【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝

糸冬

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(十四)書写山の決意

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 四月一日。
 周到に準備を進めた別所勢が、ついに織田に対して叛旗を翻した。

 三木城に八千五百と号する兵を集めて決起するや、まず手始めに三木城の北、三木郡細川庄にある細川城に軍勢を差し向けたのだ。

 細川庄の冷泉家は、当主である冷泉為純は従三位参議、その子冷泉為勝もまた、正五位下左近衛権少将という累代の家系を誇る公卿の家柄である。

 早い時期から秀吉に接近し、別所家の決起にあたっても同調せず、敵対する間柄となっていた。

 とはいえ、細川城は堅城とは言い難く、また最初の攻撃目標になるとの予測も覚悟も為純は有していなかった。

 別所勢の急襲により細川城はたちまち落城し、為純は敢えなく討たれ、ここに後の世に言う「三木合戦」の幕が開くこととなった。

 第一報を伝え聞いた則頼は、ついに来るべきものが来たという思いと同時に、最初に攻め寄せられたのが冷泉家の細川城だという点には腑に落ちぬところがあった。

「なぜ細川城なのじゃ。単に手近な相手を血祭りにあげて気勢をあげたかっただけなのか、なんらかの策があるのか……」
 別所方の思惑を当て推量したところで何が得られる訳でもない。

 異変を知り、萩原城本丸御殿の大広間には則頼の家臣が顔をそろえている。

 いや、正確に言えば数名が欠けている。

 秀吉寄りの立場を明らかにしている則頼に不満を抱き、挙兵した別所勢に加わるべく出奔した者が出ている。

「我等はいかがいたすべきでしょうや」
 居並ぶ家臣を代表する形で、吉田大膳が上座の則頼に問うた。

 則頼は、則重が来訪して伝えた別所離反について、既に葛屋の連雀に書状を託して秀吉に送っていた。

 無論、大がかりな別所離反の動きを、則頼から報せを受けるまで秀吉がまったく気づいていなかったとは思えない。

 しかし、いくら疑念を深め、なんらかの証拠を掴んでいたところで、先に戦さを仕掛ける訳にはいかないのが他国に踏み込んで来ている秀吉の弱みでもあった。

 実際には、未然に手を打てることはほとんどなかったのだろう。

「まずは、改めて羽柴様に急使を走らせる。我等に二心なく、変わらず織田方に御味方すると伝えねばならぬ」

「はっ」
 大膳は首肯したが、家臣の多くは不安げに顔を見合わせている。

(ここは弱気の顔を見せてはいかぬ」
 則頼は腹をくくり、自信ありげな声音を作って家臣を見回す。

「淡河城と、さらにその向こうの三津田城に物見を放つ。この機に乗じて、淡河勢が攻め寄せてくるやもしれぬでな。逆に、兵を三木城に集めて手薄であるならば、こちらから淡河城を攻め落としても良いのじゃ」

「好機到来、ということにございまするな」
 則頼の言葉に大膳が調子を合わせると、家臣たちの表情にもいくらか生気が戻ってきた。

「まずは戦支度を整えば何もできぬ。皆、急げ」
「おう!」

 家臣の返答に則頼はひとまず安堵するが、必ずしも最善を尽くせているとは思えなかった。

(受け身に回ってはならぬ。何事か動かねば……)




 数日後。
 兵糧や武具の運び込みの采配に追われる則頼の元に、早くも秀吉勢が別所勢と交戦したとの報が届く。

 秀吉勢は、挙兵した三木城の様子を探るべく物見を派遣し、これに対して別所勢が大村坂にて夜襲を敢行したという。

「織田勢は、算を乱してたちまちにして四散し、別所勢は勝鬨をあげたよし」
 様子を探ってきた物見は葛屋の連雀ではなく、地元の地勢を良く知る則頼配下の小者である。その報せの内容はいささか別所寄りの目線ではあるが、どちらが勝ったかを見誤るほどの贔屓目ではない。

