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(十五)渡瀬好光の来訪
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当初の別所方の目論見では、三木城を中心に、野口城、高砂城、端谷城、神吉城、志方城、渡瀬城、衣笠城、淡河城といった支城群を活用し、これらのいずれかが攻められれば、本城たる三木城と他の城がすばやく後詰めに回り、秀吉勢を蹴散らす算段であると思われた。
しかし、それはあまりにも羽柴方の実力を過小評価した策であった。
別所方の決起の報を受けて書写山までいったん兵を引いた秀吉だが、別所方の予想を超えた素早さで巻き返し、三木城の北にある平井山まで踏み込んで本陣を敷いた。
さらに三木城を挟んだ対角線上に位置する法界寺近くにも第二の陣とも言うべき拠点を設けたうえ、その間を幾重にも渡る土塁を築き、三木城と外部との連絡を断ち切った。
これらの動きに、別所勢は後手に回った。
平井山に築かれた陣地に入る秀吉勢は五千程度。
別所勢としても撃退するには城兵を残らずつぎこんでも勝ち筋が見えず、討って出ることはなかった。
こうして三木城の動きを封じた秀吉は、別所勢が細川城を陥としてから一月と経たないうちに、別所方の有力支城の一つ、長井邦時(政重とも)が守る加古川の野口城に兵を向けた。
秀吉は「短期で攻め落とせ」と厳命し、三日三晩の力攻めの末に野口城は陥落した。
思えばこの時代、弱兵としばしば侮られながらも、織田の軍勢ほど「城を攻め落とす」ことに関して経験を積んでいる者達はいなかったであろう。
幾度となく城攻めに参加して洗練されてきた彼らの手練手管の前では、播磨の中での小競り合い程度しか経験していない別所勢の戦さはいかにも鈍く、時代の流れから取り残されていたと言わざるを得なかった。
事実、この後も別所方の支城は、三木城からの後詰を受けられぬまま攻め落とされていくことになる。
五月の末頃、則頼は葛屋の連雀から妙な報せを受け取った。
三木城に入城した則重が、五月十八日に別所一族の某とともに討死した、というのだ。
羽柴方の付城には別所勢が斬り込みを繰り返しており、その際に落命したと思われる、と豊助からの書状には記されていた。
「いずれはそうなる日も来ると思うておったが、早すぎはせぬか」
萩原城の書院。
この期に及んで豊助の力量を疑う訳ではないが、と則頼は付け加えて、対面に座る吉田大膳に書状を差し出す。
なお、葛屋の豊助が用いる連雀が諜者働きをしていることを家中で知らされているのは、則頼が使う下人を除けば大膳のみである。
「このような時、呼び出されるのは決まってそれがしですな」
書状に目を通した吉田大膳が、むっつりとした表情で嫌味めいたものを口にする。
「まあ、そう申すな。当家の中で、多少なりとも知恵が働き、意見を述べられるのはそなたぐらいのものじゃ」
則頼としては誉め言葉のつもりであるが、大膳の不機嫌そうな顔が緩むことはない。
「そのような物言いは、余人が聞けば気を悪くしましょうぞ」
「お主が他人に漏らさぬと知っておるから申しておる。でなければ、そもそも本家の目付同然であったそなたを、斯様に重用なぞせぬわ」
「……奥方様にはお話しされぬので」
「言えるものか。あれは別所の出じゃぞ。元々、政事に関わることには口を挟まぬ女子であったが、今はいつ実家に送り返されるかと、そればかり心配しておるわ。こちらにはその気など一切ないと申すのにな」
言い訳めいた言葉を重ねてから、則頼は数度頭を振る。
「話が逸れたわ。今は兄上の事よ。無論、合戦となれば手負い討死は当然であろうが、これほど早々に兄上が討たれたとは納得しがたい」
「確かに、よほどの不運と申せましょう。ただ、日付まで明らかなれば、一笑に付すとも参りませぬな」
「せめて、誰の手にかかったのかぐらいは知れてもよかろうが」
「あるいは、別所方が故意に噂を広めてるやもしれませぬな」
則頼と大膳は顔を見合わせて嘆息する。
確証が持てずにもどかしい限りだが、葛屋の連雀はあくまでも平時の商売のつながりを活かしたて情報を得る。無理はさせられない。
