【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝

糸冬

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(二十八)平定戦

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 いったん淡河に戻った則頼は、吉田大膳と有馬重頼の二人を書院に呼び出し、秀吉の命令により大坂に住まうことになった事の次第を伝えた。

 その上で、大膳には大坂屋敷詰め、重頼には淡河城の城代を命じる。

 二人とも、則頼が大坂屋敷に居を移す自体ことはやむを得ないことと認めたが、それぞれの役目に対しては意を唱えた。

 大膳の言い草は「大坂くんだりまで出かけて殿と顔を突き合わせて過ごすぐらいなら、淡河の山河を眺めておるほうが心地よい」である。

 対する重頼は「良き折ゆえ、それがしも大坂のみならず、堺や京の町も見てみとうございます」などと己の願望を口にした。

「お主らがそのような了見であるから、儂がこう決めたのだ」
 則頼が長嘆息して異見を退ける。

 二人は顔を見合わせ、それ以上は文句をつけなかった。

 その代わり、大膳が代表するような形で口を開く。

「して、奥方様はいかがなされますので」

 意趣返しという訳でもないだろうが、これには則頼も額に手を当ててうなる。

「そのことよ。連れていきたいのは山々なれど、そうもいくまい。奥の気の済むようにさせるしかあるまいよ」

「殿自らお伝えくださりますよう、伏してお願いいたしまする。言付などのお役目ばかりは、御免被ります」
 重頼が先手を打つように、大袈裟に床に額を付けて平伏した。

「判っておる。そのような尻拭いはさせぬわ」
 則頼は渋々といった体で応じた。



 二人が書院から下がった後、則頼は城を出て長松寺にまで足を運んだ。

 振は、尼となった則氏の妻の元に日参しており、時には城に戻らず、ほとんど長松寺の庫裡で暮らしているも同然の日々を過ごしている。

 本堂で振と対座した則頼は自身の大坂行きを振に告げ、本当であれば共に来て欲しいと前置きしたうえで、「来るも来ぬも、そなたの心に任せたい」と伝えた。

 振はしばし無言であったが、やがて、
「わらわは、この寺にて、四郎次郎の御霊の為に祈りを捧げたく存じまする」
 との返事を寄越した。

 則頼にとっては予想どおりではある。

 しかし、夫を亡くして髪を下ろしたというのであればともかく、夫がこうして健在であるのに、先立たれた子を優先する振に、妬心めいたものを感じないといえば嘘になる。

「左様であるか。であれば致し方ない。そうであれば一つ、前もってそなたに許しを得ておきたいことがあってな」

「なんでございましょうか」

「そなたが来ぬとなれば、大坂の屋敷は男所帯となり、なにかと不調法となる。それ故、側室を一人迎えたいのじゃ」
 男だけのむさい屋敷にしたくない、との思いは嘘ではない。

 しかし、振は心底を確かめようとするかのように、例の月光のように冷えた目線を則頼に向けたまま無言である。

(かなわんな、どうにも)
 則頼は観念して、もう一つの思惑も言葉にする。

「無論、世継のこともある。四郎次郎亡き今、男子は玄蕃ひとり。筑前様の御膝元にいる玄蕃も、いずれは別家を立てることになるやも知れず、そうなれば有馬の家を継がせる者が必要となる」

