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(二)有馬四郎なる男
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人質といっても、なにも拘束されて牢に閉じ込められる訳ではない。三田城内の離れの一室にいる限り、則頼の身体は自由だった。
きちんと夕餉が支度され、夜具の用意も整えられている。
見張りに立つ番卒はだいたい二名ほどで、あまりやる気はなさそうだった。
則頼が見る限り、本気で逃げ出そうと思えば、夜の闇に乗じて外曲輪の向こうに出ることも不可能ではないように思われた。
(無論、そのような真似は刷る筈もないがな)
埒もない考えが脳裏をよぎったことに気づき、則頼は自嘲の笑みを漏らす。
帰るべき家を捨て、一介の牢人者になり鑓働きで一から立身出世を目指すつもりなど、則頼の考えには毛頭ない。
戦さが終わればすぐに戻れる、との鎧武者の言葉を信じて待つ他なかった。
とはいえ、人質である。相談もなく放り出されたことへの怒りが夜更けと共に鎮まるにつれ、やがて否応なく不安が募ってくる。
飛ぶ鳥を落とす勢いの三好家が、よもや別所を相手に打ち負けるなどとは考えられないが、何ごとにも万が一はある。
三好勢が撃退され、父・重則が別所に帰参するような事態となれば、則頼に命の保証はない。
あり得ない筈の可能性ばかりが頭に浮かび、とても眠れるものではない。
そう思った則頼だが、夜明け前の人馬のざわめきを耳にしてまどろみから目を覚ます。
(しっかり寝ておったか)
則頼は苦笑しながら身体を起こす。
外の様子は気にかかるが、下手に部屋から顔を出して咎められるのも面白くない。部屋の真ん中でじっと耳を澄ませる。
鬨の声が幾度か響いた後、大人数の足音が遠ざかる。いつしか城に溢れていた人数のざわめきが消えていた。
「出陣したか……」
その後、則頼が残った番卒同士の会話に聞き耳を立てていると、どうやら有馬村秀も手勢を率いて三好勢に同陣していたらしいことが伺い知れた。
番卒達は、戦さに駆り出されなくて安堵する一方、人質の見張りというつまらない仕事を割り当てられて面白くない様子だった。
ともあれ城内が静かになり、朝餉を済ませた則頼は、いよいよ暇を持て余しはじめた。
そこへ、頃合いを見計らったかのようにやたらと身体の大きな男が数冊の本と書見台を抱えてやってきた。
「お主が有馬源次郎か。儂は有馬四郎と申す者じゃ。以後、見知りおけ。これは無聊の慰めじゃ」
書見台を板の間に置きながら、有馬四郎なる大男がにやりと笑った。
「ご配慮、傷み入ります」
間合いを計りかね、身構えつつ則頼は応じる。
「ところで、三好日向守様がどこを攻めるのか、お主は存じておるか」
警戒心を露わにしている則頼に対し、有馬四郎はまるで気にする様子もみせない。
則頼の目の前にどかりと腰を降ろし、身を乗り出すようにして問うた。
三好日向守とは三好長逸のこと。三好長慶の父・三好元長の従兄弟にあたる重臣である。
則頼は三好勢の大将が三好長逸であること自体、初耳であった。だが、今はそれを言ってもはじまらない。
「無論のこと、それは別所でございましょう。そうでなければ、我が父がそれがしを人質に出す意味もございませぬ」
一晩かけて熟考を重ねるまでもなく、当然の結論である。則頼は自信をもって応じた。
三津田城の有馬家は形の上でこそ、別所家の当主・別所村治に従属する立場ではあるのの、当主・有馬重則はお世辞にも従順とはいえない。
むしろ、隙あらば周辺の領地をかすめ取ろうと画策し続けており、特に重則が治める三津田と戸田の地の東側、淡河の地を領する淡河氏との争いが激しい。
三好が有馬村秀を味方につけて播磨へ討ち入れるとの動きをいちはやく察知し、この機に乗じて別所を見限り、淡河の城の一つでも奪ってやろうというのが重則の魂胆であろう。
もちろん、初対面の有馬四郎に、則頼もそこまで内情を話すつもりはなかった。