「これ以上、気にしても仕方あるまい。生きておればいずれ消息も知れるであろう」
煮え切らぬ気持ちのまま、則頼は深入りを避けることにした。
「しかし、目の当たりにしておらぬせいか、どうにも信じられませぬ」
「うむ。儂もまるで実感が沸かぬ。曲がりなりにも兄上じゃ。悲しくない筈がないのじゃがな。こうなれば急いで蔵人につなぎを取らねばならん。我等の手で三津田城を抑えねば、亡き兄上の遺志が無駄になる」
我ながら上滑りする一言だと則頼は思った。
「では、三津田城に兵を入れまするか」
大膳が身を乗り出す。
則重が萩原城に足を運んだ際に交わした無血開城の密約は、豊助の正体同様、家中では大膳のみ知らされていた。
「もうすこし織田方の優勢が明らかとなってからにしたいところであったが、用意だけは進めておかねばなるまい」
則頼は渋面を作る。
慌てて三津田城を奪ったところで、四方に敵を抱えた状態では手勢が足りず、いずれ維持できなくなるのは目に見えている。
なにより、萩原城や石切山出城の人数が手薄になれば、淡河城の淡河定範が黙ってはいないだろう。
加えて現状では、三津田城の確保は則頼にとって数少ない手柄の機会である。
秀吉の信頼に応えるためにも安易に動いて無為にする訳にはいかない。
「されど、三津田の殿が本当に討たれたのであれば座視できませぬぞ」
「それよ。小次郎のこともあるでな」
大膳の言葉に、則頼も不承不承といった調子で応じる。
小次郎とは則重の世継である。則重に従って三木城に入ったらしく、消息がつかめない。
仮に小次郎が健在であったとしもて、三津田城を無血開城させる密約を聞かされているかどうか判らない。
結局、則頼はこの段階では兵を動かすことはせず、三津田城の守将である有馬重頼に密書を送るだけにとどめた。
数度のやりとりを重ねた結果、時勢を見計らって則頼の長子・四郎次郎則氏が城代として入ることを妨げないとの密約が交わされた。
「まあ、今はこれで良い。あとは時を待つのみじゃ」
重頼からの密書を前に、則頼は小さく呟いた。
別所の動きが低調であることは好都合だったが、秀吉も播州だけに注力してはいられなかった。
六月。山中鹿介を中核とした尼子残党が入った上月城が、毛利勢に包囲された。
尼子残党は御家再興のため、織田方の支援を受けており、播州の西端にあって対毛利の最前線であるこの城の守りを任されていた。
秀吉としても放置しておけない城であり、救援のための兵を差し向けることを余儀なくされる。
幸い、三木城の包囲が多少なりとも手薄になったこの機にも、別所方は動こうとしなかった。
あるいは、毛利勢が秀吉勢を打ち破ってくれると期待したのかもしれない。
しかし、毛利勢は大軍で上月城を包囲し、秀吉勢に付け入る隙を与えなかったものの、あえて合戦に持ち込もうとはしなかった。
やがて、秀吉は三木城の手当を優先させよとの信長の命令により、上月城を見捨てて撤退する。
七月三日には、上月城の城主であった尼子勝久が切腹。
毛利勢は、尼子家再興に執念を燃やす山中鹿介を誅殺したものの、兵を退いた秀吉勢を追うこともせず、目的は果たしたとばかり引き上げてしまった。
そのため、秀吉は別所方の支城への攻撃を再開する。
同月十六日には、神吉城が二十日余りの激戦の末、おびだだしい討死者を出して陥落した。
さらに翌八月十日には櫛橋左京亮伊則が籠もる志方城が陥落した。この間も、三木城からは後詰の兵が討って出ることはなかった。
八月半ば。
「まずは順調といったところかのう。自ら機を見計らって蜂起したに割に、別所の動きが鈍いのは気にかかるが……」
則頼は、葛屋の連雀や自ら送り出した物見からの報せを聞く都度、萩原城の大広間に広げた絵図にその内容を書き加えていた。
余白に記し切れなくなると、新たに上から紙を貼って書き足している。
その視線は、どうしても淡河城を示す印に向けられる。
今のところ、淡河城の淡河定範、野瀬城に籠る定範実弟の淡河長範はともに大きな動きはみせておらず、物見同士の小競り合い程度に終始している。