 やや早口で弁解じみた言葉を並べた則頼に対し、振はなおも無言である。

 嫌な空気が流れた。

 咳払いした則頼が、何か間を持たせようと口を開きかけたところで、振がゆっくりと頭を下げた。

「すべて、殿の御随意になされませ」

 静かなその声にも、底知れぬ冷えたものを感じ、則頼は思わず表情をこわばらせた。



 後に則頼が側室として迎えた女性は、小野氏との呼び名のみが後世に伝わり、その出自は不明である。

 さらに後の話になるが、則頼は小野氏との間に男子一名、女子一名を設ける。

 男子は長じて九郎次郎則次と名乗り、女子は豊氏の最側近として名を残すことになる稲次壱岐守重知の子・光成の元に嫁ぐことになる。



 紀州征伐の為に大坂に集められた軍勢は、毛利勢の援軍を得て六万とも十万とも言われる規模に膨れ上がった。

 三月二十日、先陣として大坂を発った羽柴秀次勢は、翌二十一日には千石堀城攻めを開始する。この戦いでは秀次付として参陣した渡瀬繁詮が功名をあげている。

 和泉南部の制圧を終えた秀吉勢の本軍により、二十三日に根来寺が焼き落とされると、太田党は紀の川河畔の平城である太田城に籠城の構えを見せた。

 領民も含めて三千の兵が籠る太田城に対して、秀吉は力攻めを行わず、備中高松城と同様に水攻めを目論んだ。

 五日ばかりで堤防が築かれると、四月一日には川の水を流し込んで太田城の周辺を水浸しにして孤立させることに成功した。

 元々、籠城の為の備えも充分ではなく、物理的な孤立感もさることながら、華々しく討死することも許されないという心理的な絶望感も大きかったのだろう。

 ひと月と持ちこたえることはできず、二十二日には城主の太田左近は降伏勧告を受け入れ、自刃した。五十数名が死出の供をしたという。

 太田城の陥落により、紀州征伐の目的はほぼ達成された。



 紀州征伐の終了後 則頼は渡瀬繁詮を淡河城の書院に招き、祝勝の宴席を設けた。

 合戦の様子を聞くためもあるが、もう一つ大事な思惑を秘めていた。

「此度も働きを称されたとのこと。目出度いことじゃ。同じ播州武者として、鼻が高い」
 則頼の誉め言葉に、座が沸いた。

 主客である繁詮は面映ゆげに頬を掻く。

「孫七郎様にとっては、汚名を返上する絶好の機会。それ故、逸って前へ前へ出ようとなされましたからな。我等は討たせてはならじと必死にその馬前に進み出て、無我夢中でござった」

 繁詮の武功話に、居並ぶ則頼の家臣たちは沸き立ちながらもどこか羨まし気な表情で聞いていた。

 なにしろ、有馬家には動員がかからずじまいであったから、武功のあげようもない。

 小牧長久手の痛手から完全に立ち直った訳ではないとはいえ、蚊帳の外扱いにはやりきれなさが募るのもまた、武士である。

 ひととおり話題が出尽くし、いよいよ宴席もたけなわになろうかという頃合いを見計らって、居住まいをただした則頼が繁詮に向かい合う。

「一つ、渡瀬殿に頼みがござる」

「なんでございましょうか」

「他でもない。我が三女を、左衛門佐殿の後添えに貰うてはもらえぬか。先に言うておくは、これはこの場限りの座興などではないぞ」

 おお、と座がざわめいた。

 繁詮の妻は別所家離反の原因を作った別所長治の叔父・別所山城守吉親の娘であるが、既に天正四年の末に病没していた。

 再婚にあたって支障はない。

 家臣から、反対の声は挙がらなかった。
 参陣できなかった悔しさを則頼にあてつけるかのように、播州武者の誇り、とこれまで繁詮を散々誉めそやした手前もある。

 その意味では、則頼の読み勝ちとも言える。

 しばしあっけに取られた様子の繁詮は、やがて表情を引き締めた。

「まことにありがたき申し出にござります」

「では、受けてくれるか」

「ただ、あらかじめ一つお断りしておかねばなりませぬ。それがしには、亡き妻との間にもうけた男子がおりまする」

 繁詮の男児は、天正六年に渡瀬城が落城した折にはあらかじめ石峯寺に匿ってもらっていたために難を逃れていた。
 その後、別所が滅び、三木合戦が終結した後に手元に呼び寄せて引き取っていた。

 京での牢人暮らしの苦しい時節にあっても手放すことはなく、苦難を共にして育ててきたという。

「我が跡目はその男子に継がせるものと思い定めております。仮に後添えを頂戴して男児が産まれたとて、世継とはなりませぬ。それで構いませぬか」

「渡瀬殿の律儀なことよ。家督のことに口出しなど致さぬ」
 則頼は笑みを大きくして頷いた。
 渡瀬家と縁続きとなることで家名の存続に良い影響があるとの打算はあるが、家を血縁者に乗っ取らせようなどと考えている訳ではない。

