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第2話 婚約解消したいのはどちら?
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「――ここにいたのか、フランシス!」
いや正確には女子学生が半歩先に部屋に入ってきて、金魚のフンのように着いてきた赤銅色の髪の男子学生が、勢いよく扉を開けたのだった。
フランシスの顔が途端に、露骨にひきつる。
「……またあなたなのね、ヘクター」
「また、とはちゃんちゃらおかしいな。ここに来るのを知っていて待ち伏せしていたんだろう」
髪と同色の瞳でフランシスを見据えきりっと指先を突き付けるヘクター。
彼女と同じマントを羽織ってはいるものの、その下は流行の服を着こなしていて印象はまるで正反対だ。
「婚約者という立場を笠に着て、俺たちの逢瀬を邪魔しようと……」
フランシスの表情が険しくなる。彼女の予測によれば、この聞くに堪えない言いがかりはあと三分は続くはずだった。
が、その言葉を遮ったのは、ヘクターの前で立ち止まった可愛らしい金髪の女子学生だ。彼女は小動物のような緑の目を丸くして、手に抱えていた手提げ鞄を机に置いた。
「……フランシス先輩、奇遇ですねえ」
「私名乗った覚えもありませんし、厳密にはあなたと知り合いではないのですが……」
「……そうでしたっけ……?」
しかしフランシスは、首を傾げている彼女の名前は知っていた。
「そうです。一方的ないちゃいちゃを見せられてきたせいで、お名前がキャロラインさんで一学年後輩、外国語文学を学んでいること、甘いものが大好きで特に苺のケーキに目がないことは知っていますが」
「そこまでご存じでしたらもう知り合いですね」
にっこり微笑む彼女に邪念があるようには見えない。
フランシスは射るようなヘクターの視線を無視しながら、キャロラインに続けた。
「それと、偶然ではないと思います」
「そうなんですか? えーと、ここには勉強にいらしたわけではない……となると、やっぱり待ち伏せ? なんでしょうか……」
「違います」
「では私かヘクター先輩にご用事があって?」
「どちらかと言えばヘクターの方が……だと思います」
「どういうことでしょう?」
キャロラインは困ったようにヘクターを見上げ、ヘクターはそのキャロラインの肩を慰めるように抱いた。
「だから何度も言っただろう、キャロライン。婚約者の立場を利用して、真実の愛を阻むような行為をして楽しんでいるんだ。
この前の塩入り卵焼き事件も、俺の家に突然訪ねて来たのも、先月学院のパーティーでキャロラインとドレスの色を合わせたのも」
「さすがにそんなことないと思いますけど……」
「君は純粋だから人の悪意が分からないんだ」
「……でもヘクター先輩が心配してくださるのは嬉しいです」
「キャロライン」
「ヘクター先輩……」
見つめ合う二人。周辺にはお花畑の幻影が見えそうなほど甘い雰囲気が漂っている。
フランシスはこめかみに手を当てて、わずかに感じ始めた頭痛に耐える。
一方で、レイモンドは何の茶番を見せられているんだと呆れて、早々に退散しようと立ち上がった。
後ろ髪を引かれながら貸出禁止の本を本棚に戻そうと歩き出せば、突然、横から腕が引かれた。
フランシスだ。
彼女は苛立ちを隠しもせず、今にもぶち切れそうな剣幕でレイモンドの腕を取ったまま、二人に――正確にはヘクターに対峙した。
「――違います!」
思わぬ大声にヘクターとキャロラインはあっけにとられた。二人を囲む花畑の花弁は吹き飛び、甘い空気も四散してしまう。
フランシスはそれほど、花畑は勿論図書館にもふさわしくない感情の渦を叩きつけていた。
「毎日毎日、大人しくしていれば――待ち伏せに尾行、濡れ衣を着せてどういうつもり?
昼ごはんもゆっくり食べられない。課題の質問をしに研究室に行く途中でも、図書館でも割り込んできて、勉強の邪魔をして、いちゃいちゃイチャイチャ。
ご両親から家にご招待を受ければ逃げ回って顔を合わせもしない。
……それなのに婚約を解消してくれないってどういうことなの?
