【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬

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(十七)姉川の合戦(二)

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 浅井三代記などでは、姉川の合戦において織田勢の第二陣を率いたのは池田信輝(恒興)であるとされている。

 しかし、池田恒興は丹羽長秀とともに徳川勢の援護に回っていたとの記録もあり、正確なところは判然としない。

 いずれにせよ、崩れたった坂井勢の雑兵に雪崩れ込まれ、味方に陣立てを引っ掻き回された織田の第二陣は、味方討ちを恐れて鉄砲も弓も使えないまま、磯野勢の接近を許してしまう。

「かかれーっ!」

 蹴散らした坂井勢をあたかも楯のように前面に押し立てた磯野勢が、地面を蹴り上げて襲い掛かる。

 結局、はかばかしい抵抗もできないまま、第二陣も陣立てをずたずたに切り裂かれてしまう。

 第三陣となる木下秀吉勢は、眼前の二つの陣がたちまちのうちに突き崩されていく様子を見たためか、最初から攻勢を自重して陣形を方円に組み替えていた。

「臆するなーっ、突っ込めやぁ!」

 員昌率いる犬上衆の中でも大身の国衆である赤田信濃守かばねが、割れ鐘を思わせる怒声を張り上げる。

 赤田姓は、その一字諱からも察せられるとおり、渡辺綱を祖とする勇猛な将である。

 員昌の馬廻衆より先行して織田の第二陣を突破した赤田勢は、守りに強いとされる方円陣を前にしても、ためらうことなく真正面から奔流となって突っ込んでいく。

 次の瞬間、陶器に石を投げつけたかのように木下勢の方円陣がぐしゃりと歪んだ。

 急ごしらえの陣は赤田勢の衝撃を吸収しきれず、雑兵が目に見えて浮足立つ。

「あの敵は赤田殿にお任せいたす。我等は先に向かうぞ!」
 員昌は配下に聞こえるよう、大声を放って馬腹を蹴った。

 織田勢の第四陣は、長光寺城から佐和山城をかすめて本軍に合流を果たした柴田勝家。

 左雁行陣で押し出し、浅井勢の本陣を第三陣と第四陣で衝くとの織田方の当初の目論見は、既に大きく崩れている。

 食い下がる織田方の兵を周囲にまとわりつかせながら、磯野勢は勢いを緩めることなく柴田勢に激突する。

「押せ、押せーっ!」
 員昌はひたすら叫びあげて配下の将兵の士気を鼓舞しつつ、突入すべき場所を無銘の十文字鑓で的確に指し示して導いていく。

 急所となる場所を見抜き、味方を誘導していく采配にかけて、員昌は独特の嗅覚を持っていた。

 後世、織田家屈指の猛将と称されることが多い柴田勝家であるが、その戦歴を紐解くと、必ずしも常勝将軍でないと判る。

 だが、その配下が惰弱である筈もない。

 乱戦の中、左手から忍び寄った足軽が長巻と呼ばれる得物を低い軌道で振り回し、員昌の乗る馬の脚を薙ぎ払ってきた。

 敵中に浸透しながらの突撃を続けてきたため、本来であれば員昌を守るべき兵も個々に戦い、やや周囲の守りがおろそかになっていた。

 一瞬の隙を衝かれる格好になり、前脚を斬られた馬が、悲鳴を上げて棹立ちになる。

「ええい!」
 員昌は鞍から振り落とされる前に、自ら宙に身を躍らせた。

 そのまま体重をかけて、長巻を持つ織田勢の足軽目掛けて無銘の十文字鑓の切っ先を突き入れる。

 思わぬ反撃に驚く間もなく、足軽は桶側胴を十文字鑓にぶち抜かれて大の字に倒れ、地面に縫い付けられた。

 横に伸びる十文字鎗の刃先のおかげで、必要以上に深く突き刺さることはない。

 員昌が足軽の桶側胴に片足をかけて力任せに引き抜いた時、足軽には既に息はなかった。

 顔をあげた員昌は、信長がいるであろう本陣の方向に視線を向けた。かくなる上は、徒立で信長の元に推参するのみ、と覚悟を決める。

「殿ーっ、我が馬にお乗りくだされ!」
 嶋秀淳が後方から馬を走らせてきた。

 その巨体を支えるだけあって、立派な胸郭を持つたくましい栗毛馬だった。

 止める間もなく、秀淳は見た目からは想像もできない軽やかな身のこなしで鞍から飛び降りる。

「済まぬ!」
 押し問答をしている暇などなかった。

 員昌は素直に礼を述べ、秀淳の馬にまたがった。

 徒武者となった秀淳は、良き敵をみつけたとばかりに突きかかってきた織田方の騎馬武者の手鑓を片手でつかむや、そのまま飛び上がって肘打ちをいれて騎馬武者を鞍から跳ね飛ばし、あっさりと馬の手綱を奪ってしまった。