 もっとも、秀吉勢が敗走したといっても城攻めが出来るほどの大軍で攻め寄せた訳ではなく、秀吉の認識としては負けのうちに入らないような結果だ。

 秀吉は後退した先遣の手勢をいったん加古川館に収容した後、小寺孝高から譲り受けた姫路城では手狭とみて、その北西にある書写山の十地坊を本陣と定めている。

 この情報は、秀吉に書状を届けた急使が無事に帰還して則頼にもたらしたものだ。



「緒戦で別所が筑前様の手勢を退けた事実は大きい。これで、別所に与する連中は勢いづく違いない。こうしてはおられぬ。これより羽柴筑前様の許に参る。大膳は供をせよ」

 急ぎ萩原城の大広間で開かれた軍評定の場で、則頼は一方的にそう告げた。

「お待ちくだされ。既に当城の四方が敵地も同然。道中に敵手にかかるようなことがあれば、筑前様の御為にもならぬかと存じまする。二心無きことを示す書状は既に届いておりますぞ」
 居並ぶ家臣がざわめく中、指名された大膳が血相を変えて引き留める。

「それはいささか了見違いというものじゃ。考えてもみよ、我等が別所勢を恐れてこの城に籠り切りでおったところで、筑前様にとっては別所に同心したも同然ではないか。書状は書状。やはり一度は顔を突き合わせて、真意を汲み取ってもらわねばならぬ」
 則頼はそう断じて、嫡男の有馬四郎次郎則氏を上座に手招いた。

「儂が留守の間、この城はお主に託す」

「はっ。お任せくだされ」

 永禄六年生まれの則氏はこの年十六歳。元服を終えたばかりの若武者である。

 身に着ける当世具足は元服に合わせて誂えた真新しいもので、父に似ぬ凛々しい面立ちに良く似合っていた。

 今回の城代としての役目が実質的な初陣となるとあって、見るからに張り切っていた。少なくとも、別所に従わない父の判断に疑念を抱いているようには見受けられない。

「皆も、四郎次郎の言葉を儂の言葉と思い、疑いなく従うようにいたせ。よいな」
 則頼の宣言に、家臣たちは内心はどうあれ、ひとまず揃って頭を下げた。

 書写山まで、わずかな警固の兵を連れての道中であったが、懸念されていた別所勢からの襲撃はなかった。

 街道沿いの淡河城や三津田城を避けて北側の山中を抜ける間道を用いたこともあるが、別所方についたいずれの城も籠城に徹している様子だった。

「淡河家は本城の淡河城に兵を集め、野瀬城は手薄。また、三津田城もさほど人数は入っておらぬ様子」
 物見の報告は、則頼が兄・則重から聞いた話どおり、別所方は主要な城に兵を集める軍略を採っていることを示していた。

「やはりな。兄者の話のとおり三木城に兵を集めたのであれば、そう軽々には兵を動かせまい」
 それでも警戒を怠ることはなく、息をひそめるようにして則頼一行は書写山の秀吉の陣にまで辿り付く。

 既に顔見知りとなっていた秀吉配下の武者に本陣まで案内される途中、則頼は秀吉の実弟・小一郎秀長に出くわした。

「これは有馬殿。よう参られた。早速、殿に引き合わせようほどに」
 喜色を浮かべた秀長に連れられ、則頼は本陣に張られた陣幕を払って中に入る。

 床几に腰かけた秀吉は、横倒しにて机代わりにした楯に置かれた絵図をみつめていた。

 その表情は、さすがに気落ちしているようにみえた。

(さしもの筑前様も、此度の別所の挙兵は堪えたか)
 則頼はそう思いかけたが、考えてみれば寝込んでもおかしくないほどの変事である。少し元気がないぐらいで済んでいるほうが不思議なのだ。

「筑前様。有馬法印めが参りましたぞ。それがしが来たからには、心配はご無用にござる」
 則頼は腹に力を込めて大音声で呼ばわると、秀吉の前に大仰な仕草で片膝をついた。

「ほーお、有馬の坊主が来たか。お主がおれば百人力じゃなあ」
 顔を上げた秀吉が声をあげて笑う。
 則頼がさしたる武辺者でないことを充分承知したうえでの軽口である。

