【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝

糸冬

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(十三)手切れの時

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 翌日。
 朝のうちに明石を出立した秀吉勢は、同日中に小寺官兵衛孝高の居城である姫路城に到着する。

 この時、孝高は姫路城を丸ごと秀吉に差し出して自らは潔く退去した逸話が後世に知られることとなる

 かねてから播磨国じゅうを奔走していた孝高は、別所をはじめとする地元の国衆のほとんどから、織田家が播磨に進出してきた際には味方するとの同意を取り付けていた。

 こうなると、播磨への進駐が無事に済んだだけで満足する秀吉ではない。

 十月末には、さっそく秀吉の弟・小一郎秀長を大将とした軍勢が但馬への侵攻を開始する。

 遠征にあたり、別所にも兵を出すことが求められた。従属を決めた以上は、避けて通れない要請である。

 結果から言えば、但馬攻めは大きな戦さとはならなかった。

 これは、永禄十二年にも織田方は但馬に兵を進めており、但馬の国衆の多くが既に織田方に帰服していたことが大きい。

 十一月一日に真弓峠を超えて但馬国朝来郡に討ち入れた秀長勢は、手始めに生野銀山を制圧する。

 銀山の確保は、但馬侵攻の大きな目的の一つだった。

 その後、南部の朝来・養父の二郡を二十日足らずで制圧した秀長勢であるが、一挙に北但馬まで兵を進めることはなかった。

 これ以上の深入りは、播磨方面の情勢が急変した際に対処が困難になるからであろう。

 こうして短期間で但馬攻めは終わり、秀吉は秀長を竹田城の城番とした。

 他に岩州城には前野長康、三方城に木村常陸介重茲、朝倉城に青木勘兵衛一矩といった、秀吉に古くから仕える武将が但馬南部に在番することになった。

 なお、秀吉が「面白き坊主」と称した宮部善祥坊継潤にも宿南城が任されている。

 播州武者の力を見せてくれるとばかり意気込んで但馬攻めに加わった別所勢だが、大した働きもみせられぬままに終わっている。

 ただただ織田勢の後塵を拝するばかりであったと評しても過言ではない。

 大将である秀長の思惑としては、これからの毛利相手の戦さも見据え、味方に加わったばかりの別所勢を矢面に立たせることを遠慮したつもりであったかもしれない。

 しかし、配下の将士には秀長の深慮は伝わっていない。彼らは戦いもせず織田に屈したとして別所勢を弱腰と侮り、田舎侍と見下した態度をしばしば示した。

 この扱いは、別所勢の誇りを少なからず傷つけ、禍根を残すことになった。

 加えて、この遠征に淡河家の手勢を率いて加わっていた淡河家の当主・淡河範之が病により陣没している。

 範之は元々、子も為せぬほどの蒲柳の質であったが、慣れぬ遠征に体調を損なったものであろう。

 別所にとってはまさに踏んだり蹴ったりの結果に終わったが、この影響は少なからず則頼にも及ぶことになる。

 当主を失った淡河家では、世継である淡河弾正定範が新たな当主となったからだ。

 これまで淡河家では、どちらかといえば穏健派だった範之が、有馬家に対する強硬姿勢を隠さない定範を抑えていた傾向にあった。

 つまり、定範が当主となったことで有馬家への攻勢が激しくなる懸念があった。

「これが後に禍根を残さねば良いがのう」
 帰還した別所勢の将士から伝わる風聞に接した則頼は、小さくため息をつく。

 なお、則頼は但馬攻めには同行していない。

  兄である有馬家の当主・則重が、派兵の要請に対して則頼の参陣を許さず、自ら兵を率いて赴いていたためだ。

「淡河城は弾正定範が留守居役となるらしい。となれば萩原城や石垣山の出城を空にするのは危うい。それ故、そなたには残ってもらわねばならぬ」
 というのが則重の言い分だった。

 ただ、これで則重が織田家のために働くと覚悟を決めたというよりも、則頼が秀吉に必要以上に接近することを警戒しているものと思われた。

 先日、則頼は有馬家の当主である則重の意向を確認することもなく、抜け駆けする形で秀吉のもとに駆け付けた経緯がある。

 家中を乱す勝手働きだと糾弾されれば、則頼にも弁明の余地はない。

 もどかしい思いをしながら、萩原城でおとなしくしている他はなかった。




 但馬攻めが一段落した後、秀吉は西播磨で織田方になびかなかった国人衆の城に対し、武力行使に踏み切る。

 その内の一つ、赤松政範が守る上月城は、縄張りの規模こそ小さいが播磨・美作・備前の三国の国境に位置する要衝であり、守りは堅固であった。

 毛利方に属する宇喜多直家の城となっているこの城を攻めるにあたり、先鋒として、尼子遺臣を率いて御家再興に燃える山中鹿介と共に、別所長治の叔父で早くから織田家と誼を通じてきた別所重宗が抜擢された。

