【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝

糸冬

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(九)皐姫襲撃策

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 永禄五年(一五六二年)。

 萩原城と新たに奪取した石切山の出城を頻繁に往復して、淡河家を討つ策を練る日々を過ごしていた有馬則頼の元に、年明け早々に聞き捨てならぬ報せが舞い込んだ。

 淡河家の嫡子である淡河定範と、別所安治の妹・皐姫との縁組話である。

 それとなく探りを入れてみると、両家の間では幾度かのやりとりを経て、既に三月の吉日を選んで、皐姫が淡河に輿入れする運びとなっていることも判明した。

 大々的に周囲に喧伝される訳でもないが、特段に秘密理に事が運ばれている節でもない。

 ましてや別所一族の血を引く則頼の妻・振の元には、両者の縁者の口を通じて容易に情報は漏れ伝わってくる。

 元々、どちらも未だ独り身であることがおかしい年齢であった。

 皐姫の美女ぶりはかねてより広く噂されていた一方、定範もまた決して美男子ではないにしろ、その武勇は世に知られるところである。

 まずは似合いの夫婦になるであろうとの世評であった。



 表向き、則頼はさほど大きな反応を示さなかった。

 当家にとっても悪い話ではないだろう、という程度の態度である。

 しかし内心では、少なからず焦りを覚えていた。

(あの皐姫が、よりにもよって淡河弾正に嫁ぐのか……)
 皐姫の華やかな笑顔を脳裏に思い描くたび、居ても立っても居られない気持ちが募る。

 淡河定範が別所の当主の義弟になることの意味は、否応なく考えざるを得ない。

 とかく目が西に向きがちな別所家にあって、淡河家が別所の東の守りを託された、との見立ては、あながち的外れとは言えまい。

 その声望が高まるきっかけが、有馬重則の死から始まる淡河城の奪還における活躍であり、また有馬勢を相手どって懸命に戦ってきた働きぶりにあることは疑いようもない。

 有馬家が引き立て役となっている事実は、なお一層、則頼を苛立たせていた。




「なにやら、殿の御心には雲がかかっておられるご様子」
 奥の間にて向かいあう則頼の内心を見透かしたように、振がいつもの冷えた目線を向けてくる。

「ううむ。そなたにはそう見えるか。……まあ、これで、別所と淡河のつながりが一層強きものとなるゆえ、考えねばならぬことは色々とあるわな」
 歯切れ悪く則頼は応じる。

 この一事をもって有馬家との立場が逆転するとまではいかないまでも、今後は淡河家の領内に手出しをした場合、別所からの厳しい沙汰も予想される。

 言葉を継ぎ、そう説明する則頼に向けて、振は悲しげな表情を見せた。

 同じ別所から嫁いでいても、一門の娘と当主の娘ではやはり格が違うのか、とでも言いたげである。

 二人の間には永禄四年(一五六一年)に長女の(志太とも)が生まれている。
 だが、まだ跡継ぎとなる男子がないことも影響しているのか、必ずしも仲が悪い訳でもないのだが、未だにどこか距離のある夫婦であった。

 だが、この時ばかりは振の言外の思いは則頼にも伝わる。 

「そのような顔をいたすな。そなたと儂、すなわち別所と有馬は既に縁を結んでおり、此度は別所と淡河が縁を結ぶ。あとは有馬と淡河が縁を結べば、いずれ争いの種も無くなるであろうが」
 則頼は言葉に窮し、つい理屈にもならぬことを猫なで声で口走った。

「では、どうかそのようにお働きくださいませ」
 振のひと言は、則頼の胸をちくりと刺した。

 争いの種を撒いているのは有馬家であろう、という意味ではまさに痛いところを衝かれた恰好である。

 ただ一方で、則頼は内心で胸をなでおろしてもいた。

 少なくとも、本心をは気づかれていないと感じたからだ。

(まあ、勘付いていたとしても面と向かっては言えまいな)
 儂が、単に皐姫様に恋慕して、淡河弾正に嫉妬しているなどと。

 心の奥底で呟きを漏らす則頼である。




 三月。
 則頼は萩原城のみならず、石切山の出城に配した兵にも婚礼の儀当日に参集させることを告げたうえで、事前の調練を命じた。

 表向きには、則頼が動かせる兵のほぼすべてを石切山の出城に集め、武具が整い、兵の練度が十分かを閲兵して確かめるため、としている。

 もちろん、縁組を進める別所家と淡河家に対し、有馬の威勢を見せつける目的があることはいうまでもない。

「両家の祝言に水を差すような真似は、却って武威を損ねることになりはしませぬか」
 萩原城の曲輪にて槍衾の鍛錬に励む兵の姿を見つめる則頼の傍らで、吉田大膳が気づかわしげに尋ねる。

