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(二)丹波守
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明けて永禄四年(一五六一年)の正月。
員昌は、小谷城の本丸御殿に、浅井家の新たな主となった浅井賢政の元に年賀の挨拶に訪れた。
無論、員昌一人だけでなく、賢政を支える主だった家臣が顔をそろえている。
前年の野良田の合戦の勝利を受け、六角なにするものぞと意気盛んなまま年を越したこともあり、例年以上に場の空気は明るい。
そんな席において、上座で一同を見下ろす賢政は尊敬する祖父・亮政の官途を継ぎ、新たに備前守を名乗ることを宣言した。
幕府から正式に授けられたものではなく、僭称であるのだが、異論など誰からも出る筈もない。皆が平伏して祝う。
ただ、賢政の右横に座る久政だけが複雑な表情をしている。
父ではなく、祖父にあやかると子から面と向かって言われて嬉しい親はいないだろう。
もっとも、その久政にしてもこの機に下野守と名乗ることになっていると聞かされ、員昌は内心では首をかしげていた。
そもそも、賢政に力づくで家督を奪われた久政が、何食わぬ顔でこの場に出席していることからして、妙な話ではあるのだが。
「磯野よ。その方もいつまでも善兵衛という訳にもいくまい」
賢政が、員昌の微妙な表情に気づいたのか、そう話しかけてくる。ただし機嫌を損ねた様子にはみえず、あくまでも表情はにこやかである。
突然の指名に面食らったが、対面にいる赤尾清綱がにんまりとしているのをみると、情けない顔もみせられない。
ちなみに清綱は既に美作守を称しているため、賢政から名乗りに関してお鉢が回ってくることはない。
「さて、思案のほどもございませぬが。祖父は伊予守を名乗っていたと聞き及んでおりますれば、それにあやかるといたしましょうか」
実父・平八郎員宗が何か官途名を名乗っていたとは聞かない。
叔父・員清は帯刀を称していたが、叔父の名乗りを引き継ぐことは、個人的な恩義は別として、外聞を考えるとためらわれる事情がある。
賢政と同じく祖父からの引継ぎとあれば文句はないだろう、そう思案を巡らせて応じたのだが、賢政の気に入るところではなかったらしく、首をかしげている。
「今一つ、合わぬ気がいたすのう。かつて磯野右衛門太夫は丹波守を称しておったのではなかったか」
記憶を探るような口調で、賢政が呟く。
「さすがは殿。よくご存じで。確かに、西野入道殿がかつて丹波守を称しておりました故、右衛門太夫殿もあまり表立って名乗ることはございませなんだが」
膝を叩かんばかりに勢い込んで清綱が声を弾ませた。
官途名や受領名を正式の任命なしに名乗ることはこの時代、どこの大名家でも行われている。
だが、さすがに同じ家中では同じ受領名を名乗ることを避けるのが暗黙の了解であった。
正式な名乗りとしての体裁を保つためというよりは、単に判りづらくなることを避けるためであろう。
居並ぶ家臣の中にあって、当の西野入道も幾度も頷いていた。
西野入道は浅井亮政が躍進した草創期を知る古老であり、員昌がまだ少年だった頃から、既に白髭を垂らした老人の見た目をしている。
(あの御老人、いったい幾つになられたのやら)
などと一瞬埒もない考えが脳裏をかすめたのは、賢政が発した言葉を素直に受け止めて良いか、迷いがあったからだ。
なぜなら、磯野右衛門太夫員詮とは磯野山城の城主であり、最後まで京極側について亮政と争った磯野家の本家筋の当主である。
その嫡子、源三郎為員は他ならぬ員昌の実父・員宗の手によって討たれて城は陥落。
員詮は近江の北西部、高島郡へと落ちのびていったと聞かされている。
それだけに、丹波守を引き継いで名乗ることは、自分こそが磯野家の本家であると宣言する意味合いが含まれる。
筋目を必要以上に言い立てる手合いから、どこでいらぬ反発を受けるか、知れたものではない。
