【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝

糸冬

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(三十二)有馬富士と再びの九十九髪茄子

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 領内に迫る秀吉の大軍を、北条方も無為に待ち構えていた訳ではない。

 領内の十五歳から七十歳までの男子を対象とする大規模な動員を行い、兵をかき集めていた。

 しかし、それでも五万あまりを揃えるのが精いっぱいであり、頭数に対して武具が不足をきたすのが実状だった。

 三月二十九日に駿河の境目の要衝・山中城を陥落せしめて国境を突破したのを皮切りに、四月二十日は上野の松井田城、五月二十二日には武蔵の岩付城、六月十四日には武蔵の鉢形城と、北条方の有力支城は次々と力攻めで攻略されていった。

 一方、本軍を率いる秀吉は小田原城を西から見下ろす笠懸山まで進出して本陣を据えると、悠々と大規模な築城を開始した。

 難攻不落の小田原城に立て籠もりさえすれば、攻城方はいずれ攻めあぐねて引き上げる。

 それこそが、かつて上杉謙信や武田信玄を退けてきた北条の基本的な軍略である。

 しかし、今回ばかりは勝手が違った。

 石垣を用いた陣城が目と鼻の先に築かれて、分厚い包囲を受けて身動きが取れなくなると、後詰めも出来ぬまま支城が相次いで陥落する事態となった。

 城兵の士気の阻喪するのを止められないまま、結局、六月下旬に笠懸山に「石垣山一夜城」が完成してからおよそ十日後の七月五日に、北条氏政・氏直父子は降伏を申し出た。

 十一日には氏政が自刃して開城となり、氏直は高野山へ送られる形で小田原征伐は終わりを迎えた。

 なお、例によって坊主好きの秀吉は、北条家にて外交を担った僧・板部岡江雪斎の降伏時における潔い態度に感銘を受けて赦免し、後に御伽衆として迎えている。

「まったく、九州の折と同じで、何をしにきたやら判りませぬな」
 例によって、吉田大膳はぼやき節である。

 則頼率いる手勢は、石垣山城と呼び習わされるようになった本陣の守りに就いており、功名をあげる機会は皆無だった。

「手柄を立て損ねたのは我等ばかりではないわ」
 珍しく、則頼も慰め口調で大膳を諭す。

 九州では、曲がりなりにも敵地の奥深くに踏み込んでいく緊張感があった。

 しかし、小田原攻めにおいてはかなり様相が異なった。

 敵の本拠を眼下に見下ろしながら、五月の末には石垣山城西曲輪にて津田宗及を茶頭とした茶会が開かれた。

 かと思えば、六月には淀殿こと茶々をはじめとする秀吉の側室が侍女衆を伴って石垣山城を訪れた。

 何もかもが、則頼の知る城攻めとは桁が違っていた。

 けっきょくは北条も、秀吉の桁外れぶりに戦意を喪失したようなものだった。

「それはそうでございましょうが」

「そうへそを曲げるでないわ。ともあれ、これで国許に国許に戻れるではないか」
 不満気な様子を隠さない大膳を、則頼は笑って宥めた。



 しかし、則頼の思惑は外れた。

 北条の降伏だけで秀吉は満足せず、引き続いて奥羽征伐を決めたのだ。

「いつになった戻れるのやら」

 さすがに郷心のついた則頼は嘆いたが、七月十四日に石垣山城を出陣した秀吉は、大きな抵抗を受けることなく北上を進め、一月足らずの八月九日には会津黒川城に達している。

 これは、小田原城を囲んでいた六月初旬に、既に奥羽で勢力を伸長させていた伊達政宗が出頭して許されていたことが大きい。

 黒川城にて発せられた奥州仕置の命令こそ、実質的な天下統一の宣言であった。

