【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬

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(十八)反撃の伏勢

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 員昌率いる手勢が、東山道を南下していく。

 全力を尽くし、悔いのない戦いは出来たとの実感はある。

(とは申せ、敗走していることに違いはないわな)

 嶋秀淳から譲られた馬上にある員昌の胸中に、苦いものが広がる。

(あともう少し信長の本陣に迫っておれば、切っ先を届かせられたものを)

 己の采配に後悔はないのだが、それでも臨んだ結果が得られなかった無念さは募る。

 命を散らした将兵に、せめて勝利を届けたかったが、それもかなわなかった。

 敵中深く食い込みすぎて小谷城まで戻れない以上、佐和山城にて再起を図るのは誤った選択ではないと員昌は信じている。

 しかし、長政がどう捉えたか。

 自分の城が心配で逃げ出したと思われたのではないか。

(いや、言い訳はすまい。結果がすべてだ。……とは申せ、殿は無事に小谷城に戻られておるだろうか。力攻めを受けたとて簡単に陥ちる城ではないが、負け戦の直後となれば、どう転ぶや判らぬ)

 ともすれば物思いに沈みそうになるところ、員昌は頭を振って現実に意識を振り向ける。

 そもそも、このまま黙ってただ佐和山城に戻れば済む話ではないのだ。

 員昌は、佐和山城周辺の国衆がこもる城や、城ともいえぬ砦に配されている将兵に向けて、馬廻衆から使者として騎馬武者を送り出す。

 乾坤一擲の合戦に浅井勢が討ち負けた以上、ほどなく織田の大軍が南下してくる可能性は高い。

 各個に撃破されるより、少しでも多く兵と兵糧を佐和山城に集めたい。

(もっとも、どれほどの国衆が負け戦の後に儂に従う気になるか)
 合戦直後の高揚した気持ちとは別の部分で、員昌は冷静に受け止めている。

 しかし、今のところ自棄を起こしてはいない。

 佐和山城で再戦を。そう考えると、まだ全身に気力が沸くのを感じる。

 かつて永禄四年に、あっけなく六角勢に落とされたあの城は、十年の歳月を費やして、戦える城として手を入れ続けてきたのだ。

 大軍を迎え討つことなど決して望んではいなかったが、心のどこかでその機会を待っていたのかも知れない。
 いずれにせよ、程なくその真価は試されることになる。



 員昌が出陣時に率いていた一五〇〇の手勢のうち、佐和山城まで帰り着くことが出来たとされる人数には諸説ある。

 一〇〇〇とも五〇〇とも、あるいは三〇〇とも言われている。

 もちろん、帰らなかったもの全員が討ち死にした訳ではない。
 小谷城に退いたもの、戦場から逃げ出して野に下ったもの、あるいは織田方に降参したものもいる。

 最も少ない数字は、合戦後にそれぞれの城に帰還した国衆の数を含んでいないのではない可能性も考えられる。

 しかし、相当数の戦力を手元から失った事実は変わらない。

 だが、気落ちしている贅沢など許されなかった。
 急ぎ、籠城のための戦支度を整えなければならない。

 幸い、佐和山城では気働きのできる員春が、こうもあろうと抜かりなく備えを整えてくれていた。

「ともあれ、無事に兄者が戻って来られてなによりじゃ」
 員春の笑みが、いつになく頼もしい。

 加えて、浅井方として戦う覚悟を決めた佐和山周辺の国衆が、自城を捨てて馳せ参じてきてくれた。

 彼らは、かねてより国衆に割り当てられるために員昌が作事を続けてきた曲輪へと招き入れられる。

 国衆の合流により、城の守備に残していた兵を合わせて、二〇〇〇近い戦力を確保できそうであった。

「兵糧も、この数日であるだけ運ばせておる。兵が増えても、一年半はもたせられるぞ。まあ、織田もそこまで長く城を囲み続けてはおれまいが」
 員春が弾き出した見通しを聞いて、員昌はわずかに首を傾げた。