「うむ。さすがに判らぬはずがないわな。ともあれ、戦さがはじまるというのに、ただ帰りを待つというのはお互い面白くないものじゃなあ。男は、待っておってはいかぬ。男なら、自ら進まねばならぬわ」
則頼の推察を聞き終えた有馬四郎は、我が意を得たりとばかりに己の思いを力説するや、則頼の背中を叩いた。
本人は激励のつもりなのかも知れないが、痣でも出来そうなほどに痛い。
息を詰まらせて涙目になる則頼を余所に、有馬四郎はさっさと腰を上げ、「また来る」と言い残して部屋を出て行った。
(いったい、何者なのだ)
残された則頼は、ふうと大きく息を吐いてから、考えを巡らせる。
(月江様の子か、あるいは弟か。儂よりいくつか年上のようにも見受けられるが、どうも顔つきだけでは年の頃を読み取れぬ)
離れに配された番卒達が有馬四郎の行動を咎める様子はみられない。城内で高い身分にあることは確かだと思われた。
こうして、三田城における則頼の人質生活がはじまった。
長期に渡る人質ともなれば、ただ飯を喰わせておくだけでは済まさずに何かしらの役目を与えられる事例も少なくない。
しかし、有馬村秀にそのつもりはさらさらないらしく、則頼はただ放置されているだけだった。
日に三度の食事が運ばれてくるのと湯あみを許されるだけだ。
そんな状況にあって、有馬四郎だけが、日に数度は則頼の元に顔を出し、あれやこれやと話して帰っていく。
話の内容はたわいのないものであったり、三好の軍勢の動向であったりする。
則頼はどちらかといえば聞き役に回り、相槌を打つだけの場合が多い。
そうやって無難に相手をしつつ、依然として則頼は有馬四郎の正体を掴みかねていた。
言うまでもなく、本人が目の前にいる間に、直接尋ねれば済む話ではある。
しかし、初対面時に聞きそびれたこともあって、則頼はついためらってしまう。
なにしろ図体がでかいので、要らぬことを聞いた途端に丸太のような腕で殴られそうで、おっかなくて仕方がないのだ。
実際、有馬四郎は自分が軍勢に加われなかったことを相当不満を抱いているらしい。
人質に出された則頼に同情しているというより、戦場に出られない者同士と考えている様子が垣間見えた。
(触らぬ神に祟りなし、じゃ)
それでも、彼の来訪は則頼にとってありがたかった。流石に分郡守護の家だけあってか、京で入手したという書物を読む機会を得たし、それ以上に三好勢の戦況を伝えてくれるからだ。
「お主の父御は手柄を立てたようじゃぞ」
人質生活が始まってから十日ほどたったある日、喜色を浮かべて有馬四郎が新たな報せを持って則頼が暮らす離れまっでやってきた。
聞けば、淡河城を三好勢の手によらず攻め落としたという。
東から三好勢の襲来を受けた淡河城の城主・淡河元範は、領内の東端にあたる野瀬で迎え撃つべく兵を集めていた。
この時点では、元範は迂闊にも、三田城の有馬家と出自を同じくする三津田の有馬重則を、別所方と信じ切っていたものらしい。
重則は手薄となった淡河城を西側から急襲し、そのまま乗っ取ってしまった。
さらに重則が、淡河城から四半里ほど東にある淡河家の出城である萩原城も陥れると、居城を奪われて前後に敵を迎えた淡河勢は進退窮まって四散してしまったのだという。
(大方、親父が出まかせで淡河殿を欺いたのであろうが)
重則から仔細を聞かされていない則頼としては、そう推測するしかない。
三好長逸率いる三好勢は、播磨に侵攻した八月下旬から九月一日のわずか十日ほどの間に、別所方の城七つを攻め落とした、と後の世に記録される。
その半数近くが、実は重則の働きによるものであったことになる。
もっとも、この時は別所方の本城である三木城を本格的には攻撃していない。
三好の軍勢が播磨を暴風のごとく吹き抜ける間に東播磨の情勢をおおむね把握した長逸は、九月十二日には摂津へと軍勢を退いた。
重則が確保した淡河城、萩原城、そして野瀬城はそのまま重則が治めることとなった。
(親父の抜け目なさよ)
有馬四郎の話を聞き、感心するより呆れが先に立つ則頼であったが、ふと己の身の上に気づいて渋面を作る。
