【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬

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(三)陣触れ

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 永禄四年二月。

 宮沢城本丸の屋敷の北側には、垣根を張り巡らせ、員昌とその家族しか立ち入れない庭が設けられていた。

 そこには土俵が設けられており、肌を衝く寒さもものともせず、今も角力が行われている。

 員昌と組み合っているのは、彼の嫡男である員行かずゆきである。

 大永二年(一五二二年)生まれで当年四十歳、まだまだ膂力に衰えを知らぬ員昌に対し、員行も力だけならほぼ互角のねじりあいをみせていた。

 だが、やがて員行の息が先あがりはじめ、腕の力が落ちるや、員昌がすかさず投げを打つ。員行はたまらず土俵の上を転がった。

「力はついてきた。あとは粘りじゃの」
 震えあがる冬の冷気も、今だけは心地よい。

 員昌は手に付いた土を払いつつ、つとめて柔らかな声音で言った。

 対する員行は、肩で息をしながら立てないでいる。

(こうして我が子と角力が取れるだけ、儂は恵まれておる)

 どうしても己が元服する前に死に別れた父のことを思わざるを得ない員昌である。

「申し訳ござりませぬ。それがしが、城の外に出て、山河を駆け巡ることが出来ましたならば、今少し粘りもつきましょうが」

 ようやく身体を起こした員行は、あえぎながら切れ切れの声をあげた。

「そう、自分を責めるでない。いずれ、外にも出られよう」
 気休めと判る言葉を口にした己に、員昌は思わず顔をしかめた。

 員行は、家族や乳母などのごく限られた者以外、人の前に出ることができない性分だった。

 大人数の前に出ようものなら、顔を紅潮させて滝のような汗をかくところからはじまり、息が詰まり、嘔吐し、最後は失禁して気を失うところまで、ありとあらゆる不調をきたすことになる。

 幼いうちは極端な人見知りであり、いずれ治るだろうと軽く考えていた員昌だったが、元服を迎え、「右近員行」と一人前の名を名乗るようになってもなお、改善の傾向はみられなかった。

 医者にみせても治療の方法はまるで判らず、心の病と言われるばかりであった。

 員昌は美弥との間に、員行の他に女子を二人設けていたが、男子は員行のみである。

 世継としての責務に耐えられないとみて、員行を廃嫡して養子を迎える話も親族からあがったが、員昌は決断できないでいた。

 心や体に欠陥があるのなら、潔く諦めるしかないが、員昌と二人でいる限り、員行の受け答えに問題は感じない。

 彼自身が口にしたとおり、持久力を付ける鍛錬が行えないためすぐに息切れしてしまうが、出来る範囲で鍛錬は行っており、決して病身ではない。

 それだけに、員昌としては諦めきれない思いだった。

「お前様、取次の方がお見えですよ。小谷から御使者が来られたそうで」
 濡縁の端に立つ美弥が員昌に呼び掛けた。

 本来であれば取次が員昌に伝えるべきところ、余人の立ち入れない庭にいたため、美弥が取次の取次を買って出る形になっていた。

「承知した。すぐに参ろう」
 そう応じた員昌だが、さすがに汗に濡れた肌に土埃をまとわりつかせた褌一丁の恰好で使者を迎えるわけにはいかない。

 腰を落としたままの員行にちらりと視線を送ってから、美弥の元まで小走りで向かう。

 美弥が手拭を差し出した。

「さあ、右近殿のことはお任せくださいませ」

「すまぬ。あまり己を責めるなと伝えてやってくれい。儂も言うておるのじゃが、なかなか耳に入らぬようじゃ。儂のことを恐れておるのじゃろうか」
 受け取った手拭で身体を拭いながら、員昌は小声で尋ねた。

