叩いても真実の愛は出てきません

有沢楓花

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「真実の愛」の探し方

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「……ご、ごめんなさい。私、ノーマンのこと、怖いわけじゃ……」

 叩かれることなどないと頭では理解していても、体がいうことを聞かない。さっきまであんなに自由に動いていたのに――習慣だ。繰り返し叩かれて染みついた習慣だった。
 ノーマンの顔が曇る。

「ミリアムの言う通りだったな。もっと早く決断すれば良かった」
「……」
「今まで本当に一方的に、あいつに好き放題言われてきたんだよ。『馬鹿』『意気地なし』『いつまでぐずぐずしているつもりだ』って。
 今朝なんか、視線で殺されるかと思った」

 本当に初めは、義母はそこまで冷たくなかった。けれど何年か経った頃だろうか、彼女は仲の良かった姉妹を見て苛立つようになっていった。
 ちょっとしたことで怒鳴り、手を上げるようになり――ミリアムがジニアをかばったとき、義母は余計に義妹の見えないところで彼女を叩くようになった。
 使用人は義母の機嫌を伺うから、なかなかミリアムが表立って動くことはできなかった。

 だから見かねた彼女は、我が儘に振る舞うことにしたのだ。
 ドレスをジニアのサイズで作らせて、すぐにお下がりだと渡す。お菓子を食べられないくらい求めて、残りを始末しろと言って、ジニアにくれた。
 我が儘で意地悪な後妻の妹という評判を社交界で立てられても気にしないように振る舞っていた――半分は本当だし、どうせ噂なんていつか消えるし、外国に行って本当の私を見てくれる王子様と結ばれるからいいの、と言って。
 今日のこの時間だってそうだ。メイドを連れて二人きりにして、別れの時間を作ってくれた。

 ジニアが複雑な顔で俯いていると、目の前に手が差し出される――そこには、汽車のチケット。

「……手伝ってくれたお礼、ですか」
「馬鹿、何を聞いてたんだ。今から一緒にここを出る」
「ミリアムとした、約束っていうのは……」
「ああ、あれ? 外国のいい男を紹介しろって言われてる」
「子爵家は」
「ほとぼりが冷めたら戻ってくる。いや――」

 ノーマンは再度、にやりと笑ってジニアの方に手を伸ばした。
 背後から聞こえる、聞き間違えるはずのない三組の足音に背筋を震わせたジニアの肩をもう片方の腕で抱き、

「……お待ちください、お母様! お父様も!」

 ミリアムの上げたきつい声よりも大きく音を立てて、扉が開き――ジニアが両親の顔を目の端に捉えたとき、

「よそ見をするな」

 顎が持ち上げられ、唇が塞がれ――。

「――ッ、んっ!」

 次の瞬間。

「ジニア……!」

 絹を裂くような義母の悲鳴が耳朶を打つ。

 目を見開き胸板を押し返そうとしたら、口付けの寸前で止っていた唇を離されてタイミングを失う。
 何が起こったのかと見上げようとしたら、頭を胸に抱え込まれて視界を塞がれる。

「――ご覧の通り、ご両親の反対にもかかわらず貫いた『真実の愛』によって、私も忘れ物を見つけ出しました。彼女を持ち帰らせてもらいます」

 顔は見えないが、自信ありげな声が頭上から響いている。

「いつの間にそんな、男性を誘惑するなどふしだらな!」
「誘惑なんてされてませんが、いつ頃からと言うなら、子供の頃からですよ。ジャングルの山猫から私たちを守ってくれた勇敢なお嬢さんですからね」

 その言い方では何を言っているのか両親は理解しないだろう、とジニアは思う。
 探検に行って、その辺の野良猫が飛びかかってきたので咄嗟に前に出たら、引っかかれただけのことだ。
 熱を出したにもかかわらず、やはり二人を危険にさらしたと両親に怒られたが。

「それから、伯爵家の次男を婿に迎えることをご検討いただきたい。領地経営の観点からは、彼女が後妻になるより益があると思いますが。ミリアム嬢に関しては――」
「ええ。もちろん、お義姉様なんかに誘惑される男性に用などなくてよ、のろまのノーマン!」

 伯爵夫妻が返事をするより早くミリアムの声が部屋に響けば、彼女に甘い両親は黙り込む。
 最後の一言だけが彼への皮肉で、ジニアの頭上から小さな舌打ちが聞こえた。

「全く……その通りだな。では、失礼。そこの荷物は後で取りに行かせます」
「……えっ?」

 胸に抱かれたままノーマンに半ば抱きかかえられるように部屋から連れ出されたジニアは、しばらく進んだ先で歩みが止ったので、やっと彼の胸から離れることができた。
 手を繋がれながらも肩で息をして空気を吸い込むと、異議を唱えた。

「ちょっと、話し合いは?」
「お前が目の前にいると、伯爵夫妻も俺も、お互いに冷静じゃなくなるからな。俺の両親も交えて別途する。文書でもいい」
「私、何の用意もしてないし、こんな服で外に行くのは……」
「結果論だけど、この方が『真実の愛』らしいだろ。
 服だって大人しく、ミリアムがくれたドレスを着ていれば良かったんだ。どうせあとであいつが何とかしてくれるから、とりあえずうちの別荘まで行くぞ」

