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(八)石切山出城の奪取
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永禄元年(一五五八年)十一月。
河内の大名である畠山高政とその家臣の安見宗房の間で内紛が起こり、高政が居城・高屋城を追われ、堺に逃れる事態となった。
この騒動に対して、三好長慶は畠山高政に味方すると決め、翌永禄二年(一五五九年)六月に河内に兵を進めた。
三好家の河内侵攻にあたっては、摂津の分郡守護である有馬村秀や、三好に従属する別所家をはじめとする東播磨の諸将も援軍として動員されている。
まだこの時期の別所家は、長慶の命令一つで他国まで兵を出すことを余儀なくされる立場にあった。
しかしこの後、三好の目はもっぱら京畿の内に向けられることになる。
また、松永久秀も寺社勢力の強い大和国の掌握に傾注するようになり、播磨国に対する三好家の影響力は次第に低下していくことになる。
永禄四年(一五六一年)。
有馬勢と淡河勢が、淡河川の河川敷で衝突していた。
といっても、大戦さではない。両勢を合計しても五百にも満たぬ小勢同士の小競り合いである。
人数が少ないだけに、飛び道具もさほどの効果を発揮せず、互いの大将の姿を目視できるほどの距離に迫っての押しあいとなる。
淡河勢を率いる淡河定範の振るった手鑓が、有馬方の騎馬武者の前立てを弾き飛ばす。
その光景を、有馬方の大将として合戦に臨んでいた則頼は目の当たりにした。
淡河勢が気勢を上げる。その中心となるのは定範だ。
自らが討たれる可能性などまるで考えてもいないかのように前線に押し出してくる定範の勢いに、有馬勢は明らかに吞まれていた。
「ええい、潮時のようじゃ。退けい!」
則頼が、手勢の背後から下知を飛ばした。退き鐘が戦さ場に鳴り響く。
先ほど定範にあやうく討たれそうになった騎馬武者が、無念の形相を見せつつ馬首を翻す。
有馬の雑兵が槍の穂先を揃えてその騎馬武者の周囲を守り、後ずさりしながら後退していく。
「深追いはいたすなよ!」
定範が持ち前の大音声をとどろかせて、逸る手勢を呼び集める声が背後から聞こえた。
呼応して淡河勢が鬨の声をつくる。
(このままでは済まさぬぞ……)
則頼は後退する手勢とともに、意気消沈しながらその声を聞く他なかった。
三好家の人質生活を終えた則頼は、則重から萩原城の城番を任されていた。
則重が弟を心の底から信頼しているかどうかはともかく、三好家に乞うて則頼を戻してもらった以上、なにも役目を与えない訳にはいかなかったのだろう。
萩原城は淡河城からわずか四半里ほど東に位置しており、領地の境目を巡り、あるいは水利を争っての小競り合いは避けられなかった。
結局、則頼の帰還を契機に一度は両家の間で成立した筈の手打ちは、どちらが先に破ったということもなく、自然と反故になっていた。
形のうえでは両家とも別所に服属しているため、互いに城を攻め落とすほどの大戦さにはならないよう、どちらも自重している。
今回の衝突でも、両者に手負いは出したものの、討死したものはいない。
戦場に出てくる武者や雑兵輩の顔は、お互いにだいたい覚えてしまっている。
そして小競り合いが終わった後、どちらも互いの非を別所に訴え出るが、結局は明確な裁きもないままうやむやに終わることが繰り返されていた。
もちろん則頼の本音としては、別所には有馬家に肩入れして欲しい気持ちはある。
ただし、赤松支流であり、守護代として独立を確保した経緯のある別所としては、どうしてもかつての主筋である赤松の本拠がある西方に視線が向いている。
その反面、三津田城や萩原城がある東方は後背地との判断が働くのか、目が行き届いていない節がある。
家中には、せっかく別所一族の姫を嫁に迎えておきながら、有馬家に有利な裁定を引き出せない、と則頼に対する陰口も囁かれており、頭痛の種となっていた。
「口惜しいことにございますが、こと戦さの采配の腕に関しては、淡河の倅のほうが殿より上のようでございますな」