則頼の牽制が効いて身動きが取れないとも解釈できるが、油断はならなかった。
「東は任せた」と秀吉と託された以上、戦況が好転しつつある今、ただ守りを固めているだけで武功とも言えない。
増援を得られれば、自ら寄せ手の大将として淡河城を攻め落としたいと秀吉に具申したのだが、これは却下されている。
実は、小寺孝高の妻が、淡河長範の妻と姉妹同士の間柄である。
その縁を通じて孝高が淡河家の誘降を働きかけており、結果が出るまでは力攻めを禁じるというのが秀吉からの回答であった。
「あの淡河弾正がこの期に及んで甘言に乗るとは思えんが、致し方あるまい」
則頼としては孝高の名が出ることも、淡河城を攻められないことも面白くない話ではあるが、理屈は理解していた。
目下のところ、秀吉は三木城の別所と毛利との連携を妨害を第一に考え、別所方の支城を攻め落としている。
三木城の東に位置する淡河城は後回しにならざるを得ない。
(とは申せ、手を拱いておるだけでは芸がない)
絵図を前に則頼が思案しているところに、吉田大膳が足音を響かせて近づいてきた。
「申し上げまする。我が手の者が領内を見回りしておりましたところ、珍客をお迎えいたしました」
にこりともせず、吉田大膳が報告する。
「もったいぶるでないわ。誰じゃ」
「渡瀬城城主、渡瀬小次郎様にござる。お会いになりまられすか」
「なんと。すぐに書院にお通しせよ。縄目の恥辱など与えてはおらぬであろうな。丁重にお迎えするのじゃぞ」
則頼は大膳に命じつつ、急いで腰を上げた。
もちろん、絵図は放置せずにきちんと丸めてしまい込んでいる。
渡瀬城は、萩原城から二里ばかり北にある吉川の地に建つ天険の要害である。
城主である渡瀬小次郎好光は弘治元年(一五五五年)生まれ。当年二十四歳の颯爽たる若武者である。
萩原城とは近隣の城主同士であり、知らぬ仲ではない。
好光は別所長治の叔父・別所吉親の娘を妻に迎えていたが、一昨年の十二月十三日に病没している。
別所とのつながりが強かった好光は織田に反旗を翻したものの、つい先日、渡瀬城は秀吉勢の攻撃を受けて落城していた。
好光は自ら城に火をかけて逃亡したため、命は永らえたものの行方知れずとなったとの報せが、則頼の元に届いたばかりだった。
「それがしが筑前様に通じておることは既にご存じであろうな。ひとたび敵味方に分かれた以上、御身を捕らえて筑前様に突き出すことになっても、お恨みめさるな」
書院に招き入れた好光に向けて、則頼は穏やかな口ぶりで宣言する。
「織田の雑兵の手にかかるぐらいであれば、有馬殿に引導を渡されるほうが本望にござる」
好光は則頼の視線を真正面から受け止め、いかほども怯む様子はない。
(少なくとも、肚は座っておるようじゃ)
則頼は小さく鼻を鳴らし、肩の力を抜いた。
「ご安心めされよ。そのような真似はいたさぬ。おお、そうじゃ、酒でも用意させようぞ」
「ありがたきお言葉なれど、酒よりも今は腹が減っておりますれば、米の飯など頂戴できれば幸いにござる」
腹に手を当てた好光が照れくさそうに笑った。落城以来、まともな食事にありついていないのだろう。
「いや、これは卒爾であった。すぐに用意させよう」
ほどなくして膳部が二つ運ばれてきた。昼餉どきは過ぎていたが、好光にだけ食べさせながら話をする訳にもいかず、則頼も向かい合って相伴することになる。
毒など仕込んでいないことを示すため、どちらかを好光に選ばせる。
「さて、渡瀬殿は随分と織田を手こずらせたと聞いてござるが」
「なんの、織田の兵は弱兵などと申しておった者がおったが、大間違いでござった。織田は強い。我が城があれほど容易く攻め落とされるとは思いもよらぬことで、もはや歯向かおうなどとは思いませぬ」
飯を頬張りながら、好光は懲り懲りとばかりに首を横に振った。
しかし、敗軍の将でありながら目の輝きは失われておらず、整った面立ちにも卑屈の色はない。
「それがしの力の及ぶかは判らぬが、お望みとあらば筑前様に助命を取り成して進ぜるが、如何かな」
則頼は率直に訊ねた。下手に腹を探るよりも、ここはそのまま聞く方が話が早いと思われた。
