【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝

糸冬

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(四十一)関ヶ原の顛末

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 石田三成の挙兵以来、これまでの動向に不審なものがあった小早川秀秋は、一万五千の大軍を率いて関ヶ原近くの松尾山の陣に着陣していた。

 本来ここに布陣していた伊藤盛正の兵を強引に押しのけての強引な動きが、あらたな動きを呼ぶ。

 十四日の夜になって、大垣城の石田方の主力は静かに城外へ出て関ヶ原に向かった。

 向背定かならぬ小早川秀秋に関ヶ原を扼されては、石田方は三成の本拠である佐和山城との連絡はおろか、大坂への退路を断たれることになりかねない。

 それを嫌っての陣替えの動きであったが、徳川方の物見が知るところとなる。

 物見からの報を受け、家康も夜間の出陣を決意する。

 折悪しく、強風に加えて雨が降り出す悪天候の中の行軍となる。

 翌朝。
 雨が止んだ後、深い霧がたちこめて視界を塞ぐ中、家康は本隊三万を南宮山の北西に位置する桃配山の麓に据え、本陣としていた。

 本陣から一里ほど西に進んだところには、家康の四男・松平忠吉が井伊直政と共に布陣した他、豊臣恩顧の福島正則、黒田長政、細川忠興らが着陣している。

 もっとも、今は霧に視界を阻まれている。

 本陣にいる則頼は、敵はおろか、味方の軍勢の姿すら、はっきりと目の当たりにすることはできない。

 霧が晴れるまでは、家康の許にひっきりなしに届く着陣の報せに基づき、脳裏にその様を描く他はない。

 則頼は、秀吉に従って各地に遠征してきた際と同様、今回もほとんどの旅程を法体で過ごしてきた。

 しかしさすがに、今は黒糸縅二枚胴の当世具足の上から陣羽織を羽織っている。ただし兜は被らず、頭巾姿である。

 ただでさえ夜半に叩き起こされて夜通し行軍を余儀なくされ、寝不足である。具足の重さと濃霧が相まって、則頼には周囲の景色がひどく現実感を欠いて見えていた。

 家康も、具足姿の則頼が何食わぬ顔で本陣に詰めていることには文句をつけないが、かといって軍略に関して則頼の見識を当てにするはずもない。

 従って、何かしらの助言を求めて話しかけてくることもない。

(ここからでは、霧が晴れたところで、後陣の様子はよく見えぬであろうな)
 則頼はふと、そんなことを考える。

 豊氏は家康の本陣のすぐ東側に、さながら互いに背を向けあう陣形で配されている。

 張り巡らされた幔幕に加え、本陣に属する軍勢の陣場がひしめき、さらには地形そのものが誓いを遮っている。

 豊氏勢の前方にはの中山道上に沿って池田輝政、浅野幸長、山内一豊、堀尾忠氏らが縦一線に並んでいる筈だ。

 南宮山の南東側には石田方の毛利秀元、長束正家、安国寺恵瓊、長宗我部盛親らが既に陣取っている。大垣城からの軍勢が急襲を仕掛けてこないとも言い切れない。

(とは申せ、玄蕃の陣に出番が回ってくるようであれば、よほどの苦戦となろう)