「右近殿は、殿様を大変尊敬しております。ふさわしい後継ぎになろうと必要以上に気負っているのでしょうけど、きっと大丈夫です」

 いつもながら楽観的な美弥の言葉に、員昌はすがりたい気持ちだった。

 だが、使者を待たせている以上、長話をしている場合ではない。手早く小袖に着替えて、使者の待つ広間に向かう。



 広間では、使者を上座にあげ、員春と小堀勘解由左衛門正房が下座に控えて待っていた。

 小堀正房は、磯野の家中では地味な存在だが、敵将の首級を挙げて恩賞を賜ることしか頭にない荒くれ者達の中にあって珍しく、文官としての才に長けている。

 俗に言う「軍師」とまでは行かないが、助言を求める知恵者として員昌は重宝している。上の娘を正房の嫡男に嫁がせているほどだ。

 なお、正房の妻は浅井一門である浅井新兵衛亮頼の娘であるから、員昌は娘の代でも浅井との血のつながりを持つ形になっている。

 日頃は主を主とも思わぬ口うるさい性分の正房も、使者の前ということもあってか、無言で員昌に向かって頭を下げる。

「済まぬ、遅うなった。おお、孫五郎殿が使者か」
 員昌は、上座の使者に向けて明るい声をかける。

 賢政から遣わされた使者、阿閉孫五郎貞大はまだ年若かった。

 上座にあげられてはいるものの、親の持ち物を玩具にして遊んでいるところを見つかったかのような、ばつの悪そうな顔で頷き返す。

 貞大の父・阿閉淡路守貞征は、宮沢城から南東に一里ほど離れた山本山城の城主である。

 貞征は妻を井口氏から迎えているが、妻の妹は浅井久政の正室となり、浅井賢政を産んでいる。従って賢政と貞大は従兄弟の間柄、つまり貞征からみれば賢政は義理の甥にあたる。

 婚姻関係だけが原因ではないだろうが、阿閉家は近年、浅井家の中で頭角を現してきている。

 元々が京極の家臣であった磯野家と異なり、阿閉家は村落の領主の立場から、実力で台頭してきた家である。

 もっとも、磯野家が浅井亮政に服属したのは、亮政が北近江の覇者として地歩を固める最終段階に近い頃であったから、譜代とは言い難く、その点では阿閉家とは親近感がなくもなかった。

 員昌は下座に座り、威儀を正す。

 貞大はやや緊張した面持ちで、員昌に対して手勢六〇〇を率いて小谷城への参集を命じる旨の口上を述べた。

 長滞陣となる可能性もあるため、相応の用意をすることも付け加える。

 員昌に驚きはなかった。

 既に数日前、出入りの商人が、六角家が三好家との抗争に深入りしつつあると報せてくれていた。

 その隙を突く形で南近江に侵攻することになるだろう、と予想して、それとなく戦支度を進めていた。

 六〇〇という数は、員昌の身代からすれば難なくとまではいかないまでも、さほど無理をせず集められる数字だった。

 もちろん偶然ではなく、賢政は各自の動員力を把握したうえで集める兵の数を定めているのである。

「敵は六角であるな?」
 員昌は話の接ぎ穂としてなんの気なしに問うたが、意に反して貞大は口ごもった。

「いえ、それがしは承知しておりませぬ」

 たくましい二の腕に、分厚い胸板を持つ屈強な武者である貞大が身を縮めている姿は、どこか滑稽さを感じさせた。

「どういうことじゃ。六角を討つのではないのか」
 訝しげに員昌は重ねて尋ねた。と、顔を伏せる貞大の表情が曇っていることに気づいた。

「おお、済まぬ。そなたを責めておるわけではないぞ」

「いえ。それがしは、どこに兵を向けるか伺うてはおりませぬゆえ、お答えいたしかねまする」
 気を取り直したように、貞大は声を張った。

「左様か。ならばこれ以上は尋ねまい。すぐに手勢を率いて小谷に参ると殿に伝えてもらおう」

「はっ」

 貞大の歯切れ良い返事を受け、員昌はまぶしげに目を細めた。

 先ほど目にした、うなだれる員行の姿を重ねてしまった自分を内心で恥じる。

 角力を一番、貞大ととってみたい気もするが、ここで使者の仕事を邪魔するわけにもいかない。

「急ぎ陣触れを発する。勘解由、此度はその方にも働いてもらうぞ」

 貞大が退席した後、己の心によぎったとりとめのない思いを頭から追い払うように、員昌は小堀正房に向き直って声をかけた。

「はっ」
 表情を引き締めた正房が、腰をうごめかせて姿勢を改め、頭を下げる。

「腕がなりますな」
 員春が喜色を浮かべて声を弾ませた。
 それに対して、員昌は重ねて留守居役を与えると告げた。

「兄者。それは殺生な」
 たちまち員春が眉尻を下げた情けない顔になる。

「お主がおればこそ、儂も安心して兵を出せるというものじゃ。この城を任せられるのは、お主しかおらぬ」
 員昌の言葉に、嫡子への思いがにじみ出る。員行が一人前の武者として留守居役を託せるのであれば、どれほど良かったか。

 その思いに気づいたのかどうか、員春はやれやれと首を振り、ため息をつく。

 怒らせていた肩を丸める姿が、滑稽さの中に哀れさを感じさせた。

「兄者にそう言われると、断りようがない」

「すまぬ」
 頭を下げる員昌であるが、員行が一人前とならぬ限り、留守居役を任せられるのは員春以外におらず、似たようなやりとりはその後も繰り返されることになる。



 翌日。
 陣触れに応じた兵およそ六〇〇を率い、員昌は昼前には小谷城に入城した。

 むろん、それぞれの領地から兵を率いて参陣してくるのは員昌だけではない。

 北近江の国衆も、新たな当主となった浅井賢政の力量に期待して、素直に兵を出している様子だった。

 軍議が開かれる小谷城の大広間で、員昌は重臣の一人として、上座の賢政からみて一段下がった左前方に座を占める。

 居並ぶ将の前に姿を現した賢政は、開口一番、員昌の意表を突く事を言い出した。

「六角が京で三好と向かい合っている間に、我等は美濃に兵を入れる」

「美濃の斎藤にございますか」
 将の誰かが頓狂な声をあげ、ざわめきが広がった。

(やむを得まい。皆も驚いて、いや)