徒労感を抱きながら則頼が萩原城に戻ると、留守を預かっていた吉田大膳こと久太夫重長が仏頂面で苦言を呈してきた。
大膳は則頼の兄・則重の娘、つまり則頼の姪を妻に迎えており、家中では一門扱いを受けている。
経験不足から来る頼りなさも垣間見えるのだが、十歳ばかり年上の則頼に対してまるで臆する様子がない。
大膳の他に則頼の元にあるのは、家を継げない部屋住みの次男、三男坊が厄介払いを兼ねて送り込まれている例が多い。
則頼の見るところ、わずかな禄に汲々とする志の低い者ばかりで、まるで使いごたえがない。
則頼としては不満はあれど、則重の立場からすれば優秀な家臣を手放す筈もないので、そこは割り切っている。
頼みにならぬ家臣団の中にあって、見所があると思われたのは、唯一この大膳のみといって良かった。
ただし、則重の縁戚である以上、大膳にはいわば目付としての役目も担っているのは明白だった。
「言うてくれるわ。ねぎらいの言葉も一つも出てこぬのか」
不満げに鼻息を吐き出す則頼であるが、内心では大膳の言葉を認めざるを得ない。
(儂の采配が、弾正定範めに劣っているとは思いたくないが……)
しかし、万余の軍勢がぶつかる大戦さであればともかく、有馬家と淡河家のように、せいぜい数十から数百の人数が繰り広げる小規模な合戦においては、どうしても大将自身の鑓働きが勝敗を分けがちである。
定範は、合戦の場においては常に、馬上から手鑓をひたすら敵兵の顔面か喉元を狙って繰り出す。
字句どおりこの戦法一本鎗なのだが、その鑓さばきは狙いが正確で力強く、なにより速い。
則頼の兵は定範と鑓合わせをしても防戦一方となり、やがて喉を突かれるか目や口を貫かれて幾人も討たれたり不具にされている。
組討ちに持ち込んででも定範の首級を挙げてやろうという豪の者は、残念ながら則頼の配下には見受けられない。
そのため、有馬側から仕掛ける形になった場合は、今日のように手痛い反撃を受けて退く場合が多かった。
「正面から戦って勝てぬのであれば、なにか策を講じるよりありませぬな」
大膳が相変わらず渋い顔のまま、眉根を寄せる。
その顔に、何か良き手立てはないのかと書いてあるのが、則頼には見えるような気がした。
「確かにの。ここは一つ、策を思案してみるか。要するに、正面から弾正と当たらねばよいのじゃ」
不敵な笑みを浮かべる則頼であった。
六月。
三津田城の有馬則重が自ら率いる兵が淡河領と有馬領の境を侵した、との急報を受けた淡河定範は、手勢百名ばかりを率いて淡河城の大手門を開いて討って出た。
領内の住人をさらい、田植えの済んだ水田を荒らそうとしていた有馬勢に向かって、定範は騎馬武者の先陣を切って挑みかかってくる。
すると、その豪鑓を恐れるかのように、有馬勢は容易に浮き足だち、崩れ立った。
有馬則重の本陣を示す馬印が動揺を示すかのように揺れる。
「いまこそ、有馬の当主を討つ絶好の機会ぞ。みな、気負え!」
「おう!」
定範の怒号に、配下も奮い立ち、逃げる有馬勢をここぞとばかりに追い始める。
定範も、背を向けて走る雑兵を追い慕い、逃げ遅れた一人の首筋を狙って手槍を突き入れる。
狙い過たず、穂先は雑兵の首筋を容易く突き抜け、喉から先端が飛び出す。
雑兵は悲鳴を上げることもできないまま地面に倒れ伏す。
大将は自ら雑兵首など求めない。突き捨てにするのみである。
だが、その背後から一騎の騎馬武者が定範を呼ばわりながら懸命に駆け寄ってくる。
定範の腹心の家臣である宇野兵庫貞国である。
「若! 急ぎお戻りを! 御城が有馬の手勢に攻め寄せられておりまする!」
「なにっ」
定範が慌てて振り向けば、淡河城の付近で黒煙が数条立ち上っていた。
「やむを得ぬ。皆、退くぞ! なに、有馬は萩原城より兵を出してきたのであろうが、そう容易く我等が城を落とせるものか!」
定範の大音声が戦さ場に響き渡る。
有馬則重の手勢を追い散らしていた定範の家臣達も、その声を耳にして駆け戻ってくる。
だが、定範が兵を退くと決めた途端、それまで無惨に敗走していた筈の有馬勢が馬首を返した。
徒立ちの雑兵が長鑓の穂先を揃えて押し出してくる。