 これには、やはり並の神経の持ち主ではないと則頼は改めて感じ入る。

「もっと近う。これをみよ。播磨のうちで別所になびかなんだのは、城持ちではお主と別所孫右衛門、あと数名ぐらいのものよ。この意味がわかるか」
 そう言いながら、秀吉は絵図を指し示した。

 なお、別所孫右衛門とは別所重宗のこと。別所一門の中で唯一、秀吉に近しく、そのために家中で孤立していた。

 則頼が絵図をのぞき込んでみると、秀吉勢の布陣に加え、織田家を離反して敵対の構えをみせた別所家およびそれに従う国衆の配置が記されていた。

 その中にあって、確かに萩原城は秀吉の味方として描かれている。

 則頼は、我知らず頬が緩むのを感じた。

「つまり、筑前様勝利のあかつきには、恩賞は思いのままということにございますな」

 露悪的な則頼の言葉に、秀吉は再び笑い声をあげた。

「そうじゃ。うん、ようやく調子が出てきたぞ。時に、三木城にはどれほど籠っておるであろう。連中は八千五百と申しておるとも聞くが……」
 ひとしきり笑ったのち、やや表情を引き締めてから秀吉が問う。

 それが今いちばん知りたいところである筈だ。則頼もそれは判っている。

 しかし、則頼も残念ながら具体的な数字は把握できていない。

 葛屋の連雀は、商売の体裁で役に立つ情報を聞き出す技こそが本領である。
 荒事が出来る精鋭もいない訳ではないが、伊賀や甲賀の忍びのように、他国者の身では三木城内に侵入できるような技能は期待できない。

「左様でございますな。別所の言に耳を貸さぬとしても、やはり八千前後は集めているとみるべきではないかと」
 則頼は、あくまでも推量で数字を口にした。

 次いで、その理由も説明する。
 播磨八郡二十四万石を称する別所家は、仮に百石あたり四人という標準的な動員を行った場合、およそ一万足らずの兵を集められる計算になる。

 三木城には領民の多くも逃げ込んでおり、その中には雑兵として扱われる者も相当数になるはずだ。

 加えて豊助が連雀に三木城下を調べさせたところでは、牢人者や町のあぶれ者などが大々的に銭で雇われており、その数は二千名あまりにもなるらしい。

 もっとも、所領とする二十四万石分の動員力をすべて別所家の思惑通りに動かせる訳ではない。

 加えて、いかに小城や砦を焼き捨てて兵を集めたとはいえ、有力な支城にも兵は残っている。
 三木城に集まった兵は、相当数割り引いて考えねばならない。

 差し引きして八千程度というのが、則頼の見立てだった。

「うむ。やはり、それぐらいは集めておろうな」
 則頼の説明を聞き終えて、秀吉が渋い顔で頷く。

 中国経略の大任を信長から任されている秀吉であるが、己の判断で動かせる自前の軍勢は意外と少なく、せいぜい一万程度である。

 多くの兵は、織田家の将が信長の命令を受けて、あくまでも一時的に秀吉の指揮下に加わるだけなのだ。

 八千の兵が籠る城を攻め落とすには、兵が足りないのは明らかだった。

「力攻めとは、参りませぬな」

「おうよ。ええか、我等が最も恐れるのは、別所が毛利と平仄をあわせることじゃ。故に、手勢は西に偏して配し、両者の繋ぎを断ち切らねばならん。よってそなたには、東を任せる。あまり援軍は回せぬが、しばし持ちこたえてくれれば光明も見える」
 秀吉は絵図を指し示しながら、その頭脳に描かれた軍略を開陳してくれる。

 それを則頼に対する信頼の証と受け取っても、あながち自惚れとも言えぬだろう。

「承知仕った。ひたすら守りを固めておけば、なんとかなりましょう」
 則頼は内心の感激を抑え、敢えて軽い調子で応じる。

 無論、安請け合いではない。
 こちらから手出しをしない限り、別所勢もわざわざ萩原城を攻め落とせるだけの兵を集めて押し寄せてはこないだろう、との読みがあった。

(ここでしくじる訳にはいかぬ。この戦さは長引くこととなろう。腹を据えてかからねばな)
 決意を新たにする則頼であった。
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