「この俺は、どうなるのだ」
則頼は依然として三田城にとどめ置かれたままである。
だが、有馬村秀が手勢を率いて帰還すると、則頼は本丸御殿の広間へと召し出された。
則頼は、有馬の本家筋の当主と対面するのは今回が初めてである。
「日向守様がな、その方をしばし当城にとどめおけと仰せでな。追って沙汰もあろうゆえ、今しばらく待つが良い」
有馬村秀の口ぶりからは、どこか困惑の色が感じられた。
実のところ、庶流の家から人質を差し出されても、その扱いに困っているのかもしれない。
「ははっ」
ともあれ本家の当主から直々に申し伝えられれば、則頼としては平伏して承るしかない。
少なくとも、父・重則が自分を見捨てるような真似だけはしなかったと胸をなでおろす。
ただ、いつまでと期限が切られていないことには、漠然とした不安を残す結果となった。
(まさか、一生このままという訳でもあるまいが……)
しかし、則頼の懸念をよそに、人質の日々は唐突に終わりを告げることとなる。
警固の兵を連れた三好長逸が三田城に登城し、則頼は再び本丸御殿の広間に足を運ぶことになった。
広間に有馬村秀の姿はなく、広間の上座には三好長逸が我が物顔で腰を下ろしていた。
「これより淡路に参るゆえ、ついてまいれ」
戦場で鍛えられた長逸の喉から発せられた野太い声が、則頼の耳朶を打つ。
「はっ」
思いがけない言葉だった。
このまま三津田城に帰してくれる訳ではないと聞かされ、則頼は内心で同様を隠せない。
だが、この場で「自分は有馬村秀の人質であり、三好家の指図を受けて淡路などへは行かぬ」などと言えるはずもない。
ただ頭を下げ、従う他はなかった。
出立の刻限にいたるまで、有馬村秀と顔を合わせる機会はなかった。ただ有馬四郎だけが大手門まで足を運んで見送ってくれた。
「広い世の中を見てまいれ。でかい男になれ」
則頼の将来に何かを見出しているのか、有馬四郎はそんな言葉で激励してくれた。
(妙な御仁じゃったの。それにしても、これからどうなることやら)
とうとう最後まで有馬四郎が何者であるかを聞きそびれたことに則頼が気づいたのは、三田城がみえなくなるほど離れた後になってからだった。
きちんと夕餉が支度され、夜具の用意も整えられている。
見張りに立つ番卒はだいたい二名ほどで、あまりやる気はなさそうだった。
則頼が見る限り、本気で逃げ出そうと思えば、夜の闇に乗じて外曲輪の向こうに出ることも不可能ではないように思われた。
(無論、そのような真似は刷る筈もないがな)
埒もない考えが脳裏をよぎったことに気づき、則頼は自嘲の笑みを漏らす。
帰るべき家を捨て、一介の牢人者になり鑓働きで一から立身出世を目指すつもりなど、則頼の考えには毛頭ない。
戦さが終わればすぐに戻れる、との鎧武者の言葉を信じて待つ他なかった。
とはいえ、人質である。相談もなく放り出されたことへの怒りが夜更けと共に鎮まるにつれ、やがて否応なく不安が募ってくる。
飛ぶ鳥を落とす勢いの三好家が、よもや別所を相手に打ち負けるなどとは考えられないが、何ごとにも万が一はある。
三好勢が撃退され、父・重則が別所に帰参するような事態となれば、則頼に命の保証はない。
あり得ない筈の可能性ばかりが頭に浮かび、とても眠れるものではない。
そう思った則頼だが、夜明け前の人馬のざわめきを耳にしてまどろみから目を覚ます。
(しっかり寝ておったか)
則頼は苦笑しながら身体を起こす。
外の様子は気にかかるが、下手に部屋から顔を出して咎められるのも面白くない。部屋の真ん中でじっと耳を澄ませる。
鬨の声が幾度か響いた後、大人数の足音が遠ざかる。いつしか城に溢れていた人数のざわめきが消えていた。
「出陣したか……」
その後、則頼が残った番卒同士の会話に聞き耳を立てていると、どうやら有馬村秀も手勢を率いて三好勢に同陣していたらしいことが伺い知れた。
番卒達は、戦さに駆り出されなくて安堵する一方、人質の見張りというつまらない仕事を割り当てられて面白くない様子だった。