しかし、めでたい正月のこの場で賢政の提案を固辞して鼻白ませることが得策でないことぐらいは、員昌にも理解できた。
(まあ、よかろう。今更本家筋の誰かから責められる筈もなし)
一呼吸の間に、肚を決める。
戦さ場においては、一瞬の逡巡が命取りである。それを思えばあれこれと思い悩んでいる暇などない。
「まこと、ありがたく存じまする」
員昌は、威儀を正して賢政に平伏した。
「磯野丹波守員昌。うむ、良き名乗りである」
笑みを浮かべて賢政がうなずいた。
年頭の評定を終えると、そのまま宴席が設けられた。来年以降、今年のように穏やかな正月を迎えられる保証はどこにもない。家臣たちは浅井家の前途を思いつつ、酒を酌み交わした。
宴席が果てたのはとっぷりと日が暮れてからだった。
磯野家は、小谷城の城下に屋敷を構えている。
戦時以外であれば、月の数日は評定会に参加するため、員昌は宮沢城とこの磯野屋敷を往復する日々を送っている。
供侍が捧げ持つ提灯の灯を頼りに、どうにか屋敷まで戻ってくる。
飲み足りない若手は夜明けまで飲み続けているであろうが、そこまで付き合うつもりはなかった。
員昌の妻・美弥は、夫の帰りを寝ずに待っていた。
「おかえりなさいませ。今年は一段とにぎやかだったのではございませぬか」
「うむ。宴席の座興という訳ではないが、殿が新たに備前守を名乗られることとなった。儂も合わせて丹波守を称することとなったゆえ、忘れるでないぞ」
「それはそれは。磯野丹波守員昌さま、ですか。ところで、丹波守さまは、本丸の近くにお屋敷をいただくことはできませぬのでしょうか」
美弥は決して権高ではないのだが、時折突拍子もないことを口にする。
今回も員昌の虚をつくようなことを言い出した。
「何故じゃ。この屋敷は気に入らぬのか」
「いいえ。ただ、宮沢からこちらに来るのには便利ですけれど、本丸まで行くのに時がかかりましょうから」
酔った足で降りてくるのは大変だろう、と言いたいのだと員昌は気づく。
確かに磯野家の屋敷は清水谷の入口近辺にあり、本丸に上るには、それこそ城を攻め登るかのようにいくつもの曲輪を抜けていかねばならない。
ゆっくり歩いていたのでは四半刻は必要となる。
その中途には、赤尾曲輪と呼ばれる赤尾清綱の屋敷がある。そこからであれば、随分と近い。
美弥の父・赤尾駿河守教政は、浅井賢政の先々代にして、浅井家中興の祖・亮政の実兄にあたる。
もっとも、教政は員昌が生まれるより前、大永元年(一五二一年)九月の六角定頼との合戦で壮絶な討死を遂げているため、員昌は実際には会ったことがない。
いずれにせよ、員昌は賢政からみれば義理の従祖父にあたる間柄となる。
そのためか、美弥は賢政相手なら、多少の「おねだり」なら聞いてもらえるものと思い込んでいる節がある。
(主君相手に、そのような真似ができるものか)
と、員昌は内心では思うが、口にする気はない。
「儂はさほど苦とも思わぬがな。酔い覚ましにちょうどよいわ」
生あくびをかみ殺しながら、員昌は応じた。
言葉とは裏腹に、屋敷に戻って気が抜けたのか、今になって祝宴でたらふく飲まされた酒の酔いが回り始めてきたようだった。
「殿様はそうでも、義母様にとっては違うのではないですか」
美弥はいつになく食い下がった。
員昌の老母は、享禄二年(一五二九年)、員昌が七歳の時に父・平八郎員宗が死去して以来、この屋敷に起居している。
員昌と折り合いが悪いからなどではなく、磯野家が浅井家に差し出した証人、すなわち人質である。
万が一、員昌が浅井から離反した場合は、員昌の母の命はない。
とはいえ、平素は厳しく監視されて行動を制限されていることもなく、員昌の見る限り、心安んじて気ままに暮らしているように見える。
「そうかな。まあ、明日にでも聞いてみるかな」
夜も更けており、当人はとっくに床に就いている。わざわざ起こして尋ねるようなことでもない。
酔いに任せ、員昌は気づけば美弥を相手に昔語りを始めていた。
員昌の父・平八郎員宗が語ってくれた、若き日の武勇伝である。