「では、取り紛れて先の妻の墓参をしばし怠っておりましたが、近いうちに墓前に報告せねばなりませぬな」
 遠回しな繁詮の承諾の言葉に、一瞬の間が空いた後、再び家臣たちから大きなどよめきが起こった。



 紀州征伐が終わっても秀吉は、天下を統べるために手を休めることはなかった。

 五月の初めには早くも次の遠征先を四国とさだめ、平定のための準備を進め始めている。

 この時期の四国は、長宗我部元親が全土の制覇まであと一歩に迫っていた。

 紀州の根来寺や雑賀党同様、先の小牧長久手の戦いにおいては家康と同盟して渡海の動きを示してみせることで、秀吉の動きに掣肘を加えていた。

 秀吉としては放置しておけぬ相手であった。

 しかし、出陣を前にして秀吉は体調を崩した。

 今回は、則頼が見舞いに駆け付けた折よりも不調は長引いたことから自らの出馬を断念する。

 その代わり、総大将を羽柴秀長に譲り、羽柴秀次を副将、黒田孝高を軍監につけて望むこととした。

 六月の中旬には、秀長の本軍が淡路から阿波へと渡海した。

 加えて、宇喜多秀家率いる備前・美作勢、播磨の蜂須賀正勝勢が讃岐の屋島へ、毛利輝元の中国勢が伊予の今治浜へと上陸する。

 合計十万と呼号される秀吉の大軍勢を前にしては、阿波の要衝・白地城に本陣を構えた元親も成す術がない。

 幾つかの合戦が繰り広げられたが、長宗我部勢は各地で敗走し、一矢報いることすらままならない。

 結局、七月二十五日には元親は抵抗を断念し、降伏に追い込まれている。

 徹底抗戦を求める家臣を抑えて降参を申し出たことが秀吉に認められ、元親には土佐一国ながら、本領が安堵される寛大な措置が取られた。

 なお、秀吉はこの四国討伐の最中、七月十一日には関白宣下を受けている。

 朝廷内で二条昭実と近衛信輔が関白職を巡って諍いを起こしているのに付け込み、近衛前久の猶子となる強引な手法で実現した関白である。



 
 秀吉の勢いはなおも止まらない。

 天正十四年(一五八六年)九月九日には正親町天皇から新たに「豊臣」の姓を賜っている。

 本来、氏も苗字もなかった卑賤の生まれであった秀吉は、信長に倣ったか平姓を名乗っていたが、近衛前久の猶子となることで藤原姓に改めていた。

 しかし、源平藤橘の四姓と一戦を画す第五の姓として、豊臣姓を名乗ることとなったのだ。

 得意の絶頂にある秀吉は、島津征伐、すなわち九州征伐を高らかに宣言する。

 この年の四月に、豊後の大友宗麟が伸長著しい島津の圧迫に耐え兼ね、大坂で秀吉に旧領回復の助力を懇願したことが契機となっていた。

 十一月二十五日には、秀吉勢の先遣隊が九州に送り出された。

 豊後鶴ヶ城に上陸した先遣隊の人数は約六千と伝わる。

 讃岐国を領する仙石秀久を軍監とし、先に降伏したばかりの土佐の長宗我部元親と、阿波の十河存保ら四国勢が中心となっていた。

 秀吉にしても、一万にも遠く満たない軍勢で、九州を制覇する勢いの島津勢とは正面切って戦えないことは判っている。

 あくまでも、秀吉率いる主力が到着するまでの時間稼ぎが目的である。

 しかし豊後鶴賀城に入った羽柴勢は功を焦ったか、秀吉の到着を待たずに戦端を開いた。

 四国同様、羽柴勢の向かうところ敵なしとの驕りもあったのかもしれない。

 そして、何もかもが思惑通りに進むことなどありえない。

 戸次川の河畔にて行われた合戦において、島津勢は世に聞こえた「釣り野伏」を巧みに仕掛けた。

 十河勢はともかく、長宗我部勢は降参して日が浅いため羽柴勢の軍法になじみが薄い。
 しかも因縁ある両者の仲は険悪であり、連携が悪い。

 結果、羽柴勢はまんまと島津勢の策にはまり、散々に打ち破られたのである。
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