 員昌の位置からは、下座で思わず顔をあげ、隣席の者と小声でささやきかわす将たちの姿が良く見えた。

 そのため、慌てた風もなく、賢政の次の言葉を待っている者の姿を目ざとく見つけだせた。

 先代の久政を実質的な退隠に追い込み、賢政の擁立に功があったことで、特に信任の厚い老将たちだ。

 一連の主君交代劇において、員昌は評定の結果を事後承諾といった形で伝えられただけで、ほとんど関与していない。

 その事実を聞かされたとき、協議から外された経緯を不満に思う気持ちが皆無とは言えなかった。だが、かといって相談されたところで困っただろう、と員昌は自分を納得させている。

 とはいえ、この場においては員昌も賢政に真意を尋ねない訳にもいかなかった。

「我等、殿のご命令とあればどこへなりとも兵を出しましょう。さりながら、何故に美濃であるのか、六角を叩くのではないのか、お聞かせ願えましょうか。」
 員昌の問いかけに対して赤尾清綱が何か言いかけたところを、賢政が手ぶりで制する。

 賢政はあまり不快そうな表情はみせず、むしろ得意げでさえある。

「話の出所はここでは明かせぬが、美濃の斎藤義龍が、重い病を得て身体も起こせぬ有様との報せがあった。いっそ死んでしまえば体制も改まろうが、病身で身動きもままならぬとあれば、兵を自在に采配することもできまい。六角の目が西を向いておるこの機は逃せぬ」

 当主が重病となっている苦境に乗じるのを「あくどい」とは員昌も感じない。

「加えて申せば、日根野備中がこちらに降るとの報せを寄越しておる。まさに好機であろう」

 賢政の言葉に、員昌は頭を下げる他なかった。



 その後、明確な反対意見もなく、美濃への出陣が決まった。

 陣立てをはじめ、諸々の取り決めが定まった後、いったんその場は解散となる。

 賢政が大広間から下がり、集まった家臣たちもそれぞれの陣の元へと戻る中、員昌は赤尾清綱を呼び止めた。

「申し訳ござらん。我等も、殿のお考えをつい先刻伺ったばかりでな」
 員昌が怒ると思ったのか、年上でありながら清綱は下手に出て、そう弁明した。

(戦場での気迫は誰にも負けぬ剛勇の士にしては、小心よの)

 大柄な体躯を有する清綱が、申し訳なさげに肩をすくめているのをみて、員昌は首を横に振った。

「そのことはようござる。それより、美濃攻めの真意は他に何か聞いておられぬか」

「うむ。そのことじゃが、斉藤義龍の病の話は、実は織田から報せて参った」
 声を潜め、周囲を伺いながら清綱が機密であろう事項を口にする。

「尾張の織田にござるか」
 員昌は顎鬚を撫でながら考えを巡らせる。

「織田は浅井と同盟を結びたい考えのようでな。殿の嫁取り話も持ちかけてきておる。それも信長の妹で、近隣に評判の聞こえる美人であるそうな」

 前年の永禄三年六月に、織田信長は今川義元の大軍を迎え撃ち、劣勢を覆して義元の首級をあげる「桶狭間の戦い」で一躍名をあげた。

 その後、信長は義元を喪って混乱する三河の今川領へはあまり深入りしていない。三河にて独立を画策する松平元康とは小競り合い程度にとどめる一方、北、すなわち美濃への攻勢を繰り返している。

「尾張の織田から嫁を迎えるにしても、織田が美濃の斉藤と敵対している間は、直接の往来もままならぬ。まさか、殿は花嫁行列の道を開くためだけに、一時的にでも西濃を切り取ろうとでもお考えなのでござるか」

 浅井の将来の浮沈にかかわることを、自分はなにも聞かされていない。員昌はあらためてその現実を思い知らされる。

「いや、いや。それはいささか飛躍というもの。織田との連携で斎藤を叩いておくとの判断が第一にござる」
 員昌が険しい表情をみせたので、清綱は慌てて手を振って打ち消す。

(それにしては、赤尾殿も口が軽い。儂への申し訳なさからか)
 員昌は怒る気も失せ、曖昧に頷き返すにとどめた。
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