【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬

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(五)急襲、佐和山城

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「六角が動いた」
 不機嫌そうな顔で床几に腰を据えた賢政が、集まった将を前にそう告げた。

 広がったざわめきがいったん収まるのを待ち、賢政は言葉を継ぐ。

「佐和山城は、城内に敵勢の侵入を許したとのことじゃ。早打ちが出た時にはまだ落ちてはおらなんだそうじゃが、今頃は既に……」
 賢政は、悔し気に語尾を濁す。

「佐和山が、さほど呆気なく落ちるものであろうか」
 諸将の中から、三田村光頼が信じられぬとばかりに首を振りつつ唸る。

「先代の百々内蔵助が昨年の野良田合戦で討死し、百々家を継いだ隠岐守ではやはり若すぎて采配が行き届かなんだやも知れぬ」
 その言葉を受け、大野木茂俊が渋い顔で推量する。

「殿。本来であれば今すこし情勢を掴みたいところなれど、ここは兵を退く算段をせねばなりますまい」
 諸将の声を無視するように、赤尾清綱がこわばった表情で膝を進める。

 賢政は口の端を引き締めて頷いた。

「判っておる。じゃが、一度に退くのは下策よ。美作が申すとおり、六角の動きも掴みきれておらぬ。あるいは佐和山も持ちこたえておるやも知れぬ」

「されど、斉藤もおっつけ六角の動きを知りましょう」そう口にした海北綱親が、自分の言葉の意味に気づいて目を見開いた。「いや、もしや斉藤と六角はあらかじめ示し合わせておったやも知れませぬぞ」

「さもあろう。たばかられたとは考えたくないが」
 賢政は苦り切った表情だった。

 慌てて撤退しようとすれば、斉藤勢がここぞばかりに追撃にかかってくるのは目に見えていた。

 しかし、いつまでも頭をひねってばかりはいられない。

 しばしの沈黙ののち、賢政が再び口を開く。

「磯野丹波に先駆けを命じる。堀遠江、阿閉淡路をつけるゆえ、合わせて二千の兵で急ぎ佐和山に迫れ。六角の思惑を見極めよ」

 坂田郡鎌刃城の城主・堀遠江守秀基も、阿閉貞征も、美濃の討ち入れにあたっては、まだ目ぼしい戦功に恵まれていない。

(この機に、彼らに手柄を立てさせるおつもりか、それとも、未だ兵を損じていないゆえ、役に立つと判断されたのか)
 員昌は、思案の末に瞬間的に頭に浮かんだ言葉を打ち消して平伏した。

 自分だけがこき使われている、などと考えてはいけない。

 そう自らに言い聞かせたうえで、員昌は賢政に対して一つ注文を付けた。

「御意。ただ願わくば、殿の馬印などお貸し願えれば幸いにござりまする」

「……よかろう。見え透いた手やも知れぬが、それで六角が驚いてくれれば儲けものよ」

 数瞬の思案のあと、賢政は厳しい表所をわずかに緩ませた。

 員昌が賢政の馬印を借りることを願ったのは、賢政が近江まで戻ってきたと六角勢に誤認させる策に用いるためである。

 わざわざ説明されずとも、賢政はきちんと理解してくれた。員昌は内心で胸をなでおろす思いだった。



 評定が終わると、員昌はただちに陣払いの準備を配下に命じた。

 早朝、東の空から昇る朝日を背に出立した員昌率いる二千の兵は、東山道を八里ほど西に進み、未の刻(午後二時)には番場の地まで到着した。

 番場は鎌刃城の北側にあり、いわば堀秀基の御膝元である。

 兵を休ませる一方で、員昌は堀秀基、阿閉貞征の両将と膝詰めで打ち合わせを行うべく、使番を走らせた。

 阿閉貞征は求めに応じてすぐに表れたが、堀秀基の足取りは重かった。

 体調が相当に悪いらしく、どす黒い顔をしている。

 結局たいした話もできない間に、堀秀基は「後は樋口三郎左衛門が聞く」と言い残して引っ込んでしまった。

 その場に残された樋口三郎左衛門直房は、堀家の屋台骨を支えている重臣として、浅井家中でもその名が知られている。

 なにかと気苦労の多い境遇であるはずだが、そんな難しい立場を感じさせない涼やかな細面の持ち主であり、領民からも「樋口様がおられる限り堀家は安泰」と慕われている。

「本来であればこのまま東山道を進み、米原から鳥居本町に向かうところであるが、刻が惜しい。樋口殿より道案内を出していただき、ここ番場から摺針峠に抜ける間道を用いたい」