 小田原征伐に参陣した武将の領地が安堵される一方、遅参した政宗の領地は一部没収となり、参陣しなかった大崎義隆、葛西晴信らは全ての領地を失う形となった。

 この時に秀吉が収公した土地には、蒲生氏郷や木村吉清などが抜擢されている。

 北条が滅んだ関東の地には、三河から徳川家康が移封された。
 それがいかなる意味を持つのか、この時点で正確に理解できていた者がどれだけいたのか。

 いずれにせよ、家康が去った東海道の各地には、秀次付の家老が小なりといえど大名家となって一挙に配されることとなった。

 その中には、遠江国の横須賀城三万石を与えられた渡瀬繁詮の名もあった。

「一躍三万石の大名とは。めでたいことじゃ。まずは一服、茶を点てて進ぜよう」

 任地への出立前、聚楽第の有馬屋敷まで挨拶に訪れた繁詮を、則頼は笑顔で出迎えた。

「いえ、それがしは茶の湯はあまり……」

「婿殿。好き嫌いはあって当然ではあるが、こと茶の湯は人と人のつながりを築くために、武家にとってはおろそかにできぬもの。城主ともなれば、なおさらですぞ」

 尻込みする繁詮に、則頼はいつになく真顔になって諭す。

 秀吉の配下は、秀吉が織田家の家臣だった頃から仕えている者か、同じ織田家の同僚だった者が中核を担っている。

 繁詮のように、信長が本能寺で横死した後に秀吉に仕えるようになった新参者は、よほどの大身でなければ、どうしても肩身が狭い。

 別所の旧臣は、別所重宗に人望がないこともあって散り散りになってそれぞれに身を立てており、秀吉の家臣団に別所派閥としての勢力は存在しない。

 そのような中にあって異例の出世を遂げたことで、繁詮はどこか引け目を感じている様子がうかがえた。

 これはよくない傾向だと則頼は感じている。

 様々な階層との交流が無ければ、時勢を読み誤る。

 それは若き日に、三好実休の元で則頼が学んだことである。

 則頼は観念した繁詮を連れて、共に茶室に入る。

「改めて、お喜び申し上げますぞ。我が婿の立身は、親としてなにより嬉しいことじゃ」
 亭主の席に座り、慣れた手つきで濃茶を練った則頼が、いま一度祝意を述べる。

「それがしもよもや、大名となるとは思いも寄らぬこと。ただただ、恐れ入る次第でございます。所領に見合った家臣を集めるのも一苦労にて」
 照れくさそうに繁詮が笑う。

 実際、播磨の小城一つの城主として寸土を守ることに汲々としていた頃を思えば、ましてや牢人して京に逼塞していた日々と比べれば、信じられない思いがするのは本音であろう。

 渡瀬城が陥落して既に十年以上が経ち、離散した家臣もそれぞれに新たな居場所を見つけている。

 新たな所領が播磨から遠く離れた遠江となれば、馳せ参じる渡瀬家の旧臣はあまり居ない様子だった。

 従って、引き連れる配下は雑多な寄せ集めにならざるをえない。

 例えばいま繁詮の腹心となっている稲次右近重知は、丹波出身である。反織田に与した結果所領を失い、秀吉の元に身を寄せた境遇は繁詮と同じであった。

 ただ、繁詮がどこかきまり悪げにしているのは、長らく秀吉の元に侍る則頼が、依然として一万石あまりのまま、加増を受けていないためだろう。

 義父の石高を上回ってしまったことに平然としてはいられないのは、繁詮の生来の人の良さではあった。

「いやいや、儂への気兼ねなどは無用のこと。婿殿の武功があってこその沙汰なれば、堂々としておればよいかと存じますぞ」

「はっ。家運が向いてきたものと存じております」

 繁詮は則頼の励ましの言葉を否定しない一方、ますます恐縮してその体躯を縮こまらせる。

(こればかりは、気にするなと申したところで、気にせぬ訳にはいかぬであろうな)