員昌が元服前に亡くなった員宗が話し聞かせてくれた記憶こそ、員昌自身の思い出でもあった。
磯野家庶流の宮沢家の嫡男であった宮沢員宗は若い頃、角力をきっかけにした些細な諍いが原因で、本家の磯野右衛門太夫員詮の世継である源三郎為員の家臣三名を、たちまちのうちに斬り殺してしまった。
その責めを負って、員宗は父、つまり員昌にとっては実の祖父にあたる忠左衛門員村と共に一時、宮沢城を離れて熊野村の陋屋ぐらしに甘んじたことがあったという。
当時、磯野山城を居城とする磯野本家は京極方についていて、北近江の派遣を浅井亮政と争っていた。
中でも、磯野本家にあって為員は剛弓の使い手として、鎮西八郎源為朝の再来と恐れられ、亮政はその攻略に頭を悩ませていた。
亮政は為員と不和となった宮沢員村・員宗父子に目を付け、厚遇を約して味方につけた。
宮沢城は余呉川の支流である赤川を挟んで本家の磯野山城と斜向かいに位置しており、亮政は地元の地の利を活かせるものと考えたものらしい。
同族相克の合戦の末、忠左衛門員村は為員に返り討ちにあって亡くなったが、員宗は見事「今為朝」の為員を討ち取ったという。
その武勇を知った磯野家の別の庶流である磯野伊予守員吉が、浅井方として戦った員宗を養子として迎える形で恭順し、磯野氏は浅井家に味方することになった。
これにより、磯野本家は衰退して、磯野山城を追われた磯野右衛門太夫員詮は退転。前述のとおり高島郡に落ちのびていったという。
もっとも、亮政は磯野山城をそのまま磯野一族に渡すことはなく、重臣の大橋安芸守秀元に番将を命じた。
その大橋秀元も、亮政亡き後を継いだ久政に諫言を繰り返したことを疎まれて自刃を命ぜられ、磯野山城はいまやわずかな城番が置かれるだけの空き城となっている。
一族の結束を訴えるためなのか、当事者でもなければさほど興も沸かぬこの話を、員宗は繰り返し員昌と員春に聞かせたものだ。
そして、員昌が酔った時などには、やはり誰彼となく繰り返し口にせずにはいられない話でもあった。
既に幾度となく聞かされた磯野家の来し方を、美弥は嫌がる様子もみせず、にこにことした表情で聞き入っていた。
員昌は、小谷城の本丸御殿に、浅井家の新たな主となった浅井賢政の元に年賀の挨拶に訪れた。
無論、員昌一人だけでなく、賢政を支える主だった家臣が顔をそろえている。
前年の野良田の合戦の勝利を受け、六角なにするものぞと意気盛んなまま年を越したこともあり、例年以上に場の空気は明るい。
そんな席において、上座で一同を見下ろす賢政は尊敬する祖父・亮政の官途を継ぎ、新たに備前守を名乗ることを宣言した。
幕府から正式に授けられたものではなく、僭称であるのだが、異論など誰からも出る筈もない。皆が平伏して祝う。
ただ、賢政の右横に座る久政だけが複雑な表情をしている。
父ではなく、祖父にあやかると子から面と向かって言われて嬉しい親はいないだろう。
もっとも、その久政にしてもこの機に下野守と名乗ることになっていると聞かされ、員昌は内心では首をかしげていた。
そもそも、賢政に力づくで家督を奪われた久政が、何食わぬ顔でこの場に出席していることからして、妙な話ではあるのだが。
「磯野よ。その方もいつまでも善兵衛という訳にもいくまい」
賢政が、員昌の微妙な表情に気づいたのか、そう話しかけてくる。ただし機嫌を損ねた様子にはみえず、あくまでも表情はにこやかである。
突然の指名に面食らったが、対面にいる赤尾清綱がにんまりとしているのをみると、情けない顔もみせられない。
ちなみに清綱は既に美作守を称しているため、賢政から名乗りに関してお鉢が回ってくることはない。
「さて、思案のほどもございませぬが。祖父は伊予守を名乗っていたと聞き及んでおりますれば、それにあやかるといたしましょうか」
実父・平八郎員宗が何か官途名を名乗っていたとは聞かない。
叔父・員清は帯刀を称していたが、叔父の名乗りを引き継ぐことは、個人的な恩義は別として、外聞を考えるとためらわれる事情がある。
