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猛省する男

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 ヴィルヘルミーナが恥ずかしがりながらも次の逢瀬に胸を膨らませていたころ、一方のルドガーも頭を抱えて大反省会をしていた。

「いくらなんでもそれは手が早すぎるだろ」

 爆笑しながらその大反省会に付き合ってくれているのは、悪友のアロイスだ。

 普段の彼らならば、この時間帯に落ち合っていれば、それはすなわち娼館行きである。しかし今日はデートのあれやこれやを抱えきれずに、ヴィルヘルミーナを送って行ったあとにすぐさまアロイスを連れて酒場へ来たのだ。

 持つべきは暇を持て余している悪友である。急な誘いでも奢りと言えば付き合ってくれるのだから。

 ことの次第は全て話した。婚約式の時にアロイスは来てくれていたし、傍から見ていて長年の両片思いを知っていたアロイスは話の呑み込みも早い。そうして出てきた感想が、先ほどの台詞である。

「ヴィルヘルミーナちゃんの記憶がなくなったから、お前、ちゃんと口説きなおして順を追うことにしたんだろ? その第一歩の初デートで、いきなり襲うとか……お前、盛りのついた犬にでもなっちゃったわけ?」

 げらげら笑うアロイスに、ルドガーは呻く。

「俺だってそんなつもりはなかったんだ……」

「でもヴィルヘルミーナちゃんが可愛すぎてついつい手が出ちゃったんだ?」

「……そう。そうなんだ。ヴィルヘルミーナは一体どうしたんだ? 元から可愛いが、なんであんなに素直でふにゃふにゃで可愛くなってしまったんだ? 何を言っても笑顔で……なんなんだ、我慢しろという方が無理だろう、あんなの」

 早口でまくしたてるルドガーに、アロイスは吹き出す。

「お前、自覚した途端に惚気が半端ないね」

「なんだ? 俺は元々思ったことは言う方だぞ?」

「あーまあね」

 酒を煽って「やだやだ」とぼやきながらアロイスは半眼でルドガーを見る。

「そのせいでご令嬢がたが勘違いするんだよな。意図的に口説いてる時もあるけどさあ、あれマジでたち悪いから辞めた方がいいよ。特にヴィルヘルミーナちゃん一人に絞るんなら」

 忠告をされたが、ルドガーは何のことを言われているのかさっぱり判らない。

「もう口説くつもりもないし、ヴィルヘルミーナを好きだと判ってから、多少付き合いのあった令嬢にはきっぱりと断っている。何も問題ないだろう」

「そう思ってるのはお前だけっていうか……お前さあ、娼婦のお姉様がたと同じで、ヴィルヘルミーナちゃんに似てる子みつけるとす~ぐ褒めるじゃん?」

 ルドガーは酒を煽りかけた手が止まる。

「カミラ嬢、コリンナ嬢、ローザちゃんにフィリーネ嬢? えーとあとは忘れちゃったけどさ、お前が告白されてちょっとでもデートに行ったのって、みーんな栗毛とか金髪の子だろ? そんでもって、出会い頭にやれ髪が綺麗だの、ドレスが髪に映えて美しいだの、緑の瞳が宝石にかすみそうだのくっさいこと言ってたよな?」

 そこまで言われれば、さすがにルドガーにも判る。

 つまりは、疑似ヴィルヘルミーナへの賛辞をあちこちで囁いていたのだ。しかも事実を述べているだけだと思っているルドガーの弁は、思った以上に熱烈である。

 甘いマスクに釣られて寄って来る令嬢も多いが、それ以上に本音で愛を語ってくれているとしか思えない賛辞のせいでご令嬢を引き寄せまくっていたのだ。軽薄だと敬遠するご令嬢も、顔のいい男に面と向かって「貴女は綺麗だな」などと言われれば、コロリと落ちてしまう。

 今だって、酒場の金髪の看板娘がしきりにルドガーに向かって秋波を送ってきているくらいだ。愛想を振りまくどころではないルドガーはそれに気付いてはいなかったが。

「…………俺は、一応……デートに誘った令嬢しか口説いてないし、彼女らだって一線は越えてない。それに社交の一貫で世辞をいうのは当たり前だろう…………」

 呻くように弁明したその言葉が、苦しい言い訳であることをルドガー自身も判っているのだろう。しどろもどろだ。

「お前それ、ヴィルヘルミーナちゃんの前で言えんの?」

「無理だ」

 ずしゃっと突っ伏して、ルドガーは情けなくも断言した。ご令嬢たちをヴィルヘルミーナだと思って口説いていたなんて、クズでしかない。そもそも本人を口説けという話なうえ、令嬢にだって失礼である。

