【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝

糸冬

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(四十)陣借りの遺児

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 小山評定にて会津征伐は中止と決定され、家康は軍は反転させて江戸へと戻った。

 その後、福島正則らを中心とする先遣隊が東海道筋を西上していく。

 豊氏の手勢もその中に含まれていた。

 徳川秀忠が率いる別軍も、中山道を用いて進軍をはじめた。

 一方、家康は江戸城にとどまり動く気配がない。

 従って、則頼もしばし江戸に滞在することになる。

「なぜ内府様は江戸から離れぬのでしょうな」

 最初は行軍の日々から解放されてひと息ついていた吉田大膳も、取り残されたような落ち着かない気分になってきたらしい。

 宿所として則頼が与えられた江戸城の一室で、則頼に膝詰めで問いかけてくる。

「敵味方の見極めをしておられるのであろう。なにしろ、石田治部を討つとしても、今はあちらも大坂城を抑え、豊臣の意向に従って内府を討つと称しておる。慎重に立ち回らねば、逆臣と見做されかねぬでな」

「淡河から、なんぞ報せはございませぬか」

「ない。まあ、石田治部の企てに乗った者が淡河城を狙って攻め寄せる可能性は皆無とまでは言えぬが、そのような益のない真似に兵は割かぬであろう」

 淡河城の周辺大名の動静は憶測でしかないが、そう外れてはいないだろうと則頼は睨んでいる。

 おそらく、消極的に石田方につかざるをえないと判断するであろうが、かといって伏見城をはじめ、徳川方についた有力な城は他にいくらでもある。

 わざわざ淡河城を攻め落とすために兵を向ける余裕などない筈だ。

 そうこうするうちに、八月二十二日には清州城に集結していた福島正則らの手勢が木曽川を渡河して戦端を開き、その翌日には早くも岐阜城を攻め落としたとの報せが届いた。

 八月二十七日にこの報を受けた家康は、岐阜攻めに功があった諸大名を賞すると共に、自分と秀忠勢が着陣するまではこれ以上の攻勢を控えるよう指示を下している。

 九月一日になって、家康はようやく重い腰をあげた。
 もちろん、則頼もわずかばかりの手勢を率いて本陣に同行する。

 家康は九日に三河の岡崎まで陣を進めると、十日に熱田、十三日に岐阜と兵を進め、十四日には赤坂に着陣した。

 これらの徳川方の本隊の動きは、岐阜城を奪われて当初の構想が狂い、善後策に奔走していた石田方は察知できていなかったらしい。

 突然の家康の登場に動揺する味方を鎮めるためか、不意に石田方の島左近率いる一隊が大垣城と赤坂の中間部にある杭瀬川を渡り、刈田働きなどの挑発に出た。

 これに受けて立つべく、一番近い位置に陣を張っていた中村一栄の手勢が迎撃に出る。

 中村勢に加勢する形で、有馬豊氏も手勢を率いて参戦した。

 しかし、逃げる敵を追って杭瀬川を押し渡った中村勢は、島左近の伏勢によりしたたかに反撃された。

 中村家の家老である野一色頼母が討たれて敗走する中村勢を支援するべく、豊氏も家老の稲次右近重知に命じて渡河させる。
 
 しかし、有馬豊氏勢の加勢があっても、石田方有利に傾いた戦さの勢いをとめるには至らない。

 それどころか稲次右近が石田方の横山監物に組み伏せられ、あわやというところを従者に助けられて逆にこれを討つ、といった一幕もあった。

 この戦さは、大垣城に対峙して赤坂の岡山に本陣を敷いた家康が、直接自分の目で見下ろせる距離で行われていた。

 当然のことながら、家康は緒戦が負け戦となり、苦々しい顔つきになる。

 潮時とみて、井伊直政と本多忠朝に命じて中村勢らを引き揚げさせる。

 家康の傍らに控える則頼は、豊氏の苦戦をいたたまれない思いで見ていることしかできなかった。

(あれも、打ち込みの合戦においては、あまり戦さ上手ではないのかもしれん)
 お世辞にも際立つものがない豊氏の戦さぶりは、かつて淡河定範にあしらわれ続けた則頼自身の若き頃の姿と重なってみえた。