ともあれ城内が静かになり、朝餉を済ませた則頼は、いよいよ暇を持て余しはじめた。
そこへ、頃合いを見計らったかのようにやたらと身体の大きな男が数冊の本と書見台を抱えてやってきた。
「お主が有馬源次郎か。儂は有馬四郎と申す者じゃ。以後、見知りおけ。これは無聊の慰めじゃ」
書見台を板の間に置きながら、有馬四郎なる大男がにやりと笑った。
「ご配慮、傷み入ります」
間合いを計りかね、身構えつつ則頼は応じる。
「ところで、三好日向守様がどこを攻めるのか、お主は存じておるか」
警戒心を露わにしている則頼に対し、有馬四郎はまるで気にする様子もみせない。
則頼の目の前にどかりと腰を降ろし、身を乗り出すようにして問うた。
三好日向守とは三好長逸のこと。三好長慶の父・三好元長の従兄弟にあたる重臣である。
則頼は三好勢の大将が三好長逸であること自体、初耳であった。だが、今はそれを言ってもはじまらない。
「無論のこと、それは別所でございましょう。そうでなければ、我が父がそれがしを人質に出す意味もございませぬ」
一晩かけて熟考を重ねるまでもなく、当然の結論である。則頼は自信をもって応じた。
三津田城の有馬家は形の上でこそ、別所家の当主・別所村治に従属する立場ではあるのの、当主・有馬重則はお世辞にも従順とはいえない。
むしろ、隙あらば周辺の領地をかすめ取ろうと画策し続けており、特に重則が治める三津田と戸田の地の東側、淡河の地を領する淡河氏との争いが激しい。
三好が有馬村秀を味方につけて播磨へ討ち入れるとの動きをいちはやく察知し、この機に乗じて別所を見限り、淡河の城の一つでも奪ってやろうというのが重則の魂胆であろう。
もちろん、初対面の有馬四郎に、則頼もそこまで内情を話すつもりはなかった。
「うむ。さすがに判らぬはずがないわな。ともあれ、戦さがはじまるというのに、ただ帰りを待つというのはお互い面白くないものじゃなあ。男は、待っておってはいかぬ。男なら、自ら進まねばならぬわ」
則頼の推察を聞き終えた有馬四郎は、我が意を得たりとばかりに己の思いを力説するや、則頼の背中を叩いた。
本人は激励のつもりなのかも知れないが、痣でも出来そうなほどに痛い。
息を詰まらせて涙目になる則頼を余所に、有馬四郎はさっさと腰を上げ、「また来る」と言い残して部屋を出て行った。
(いったい、何者なのだ)
残された則頼は、ふうと大きく息を吐いてから、考えを巡らせる。
(月江様の子か、あるいは弟か。儂よりいくつか年上のようにも見受けられるが、どうも顔つきだけでは年の頃を読み取れぬ)
離れに配された番卒達が有馬四郎の行動を咎める様子はみられない。城内で高い身分にあることは確かだと思われた。
こうして、三田城における則頼の人質生活がはじまった。
長期に渡る人質ともなれば、ただ飯を喰わせておくだけでは済まさずに何かしらの役目を与えられる事例も少なくない。
しかし、有馬村秀にそのつもりはさらさらないらしく、則頼はただ放置されているだけだった。
日に三度の食事が運ばれてくるのと湯あみを許されるだけだ。
そんな状況にあって、有馬四郎だけが、日に数度は則頼の元に顔を出し、あれやこれやと話して帰っていく。
話の内容はたわいのないものであったり、三好の軍勢の動向であったりする。
則頼はどちらかといえば聞き役に回り、相槌を打つだけの場合が多い。
そうやって無難に相手をしつつ、依然として則頼は有馬四郎の正体を掴みかねていた。
言うまでもなく、本人が目の前にいる間に、直接尋ねれば済む話ではある。
しかし、初対面時に聞きそびれたこともあって、則頼はついためらってしまう。
なにしろ図体がでかいので、要らぬことを聞いた途端に丸太のような腕で殴られそうで、おっかなくて仕方がないのだ。
実際、有馬四郎は自分が軍勢に加われなかったことを相当不満を抱いているらしい。
人質に出された則頼に同情しているというより、戦場に出られない者同士と考えている様子が垣間見えた。
(触らぬ神に祟りなし、じゃ)