「さにあらず。城下に全ての兵が集まっておれば、万が一何か変事が起こっても無実の証明になるではないか」
 則頼は笑って意に介さなかった。

「そのようなものですかな」
 大膳は首をひねっていたが、則頼はそれ以上相手にしなかった。

 実のところ、則頼は本家の則重は無論のこと、腹心の大膳にも告げぬまま、この二月足らずの間に一つの策を密かに練っていた。

 すなわち、輿入れする皐姫の襲撃である。

 淡河と有馬の所領である戸田との境となる峠は、淡河川は両脇から迫る山塊に挟まれていることもあって、淡河道は右岸側の小さな峠を越える形となっている。

 狭い峠道を抜ける際、輿入れの一行は前後に細長く伸びざるを得ず、警固は手薄となる。

 この隙を衝く形で、皐姫を奪い去ろうというのだ。
 花嫁を奪われるという失態を招けば、否応なく別所家と淡河家の間に亀裂が入ることになる。
 それはすなわち、有馬家を利する形となる。

 しかしながら、いかに戦国乱世とはいえ、輿入れの行列を襲う無法な振る舞いなどそうあるものではない。

 だが、全くありえない話とも言い切れない。

 例えば、今の則頼には知る由もないが、六年後の永禄十一年(一五六八年)の九月には、則頼の本家筋でもある赤松氏の内紛に絡んで、似たような事件が起きる。

 この時は赤松宗家の当主・赤松義祐の女婿でありながら宗家と対立していた赤松政秀は、己の娘・を時の将軍・足利義昭の侍女として仕えさせるべく、京へと送りだしたことに端を発する。

 この動きに対し、宗家の意向をないがしろにして独自に将軍とのつながりを強めようとする政秀の画策を阻止すべく、赤松義祐が御着城主小寺政職に命じて上洛途中のを拉致したのだ。

 時と場合によっては、女子を巻き込む非道な事態も起こりえるという例である。



 もちろん則頼の場合は、露見した後の可能性を考えれば、自ら手勢を率いて別所の花嫁を襲う真似は出来ない。

 そこで策を講じるにあたって、則頼は密かに三好之虎に書状を送り、葛屋の連雀を借りたいとの申し出を行っていた。

 なお、三好之虎は永禄元年(一五五八年)の夏ごろから、後世よく知られる「実休」の法号を用いるようになっている。

 則頼が播磨に戻っても之虎改め実休との縁は切れていなかった。その仲介役を担っていたのは葛屋の豊助であった。

  播磨では簡単には手に入らない茶道具、反物、櫛や鼈甲などといった品々を京や堺から則頼の元に持ち込む豊助の連雀の存在は、自然と有馬家における則頼の立場を強める効果があった。

 無論、葛屋の連雀は単なる行商人ではなく、諜報の術も身に着けている。

 則頼との縁を利用する形で、播磨の情勢がつぶさに実休の元に報告されているのは確実である。

 その意味では、則頼は既に獅子身中の虫の役割を果たしていることになる。

 しかし、則頼が直接的に葛屋の助力を願ったのは今回が初めてである。

(もし、実休様に言下に拒絶されるようであれば、この企てはなかったことにしよう)
 内心のどこかで、止めてもらいたい気持ちもあったのかもしれない。

 しかし、揺れ動く則頼の心を知ってか知らずか、之虎は助力することに快く同意し、要請どおり、葛屋の豊助配下の連雀から腕の立つ者を数名送り込んでくれた。

(これでもう、後には退けぬ)

 葛屋の連雀を用いることで、有馬とは無関係の無頼の徒による凶行を装う目論みである。

 しかし、則頼は自らこの策を推し進めつつ、内心では不吉な予感がぬぐいきれずにいた。

(別所と淡河、両家の結びつきが強まることを座視してはおれぬ。とは申せし、儂はこのような愚かな企てを本当に実行するつもりなのか?)

 自分が自分でなく、何者かに操られて動いているかのような奇妙な感触がつきまとっていた。

(儂は魔物に魅入られてしまったのやも知れぬ)
 皐姫の輿入れの日が近づくにつれ、寝所で眠れぬ夜を過ごしながら、則頼はそんな事を考える時もある。

 則頼の心を惑乱させているものがあるとすれば、皐姫に対する恋慕の心に違いなかった。

 仮に襲撃が成功し、皐姫の身柄を確保したところで、どうするのか。

 豊助の手を借りて密かにに之虎の元に送ることまでは決めているが、仮に下手人が則頼であると発覚したが最後、有馬家は別所家との存亡をかけた大戦さを覚悟せねばならない。

 いずれにせよ、皐姫を己の正室にも側室にもできないのは最初から判っているのだ。

(だとしても、皐姫が弾正定範の妻になると知りながら、ただ座視するのは耐えられぬ。ならばいっそ、我が手で手折るのみ)
 我ながら情けないと自覚しつつも、則頼はどうにも己の心を制御できなかった。
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