「さて、どうかな。今年の収穫はあきらめねばならぬであろうが。して、鉄砲はどの程度集まりそうじゃ」

「戦さ場で捨ててきておる者もおるからのう。城中からかき集めて、百挺揃えば良しといったところか。近隣の小城から入城してくる連中が持参してくれれば、いくらか増えようが。まあ、あまり期待できぬな」
 城内の備蓄に関しては誰より詳しい員春の見立てである。

 多少の誤差はあったとしても、大外れしている筈もない。

「いや、それだけあれば、格好は付くであろう」
 員昌は自らを鼓舞するように言葉に力を込めた。

 ないものねだりをしても始まらない。

 一年半を戦い抜けるだけの兵糧が確保されているだけでも、まずは上出来であろう。



 員昌は籠城の支度を進める一方で、物見を放って織田方の動きを探っていた。

 もちろん、物見の裏では森盛造が配下とともに忍び働きにより諜報を行っている。

 まず、長政が無事に小谷城に帰還したことが確認され、皆を安堵させた。

 信長は長政を追っていったんは小谷城の城下に迫ったものの、余勢を駆った城攻めは行わず、早々に兵を引いた様子だった。

 一方、囲まれていた横山城は後詰の見込みがなくなったため、合戦の翌日には開城し、将兵は助命されて小谷城に入ることも許されたとの報せが届いた。

 とはいえ、武装は解除され、兵糧の運び出しも許されなかったであろうから、丸腰の人数が増えても、長政としても素直に喜べない面があるかもしれない。



 七月一日の早朝になって、信長自らが佐和山城を攻め落とすべく兵を率いて向かってくる、との報せがもたらされた。

 信長来る、の報に接した城兵は、恐慌をきたすどころか歓喜に沸き立った。

「敵の大将がわざわざ来てくれるとよ!」

「今度こそ、首級をあげてくれようぞ!」

 敵本陣に肉薄した先の戦いの興奮を体内に残す者だけでなく、留守居役として大合戦に参加できなかった老兵も、特上の大将首を前に勇み立っている。

「兄者! このまま籠城するだけではつまらぬ。討って出て、出鼻をくじいてくれようぞ」
 いつものように鼻息の荒い員春を、員昌は呆れ顔でなだめた。

「落ち着け。ここで下手に兵を損じてなんとする」

「織田勢もそう思って油断しておろう。何も本格的な合戦を挑む必要などないのじゃ。一撃をいれてさっと城内に引き上げるだけでよいのじゃ」

「むう」
 員昌も、言い募る員春を前に考え直す。

 言うまでもなく危険な采配となるが、織田勢が勝ち戦で気を良くしたままでいられてもやりづらい。

「やるか。叩ける時に叩いて、我等を敵に回す恐ろしさを思い知ってもらわねば」

「おう。それでこそ兄者よ」
 員昌は、意気込む員春の両肩に分厚い掌を乗せた。

「言うておくが、お主を出すわけにはいかぬぞ。これは儂の仕事じゃ」

「なんじゃと!?」

「お主抜きでは籠城は幾日もままならぬ。故に出せぬ。判ってくれい」

「兄者は、いつもいつも」
 声にならない唸りをあげる員春に背を向けた員昌は、「戦さをし足りぬ者はおるか!」と声をあげ、将兵を集めた。



 横山城から南下し、米原を過ぎてさらに東山道を進むと、やがて右手の山塊に佐和山城の威容が姿を現す。

 佐和山城に向かう織田の将兵は、この時点で否応なく意識を城のある右手に向け、左手の山々に対する注意は薄くなる。

 その山の連なりの中に、一見すると単なる山裾にしか見えないものの、実は左右から伸びた山裾が互い違いに重なって谷筋を隠している場所があった。

 員昌が佐和山周辺で夜間行軍の調練を繰り返す中で見つけたもので、「武者溜まりの谷」と家中では呼ばれていた。

 員昌はその中に、手勢二〇〇と共に身を潜めていた。
 決死の伏撃に、自ら志願した者ばかりである。

 視界を遮る木々の向こうでは、織田勢の先陣が街道を南下していく。

「旗印は直違紋。丹羽五郎左長秀が手勢と思われます」
 音もたてずに員昌の元にやってきた森盛造が報告する。