賢政と同じく祖父からの引継ぎとあれば文句はないだろう、そう思案を巡らせて応じたのだが、賢政の気に入るところではなかったらしく、首をかしげている。
「今一つ、合わぬ気がいたすのう。かつて磯野右衛門太夫は丹波守を称しておったのではなかったか」
記憶を探るような口調で、賢政が呟く。
「さすがは殿。よくご存じで。確かに、西野入道殿がかつて丹波守を称しておりました故、右衛門太夫殿もあまり表立って名乗ることはございませなんだが」
膝を叩かんばかりに勢い込んで清綱が声を弾ませた。
官途名や受領名を正式の任命なしに名乗ることはこの時代、どこの大名家でも行われている。
だが、さすがに同じ家中では同じ受領名を名乗ることを避けるのが暗黙の了解であった。
正式な名乗りとしての体裁を保つためというよりは、単に判りづらくなることを避けるためであろう。
居並ぶ家臣の中にあって、当の西野入道も幾度も頷いていた。
西野入道は浅井亮政が躍進した草創期を知る古老であり、員昌がまだ少年だった頃から、既に白髭を垂らした老人の見た目をしている。
(あの御老人、いったい幾つになられたのやら)
などと一瞬埒もない考えが脳裏をかすめたのは、賢政が発した言葉を素直に受け止めて良いか、迷いがあったからだ。
なぜなら、磯野右衛門太夫員詮とは磯野山城の城主であり、最後まで京極側について亮政と争った磯野家の本家筋の当主である。
その嫡子、源三郎為員は他ならぬ員昌の実父・員宗の手によって討たれて城は陥落。
員詮は近江の北西部、高島郡へと落ちのびていったと聞かされている。
それだけに、丹波守を引き継いで名乗ることは、自分こそが磯野家の本家であると宣言する意味合いが含まれる。
筋目を必要以上に言い立てる手合いから、どこでいらぬ反発を受けるか、知れたものではない。
しかし、めでたい正月のこの場で賢政の提案を固辞して鼻白ませることが得策でないことぐらいは、員昌にも理解できた。
(まあ、よかろう。今更本家筋の誰かから責められる筈もなし)
一呼吸の間に、肚を決める。
戦さ場においては、一瞬の逡巡が命取りである。それを思えばあれこれと思い悩んでいる暇などない。
「まこと、ありがたく存じまする」
員昌は、威儀を正して賢政に平伏した。
「磯野丹波守員昌。うむ、良き名乗りである」
笑みを浮かべて賢政がうなずいた。
年頭の評定を終えると、そのまま宴席が設けられた。来年以降、今年のように穏やかな正月を迎えられる保証はどこにもない。家臣たちは浅井家の前途を思いつつ、酒を酌み交わした。
宴席が果てたのはとっぷりと日が暮れてからだった。
磯野家は、小谷城の城下に屋敷を構えている。
戦時以外であれば、月の数日は評定会に参加するため、員昌は宮沢城とこの磯野屋敷を往復する日々を送っている。
供侍が捧げ持つ提灯の灯を頼りに、どうにか屋敷まで戻ってくる。
飲み足りない若手は夜明けまで飲み続けているであろうが、そこまで付き合うつもりはなかった。
員昌の妻・美弥は、夫の帰りを寝ずに待っていた。
「おかえりなさいませ。今年は一段とにぎやかだったのではございませぬか」
「うむ。宴席の座興という訳ではないが、殿が新たに備前守を名乗られることとなった。儂も合わせて丹波守を称することとなったゆえ、忘れるでないぞ」
「それはそれは。磯野丹波守員昌さま、ですか。ところで、丹波守さまは、本丸の近くにお屋敷をいただくことはできませぬのでしょうか」
美弥は決して権高ではないのだが、時折突拍子もないことを口にする。
今回も員昌の虚をつくようなことを言い出した。
「何故じゃ。この屋敷は気に入らぬのか」
「いいえ。ただ、宮沢からこちらに来るのには便利ですけれど、本丸まで行くのに時がかかりましょうから」
酔った足で降りてくるのは大変だろう、と言いたいのだと員昌は気づく。
確かに磯野家の屋敷は清水谷の入口近辺にあり、本丸に上るには、それこそ城を攻め登るかのようにいくつもの曲輪を抜けていかねばならない。
ゆっくり歩いていたのでは四半刻は必要となる。