 娘婿の立身を素直に喜んでいる則頼ではあるが、自分の中に嫉妬心が本当にひと欠片もないものか、自分自身でもよく判らないところがあった。

「付家老として玄蕃殿がついてきてくれる故、奥も心安んじておりまする」
 繁詮の言葉には実感がこもっていた。

 人質として差し出されて小姓となって以来、長らく秀吉に仕えてきた則頼の次男・玄蕃豊氏が、繁詮の付家老として横須賀城に赴く事は、既に則頼も伝え聞いていた。

 繁詮の所領のうち三千石は、豊氏に与えられることとなっていた。

 付家老ということは、繁詮の右腕としての働きが期待されると同時に、繁詮の行状を秀吉に報告する役目も担っていることを意味する。

 仕えた年数だけでいえば数年の差であるが、繁詮よりも豊氏のほうが秀吉の信を得ているとも言える。

 秀吉の元に長くあった豊氏は、特に則頼の手を借りることなく千利休に師事するなど、独自に茶人としての名声も得つつある。

 則頼にとっては、自ら育て上げたという感覚は薄い。

 お互いに顔を合わせる機会も少なく、姉の嫁ぎ先に仕えることになにかしら思うところがあるのか、ないのか、今一つ何を考えているか伺い知れない。

 しかしそれでも、長男の則氏を喪った今、大事な跡取り息子には違いなかった。

「そうであったな。娘だけでなく、我が愚息のことも、是非によろしく頼みますぞ」

「こちらこそ、これからもなおお引き立てのほどを」

 渡瀬家の重臣となる豊氏には、淡河の地を継がせることは難しいかもしれないとの懸念がある。

 しかし、この場ではそんな思いは決して顔に出さない則頼であった。




 十月四日。
 摂津国の有馬の湯の南側にある高台に、秀吉と則頼の姿があった。

「殿下。あれに見えるが有馬富士にございます」

 則頼が北に広がる平地、さらにその向こうに連なる山々の一つを指し示した。

「はて。それらしき山は見えぬが。将棋の駒を立てたが如き形をした山がそれか」

 秀吉は伸び上がるようにして目当ての山を探したが見つけられず、怪訝そうな声を出した。

「あれは羽束山と申します。有馬富士はもそっと左にございます」

 則頼は、秀吉が見ている山よりもやや左にある形の良い山を指した。

「左とな。……む、あれか。しかしのう、形こそ多少は富士の山に似ておるやも知れぬが、その後ろにより高い山々が控えておるではないか。あれで富士とは到底、名乗れまい」

 秀吉は、不服げに則頼の顔を伺った。

 彼が言うとおり、則頼が示した山の背後には、薄い色彩を帯びた山が連なっている。

 小田原攻めにおいて本物の富士山を眺めてきたばかりとあっては、見てくれが良いだけで、後方に他の山を背負う低い山を富士山になぞらえるのは納得しがたいのだろう。

 得たりとばかり、則頼は大きくうなずいた。

「いかにも今は殿下の仰るとおり、背後に山を従えております。ここからみて手前の平野は三田と申しまする盆地にございまするが、霧が立ちこめやすい地形にございます」

 ひとたび霧により背後の山々の姿が隠されると、件の山はさながら雲海に山頂部を突きだした富士の御山の姿となるのでございます、と則頼は得意げに付け加えた。

 実のところ、秀吉の反応は予想の範囲内であり、則頼はこの説明をしたくてうずうずしていたのだ。

「なるほどのう」
 則頼のしてやったりと言わんばかりの表情を見て、秀吉もにやにやと笑いながらしきりに頷いた後、言葉を付け足す。

「有馬富士を拝むには、幾度もこの地に足を運ばねばならぬようじゃな」

「ええ、それは是非に」

「殿下。支度が整うてござりますれば、どうぞおいで下さりませ」
 坂道を駆け上ってきた石田三成がわずかに息を弾ませながら秀吉を呼び、有馬富士を巡る談義は終わった。

 秀吉は天正十一年(一五八三年)からの十一年間で、公式に記録が残るだけでも北政所を伴って少なくとも九度に渡って有馬温泉を訪れている。

 この日、千利休や今井宗久といった茶の湯の匠を連れて有馬を訪れた秀吉は、阿弥陀堂二畳座敷において茶会を開いている。

 則頼も第一の客として、毛利元就の三男で智将と名高い小早川隆景と並んで参加者の中に名を連ねている。

 この茶会で用いられたのは、軸は臨済宗の僧・智愚が認めた「虚堂墨蹟」に、茶入は「嶋肩衝」。そして釜は、この阿弥陀堂の茶会で使われた由縁で、後に「阿弥陀堂釜」と呼ばれることになった名品であった。