 直違とは要するに「バツ印」の形であり、その判りやすい意匠ゆえに見間違えることはまずない。

 員昌は口元を引き結んで「ご苦労」とだけ応じた。

 丹羽勢とは先日の合戦で対峙した記憶はない。
 横山城の包囲の任についていたか、あるいは徳川勢の支援に回っていたのだろう。

 織田勢のうち、手勢から多くの手負い討死を出した将は陥落せしめた横山城に入り、あまり損害を出していない将が選ばれて佐和山城に向かっている、と考えれば辻褄はあう。

「殿っ」
 前後に分厚い体躯を、山裾の背にへばりつかせして敵情を伺っていた秀淳が、焦れたように押し殺した声を投げかけてくる。

 員昌はしばしその声に応じず、目で敵兵の数を数えている。

 できれば信長がいる本陣を直撃したいところだが、やはり無理な相談であろう。

 周囲を固める馬廻衆が手薄な筈もなく、信長に十文字鑓を食らわせるより先に、取り囲まれて全滅する己の姿しか、員昌の脳裏には思い浮かばない。

 狙うべきは、二〇〇の兵で敵の左側面を衝き、食い破れる程度の場所だ。

 員昌は慎重に、しかし素早く見定める。

「行くぞ。夜討ちの要領で、無暗に声を立てるでないぞ」
 気負いない声と共に、員昌はひらりと馬にまたがった。

 秀淳から借りた栗毛馬ではなく、佐和山城に残していた馬の一頭である。

 静かに磯野勢が谷底から沸きだし、佐和山城に気を取られていた織田勢の背後から、およそ三十挺のなけなしの鉄砲は一斉に撃ち放たれる。

 佐和山城全体で百挺そこそこしか揃わないことを思えば、かなり無理をして持ち出した数である。

 幸い、風は湖側から吹いており、火縄の煙を察知されることはなかった。

 丹羽勢もそれなりに周囲を警戒する物見は出していたものの、最初からそれとみて探らないかぎり、佐和山城と反対側に位置する武者溜まりの谷を事前に発見することはまず不可能であった。

 無警戒の方向から撃ち込まれた鉛玉を浴びて、丹羽勢の足軽が十数名、たちまちのうちに倒れる。

「かかれーっ!!」
 員昌が吼え、二〇〇の手勢が鯨波を挙げて武者溜まりの谷から飛び出す。

 鉄砲は最初の一撃のみと割り切り、間合いを詰める。

 もちろん貴重な鉄砲はその場に投げ出すのではなく、小者が集めて回り、木箱に詰めて担いで城まで持ち帰ることになる。

 丹羽勢とて、信長の元でこれまで多くの戦場に臨んできた強者が揃っている。
 しかし、勝ち戦さで勢いに乗っているだけに、かえって思いがけない方向からの不意打ちに動揺を隠せない。

 槍先を揃えて立ち向かうよりも前に、右往左往して逃げ出すものが続出する有様だった。

「深入りするでないぞ!」
 員昌は手勢にそう注意を促しながら、自ら馬を走らせて織田の足軽を馬蹄にかけ、容赦なく逃げる背中に十文字鑓を突き立てる。

 しばらく逃げ惑う敵兵を蹴散らして回っていたが、先手で起こった騒ぎが後方の陣列へと伝わっていく。

 ようやくのことで事態を把握した長秀の馬廻衆が、逃げ腰の雑兵を押しのけるようにして前に出る動きを見せはじめた。

(頃合いか)
 首尾よく大将の長秀を討ち取ればさらに士気が高まるに違いないが、欲をかいては元も子もなくなる、と員昌は見切った。

「引くぞ! 走れぇ!」
 馬上の員昌は大音声で命じるや、手綱を引いてさっさと戦場を離脱する。

「おお!」
 逃げ惑う織田兵を蹴散らしていた手勢も、潔く鑓を引いて員昌の後に続く。

 一目散に佐和山城の大手門に駆け戻りながら、彼らは意気軒高であった。

 途中、員昌は何度か後方からの織田勢の追撃を警戒して馬首を返してみたが、丹羽勢はさらなる伏兵を警戒しているのか、追いかけてくる様子はまるでなかった。

 やがて員昌とその手勢は、城兵の熱狂的な歓呼の声に出迎えられて、堂々と大手門をくぐった。
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