その中途には、赤尾曲輪と呼ばれる赤尾清綱の屋敷がある。そこからであれば、随分と近い。
美弥の父・赤尾駿河守教政は、浅井賢政の先々代にして、浅井家中興の祖・亮政の実兄にあたる。
もっとも、教政は員昌が生まれるより前、大永元年(一五二一年)九月の六角定頼との合戦で壮絶な討死を遂げているため、員昌は実際には会ったことがない。
いずれにせよ、員昌は賢政からみれば義理の従祖父にあたる間柄となる。
そのためか、美弥は賢政相手なら、多少の「おねだり」なら聞いてもらえるものと思い込んでいる節がある。
(主君相手に、そのような真似ができるものか)
と、員昌は内心では思うが、口にする気はない。
「儂はさほど苦とも思わぬがな。酔い覚ましにちょうどよいわ」
生あくびをかみ殺しながら、員昌は応じた。
言葉とは裏腹に、屋敷に戻って気が抜けたのか、今になって祝宴でたらふく飲まされた酒の酔いが回り始めてきたようだった。
「殿様はそうでも、義母様にとっては違うのではないですか」
美弥はいつになく食い下がった。
員昌の老母は、享禄二年(一五二九年)、員昌が七歳の時に父・平八郎員宗が死去して以来、この屋敷に起居している。
員昌と折り合いが悪いからなどではなく、磯野家が浅井家に差し出した証人、すなわち人質である。
万が一、員昌が浅井から離反した場合は、員昌の母の命はない。
とはいえ、平素は厳しく監視されて行動を制限されていることもなく、員昌の見る限り、心安んじて気ままに暮らしているように見える。
「そうかな。まあ、明日にでも聞いてみるかな」
夜も更けており、当人はとっくに床に就いている。わざわざ起こして尋ねるようなことでもない。
酔いに任せ、員昌は気づけば美弥を相手に昔語りを始めていた。
員昌の父・平八郎員宗が語ってくれた、若き日の武勇伝である。
員昌が元服前に亡くなった員宗が話し聞かせてくれた記憶こそ、員昌自身の思い出でもあった。
磯野家庶流の宮沢家の嫡男であった宮沢員宗は若い頃、角力をきっかけにした些細な諍いが原因で、本家の磯野右衛門太夫員詮の世継である源三郎為員の家臣三名を、たちまちのうちに斬り殺してしまった。
その責めを負って、員宗は父、つまり員昌にとっては実の祖父にあたる忠左衛門員村と共に一時、宮沢城を離れて熊野村の陋屋ぐらしに甘んじたことがあったという。
当時、磯野山城を居城とする磯野本家は京極方についていて、北近江の派遣を浅井亮政と争っていた。
中でも、磯野本家にあって為員は剛弓の使い手として、鎮西八郎源為朝の再来と恐れられ、亮政はその攻略に頭を悩ませていた。
亮政は為員と不和となった宮沢員村・員宗父子に目を付け、厚遇を約して味方につけた。
宮沢城は余呉川の支流である赤川を挟んで本家の磯野山城と斜向かいに位置しており、亮政は地元の地の利を活かせるものと考えたものらしい。
同族相克の合戦の末、忠左衛門員村は為員に返り討ちにあって亡くなったが、員宗は見事「今為朝」の為員を討ち取ったという。
その武勇を知った磯野家の別の庶流である磯野伊予守員吉が、浅井方として戦った員宗を養子として迎える形で恭順し、磯野氏は浅井家に味方することになった。
これにより、磯野本家は衰退して、磯野山城を追われた磯野右衛門太夫員詮は退転。前述のとおり高島郡に落ちのびていったという。
もっとも、亮政は磯野山城をそのまま磯野一族に渡すことはなく、重臣の大橋安芸守秀元に番将を命じた。
その大橋秀元も、亮政亡き後を継いだ久政に諫言を繰り返したことを疎まれて自刃を命ぜられ、磯野山城はいまやわずかな城番が置かれるだけの空き城となっている。
一族の結束を訴えるためなのか、当事者でもなければさほど興も沸かぬこの話を、員宗は繰り返し員昌と員春に聞かせたものだ。
そして、員昌が酔った時などには、やはり誰彼となく繰り返し口にせずにはいられない話でもあった。
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