 杭瀬川の戦いで手負討死を出している豊氏は、再びの戦場働きを望んでいるだろうか。

 則頼は豊氏の心境を想像してみるが、さながら霧中の向こうにあるように推量は困難であった。

 緊張が高まる中、井伊直政と松平忠吉が福島正則の右翼側を抜けて天満山の宇喜多秀家と接触し、銃撃を交わしあった。

 これがきっかけに、天下分け目の大戦さがはじまった。

 皮肉にも、時機を見計らったかのように辰の刻には霧が晴れてくる。

 ようやく、互いの陣容が露わになる。

 集った軍勢の多さを知り、今更ながらに両勢の将士から声にならないどよめきが起きる。

 桃配山の本陣で家康の傍近くにいる則頼もまた、声なき声の一端を占めている。

(これは、古来類のない大戦さではないか……)
 頭では判っているつもりだった事実を、則頼はここにきて実感として初めて理解する。

 もっとも、わずかな手勢と共に本陣にある限り、豊氏同様、則頼の出番はない。あるとすれば負け戦の時だけだろう。

 北国街道の北側、笹尾山の石田三成の本陣には、黒田長政、細川忠興らの手勢が三成の首級を挙げんと猛攻を加えはじめる。

 しかし、石田勢も世に名を知られた家老・島左近の奮戦もあって良く支える。

 両勢の間で、一進一退の攻防が続く。

 石田勢の南側では、福島勢六千が天満山に陣取る宇喜多勢一万七千と激突した。

 宇喜多勢は三倍以上の兵を擁するにも関わらず、福島勢の猛攻に手を焼いているようにもみえた。

 宇喜多家では、当主である宇喜多秀家が若くして豊臣家の中核を担うことになった弊害により、家中統制に乱れが生じていた。

 この御家騒動により、戸川達安、岡貞綱、花房正成ら重臣のみならず、一族からも従兄弟の宇喜多詮家が家を離れた。

 あわせて有名無名を問わず、多くの古強者が宇喜多家を去る結果となったため、今の宇喜多勢には指揮を執るべき人材が不足していた。

 宇喜多勢を采配する明石全登は奮闘するが、兵の数を活かしきれず、福島勢を抑え込むのが精いっぱいとなっていた。

(あの中に、淡河弾正の忘れ形見がおるのか)

 本陣から戦場を見下ろす則頼は、戦況全体を見回すよりも、まずは福島勢の働きぶりが気にかかる。

 三倍の兵を相手に互角以上に渡り合う福島正則を頼もしく思う反面、それだけ次郎丸あらため淡河民部にも危険が及ぶ。

(淡河弾正の血を引く男子ならば、鉄砲玉になどあたらぬ)

 淡河民部の顔をひと目なりとも見てみたい。

 則頼は今、そんな思いに囚われている。

 その面影の中に見たいのは皐の華やかな笑顔なのか、淡河弾正定範の厳つい面立ちなのか、則頼自身にもよく判らない。

 しかし、個人的な感傷が許される場ではないことも理解している。

 武将としての目でみて則頼が気がかりなのは、概して徳川勢の士気は高いのだが、本陣から見る限り石田方も善戦している点だ。

 松尾山の小早川秀秋勢や、石田三成勢と小西行長勢の間に布陣する島津義弘勢など、石田方にはいまだ動きを見せていない陣も少なくない。

 本陣の背後の守りを託されて後陣に配された豊氏からも、石田方につく毛利秀元らの動きは報せてこない。
 則頼は家康の秘めている策の全容を知る立場にはない。

 しかしそれでも、少なからぬ石田方の将から内応の約定を取り付けているとの風聞は聞き知っていた。

 いま積極的に兵を動かしていないのは、家康の策が奏功しているからか。

(しかし、だとすれば、片手で戦っているような敵を相手に押しきれないのはどういうことか)

 内心の不安を押し殺して家康の顔色を伺う。

 床几に腰を据える家康も焦れている様子が伺えた。

 さすがに則頼も、軽口を叩く真似は出来ない。知らぬ顔で、触らぬ神に祟りなしを決め込む。

 およそ二刻に渡って一進一退の攻防が続いたが、正午ごろになって戦況が動いた。

 動かしたのは、突如として松尾山をくだりはじめた小早川秀秋勢であった。

 ただし、その向かう矛先は北側。味方である筈の大谷吉継の陣だった。

「返り忠か!」
 則頼は息をのんだ。これで徳川方が勝ったと確信した。

 だが、秀秋の心底に疑いを捨てきれなかった吉継は、このことを予期して待ち構えており、懸命に立ちはだかる。

 兵数は多いものの、主君の裏切りに浮き足立った気配を残す小早川勢は、決死の大谷勢を前に攻めあぐねる様子を見せた。

 しかし今度は、松尾山の前面に布陣していた石田方の脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保の四将が揃って裏切り、大谷勢の側面を衝いた。

 これには大谷勢も堪え切れずたちまち壊滅し、大谷吉継は自刃して果てる。

 合戦の趨勢は一挙に決し、石田方はやがて総崩れとなった。石田三成、宇喜多秀家、小西行長らの兵が伊吹山方面へと逃れ去る。

 勢いに乗る徳川方は、ただちに追撃に移る。

 この混乱の中で、戸田勝成や平塚為広らが討ち取られることとなる。

(終わったか)