 但馬攻めで働きどころがなかった別所勢としては、手柄が欲しい場面である。

 別所重宗は勢い込んで山中鹿介勢と共に上月城に攻め掛かったが、そこに宇喜多掃部介広維率いる宇喜多勢三千が後詰として駆け付けた。
 この宇喜多広維は赤松政範の妹婿にあたる。

 この動きに対して、宇喜多広維勢を山中鹿介勢が迎え撃ち、秀吉の本軍到着まで支えようとしたが、援軍の到着に奮い立った上月城の城兵が呼応する形で討って出た。

 ここは、別所重宗勢が城兵を迎え撃って押し返すべき局面である。しかし、赤松政範勢の猛攻に耐えきれず、重宗勢はたちまち大きく崩れ立った。

 先鋒総崩れの危機を救ったのは、急を知って馳せ参じた小寺孝高の手勢だった。

 だが、小寺勢も上月城から繰り出された新手に苦戦し、再び危地に陥る。

 そこに今度は竹中半兵衛重治の兵が横やりを入れ、どうにか敵勢を撃退した。



 その夜、秀吉は小寺孝高と竹中重治の働きを激賞した。

 それに引きかえ、窮地を招いた別所勢は結果的に引き立て役となってしまい、兵を率いた重宗は家中で面目を失ってしまった。

 十二月三日、勝ち目がないことを悟った赤松政範は一族を大広間に集めて最期の宴をはった後に、妻子を刺し殺して一族ともども自刃して果てた。

 これに対し、秀吉勢は城内に乱入すると城兵のみならず女子供も容赦なく捕らえ、女は磔、子供は串刺しにして国境に晒した。その数は二百にも及んだという。

 織田の敵手に回る愚かさを実力で示すためであったが、この残虐なやり口は敵方のみならず、むしろ味方である別所に深刻な衝撃を与えた。

 他国に攻め入り、本願寺相手に敵勢を根こそぎ討ち果たす凄惨な戦いに慣れた織田家に比べれば、これまで播磨国内で大きな戦もなく、血縁者同士での小競り合い程度しか経験していない者が多い別所家は、よくも悪くも純朴であった。




「御家を保つために織田に通じたのは、果たして正しかったのでしょうかな」
 上月城の顛末を伝え聞いた大膳などは則頼に対し、不満そうな顔を隠さない。

 今回も則頼は派兵を求められず萩原城にとどめ置かれたままである。その分、真偽定かでない風聞ばかりが城内に広まっていた。

 少なくとも羽柴秀吉の元について以来、別所はろくな目に遭っていないのは事実だ。

 則頼もそれが判るだけに、家中の不満の声には苦慮していた。

「かと申して、毛利方についておったならば、今頃、串刺しや磔になっておったのは我等の妻や子であったのじゃからな。織田についたのは間違いではない」
 信長というよりも秀吉の力量を信じる則頼としては、そう宥める他はない。