淡河勢が退けば有馬勢が押し出し、定範が腹を据えて眼前の有馬勢を蹴散らしにかかるや一目散に逃げる。これが数度に渡って繰り返された。
それでもようやく有馬勢を振り切った定範が淡河城下まで駆け戻った時には、既に城の回りからは別動隊らしき有馬勢の姿は消えていた。
「見たところ、さしたる損害もないようではあるがな」
定範が安堵のため息を漏らす。
城下の家屋敷がいくつか焼き討ちにあってはいたが、城門が破られた形跡もない。
「だが、奴等は何を企んで……」
四方を見渡した定範は、北の方角に目を向けた途端、あっと声を上げた。
川向こうの石切山の南麓に築かれた淡河城の出城に、有馬家の旗印が林立していたのだ。
「狙いは、あの出城であったか。……されど、今まで有馬はついぞ、このような手の込んだ策を労したことはなかった。されば、有馬源次郎か! おのれ、このままでは済まさぬぞ!」
定範は目を怒らせ、己の膝を叩いて悔しがった。
簡素ながら城としての機能が一応整えられた石切山の出城の物見櫓からは、距離こそ離れているが、淡河城の縄張りがよく見下ろせた。
「まさかここまで城の様子が手に取るように見えるとは思わなんだわ。場所が変われば見え方もまた変わるものよの」
渋る則重の尻を叩いて三津田城から陽動の兵を出させて、その間に萩原城の兵が出城を乗っ取る。
言葉にすれば単純であるが、これまで三津田と萩原の両城が連携して動いたことなどなかったため、策は見事に決まった。
ほぼ無人の出城を首尾よく乗っ取った有馬則頼は、淡河城の周辺の地勢や集落の位置などが一望できる眼下の光景を満足げに眺めている。
思わず、これまでの己の労苦を思い返さずにはいられなかった。
「この眺め、良いな。気に入ったぞ」
「では、この城にお移りになるおつもりでしょうや」
傍らに控える吉田大膳が気づかわしげに問うてくる。
則頼は静かに笑って首を横に振った。
「いや。この出城は、眺めこそ大層良いが、さすがに淡河城から直接見える位置にあってはおちおち寝てもおれぬ。あの城も、いずれ我が手で奪ってくれよう」
大言壮語を耳にしてあきれ顔の大膳には目もくれず、則頼は飽きることなく眼下の淡河城を見つめ続けていた。
河内の大名である畠山高政とその家臣の安見宗房の間で内紛が起こり、高政が居城・高屋城を追われ、堺に逃れる事態となった。
この騒動に対して、三好長慶は畠山高政に味方すると決め、翌永禄二年(一五五九年)六月に河内に兵を進めた。
三好家の河内侵攻にあたっては、摂津の分郡守護である有馬村秀や、三好に従属する別所家をはじめとする東播磨の諸将も援軍として動員されている。
まだこの時期の別所家は、長慶の命令一つで他国まで兵を出すことを余儀なくされる立場にあった。
しかしこの後、三好の目はもっぱら京畿の内に向けられることになる。
また、松永久秀も寺社勢力の強い大和国の掌握に傾注するようになり、播磨国に対する三好家の影響力は次第に低下していくことになる。
永禄四年(一五六一年)。
有馬勢と淡河勢が、淡河川の河川敷で衝突していた。
といっても、大戦さではない。両勢を合計しても五百にも満たぬ小勢同士の小競り合いである。
人数が少ないだけに、飛び道具もさほどの効果を発揮せず、互いの大将の姿を目視できるほどの距離に迫っての押しあいとなる。
淡河勢を率いる淡河定範の振るった手鑓が、有馬方の騎馬武者の前立てを弾き飛ばす。
その光景を、有馬方の大将として合戦に臨んでいた則頼は目の当たりにした。
淡河勢が気勢を上げる。その中心となるのは定範だ。
自らが討たれる可能性などまるで考えてもいないかのように前線に押し出してくる定範の勢いに、有馬勢は明らかに吞まれていた。
「ええい、潮時のようじゃ。退けい!」
則頼が、手勢の背後から下知を飛ばした。退き鐘が戦さ場に鳴り響く。
先ほど定範にあやうく討たれそうになった騎馬武者が、無念の形相を見せつつ馬首を翻す。
有馬の雑兵が槍の穂先を揃えてその騎馬武者の周囲を守り、後ずさりしながら後退していく。
「深追いはいたすなよ!」
定範が持ち前の大音声をとどろかせて、逸る手勢を呼び集める声が背後から聞こえた。