「ありがたきお言葉。今となっては織田の軍門に下るのもやむなしと思うております。されど、既に我が兄弟が三木城に入っておりますれば、御味方するにしても身内の籠る城を攻めるのは忍び難く存じまする」
渋い表情で応じた好光は、縁家である摂津の荒木村重の厄介になるつもりだと話す。
摂津の三守護の一人である池田勝正に仕えていた村重は、勝正が足利義昭方について信長と対立すると主君を見限り、信長に忠節を誓った。
その上で村重が勝正以外の三守護である高槻城の和田惟長、伊丹城の伊丹忠親を相次いで破ると、大いに喜んだ信長は村重に本願寺の寺領を除く摂津全域の支配権を認めた。
村重は奪った伊丹城を有岡城と改名して居城としている。
なお、摂津国有馬郡の分郡守護であった三田の有馬家は、信長から新たに摂津の支配を任された村重と対立し、天正三年には有馬村秀の後を継いだ有馬国秀の自害によって断絶している。
従って、則頼自身は有馬の本家を滅ぼした荒木村重に好感情は抱いていないのだが、それを言ったところで詮無い話である。
いずれにせよ、織田に仕えるのはともかく、別所攻めの当事者である秀吉の配下にはなりたくないとの気持ちは、則頼にも判らないではなかった。
秀吉としても、敵方に逃げ込んだ者であれば引き続き敵だが、味方である荒木村重に匿われた好光を探し出してまで首を刎ねはしないだろう。
「左様であるか。であれば、荒木殿に書状を認めよう。どこまで役に立つかは請け負えぬが」
「ありがたきことにござります。重ねて図々しい願いとは存じますが、有岡城まで幾人か人手をお貸しいただけぬものかと存じまする。むざむざ落ち武者狩りなどの手にかかっては、なんとも死に切れませぬゆえ」
居住まいをただした好光が、改めて深々と頭を下げた。
「道理である。承知いたした」
則頼は葛屋の連雀に頼み、好光にも連雀商人の恰好をさせたうえで、二人ほど有岡城まで同行してもらうことにした。
「渡瀬様に、そこまで情けをかける必要がございましたかな」
その晩。夜陰に紛れて出立する好光一行を搦手門から見送った大膳が首を傾げる。
「儂はなにも別所が憎くて織田に加担した訳ではない。敵味方に分かれたとは申せ、同郷の者が窮する姿は見とうないのじゃ」
則頼はあくまでも本音を口にしたつもりであったが、大膳は疑わしげな表情を隠さなかった。
しかし、それはあまりにも羽柴方の実力を過小評価した策であった。
別所方の決起の報を受けて書写山までいったん兵を引いた秀吉だが、別所方の予想を超えた素早さで巻き返し、三木城の北にある平井山まで踏み込んで本陣を敷いた。
さらに三木城を挟んだ対角線上に位置する法界寺近くにも第二の陣とも言うべき拠点を設けたうえ、その間を幾重にも渡る土塁を築き、三木城と外部との連絡を断ち切った。
これらの動きに、別所勢は後手に回った。
平井山に築かれた陣地に入る秀吉勢は五千程度。
別所勢としても撃退するには城兵を残らずつぎこんでも勝ち筋が見えず、討って出ることはなかった。
こうして三木城の動きを封じた秀吉は、別所勢が細川城を陥としてから一月と経たないうちに、別所方の有力支城の一つ、長井邦時(政重とも)が守る加古川の野口城に兵を向けた。
秀吉は「短期で攻め落とせ」と厳命し、三日三晩の力攻めの末に野口城は陥落した。
思えばこの時代、弱兵としばしば侮られながらも、織田の軍勢ほど「城を攻め落とす」ことに関して経験を積んでいる者達はいなかったであろう。
幾度となく城攻めに参加して洗練されてきた彼らの手練手管の前では、播磨の中での小競り合い程度しか経験していない別所勢の戦さはいかにも鈍く、時代の流れから取り残されていたと言わざるを得なかった。
事実、この後も別所方の支城は、三木城からの後詰を受けられぬまま攻め落とされていくことになる。
五月の末頃、則頼は葛屋の連雀から妙な報せを受け取った。
三木城に入城した則重が、五月十八日に別所一族の某とともに討死した、というのだ。
羽柴方の付城には別所勢が斬り込みを繰り返しており、その際に落命したと思われる、と豊助からの書状には記されていた。
「いずれはそうなる日も来ると思うておったが、早すぎはせぬか」
萩原城の書院。