「ははぁ。摺針峠とはまた、思い切った策ですな。迷うほどの道ではござらぬが、悪路にございますぞ」
 直房は拒絶こそしないものの、あからさまに渋い表情をみせた。

 番場からは南に進み、鎌刃城の西側を抜けて摺針峠に至る、およそ一里半たらずの道が存在している。

 この道を用いて擂鉢峠まで出れば、あとは佐和山城まで目と鼻の先の距離である。

 しかし、街道としては整備されておらず、大軍の行軍は困難な山道である。

 員昌自身も通った経験はなく、叔父・員清の問わず語りで聞いた話でしか知らない。

 とはいえ、少々の悪路なら、二千名程度であれば通り抜けてみせよう、と員昌は考えていた。

 なにしろ、米原に出る通常の経路を辿るより、およそ行程を三里(一二キロ)程度は短縮できると見込まれるのだ。

 文字通り一刻を争う状況においては、この差は大きい。

「間道を抜ければ、今日の日没前に佐和山城の指呼の間に迫れる筈じゃ。六角勢が、我が方の来着を早くても明日以降と踏んでいたとしたら、虚を衝けるであろう」

 員昌の説明を聞き、貞征と直房は険しい峠越えを思い描いて渋い表情をみせた。

 だが、やがて是非もなしといった様子で頷きあう。
「六角の者どもに一泡吹かせてくれましょうぞ」
 己を鼓舞するように、貞征が太い声を出した。



 番場を出立した磯野勢は、目論見どおり一刻あまりで山中の間道を踏破した。

 さいわい、間道といっても小勢であれば通れる程度には開けていた。

 もちろん悪路との話に嘘はなく、沢筋をそのまま道として通る場所があったり、大石が道を塞いでいて山肌をよじ登る必要があったり、折々に難所もあった。

 しかし、直房がつけてくれた道案内は期待に応え、過たず彼らを摺針峠まで導いた。

 西に傾いた太陽はまだ湖の上に輝いており、湖の向こうの西近江の山麓に消え去るには、今しばらくの時間の猶予があった。

 員昌は峠からやや下った場所でいったん兵を止め、陣を整えるように命じた。

 一息つく間もなく、兵たちは運び込んだ旗印を並べ立て、大軍が着陣したかのように見せかける偽装を行う。

 賢政から借りた馬印は、しばし掲げて眼下に見せつけたのち、奥へと下げる。

「あまりこれみよがしに見せびらかしておったのでは、こちらの詐略に気づかれてしまうからな」
 員昌の放言に、馬廻りから笑い声が起きた。

 佐和山城に目を凝らすが、擦針峠からはおよそ半里ばかりの距離があり、はっきりとした情勢は判らない。
 しかし、合戦が行われている気配は伺えなかった。

(間に合わなかったか!)
 その思いは、先行させていた物見が戻ってきたことで裏付けられた。

「隅立の四つ目結、六角の旗印が佐和山城に掲げられておりまする!」
 物見はそう告げたのだった。

 四角形を二列二段に配する京極家と同じ四つ目結であるが、六角家の場合は菱形に配する隅立に描く。

「百々隠岐守殿、うまく落ちのびてくれておれば良いのだが」

 万策尽きて六角に降っている可能性もあるが、そのことはあまり考えたくなかった。

 百々家も証人を小谷城に差し出している。敵方についたとなれば証人の命はない。

 懸念を抱きつつも、家臣に命じて二度、三度と鯨波の声をあげさせる。

 六角に対する威嚇であり、佐和山を守備していた百々勢の将士に聞かせる激励でもある。

 すぐさま攻撃を仕掛けたいところだが、先行して駆けつけてきた員昌の手勢だけでは勝ち目はない。

 後続が到着するまで時間を稼がねばならない。
 寡勢であることを見破られれば自分たちの身が危うくなる。

 緊張をはらんだ静かなにらみ合いの刻がしばし過ぎた。

 先に動いたのは六角勢だった。