 池の底に銅版を敷き、光り輝く金泉に見立てる秀吉好みの派手な演出が仕込まれていた、利休が風炉の灰を茶会の場から望見される山の形に模して盛ってみせたことから、後にその山が「灰形山」と呼ばれるようになった、などといった逸話が後世に残る。



 茶会が盛況に終わった後、則頼は秀吉が宿所とする宿坊に呼び出された。

「今日はなかなか面白かった。特に利休が拵えた灰の山は良き趣向であったが、有馬富士が良く見える場所であれば、あのような名も無き山を見立てる必要もなかったのにのう」

 後に灰形山と呼ばれることになる山は有馬の湯の西にあり、有馬富士とは方角が異なっていた。

 悔しがってみせる秀吉に向かい、則頼はいやいや、とばかりに首を横に振る。

「なんの、姿かたちの整うた富士の御山に似せたところで、さして趣もございますまい。名も無き山であるからこそ、良きものであったかと」

「まあ、そういうことにしておいてやろう。実は、有馬の坊主に見て貰いたいものがあってな」

 秀吉は含み笑いを浮かべてそう言いながら、唐物茶入を則頼の前に無造作に差し出した。

「判るか」
「もしや、これは九十九髪茄子では」

 声を挙げた則頼は思わず、手元の茶入よりも先に秀吉の顔をまじまじと見つめてしまった。

「さすがよ。ようみた。その通りじゃ」
 秀吉が相好を崩して膝を叩く。

「それがし、かつて松永弾正が手にしていたところをみておりますれば。確か、あれは永禄元年でしたか」

 痛みを伴う記憶が則頼の脳裏に蘇る。

 何年のことであったを覚えているのは、あの茶会から一月あまり後、父・重則が松永久秀に謀殺されたからだ。

 ただし、いま目の前にある九十九髪茄子は、その姿こそ変わらないが、松永久秀の茶室で目に焼き付けた時とは風合いが違う気がした。

(はて。釉薬の輝きは、もっと明るかったように思うが。あの折は二度とは見られぬと思うた故、実際よりも輝いてみえたのであろうか)

「永禄元年とは、また古い話じゃのう。もっとも、今のみてくれはその時と違うて、たいしたものではなかろうが」

 則頼の内心を読んだかのように、秀吉の目に悪戯っぽい光が宿る。

 則頼としては簡単に「はい」とも「いいえ」とも答えづらく、思わず言葉に詰まる。

「釉薬が焼けてしもうておるでな。焼け物は、儂ゃ好かん」

 間を嫌うように、何気ない調子で秀吉がぽつりと付け加えた。

 則頼は思わず姿勢を正さざるを得ない。

 九十九髪茄子が焼けたのは天正十年の本能寺。言わずと知れた織田信長の死の折だ。

「戦災にて喪われたものと思うておりましたが。傷んだとは申せ、天下に知られた逸品が世に残ったとは、なによりですな」

 焼けたためか、それとも修復した結果なのか、今の九十九髪茄子には眼のような二つの石間が判らなくなっていた。

 また、色合いも渋みが増した感がある。

 好みの問題と言ってしまえばそれまでであるが、往時の姿を知る者にとっては、やはり残念に感じるのは否めない。

「実はな、今日の茶会に使うつもりで運ばせたものじゃが、実物を見るとどうにも興が削がれて使えなんだ。ならば、いっそそなたにくれてやろうと思うてな。どうじゃ」

「それは、まことにござりまするか」
 則頼は無礼と承知しつつも、反射的に問い返してしまう。

 きっと、今の自分は喉から手が出そうな顔をしているに違いない、と則頼は思う。

「遠慮するな。有馬富士の秘密を教えて貰うた礼じゃ」
 則頼の驚いた顔をみて満足したのか、秀吉はくっくと笑った。

 こうして、九十九髪茄子は則頼の所有するところとなった。
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