この期に及んで豊助の力量を疑う訳ではないが、と則頼は付け加えて、対面に座る吉田大膳に書状を差し出す。
なお、葛屋の豊助が用いる連雀が諜者働きをしていることを家中で知らされているのは、則頼が使う下人を除けば大膳のみである。
「このような時、呼び出されるのは決まってそれがしですな」
書状に目を通した吉田大膳が、むっつりとした表情で嫌味めいたものを口にする。
「まあ、そう申すな。当家の中で、多少なりとも知恵が働き、意見を述べられるのはそなたぐらいのものじゃ」
則頼としては誉め言葉のつもりであるが、大膳の不機嫌そうな顔が緩むことはない。
「そのような物言いは、余人が聞けば気を悪くしましょうぞ」
「お主が他人に漏らさぬと知っておるから申しておる。でなければ、そもそも本家の目付同然であったそなたを、斯様に重用なぞせぬわ」
「……奥方様にはお話しされぬので」
「言えるものか。あれは別所の出じゃぞ。元々、政事に関わることには口を挟まぬ女子であったが、今はいつ実家に送り返されるかと、そればかり心配しておるわ。こちらにはその気など一切ないと申すのにな」
言い訳めいた言葉を重ねてから、則頼は数度頭を振る。
「話が逸れたわ。今は兄上の事よ。無論、合戦となれば手負い討死は当然であろうが、これほど早々に兄上が討たれたとは納得しがたい」
「確かに、よほどの不運と申せましょう。ただ、日付まで明らかなれば、一笑に付すとも参りませぬな」
「せめて、誰の手にかかったのかぐらいは知れてもよかろうが」
「あるいは、別所方が故意に噂を広めてるやもしれませぬな」
則頼と大膳は顔を見合わせて嘆息する。
確証が持てずにもどかしい限りだが、葛屋の連雀はあくまでも平時の商売のつながりを活かしたて情報を得る。無理はさせられない。
「これ以上、気にしても仕方あるまい。生きておればいずれ消息も知れるであろう」
煮え切らぬ気持ちのまま、則頼は深入りを避けることにした。
「しかし、目の当たりにしておらぬせいか、どうにも信じられませぬ」
「うむ。儂もまるで実感が沸かぬ。曲がりなりにも兄上じゃ。悲しくない筈がないのじゃがな。こうなれば急いで蔵人につなぎを取らねばならん。我等の手で三津田城を抑えねば、亡き兄上の遺志が無駄になる」
我ながら上滑りする一言だと則頼は思った。
「では、三津田城に兵を入れまするか」
大膳が身を乗り出す。
則重が萩原城に足を運んだ際に交わした無血開城の密約は、豊助の正体同様、家中では大膳のみ知らされていた。
「もうすこし織田方の優勢が明らかとなってからにしたいところであったが、用意だけは進めておかねばなるまい」
則頼は渋面を作る。
慌てて三津田城を奪ったところで、四方に敵を抱えた状態では手勢が足りず、いずれ維持できなくなるのは目に見えている。
なにより、萩原城や石切山出城の人数が手薄になれば、淡河城の淡河定範が黙ってはいないだろう。
加えて現状では、三津田城の確保は則頼にとって数少ない手柄の機会である。
秀吉の信頼に応えるためにも安易に動いて無為にする訳にはいかない。
「されど、三津田の殿が本当に討たれたのであれば座視できませぬぞ」
「それよ。小次郎のこともあるでな」
大膳の言葉に、則頼も不承不承といった調子で応じる。
小次郎とは則重の世継である。則重に従って三木城に入ったらしく、消息がつかめない。
仮に小次郎が健在であったとしもて、三津田城を無血開城させる密約を聞かされているかどうか判らない。
結局、則頼はこの段階では兵を動かすことはせず、三津田城の守将である有馬重頼に密書を送るだけにとどめた。
数度のやりとりを重ねた結果、時勢を見計らって則頼の長子・四郎次郎則氏が城代として入ることを妨げないとの密約が交わされた。
「まあ、今はこれで良い。あとは時を待つのみじゃ」
重頼からの密書を前に、則頼は小さく呟いた。
別所の動きが低調であることは好都合だったが、秀吉も播州だけに注力してはいられなかった。
六月。山中鹿介を中核とした尼子残党が入った上月城が、毛利勢に包囲された。
尼子残党は御家再興のため、織田方の支援を受けており、播州の西端にあって対毛利の最前線であるこの城の守りを任されていた。