 手を取られて屋敷の外に連れ出されれば、馬車が待っていた。押し込まれるように乗ると、すぐに景色が流れていく。

「――本当に今夜、外国に?」
「出発は明後日だ。それまでに決めてくれればいい。逃げるのは確定――あいつのお前への『真実の愛』を無駄にするな」

 向かいに座った彼の視線に促されて、手に握ったままのチケットを見れば、確かに旅券の日付は明後日を示していた。

「俺があげられる選択肢はふたつだ。お前が俺と結婚して外国まで着いてきて、ついでにミリアムに似合いの男を探すか。もしくは、俺と結婚してうちの家に残るか。
 伯爵家を乗っ取った後は離婚してもいい。白い結婚なら簡単に離婚……とはいかないが、自由になれる」
「結婚しない選択肢って……幼馴染みだからって、人助けのために結婚しなくても、」
「人助けって本気で思ってるのか? ……やっぱり気付いてないのか」

 はあ、と軽く溜め息をつかれる。

「同じ委員会に入ったのも、わざと色々失くしたのも。卒業パーティーの花を置いてきたのも、ミリアムをダシにしてサザーランド家に行ってたのも、というかさっきまで滞在してたのも。遠回りだったのは認めざるを得ないが」
「全部わざと……?」
「言っておくが、俺は人助けだけで結婚するほど馬鹿じゃないし、好きじゃないやつと口付けするほど……軽くも、ないし――いや一途だろこれは」

 声にどこか柔らかくて甘いものが混じった気がして、何故か、もっと綺麗に着飾っていたら良かったのにという考えがジニアの頭に浮かぶ。
 額の傷だってなかったら――そう思ったら、ノーマンの伸びた指が額の傷をそっとなぞった。

「本当は、白い結婚じゃない方が、いいんだが。どう思う?」
「あ……」

 身を乗り出されれば、見慣れたはず顔と声が子供の頃のように近くなって、懐かしいくせに何故だか胸がとたんにうるさく音を立て始めた。

「たぶん、触れるのに抗議しないくらい、お前だって、自分で思ってるより俺のこと好きだろう――俺の思い上がりじゃないなら」

 首筋に手が伸びて、立て襟の中に隠れていた細い鎖に掛かった。そうっと引き抜かれたそれが、姿を現す。先端に青い小さな宝石。
 ジニアの瞳と同じ目の色をした、昔もらった“ついで”のプレゼント。

 どくんどくんと、心臓が耳の中が騒がしい。
 腕が上がるのは怖い。でも頭を触れられるのも、口付けのフリをされるのすら不快ではなかった――不快ではなく、むしろ。

 彼女が否定できないでいるうちに、いつの間にか彼の話す主語がジニアに変わって、指が顎に触れて持ち上がる。

「いいのか。このままだと本当に口付けてしまうが」

 眉をひそめて、言い含めるような耳に落ちてから、今度はゆっくり、いやおそるおそるといった風に近づく顔から笑みが消えた。
 そして――いつまで経っても唇は近づかなくて、眉間の皺だけ増えていく。

「……避けないのか」

 そう呟かれて、困惑したように目が細められたとき、ジニアは遂に自分の心臓の音に耐えきれなくなった。

 ――なくしたと思っていた思い出も、感情も、大切なものは思ったよりずっと近くにあったらしい。
 もう失わなくていい、と思えばゆっくりと血が通っていくようで――これを自覚と彼が呼ぶのなら、そうなのだろう。

「はい」

 だから彼女は睫毛を震わせて決意を込めて見上げて、その音を止めた。


***


 その後、ジニア・サザーランドはジニア・クリフトンとなって国外でしばらく暮らした。
 サザーランド家の爵位はやがてノーマンが継ぎ、色々と面倒ごとはあったが、やがて平穏が訪れた。
 ただ、ジニアとノーマンにとってはひとつだけ解決しない面倒ごとがある。
 ミリアムはそのままノーマンが紹介した男性と婚約しているはずだが、しょっちゅう世話を焼きにくるのだ。時に彼を連れて。

「最近は妻も調子が悪かったし……たまには二人でゆっくり過ごしたいんだが」
「私がいなかったら結婚できてなかったでしょう?」

 新居の温室で、ノーマンの不満顔に対抗するミリアムは、胸を張ってそんなことを言う。
 ジニアは二人をなだめながら、前もって使用人に用意してもらったバスケットを持ち上げて見せた。

「今日は外でお茶にしましょう。お茶菓子も、昨日焼いてみたから一緒にね」

 そう言えばすぐさま二人は彼女の方を向いて笑顔を浮かべる。

「あら、それは素敵だわ――あ、ちょっと待って、彼も呼んでくるから」
「じゃあ、俺たちは先に行ってる。行こう、ジニア」

 ノーマンがさっさと立ち上がってジニアの手を引くので、そのまま庭に出れば境界線の向こうに、木立が広がっている。

「まったく、そろそろ姉離れして欲しいんだが。あと、妹離れもしてくれ」
「……それは、私もそろそろね」

 ジニアはゆっくりとそう答えて、不思議そうに見下ろしてくる顔に微笑する。
 大切な妹ではあるが、確かにお互いに子供時代はもう終わりだ。これからは互いに大人としての責任や家族が増えていくだろうから。
 それは先日、お医者様からも改めて聞いた言葉だった。

 そう、かつて自分はなれなかった両親の『真実の愛』。そんな暖かな、見返りが不要だと思えるものが宿るのは、どんなに素敵なことだろう。
 彼はどんな顔をして喜んでくれるだろう――喜んでくれる、という確信があることが嬉しかった。

「あのね、もし」

 ジニアは――それを何と切り出そうか考えながら、まだなだらかな下腹を押さえる。
 そう、例えばこんな風に言ったら。

「あの林で、綺麗な花や石や丁度いい棒を、この子が見付けたら――」
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