私の顔を見つめたがついに諦めて見送ってくれた。
教会からカインの自宅までの道を歩く最中、なんとなしにクリスの言葉を心の中で反芻する。
あの生真面目なカインに恋人が出来たというのもあながち間違いではないのかもしれない。
特に痛みもなく行為に及べたこと、手慣れた様子の愛撫など思い当たる点は多々ある。
容姿端麗かつ司祭という身分であれば世の女性も放っておかないと思う。
最もモニカは彼を『堅物すぎて退屈』やら『何考えているか分かんなくて怖い』などと散々な評価を下していたが。
となると、一つ問題が生じてくる。
その恋人から見た私はどのような立ち位置になるか。
『泥棒猫』と言われて刺されても文句は言えない。
カインは無闇矢鱈に言いふらすような性格ではないと思うし、私が迂闊に口を滑らせなければ露見することはないだろう。
それでも気分が明るくなるということはなく、むしろ責任が一挙に襲ってくるような気さえしてきた。
「うう……お腹痛い……」
増えるだけで減ってはくれない懸念事項にいよいよ腹痛となって苛み始めてきた精神的負荷を耐えつつ、曇天の空から落ちてくる氷の結晶のなかフラフラと目的地まで歩いて移動した。
◇◆◇◆
記憶を頼りに雪化粧を纏った住宅街を歩く。
普段の歩き慣れた道では見かけないような家族連れやら恋人の姿が目立つここは、冒険者の私にとってなんとなく居心地が悪い。
角から飛び出してきた子供をヒョイと避けながらカインの家を目指して歩くこと数分、簡素な作りの家を見つけた。
「ここに来たのは随分前だったけど意外と覚えているものね」
他の家は感謝祭に向けてモミの葉を輪っかに結んだリースを天井から吊り下げ、足元には鈴をくくりつけた紐を張っているが、彼の家だけは遠目から見てなんの装飾も施されていない。
それもなんらおかしいことではない。
カインが信仰しているのは唯一神だけであり、それ以外の超常は神の御業か悪魔の所業。
教会の教義によれば他の宗教の神は唯一神の使いという括りになるらしい。
他の宗教の信徒からすれば、己の信仰対象が知らぬうちに他所の神の手先扱いになっているのだからたまったものではないだろう。
ちなみにモルズ教団や妖精、魔物は人を堕落させる悪魔だそうだ。
感謝祭は元々この街周辺特有の土着信仰が起源である。
冬にだけ姿を現し、悪戯を仕掛ける妖精を懲らしめるための罠が変化したものだと言われている。
リースの真ん中を妖精が通り抜けようとすればモミの葉で翅が傷つき、這って侵入しようとすれば紐が鳴るという仕組みだ。
昔は弱った妖精を捕まえて鱗粉を死ぬまで採取したそうだが、今では祭りの意味はすっかり変わっている。
日頃の幸福を各々の信仰するものに感謝し、親しいものと食卓を囲み娯楽を楽しむというなんとも家庭的な内容になっている。
それでも教会にとっては悪魔を崇拝する儀式に見えているらしく、感謝祭の期間は堕落する人間を一人でも減らすために祈りを捧げるらしい。
この前司祭の一人が『俺もみんなと遊びたかった』とぼやいているのが聞こえたので、司祭全員が教会の意向に従っているわけではなさそうだが大っぴらに祝うわけにもいかないのだろう。
「さて、と。封筒よし、手土産よし、服装よし」
これからカインの自宅を訪問するわけだが、手土産も持たずに突撃するのは気が引けたので軽く食べられるものをチョイスした。
しっかりと脳内で報酬についてどのように説明するかシミュレーションし、万全に整えて足を踏み出そうとした矢先。
「えっと、たしかカインの家はここね!」
メモを片手に一人の女性が私を追い越してカインの家の前で立ち止まった。
襟首を魔物の毛皮で覆われた、一目見てわかるほどの高級なコートにプラチナピンクの豊かなウェーブのかかったロングヘアー。
手に持った大きな鞄に使われる革も市井で見かけることはない素材が使われている。
顔も名前も知らないが高貴な出自であることが窺えた。
彼女は爛々と銀色の瞳を輝かせながらカインの家の扉を数回叩いた。
数秒と経たないうちにガチャリと扉が開いた。
私の位置からでは扉に阻まれてカインの姿は見えない。
「カイン~! 私よ、エリザベスよ!」
「エリザベス? 外は寒かっただろ、中に入れ」
軽い抱擁を交わした後、エリザベスと呼ばれた女性は誘われるままに部屋の中に入っていった。
外の冷気を遮断するようにパタンと扉が閉まる。
「……ああっと、どうしたものかな」
これまで重さを感じなかった手土産を入れた紙袋が途端に掌に食い込んでくるような気がして、やりきれなくなったもう片方の手で髪についた雪を払い落とす。
ぼんやりしている間にカインの自宅には来客が訪れてしまった。
「恋人、なのかなあ? 邪魔するのも悪いよね。うん、出直そう」
恋人達の愛を語らう時間に水をさすのも忍びない。
私の用事など、それほど急を要していないのだから日を改めても問題ない。
どのみち。
「いてて……」
右肩の古傷が傷み始めたのだから、直に話をするどころじゃなくなる。
カインの家に背中を向け、今日は一室借りている宿屋に戻って早めに休むことにした。
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無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
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それともただの執着?
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無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
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