秀吉としても放置しておけない城であり、救援のための兵を差し向けることを余儀なくされる。
幸い、三木城の包囲が多少なりとも手薄になったこの機にも、別所方は動こうとしなかった。
あるいは、毛利勢が秀吉勢を打ち破ってくれると期待したのかもしれない。
しかし、毛利勢は大軍で上月城を包囲し、秀吉勢に付け入る隙を与えなかったものの、あえて合戦に持ち込もうとはしなかった。
やがて、秀吉は三木城の手当を優先させよとの信長の命令により、上月城を見捨てて撤退する。
七月三日には、上月城の城主であった尼子勝久が切腹。
毛利勢は、尼子家再興に執念を燃やす山中鹿介を誅殺したものの、兵を退いた秀吉勢を追うこともせず、目的は果たしたとばかり引き上げてしまった。
そのため、秀吉は別所方の支城への攻撃を再開する。
同月十六日には、神吉城が二十日余りの激戦の末、おびだだしい討死者を出して陥落した。
さらに翌八月十日には櫛橋左京亮伊則が籠もる志方城が陥落した。この間も、三木城からは後詰の兵が討って出ることはなかった。
八月半ば。
「まずは順調といったところかのう。自ら機を見計らって蜂起したに割に、別所の動きが鈍いのは気にかかるが……」
則頼は、葛屋の連雀や自ら送り出した物見からの報せを聞く都度、萩原城の大広間に広げた絵図にその内容を書き加えていた。
余白に記し切れなくなると、新たに上から紙を貼って書き足している。
その視線は、どうしても淡河城を示す印に向けられる。
今のところ、淡河城の淡河定範、野瀬城に籠る定範実弟の淡河長範はともに大きな動きはみせておらず、物見同士の小競り合い程度に終始している。
則頼の牽制が効いて身動きが取れないとも解釈できるが、油断はならなかった。
「東は任せた」と秀吉と託された以上、戦況が好転しつつある今、ただ守りを固めているだけで武功とも言えない。
増援を得られれば、自ら寄せ手の大将として淡河城を攻め落としたいと秀吉に具申したのだが、これは却下されている。
実は、小寺孝高の妻が、淡河長範の妻と姉妹同士の間柄である。
その縁を通じて孝高が淡河家の誘降を働きかけており、結果が出るまでは力攻めを禁じるというのが秀吉からの回答であった。
「あの淡河弾正がこの期に及んで甘言に乗るとは思えんが、致し方あるまい」
則頼としては孝高の名が出ることも、淡河城を攻められないことも面白くない話ではあるが、理屈は理解していた。
目下のところ、秀吉は三木城の別所と毛利との連携を妨害を第一に考え、別所方の支城を攻め落としている。
三木城の東に位置する淡河城は後回しにならざるを得ない。
(とは申せ、手を拱いておるだけでは芸がない)
絵図を前に則頼が思案しているところに、吉田大膳が足音を響かせて近づいてきた。
「申し上げまする。我が手の者が領内を見回りしておりましたところ、珍客をお迎えいたしました」
にこりともせず、吉田大膳が報告する。
「もったいぶるでないわ。誰じゃ」
「渡瀬城城主、渡瀬小次郎様にござる。お会いになりまられすか」
「なんと。すぐに書院にお通しせよ。縄目の恥辱など与えてはおらぬであろうな。丁重にお迎えするのじゃぞ」
則頼は大膳に命じつつ、急いで腰を上げた。
もちろん、絵図は放置せずにきちんと丸めてしまい込んでいる。
渡瀬城は、萩原城から二里ばかり北にある吉川の地に建つ天険の要害である。
城主である渡瀬小次郎好光は弘治元年(一五五五年)生まれ。当年二十四歳の颯爽たる若武者である。
萩原城とは近隣の城主同士であり、知らぬ仲ではない。
好光は別所長治の叔父・別所吉親の娘を妻に迎えていたが、一昨年の十二月十三日に病没している。
別所とのつながりが強かった好光は織田に反旗を翻したものの、つい先日、渡瀬城は秀吉勢の攻撃を受けて落城していた。
好光は自ら城に火をかけて逃亡したため、命は永らえたものの行方知れずとなったとの報せが、則頼の元に届いたばかりだった。
「それがしが筑前様に通じておることは既にご存じであろうな。ひとたび敵味方に分かれた以上、御身を捕らえて筑前様に突き出すことになっても、お恨みめさるな」