呼応して淡河勢が鬨の声をつくる。
(このままでは済まさぬぞ……)
則頼は後退する手勢とともに、意気消沈しながらその声を聞く他なかった。
三好家の人質生活を終えた則頼は、則重から萩原城の城番を任されていた。
則重が弟を心の底から信頼しているかどうかはともかく、三好家に乞うて則頼を戻してもらった以上、なにも役目を与えない訳にはいかなかったのだろう。
萩原城は淡河城からわずか四半里ほど東に位置しており、領地の境目を巡り、あるいは水利を争っての小競り合いは避けられなかった。
結局、則頼の帰還を契機に一度は両家の間で成立した筈の手打ちは、どちらが先に破ったということもなく、自然と反故になっていた。
形のうえでは両家とも別所に服属しているため、互いに城を攻め落とすほどの大戦さにはならないよう、どちらも自重している。
今回の衝突でも、両者に手負いは出したものの、討死したものはいない。
戦場に出てくる武者や雑兵輩の顔は、お互いにだいたい覚えてしまっている。
そして小競り合いが終わった後、どちらも互いの非を別所に訴え出るが、結局は明確な裁きもないままうやむやに終わることが繰り返されていた。
もちろん則頼の本音としては、別所には有馬家に肩入れして欲しい気持ちはある。
ただし、赤松支流であり、守護代として独立を確保した経緯のある別所としては、どうしてもかつての主筋である赤松の本拠がある西方に視線が向いている。
その反面、三津田城や萩原城がある東方は後背地との判断が働くのか、目が行き届いていない節がある。
家中には、せっかく別所一族の姫を嫁に迎えておきながら、有馬家に有利な裁定を引き出せない、と則頼に対する陰口も囁かれており、頭痛の種となっていた。
「口惜しいことにございますが、こと戦さの采配の腕に関しては、淡河の倅のほうが殿より上のようでございますな」
徒労感を抱きながら則頼が萩原城に戻ると、留守を預かっていた吉田大膳こと久太夫重長が仏頂面で苦言を呈してきた。
大膳は則頼の兄・則重の娘、つまり則頼の姪を妻に迎えており、家中では一門扱いを受けている。
経験不足から来る頼りなさも垣間見えるのだが、十歳ばかり年上の則頼に対してまるで臆する様子がない。
大膳の他に則頼の元にあるのは、家を継げない部屋住みの次男、三男坊が厄介払いを兼ねて送り込まれている例が多い。
則頼の見るところ、わずかな禄に汲々とする志の低い者ばかりで、まるで使いごたえがない。
則頼としては不満はあれど、則重の立場からすれば優秀な家臣を手放す筈もないので、そこは割り切っている。
頼みにならぬ家臣団の中にあって、見所があると思われたのは、唯一この大膳のみといって良かった。
ただし、則重の縁戚である以上、大膳にはいわば目付としての役目も担っているのは明白だった。
「言うてくれるわ。ねぎらいの言葉も一つも出てこぬのか」
不満げに鼻息を吐き出す則頼であるが、内心では大膳の言葉を認めざるを得ない。
(儂の采配が、弾正定範めに劣っているとは思いたくないが……)
しかし、万余の軍勢がぶつかる大戦さであればともかく、有馬家と淡河家のように、せいぜい数十から数百の人数が繰り広げる小規模な合戦においては、どうしても大将自身の鑓働きが勝敗を分けがちである。
定範は、合戦の場においては常に、馬上から手鑓をひたすら敵兵の顔面か喉元を狙って繰り出す。
字句どおりこの戦法一本鎗なのだが、その鑓さばきは狙いが正確で力強く、なにより速い。
則頼の兵は定範と鑓合わせをしても防戦一方となり、やがて喉を突かれるか目や口を貫かれて幾人も討たれたり不具にされている。
組討ちに持ち込んででも定範の首級を挙げてやろうという豪の者は、残念ながら則頼の配下には見受けられない。
そのため、有馬側から仕掛ける形になった場合は、今日のように手痛い反撃を受けて退く場合が多かった。
「正面から戦って勝てぬのであれば、なにか策を講じるよりありませぬな」
大膳が相変わらず渋い顔のまま、眉根を寄せる。
その顔に、何か良き手立てはないのかと書いてあるのが、則頼には見えるような気がした。