 本陣を前進させるべく慌ただしくなった周囲をよそに、則頼は密かに息をついた。

 戦さはまだ続いていたあったが、勝敗の行方を見定めた以上、家康の勝利が豊臣の天下に何をもたらすのか、則頼は早くも未来を考え始めていた。




 徳川勢は九月十七日に石田三成の居城である佐和山城を攻め落としたが、三成は城には戻っていなかった。

 探索の手が伸びた結果、三成は九月二十一日になって田中吉政の手勢によって捕縛され、十月一日に京の六条河原にて小西行長、安国寺恵瓊と共に斬首されることになる。

 九月二十七日に大坂への帰還を果たした家康は、本丸にて豊臣秀頼と淀殿に拝謁して戦勝を報告した。

 その後、毛利輝元が占拠していた西の丸に入り、味方に付いた諸大名の論功行賞の為の調査を井伊直政、本多忠勝、榊原康政、本多正信、大久保忠隣、徳永寿昌らに命じた。



 一方、家康に同行する形で帰還した則頼も、大坂城下の己の屋敷に久方ぶりに戻っていた。

 残念ながら伏見の有馬屋敷は、住める状態ではなくなってしまっていた。

 伏見城は三成の挙兵に際して徳川方の鳥居元忠が立て籠もり、真っ先に石田方の標的となって攻め落とされた。

 その際、石田方についたいずれかの軍勢の雑兵が、屋敷を荒らしていったからだ。

 幸い、伏見城攻めに先だって葛屋の福助が連雀や支店の手代をいち早く寄越して、茶道具その他持ち出せる家具等を、住み込みの下人らともども大坂の屋敷まで引き上げてくれていた。

 なお、淡河城に関しては、領内に石田方が攻め寄せることもなく平穏無事に終わった旨、淡河長範からの書状が届けられていた。

 所領の心配が無用となった則頼は、伏見屋敷から大坂屋敷に大量に運び込まれた荷物の片づけに追われつつも、別所長行主従、なかでも淡河民部の働きぶりを気にかけていた。

 可能であれば、別所長行に陣を貸した福島正則から直接、武功話を聞きたいところである。

 しかしながら、当の正則は関ヶ原の合戦直後にひと騒動を引き起こしていた。

 家老の佐久間嘉右衛門が伏見城に向かって山城国日岡の関を通ろうとした際、関を守っていた伊奈昭綱の家人が、通行証を所持していないとして通過を認めず追い返し、面目を失った嘉右衛門が自害する騒ぎが起きたのだ。

 激昂した正則は、嘉右衛門の首を家康に送りつけて、昭綱の非を責めて切腹を要求した。

 三成追討に大きな功績があった正則の要求を無碍にできず、家康は昭綱に命じてその家人を処刑させたが、正則は納得しなかった。

 最終的には、家康が言い含めて昭綱を切腹させるに至った。

「左衛門大夫殿はそれでよかろうが、内府には遺恨が残ったであろうな」

 今、正則が満足して機嫌を直しているのか、依然として虫の居所がわるいのか判らない。

 そんなところにうっかり足を運んで、要らぬ騒動に巻き込まれるのは得策ではなかった。



 大坂屋敷に腰を据えてやきもきする則頼の元に、幸助が意外な話を報せてきた。

「先日の合戦において、御家再興を計った別所源兵衛長行様はお討死。その後、淡河民部様は残存する兵をまとめ、父親譲りの軍才を発揮して大いに働いたとのこと」

 けっきょく、会津征伐から関ヶ原の戦いにかけては、たいした働きどころのなかった幸助である。

 大坂に戻るや、ここぞとばかりに噂話の収集に力を入れていた。

「なんと。別所の再興はならずか」
 則頼は思わず嘆息する。

 もっとも、別所を離反して攻め滅ぼす側に回った自分には嘆く資格などないのだと思いなおす。

 その代わりに、脳裏に焼き付く淡河定範の力強く正確な鑓さばきを脳裏に浮かべた。

 きっと忘れ形見の淡河民部も、似たような武辺者であったのだと想像を広げる。

 一面識もない青年の幻を、なぜか好ましい存在と思ってしまう自分自身が不思議だった。

「……それで、淡河民部はいかが相成った」
 束の間の空想を終え、則頼は尋ねた。

「福島様は民部様に仕官話を持ちかけたものの、主と仰ぐべき御方を喪った今となっては世に出る望みはござらぬ、と固辞されたとのこと。褒美の金を受け取っただけで、兵を引き連れて国許へと帰って行ったようでございます」

「そうか。惜しいの」

「民部様をお探しいたしましょうか。居場所が讃岐と知れた以上は、見つけることも難しくはございますまい」
 幸助は鼻息も荒く進言する。

 自分の実力を示したいとの気負いが前面に立つあたりは若さであろう。

 祖父・豊助、父・福助とも異なる個性もまた、則頼には好ましく思われた。

 同時に、淡河民部とその母・皐を自らの城に呼び寄せるとの誘惑が頭をかすめなかったと言えば嘘になる。

 皐も存命であれば、すでに還暦前後の歳頃であろう。

 もっとも彼女に限っては、歳を重ねたところである種の若々しさは失われていない、と則頼は確信があった。

 しかし。

 則頼は未練を断ち切るように、小さく息を吐いてから首を横に振った。

「いや。それには及ばぬ。淡河民部は元気な姿を母者人に見せるために戻ったのであろう。であれば、もう世に出てくるつもりもあるまいよ」

 ここに至り、吹っ切れた思いがようやく胸に満ちる則頼であった。
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