書院に招き入れた好光に向けて、則頼は穏やかな口ぶりで宣言する。
「織田の雑兵の手にかかるぐらいであれば、有馬殿に引導を渡されるほうが本望にござる」
好光は則頼の視線を真正面から受け止め、いかほども怯む様子はない。
(少なくとも、肚は座っておるようじゃ)
則頼は小さく鼻を鳴らし、肩の力を抜いた。
「ご安心めされよ。そのような真似はいたさぬ。おお、そうじゃ、酒でも用意させようぞ」
「ありがたきお言葉なれど、酒よりも今は腹が減っておりますれば、米の飯など頂戴できれば幸いにござる」
腹に手を当てた好光が照れくさそうに笑った。落城以来、まともな食事にありついていないのだろう。
「いや、これは卒爾であった。すぐに用意させよう」
ほどなくして膳部が二つ運ばれてきた。昼餉どきは過ぎていたが、好光にだけ食べさせながら話をする訳にもいかず、則頼も向かい合って相伴することになる。
毒など仕込んでいないことを示すため、どちらかを好光に選ばせる。
「さて、渡瀬殿は随分と織田を手こずらせたと聞いてござるが」
「なんの、織田の兵は弱兵などと申しておった者がおったが、大間違いでござった。織田は強い。我が城があれほど容易く攻め落とされるとは思いもよらぬことで、もはや歯向かおうなどとは思いませぬ」
飯を頬張りながら、好光は懲り懲りとばかりに首を横に振った。
しかし、敗軍の将でありながら目の輝きは失われておらず、整った面立ちにも卑屈の色はない。
「それがしの力の及ぶかは判らぬが、お望みとあらば筑前様に助命を取り成して進ぜるが、如何かな」
則頼は率直に訊ねた。下手に腹を探るよりも、ここはそのまま聞く方が話が早いと思われた。
「ありがたきお言葉。今となっては織田の軍門に下るのもやむなしと思うております。されど、既に我が兄弟が三木城に入っておりますれば、御味方するにしても身内の籠る城を攻めるのは忍び難く存じまする」
渋い表情で応じた好光は、縁家である摂津の荒木村重の厄介になるつもりだと話す。
摂津の三守護の一人である池田勝正に仕えていた村重は、勝正が足利義昭方について信長と対立すると主君を見限り、信長に忠節を誓った。
その上で村重が勝正以外の三守護である高槻城の和田惟長、伊丹城の伊丹忠親を相次いで破ると、大いに喜んだ信長は村重に本願寺の寺領を除く摂津全域の支配権を認めた。
村重は奪った伊丹城を有岡城と改名して居城としている。
なお、摂津国有馬郡の分郡守護であった三田の有馬家は、信長から新たに摂津の支配を任された村重と対立し、天正三年には有馬村秀の後を継いだ有馬国秀の自害によって断絶している。
従って、則頼自身は有馬の本家を滅ぼした荒木村重に好感情は抱いていないのだが、それを言ったところで詮無い話である。
いずれにせよ、織田に仕えるのはともかく、別所攻めの当事者である秀吉の配下にはなりたくないとの気持ちは、則頼にも判らないではなかった。
秀吉としても、敵方に逃げ込んだ者であれば引き続き敵だが、味方である荒木村重に匿われた好光を探し出してまで首を刎ねはしないだろう。
「左様であるか。であれば、荒木殿に書状を認めよう。どこまで役に立つかは請け負えぬが」
「ありがたきことにござります。重ねて図々しい願いとは存じますが、有岡城まで幾人か人手をお貸しいただけぬものかと存じまする。むざむざ落ち武者狩りなどの手にかかっては、なんとも死に切れませぬゆえ」
居住まいをただした好光が、改めて深々と頭を下げた。
「道理である。承知いたした」
則頼は葛屋の連雀に頼み、好光にも連雀商人の恰好をさせたうえで、二人ほど有岡城まで同行してもらうことにした。
「渡瀬様に、そこまで情けをかける必要がございましたかな」
その晩。夜陰に紛れて出立する好光一行を搦手門から見送った大膳が首を傾げる。
「儂はなにも別所が憎くて織田に加担した訳ではない。敵味方に分かれたとは申せ、同郷の者が窮する姿は見とうないのじゃ」
則頼はあくまでも本音を口にしたつもりであったが、大膳は疑わしげな表情を隠さなかった。
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