それでも、彼の来訪は則頼にとってありがたかった。流石に分郡守護の家だけあってか、京で入手したという書物を読む機会を得たし、それ以上に三好勢の戦況を伝えてくれるからだ。
「お主の父御は手柄を立てたようじゃぞ」
人質生活が始まってから十日ほどたったある日、喜色を浮かべて有馬四郎が新たな報せを持って則頼が暮らす離れまっでやってきた。
聞けば、淡河城を三好勢の手によらず攻め落としたという。
東から三好勢の襲来を受けた淡河城の城主・淡河元範は、領内の東端にあたる野瀬で迎え撃つべく兵を集めていた。
この時点では、元範は迂闊にも、三田城の有馬家と出自を同じくする三津田の有馬重則を、別所方と信じ切っていたものらしい。
重則は手薄となった淡河城を西側から急襲し、そのまま乗っ取ってしまった。
さらに重則が、淡河城から四半里ほど東にある淡河家の出城である萩原城も陥れると、居城を奪われて前後に敵を迎えた淡河勢は進退窮まって四散してしまったのだという。
(大方、親父が出まかせで淡河殿を欺いたのであろうが)
重則から仔細を聞かされていない則頼としては、そう推測するしかない。
三好長逸率いる三好勢は、播磨に侵攻した八月下旬から九月一日のわずか十日ほどの間に、別所方の城七つを攻め落とした、と後の世に記録される。
その半数近くが、実は重則の働きによるものであったことになる。
もっとも、この時は別所方の本城である三木城を本格的には攻撃していない。
三好の軍勢が播磨を暴風のごとく吹き抜ける間に東播磨の情勢をおおむね把握した長逸は、九月十二日には摂津へと軍勢を退いた。
重則が確保した淡河城、萩原城、そして野瀬城はそのまま重則が治めることとなった。
(親父の抜け目なさよ)
有馬四郎の話を聞き、感心するより呆れが先に立つ則頼であったが、ふと己の身の上に気づいて渋面を作る。
「この俺は、どうなるのだ」
則頼は依然として三田城にとどめ置かれたままである。
だが、有馬村秀が手勢を率いて帰還すると、則頼は本丸御殿の広間へと召し出された。
則頼は、有馬の本家筋の当主と対面するのは今回が初めてである。
「日向守様がな、その方をしばし当城にとどめおけと仰せでな。追って沙汰もあろうゆえ、今しばらく待つが良い」
有馬村秀の口ぶりからは、どこか困惑の色が感じられた。
実のところ、庶流の家から人質を差し出されても、その扱いに困っているのかもしれない。
「ははっ」
ともあれ本家の当主から直々に申し伝えられれば、則頼としては平伏して承るしかない。
少なくとも、父・重則が自分を見捨てるような真似だけはしなかったと胸をなでおろす。
ただ、いつまでと期限が切られていないことには、漠然とした不安を残す結果となった。
(まさか、一生このままという訳でもあるまいが……)
しかし、則頼の懸念をよそに、人質の日々は唐突に終わりを告げることとなる。
警固の兵を連れた三好長逸が三田城に登城し、則頼は再び本丸御殿の広間に足を運ぶことになった。
広間に有馬村秀の姿はなく、広間の上座には三好長逸が我が物顔で腰を下ろしていた。
「これより淡路に参るゆえ、ついてまいれ」
戦場で鍛えられた長逸の喉から発せられた野太い声が、則頼の耳朶を打つ。
「はっ」
思いがけない言葉だった。
このまま三津田城に帰してくれる訳ではないと聞かされ、則頼は内心で同様を隠せない。
だが、この場で「自分は有馬村秀の人質であり、三好家の指図を受けて淡路などへは行かぬ」などと言えるはずもない。
ただ頭を下げ、従う他はなかった。
出立の刻限にいたるまで、有馬村秀と顔を合わせる機会はなかった。ただ有馬四郎だけが大手門まで足を運んで見送ってくれた。
「広い世の中を見てまいれ。でかい男になれ」
則頼の将来に何かを見出しているのか、有馬四郎はそんな言葉で激励してくれた。
(妙な御仁じゃったの。それにしても、これからどうなることやら)
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