 ただ、自分が充分な数の手勢を引き連れておれば助けてやれたのに、などとは間違っても思わない。
 そこは身の程をわきまえている則頼である。

 後に杭瀬川の戦いと呼ばれる合戦は小規模であったとはいえ、家康の着陣以降、後手に回ってばかりであった石田方の久方ぶりの勝利となり、士気を高めることとなった。


 則頼は、家康が事態の終息に指示を出し終えたのを見計らって、許しを得て本陣を離れ、豊氏の陣中を見舞った。

「手酷くやられたものじゃの」

「父上にはお恥ずかしいところをお見せ致した。兵を損なうてしもうた故、内府様は次の戦さでは後陣に回すとの仰せにござった」

 日頃は則頼に対して人を喰ったような態度をみせる豊氏も、敵手の名を高めるだけにおわった思わぬ敗北に、さすがに消沈気味であった。

 ただ、味方から手負い討死を出したことよりも、後陣に配置されたのでは功名を立てる機会を逃してしまうとの思いが強いように、則頼の目には見えた。

「まあ、後陣も誰かがやらねばならぬ大事な御役目よ。本陣の背後をがら空きには出来ぬからな」

「承知しております。ところで、福島左衛門大夫様が家来を寄越して来られましてな、気になる話を伝えて参りました」

 あまり合戦の話を続けたくないのか、豊氏はやや強引に話の矛先を変えた。

「ほう。それは儂が聞いても差し支えない話か」
 あえて、素知らぬ風をして話に乗ってやる則頼である。

「むしろ、父上にこそ聞いていただきたい。福島様の手勢には、別所長治の忘れ形見と称する別所源兵衛長行と申す者が、騎馬武者十名と徒士五十名を率いて陣借りしておるとのこと」

 豊氏は、自分で自分の言葉に納得していないといった口ぶりだった。

「はて。別所の忘れ形見とな」
 思いがけない話ではあったが、則頼はさほど驚かない。

 則頼が特に命じた訳ではないが、葛屋の福助は則頼の意を汲んで、三木城から消えた皐とその一子・次郎丸の消息を折に触れて探り続けていた。

 その中で「別所の忘れ形見」についての噂話が、これまで幾度か伝わっていたからだ。

 正直なところ、眉唾話であると則頼は感じていた。

 忘れ形見の出生の噂の多くが、「籠城中に城中で別所長治の胤を身ごもった女中が、落城後に落ちのびた先で忘れ形見を生み落とした」と称していたからだ。

 父の判らぬ身重の女が生きていくためには、嘘も方便というところであろうか。

 別所長治の落とし胤と言われれば粗略には扱えないし、長治本人はおろか近親者は既にこの世におらず、後から抗議の声があがる心配もないのだ。

 しかし、豊氏の話には続きがあった。

「さらに加えて、源兵衛長行は淡河民部なる淡河弾正定範の遺児を従えているとのこと」

「なんじゃと。いったい、いずれに隠れ潜んでおったのじゃ」

 今度は、則頼も驚きを隠せなかった。

「聞くところによれば、三木城落城の折、結構な人数が海を渡り、讃岐に落ち延びていたようで」

 聞けば別所長行なる者は、長治の胤を宿した側仕えの女中が四国に逃れた後に生まれたと称しているとのことだった。

「左様であったのか。そうか、四国にのう」

 則頼は、皐の消息を豊氏に尋ねたい衝動をかろうじて堪える。

 いくらなんでも福島正則もそこまでの話を事細かに豊氏に伝えてはいないであろう。

 それでも、次郎丸を連れて四国の地でたくましく生き延びていたのだ、と則頼としては信じたいところである。

「ただ、両人いずれも身の証を立てられるような品は持っておらぬとのこと。父上はまことの話と思われまするか」

「確かに、突拍子もない話ではある。が、あながちあり得ぬ話とも思わぬ」

 別所重宗が後添えとして福島正則の姉を迎えている縁もあり、重宗の七男である正之は当時実子のなかった正則の養子となっている。

 すなわち、淡河民部なる者が本当に淡河次郎丸の後身だとすれば、正則は淡河民部からみて従兄弟の養父にあたる。

 三木合戦で初陣を果たした福島正則にとっても、淡河定範の奮戦ぐらいは耳にしていたであろうし、あるいは大村の戦さにおいて定範の最期の勇姿を目撃していたかも知れない。

 三木城落城から、はや二十年が過ぎた。

 一人前の武者に成長した民部こと次郎丸が、この戦乱にあたって淡河家再興のため武功を立てようと志したしても、決して不思議ではない。

 そして福島正則にも、陣借りであればそれを受け入れるだけの縁があった。

 必ずしも荒唐無稽とは言い切れまい。

「福島様は、働き次第では召し抱えるつもりであるが、差し障りがないか当家に確かめておきたいとの話にござる」

「わざわざお報せくださるとは、さても律儀なことよ。福島家の御家中にて別所の名が再興したところで、いまさら当家にとって障りなどあろうものか」
 則頼は笑って応じた。

 別所とあわせて淡河家も蘇ることになるが、それを咎める必要も感じない。

 淡河城の城番として残した淡河長範も喜びこそすれ、否という筈がない。

(はて、あ奴はこのことを知っておったのかのう。まあ、問い詰めたところで白状はすまいが)

 いずれ戦さが落ち着いた時点で、長範から話を直接聞く機会もあるだろう。則頼はそう思った。
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