 佐和山城に立てられていた旗印が、流れおちるように城外へと下っていく。

(こちらに仕掛けてくるのか)
 員昌は家臣らとともに、息を詰めて六角勢の動きを見つめる。

 やがて、六角勢は東山道を南下しはじめたことが判った。

 浅井勢が想定より早く戻ってきたことで、佐和山城では持ちこたえられないと判断したものらしい。

「引き上げていくようでございますな」
 軍師役の小堀正房が口にした言葉を聞き、周囲のあちこちからため息がもれた。

 員昌は「うむ」と短く応じた。

 敵が退くのに、こちらが動かずに黙って見送っていたのでは、追い討ちをしかけるだけの兵がいないことを見破られる恐れがある。

 だが、下手に前進すれば、やはり寡兵であると知られかねない。

 難しい采配が求められることとなり、員昌には安堵の息をつく暇などなかった。



 結果から言えば、員昌は無事、佐和山城の奪還に成功した。

 いかにも後続がすぐにでも現れる風を装いながら追い討ちを仕掛け、殿軍となった六角勢の武者を幾人か討ち取った後、余燼くすぶる佐和山城への入城を果たしたのだ。

 やがて、六角勢の撤退を見極めて、城外に逃れていた佐和山城の兵がばらばらと戻ってくる。
 しかし、その中に百々隠岐守の姿はなかった。

 生き残りの城兵の口から、隠岐守が自刃したことを知らされる。

 まだ二十歳にもならぬ若武者の命を散らせてしまったことに、員昌は肩を落とす。

「気の毒なことじゃ」
 己の嫡子・員行のことを思えば、決して他人事ではない員昌だった。



 翌朝、賢政率いる本軍が、東山道を用いて佐和山に到着した。

 六角勢は城を奪った際も、また員昌の攻撃に逃げ出す際も、城に大々的に火を掛けるようなことはしていなかったが、城攻めの結果としてあちこち痛んでいた。

 六角勢の夜討に備えて、見張りを立てつつ破損個所を修復する必要があったため、員昌以下、誰もがほとんど一睡もせず一晩を過ごしていた。

 その苦労が報われる思いで、兵達は歓呼の声を挙げ、味方の入城を出迎える。



 賢政らは、ほぼ無傷の本丸御殿の広間に参集した。

「見事、城を奪い返してくれた。隠岐守の無念も多少は晴れるであろう」
 上座に着座した賢政だが、笑顔はなかった。

 美濃への討ち入れは失敗に終わり、佐和山城の失陥こそ防いだものの、得られたものは何もない。

「御意」
 下座の最前列で、員昌は頭を下げる。

「磯野丹波には、此度の功を認め、佐和山の城番を命ずる。六角の動きに目を光らせ、二度と攻め落とされることのないよう、堅固に守りを固めよ」

「はっ。必ずや」
 反射的に応じたものの、改めて考えれば大役である。

 城を守るのはともかく、百々家の遺臣のことを思えば、わが物顔にふるまうのも考え物である。

「それにしても、佐和山城は我が宮沢城より数段、構えが広大にござりますな。打ち毀された箇所もござるゆえ、これを守るにはいささか苦労することになりそうで」
 員昌としては、堅苦しく気負うことを嫌っての軽口だった。

 しかし、賢政は途端に表情を険しくした。

「それをどうにか致すのが将の才覚であろう」

「これは口が滑り、言わでもがなのことを。無論、この身に代えても佐和山を守り抜く所存」
 員昌が慌てて言い繕って再度平伏すると、賢政も頬を緩めて頷いた。

「うむ。頼むぞ」

 これでこの場は収まったが、員昌の気持ちには影が差していた。

 どうにも仕えにくい主君である、との暗い思いを消すのに、しばしの刻が必要だった。
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