キャロラインさんの目の前で一度婚約を『解消したい』と言ったことはあるのに、『解消する』とは言わない。尋ねればうやむやにする。
私、恋のスパイスのために存在しているんじゃないんですけど!」
「な、なにを……」
二の句を継げないヘクターに、彼女は畳みかける。
「婚約は解消してくれるのですか?」
「婚約は両家の取り決めだろう? だから……」
目が泳ぐヘクターを見て、フランシスは「これは駄目だ」と悟った。
「悲劇のヒーローを演じるなら家の中だけにしてください! 私が欲しいのはあなたの有責で婚約解消できる書類ですよ、書類!」
息を吸うと最後通牒を突き付ける。
「本気でやろうとしたら両家の合意なんて要りません。いつの時代の法律です――いいですか、ストーキングも名誉棄損も婚約の不履行も、犯罪です。
本気で婚約解消してくださらないなら、次は法廷でお会いしましょう!」
いや正確には女子学生が半歩先に部屋に入ってきて、金魚のフンのように着いてきた赤銅色の髪の男子学生が、勢いよく扉を開けたのだった。
フランシスの顔が途端に、露骨にひきつる。
「……またあなたなのね、ヘクター」
「また、とはちゃんちゃらおかしいな。ここに来るのを知っていて待ち伏せしていたんだろう」
髪と同色の瞳でフランシスを見据えきりっと指先を突き付けるヘクター。
彼女と同じマントを羽織ってはいるものの、その下は流行の服を着こなしていて印象はまるで正反対だ。
「婚約者という立場を笠に着て、俺たちの逢瀬を邪魔しようと……」
フランシスの表情が険しくなる。彼女の予測によれば、この聞くに堪えない言いがかりはあと三分は続くはずだった。
が、その言葉を遮ったのは、ヘクターの前で立ち止まった可愛らしい金髪の女子学生だ。彼女は小動物のような緑の目を丸くして、手に抱えていた手提げ鞄を机に置いた。
「……フランシス先輩、奇遇ですねえ」
「私名乗った覚えもありませんし、厳密にはあなたと知り合いではないのですが……」
「……そうでしたっけ……?」
しかしフランシスは、首を傾げている彼女の名前は知っていた。
「そうです。一方的ないちゃいちゃを見せられてきたせいで、お名前がキャロラインさんで一学年後輩、外国語文学を学んでいること、甘いものが大好きで特に苺のケーキに目がないことは知っていますが」
「そこまでご存じでしたらもう知り合いですね」
にっこり微笑む彼女に邪念があるようには見えない。
フランシスは射るようなヘクターの視線を無視しながら、キャロラインに続けた。
「それと、偶然ではないと思います」
「そうなんですか? えーと、ここには勉強にいらしたわけではない……となると、やっぱり待ち伏せ? なんでしょうか……」
「違います」
「では私かヘクター先輩にご用事があって?」
「どちらかと言えばヘクターの方が……だと思います」
「どういうことでしょう?」
キャロラインは困ったようにヘクターを見上げ、ヘクターはそのキャロラインの肩を慰めるように抱いた。
「だから何度も言っただろう、キャロライン。婚約者の立場を利用して、真実の愛を阻むような行為をして楽しんでいるんだ。
この前の塩入り卵焼き事件も、俺の家に突然訪ねて来たのも、先月学院のパーティーでキャロラインとドレスの色を合わせたのも」
「さすがにそんなことないと思いますけど……」
「君は純粋だから人の悪意が分からないんだ」
「……でもヘクター先輩が心配してくださるのは嬉しいです」
「キャロライン」
「ヘクター先輩……」
見つめ合う二人。周辺にはお花畑の幻影が見えそうなほど甘い雰囲気が漂っている。
フランシスはこめかみに手を当てて、わずかに感じ始めた頭痛に耐える。
一方で、レイモンドは何の茶番を見せられているんだと呆れて、早々に退散しようと立ち上がった。
後ろ髪を引かれながら貸出禁止の本を本棚に戻そうと歩き出せば、突然、横から腕が引かれた。
フランシスだ。
彼女は苛立ちを隠しもせず、今にもぶち切れそうな剣幕でレイモンドの腕を取ったまま、二人に――正確にはヘクターに対峙した。
「――違います!」
思わぬ大声にヘクターとキャロラインはあっけにとられた。二人を囲む花畑の花弁は吹き飛び、甘い空気も四散してしまう。
フランシスはそれほど、花畑は勿論図書館にもふさわしくない感情の渦を叩きつけていた。
「毎日毎日、大人しくしていれば――待ち伏せに尾行、濡れ衣を着せてどういうつもり?
昼ごはんもゆっくり食べられない。課題の質問をしに研究室に行く途中でも、図書館でも割り込んできて、勉強の邪魔をして、いちゃいちゃイチャイチャ。
ご両親から家にご招待を受ければ逃げ回って顔を合わせもしない。
……それなのに婚約を解消してくれないってどういうことなの?
キャロラインさんの目の前で一度婚約を『解消したい』と言ったことはあるのに、『解消する』とは言わない。尋ねればうやむやにする。
私、恋のスパイスのために存在しているんじゃないんですけど!」
「な、なにを……」
二の句を継げないヘクターに、彼女は畳みかける。
「婚約は解消してくれるのですか?」
「婚約は両家の取り決めだろう? だから……」
目が泳ぐヘクターを見て、フランシスは「これは駄目だ」と悟った。
「悲劇のヒーローを演じるなら家の中だけにしてください! 私が欲しいのはあなたの有責で婚約解消できる書類ですよ、書類!」
息を吸うと最後通牒を突き付ける。
「本気でやろうとしたら両家の合意なんて要りません。いつの時代の法律です――いいですか、ストーキングも名誉棄損も婚約の不履行も、犯罪です。
本気で婚約解消してくださらないなら、次は法廷でお会いしましょう!」
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