「まあ、自覚したなら社交辞令もほどほどにな」

「ああ……」

 溜め息を吐いて、しおしおになった男はゆっくりと顔を上げる。いつもの野性的な色男が台無しである。

「アロイス。俺が治すべきところは他にもあるか?」

「ん-? なになに、アロイス様のありがたさが判っちゃった?」

「ふざけるんじゃない」

 渋面を作ったルドガーを笑って、アロイスは首を振る。

「いーや、もう自覚したなら大丈夫だと思うよ、俺は。ヴィルヘルミーナちゃんだけを見てやれば、……ああ、まあ順を追うのだけは気をつけろよ、傷つけたくないなら」

 くつくつと笑うアロイスは、「あ」と声をあげた。

「そういえば告白はしたのか?」

「告白…………?」

 瞬間に、見舞いに行った日と今日のデートを思い返して、ルドガーは呆然とする。

「言った……言ってしまった」

「おっ。返事は?」

(あれは、どういう気持ちなんだ……?)

 ルドガーは再び情けない顔になった。

 彼は、愛の告白なんてものをしたことがなかった。綺麗だの可愛いだのという賛辞は贈っても、好きだ愛しているという言葉や、それに類する言葉を使ったことがない。しかし。

『悪いな。どうやら俺はお前のことが好きで好きでたまらないらしい』

 ごく自然に口からこぼれ出たあの言葉はまぎれもなく告白だったのだろう。ムードの欠片もない、雑談の合間に出てきた、初めての告白。その返事は、一体何だったか。

『そ、うですか……』

 呟いたヴィルヘルミーナはとてつもなくキュートだったし、それを見られただけでルドガーは満ち足りた気持ちだった。うっかり口走った告白に返事を貰えていないと気付かないほどに。

(いや、あれは本当に告白だと言えるのか……?)

 思考の海に入りかけたルドガーに「おーい」と顔の前でアロイスが手を振る。

「何、そんな微妙な感じだったの?」

「好きだとも嫌いだとも言われていなかった……悪く思ってはいない……とは、思うが……」

 歯切れ悪く言うルドガーに、アロイスは目をみはった。

「へえ? まあでも、告白の後なんだろ? お前が手を出しちゃったのって。えっちさせてくれるくらいなら、好きなんじゃないの? ヴィルヘルミーナちゃんもさ」

 もっともな意見だが、ルドガーは腑に落ちない。

「……ミーナは、どうして俺を受け入れてくれたんだ? いやだと言えなかっただけなのか?」

「待って待って、百戦錬磨のお前がそんなこと言っちゃうの? そんなのお前の顔と雰囲気に流されたか、お前が好きだからに決まってるじゃん」

「好き……」

(本当にそうか?)

 何度か感じていた違和感を、ルドガーは思い出す。

「二度しか会ってない男を、婚約者だからといってそんな身体を委ねて、熱をあげられるか?」

「さー? 一目惚れってこともあるでしょ?」

「いや、それにしては……」

 最初から彼女はルドガーのことを知っていたかのような口ぶりだった。けれど、記憶がないのは確実である。

 ルドガーは可愛いヴィルヘルミーナについ舞い上がって忘れがちだが、彼女にとってはルドガーという男はほぼ知らない人間だ。だというのに、ヴィルヘルミーナと話していて、ほとんどそれを感じない。ルドガーがヴィルヘルミーナの記憶のことを忘れがちになるのも、彼女の受け答えがスムーズすぎるからだ。

「彼女は、俺を前から知ってるみたいに思える」

「え? 何? 記憶喪失は狂言かもしれないってこと?」

「いや……それにしては……仕草は確かに彼女で根っこも変わってないが……記憶喪失は、嘘じゃない、と思う」

「ふぅん……?」

 アロイスもよく判らないという顔だ。

 ルドガーが感じている違和感が、実のところ十年もの月日を書きためた膨大な片思いの日記のせいなのだとは、思いもよらない。

「まあ好かれてるのは悪いことじゃないだろ? 気になるなら聞いてみればいいんだし」

「ああ……」

「ヴィルヘルミーナちゃん、淑女ぶった動きは上手だけど嘘は下手くそでしょ。だから大丈夫じゃない?」

「そうだな」

 明るく言われれば、そう思えてきて、ルドガーの顔も復活した。

「それにさ」

 アロイスはぐぐっと酒の残りを飲み干してから、ルドガーにニッと笑って見せる。

「手ぇ出しちゃったんだからどの道あとは結婚するだけでしょ、お前ら」

 それを言ってしまうと身もふたもない。

「アロイス、お前……! 俺は彼女の気持ちをだな」

「あっお姉さん、お酒追加お願いしまーす!」

 青筋を浮かべた色男を全く気に留めず、アロイスは奢りの酒をもう一杯注文する。

「とりあえずデートの詫びの花でも贈っておけ」とまともなアドバイスが出てきたのはアロイスがそれから図々しくも何杯かの酒を煽った後で、なおかつ「まだ順を追って付き合う気があるんならな」と付け加えて頭を叩かれたのだった。
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