「確かにの。ここは一つ、策を思案してみるか。要するに、正面から弾正と当たらねばよいのじゃ」
不敵な笑みを浮かべる則頼であった。
六月。
三津田城の有馬則重が自ら率いる兵が淡河領と有馬領の境を侵した、との急報を受けた淡河定範は、手勢百名ばかりを率いて淡河城の大手門を開いて討って出た。
領内の住人をさらい、田植えの済んだ水田を荒らそうとしていた有馬勢に向かって、定範は騎馬武者の先陣を切って挑みかかってくる。
すると、その豪鑓を恐れるかのように、有馬勢は容易に浮き足だち、崩れ立った。
有馬則重の本陣を示す馬印が動揺を示すかのように揺れる。
「いまこそ、有馬の当主を討つ絶好の機会ぞ。みな、気負え!」
「おう!」
定範の怒号に、配下も奮い立ち、逃げる有馬勢をここぞとばかりに追い始める。
定範も、背を向けて走る雑兵を追い慕い、逃げ遅れた一人の首筋を狙って手槍を突き入れる。
狙い過たず、穂先は雑兵の首筋を容易く突き抜け、喉から先端が飛び出す。
雑兵は悲鳴を上げることもできないまま地面に倒れ伏す。
大将は自ら雑兵首など求めない。突き捨てにするのみである。
だが、その背後から一騎の騎馬武者が定範を呼ばわりながら懸命に駆け寄ってくる。
定範の腹心の家臣である宇野兵庫貞国である。
「若! 急ぎお戻りを! 御城が有馬の手勢に攻め寄せられておりまする!」
「なにっ」
定範が慌てて振り向けば、淡河城の付近で黒煙が数条立ち上っていた。
「やむを得ぬ。皆、退くぞ! なに、有馬は萩原城より兵を出してきたのであろうが、そう容易く我等が城を落とせるものか!」
定範の大音声が戦さ場に響き渡る。
有馬則重の手勢を追い散らしていた定範の家臣達も、その声を耳にして駆け戻ってくる。
だが、定範が兵を退くと決めた途端、それまで無惨に敗走していた筈の有馬勢が馬首を返した。
徒立ちの雑兵が長鑓の穂先を揃えて押し出してくる。
淡河勢が退けば有馬勢が押し出し、定範が腹を据えて眼前の有馬勢を蹴散らしにかかるや一目散に逃げる。これが数度に渡って繰り返された。
それでもようやく有馬勢を振り切った定範が淡河城下まで駆け戻った時には、既に城の回りからは別動隊らしき有馬勢の姿は消えていた。
「見たところ、さしたる損害もないようではあるがな」
定範が安堵のため息を漏らす。
城下の家屋敷がいくつか焼き討ちにあってはいたが、城門が破られた形跡もない。
「だが、奴等は何を企んで……」
四方を見渡した定範は、北の方角に目を向けた途端、あっと声を上げた。
川向こうの石切山の南麓に築かれた淡河城の出城に、有馬家の旗印が林立していたのだ。
「狙いは、あの出城であったか。……されど、今まで有馬はついぞ、このような手の込んだ策を労したことはなかった。されば、有馬源次郎か! おのれ、このままでは済まさぬぞ!」
定範は目を怒らせ、己の膝を叩いて悔しがった。
簡素ながら城としての機能が一応整えられた石切山の出城の物見櫓からは、距離こそ離れているが、淡河城の縄張りがよく見下ろせた。
「まさかここまで城の様子が手に取るように見えるとは思わなんだわ。場所が変われば見え方もまた変わるものよの」
渋る則重の尻を叩いて三津田城から陽動の兵を出させて、その間に萩原城の兵が出城を乗っ取る。
言葉にすれば単純であるが、これまで三津田と萩原の両城が連携して動いたことなどなかったため、策は見事に決まった。
ほぼ無人の出城を首尾よく乗っ取った有馬則頼は、淡河城の周辺の地勢や集落の位置などが一望できる眼下の光景を満足げに眺めている。
思わず、これまでの己の労苦を思い返さずにはいられなかった。
「この眺め、良いな。気に入ったぞ」
「では、この城にお移りになるおつもりでしょうや」
傍らに控える吉田大膳が気づかわしげに問うてくる。
則頼は静かに笑って首を横に振った。
「いや。この出城は、眺めこそ大層良いが、さすがに淡河城から直接見える位置にあってはおちおち寝てもおれぬ。あの城も、いずれ我が手で奪ってくれよう」
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