 とはいえ、いち早く織田に味方すると決めた則頼ですら、家中の動揺を感じる有様である。良い傾向の筈もない。

 依然として毛利に心を寄せている者も多い三木城内が、今どのような空気になっているかを想像すると、則頼は心中穏やかではなかった。

(なんとか別所にも良き働きどころを与えていただき、面目を保ってもらわねばのう)
 自信にあふれた秀吉の笑顔を脳裏に思い描きつつ、切に願う則頼であった。




 その年の暮れには一度安土に帰還した秀吉であるが、翌天正六年(一五七八年)二月には、再び軍勢を率いて播磨国へと入った。

 本格的な毛利攻めを行うための出兵であるのは言うまでもない。

 別所家に漂う不穏な空気を、この時の秀吉がどこまで察していたのかは定かではない。

 もし気づかぬままであったとすれば、大国の毛利相手の戦に気を取られるあまり、足元への目配りがおろそかになっていたという他はない。

 ともあれ、二月二十三日には加古川の加須屋の陣にて、毛利攻めに先駆けて播磨の国衆を集めた軍議が開かれた。

 ただし、別所長治本人は三木城から動かず、名代として別所吉親と三宅治忠が軍議に出席している。


 軍議の数日後。
 萩原城の則頼は、わずかな供廻りを連れた兄・則重からの訪問を受けた。

「久方ぶりにございますな」

「あまり大っぴらには出来ぬ話があっての。二人きりで話が出来る場所はないか」
 挨拶もそこそこに、則重は周囲を伺うような仕草をみせた。

「では、兄上に茶を点てたく存じます」
 則頼は萩原城本丸にしつらえてある茶室に則重を迎え入れると、茶を点て始める。

 弟の手元をじっと見つめて待っていた則重は、やがて差し出された茶碗に口をつけた。

「相変わらずの、結構な手前であるな」
 言葉とは裏腹に、声音には心がこもっていない。別のことに気を取られているとしか思えない口ぶりである。

(まあ、茶の湯の心得など持ち合わせぬ兄じゃからな)
 則頼としても、さして気分を害するものではない。

 ややあって則重は、過日に秀吉と別所方が今後の毛利攻めに関して開いた加須屋の陣における軍議の様子を語りはじめた。

 その後、別所では不調に終わった軍議の結果を受けて、三木城にて改めて秘密裏に評定が開かれたのだという。

「羽柴筑前の重ねて不躾な振る舞いは許し難し。このまま織田に従っていたのでは、毛利との戦さで使いつぶされるだけゆえ、別所は毛利と結び、織田を追い返すことと決した。儂は別所には返しきれぬ恩があるゆえ、同心する他はない」
 則重の言葉は、重大な決断に対して勢い込んだものでは全くなく、むしろため息混じりであった。

「さようでございますか。そのようなことがございましたか」
 重大事を告げられても、則頼の中に驚きはなかった。

 加須屋の陣では秀吉もまた、長治の名代・別所吉親と三宅治忠の頑迷な態度にへそを曲げていた、との話を、秀吉側の伝手で聞いていたためでもある。

 前年以来、別所家中に不審の声が広がっているのも実感していた。

 枝城の一つを預かっているだけに過ぎない則頼は、三木城で密かに開かれた評定に呼ばれなかったとしても文句は言えない。

 愚かな判断だと思いつつも、もし仮に出席していたところで、身命を賭して引き留めていたとも思えない。

 ただ、こうも面と向かって宣言されるというのは予想外ではあった。則重の真意を測りかねた。

 しかし、「自分は織田方であるが、そのような話を聞かせても良いのか」などとはどうにも聞き返しづらい。

 どのように話を持っていこうかと悩む間もなく、則重が先に言葉を継いだ。

「ただし、兵を主だった城に集めるため、三津田の城を捨てよと命ぜられておる。しかし、祖父の代以来の一族の城を捨てるは忍び難い。そこで、蔵人に後を託す腹づもりじゃ」

「ほう」

 蔵人とは有馬蔵人重頼のこと。
 重頼は、本姓を梶、のちに山川と名を改めた山川四郎右衛門を父、有馬重則の娘、すなわち則頼の妹を母に持つ。

 初めは梶八次郎、のちに父と同じく山川四郎右衛門を名乗っていたが、則頼が長女の下を嫁がせたことで、今では有馬の名乗りを許されている。

 従って、則頼にとっては義理の息子であると同時に、実の甥でもある濃い間柄になる。

「お主はお主なりに委細あって秀吉に近づいたであろうゆえ、このまま織田方に付くつもりであろう」

「それはまた、直ぐな言葉ですな。この場にては返答いたしかねますぞ」

 則重の指摘に図星を衝かれ、則頼はいささか慌てた。
 その一方、凡庸な兄と見くびっていたが、さすがにそれぐらいのことは見抜けるのだ、と内心では妙な感心の仕方をしていた。

「いや、何もお主を謀叛人として討つつもりなどない。儂は、お主が織田方についてくれることを今となっては、むしろ有り難く思うておる」
 どちらが勝っても、有馬の名が残るからな、と則重は薄く笑う。

「そういう考えもありますかな」

「そこで、別所と織田が手切れとなり次第、お主はすぐさま三津田城を攻め落としたこととせよ。蔵人には手向かい致さぬよう言い含めてあるゆえな」

 則重の話に、則頼はしばし思案する。

 もちろん、罠を警戒せざるを得ない。
 軽率に本家の城に攻め寄せては、言い訳にしようもない反逆である。

 だが、事情が事情だけに聞き捨てにも出来ない。

「仰せのとおりに致しましょう」
 結局は、そう応じる以外の答えを、則頼は思いつけなかった。

「頼むぞ。ああ、申すまでもないことであるが、織田の軍勢を退散させた後は、三津田の城は返してもらうでな。なぁに、そなたが謀叛人扱いを受けぬよう、別所の方々にはそれがしが頭を下げようほどに安心いたせ」
 本音とも冗談ともつかぬ兄の軽い口ぶりに、則頼は引きつった苦笑いで応じる他なかった。



 その後、則重は具体的な手筈について幾つか則頼に伝えた後、三津田城へと戻って行った。

 則頼は夕餉に誘ったが、微行で来ているためあまり長居は出来ぬと断られた。

「あるいはこれが今生の別れとなるやも知れぬのに、あっさりとしたものじゃの」
 大手門で去り行く則重一行を見送った則頼は、なにか梯子を外されたような気分になって呟いた。

 元々、仲の良くなかった兄弟である。というよりも、則頼が兄を兄とも思わぬような態度で接してきたとも言える。

 だから二人きりで食事を共にしたところで、もはや昔語りをして懐かしむような真似はできなかったかもしれない。

 そういう意味では自らが蒔いた種、自業自得ではあった。

 それでも、別の道はなかったのだろうかと今更ながらに後悔の念も沸く則頼だった。
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