「たいした奴じゃ!」
 にやりと笑った員昌は、あらためて馬を走らせる。



 後世、員昌の突撃は、信長が敷いた十三段の陣のうち十一段までを崩して心胆を寒からしめた、ことになっている。

 世に言う「十一段崩し」の逸話である。

 もっとも、信憑性には疑問の声も少なくない。

 何しろ、十三段構えの陣と称しつつ、信長の陣容として伝わっているのは第六陣の佐久間信盛までであり、その次は本陣の信長である。

 その武勇を語るにあたって六段の陣では物足りないと考えた誰かが数を二倍にして、本陣を足して十三段、と話を膨らませたものかもしれない。

 いずれにせよ、緒戦こそ浅井勢の優勢に進んでいた合戦であったが、数に勝っていたはずの朝倉勢が徳川勢を抑えかねている間に、横山城の包囲から一時的に離れた織田勢の美濃衆が浅井方の東に回り込んで側面を衝いた。

 織田勢の側面攻撃に耐えかねた後続が崩れるのを見て取った員昌は、独特の戦場勘で、これ以上の突撃が困難となったことをいち早く察知した。

 度重なる浸透突撃の結果、兵は散らばって乱戦模様が続いている。

 信長を討つと大言壮語していた藤堂高虎も、いつしか姿が見えなくなっていた。

「弓はまだ携えておるか!」

「これに!」
 員昌に付き従ってきた小者の一人が、弓を員昌に差しだした。

「よくここまで、後生大事に抱えて来られたものよ」

 小者を誉め、受け取る。

 右往左往する織田勢の旗指物の向こうに、幔幕が張り巡らされ、旌旗が林立する本陣があった。

 その前に、床几を蹴って立ち上がり、身を乗り出して戦況を見渡している信長の姿が垣間見えた。

 員昌は馬上で弓を引き絞り、さほどの間を置かず、射放つ。

 風切音は、即座に戦場の喧騒にかき消される。

 信長の様子に変化は何も起こらない。

「遠いのう! 当たる筈もないわ」
 彼我の距離は一町を越えている。元より狙って倒すには遠すぎる的であった。

「磯野様ーっ!」
 弓矢の残響を合図にしたかのように、使番を示す旗を背に立てた騎馬武者が、後方から駆け寄りつつ呼ばわってくる。

「そのまま申せ!」
 員昌は怒鳴り返した。

 使番に、下馬して正式な作法どおりに口上を述べさせている暇はない。

「はっ! では、申し上げますっ! 殿は、馬首を北に巡らせよとの仰せにござりまする!」
 鞍上の使番は、弾む息を整える間も惜しんで声を絞り出す。

 もって回った言い回しであるが、要は兵を引き上げ、小谷城に立てこもれとの命令である。

 耳をすませば、かすかに退き鐘が打ち鳴らされているようにも思われた。

 もっとも、戦場の喧騒の中にあっては、空耳とも判断がつきかねた。

「殿のお考えはごもっともなれど、今となっては我等が兵をまとめて織田勢を再度突き破ることこそ難事である!」
 員昌は怒鳴り返した。

 織田勢の大軍の中に染み込むようにして陣立てを切り崩せたのは、第二陣以降が続いてきてくれると信じて背中を預けられたからだ。

 磯野勢が単独で再び織田勢に踊りこみ、突破して帰陣するなど至難の業であった。

「では、如何なされまするか!」
 思わぬ回答に、使番も必死の形相で問う。

「我等はこのまま敵陣を突き破り、佐和山に向かう所存である。敵の目をいくらか引き付けることができれば、殿が手勢をまとめる刻を稼ぐこともできよう」

「しかし」
 使番は反論しかけて、言いよどむ。

「それよりも、そなたも共に参らぬか。お主だけで敵中を駆け抜けるのは至難の業ぞ」

「かたじけなきお言葉なれど、磯野様の御存念を殿に伝えたく存じます。それがし一人ならば、なんとか駆け抜けられましょう」
 員昌の決意が固いのと同様に、使番もまた己の職務に忠実であった。

 お互い、これ以上言い争って刻を無駄に使う訳にはいかない。

「左様であるか。では、ご苦労であるが頼む」

「はっ。しからば御免!」
 馬首を巡らせた使番は、北に向かって駆け戻っていく。

 隊伍を立て直した織田勢の中を突っ切って小谷城まで辿り付けるかは、員昌にも読み切れない。

 無事に長政の元まで帰り着き、復命してくれることを祈るしかない。

 悠長に使番の後姿を見送っている暇はなかった。

「これより、敵勢を突き破る! 進めや!」
 員昌の号令一下、磯野勢は最後の力を振り絞って突撃に移る。

 四方から押し寄せる敵に対し、時に騎馬を揃えて突撃し、時に長鑓を連ねてはねのける。

 決して受け身に立って押しつぶされぬよう、員昌は細かな指示を飛ばし続ける。

 もみ合ううちに、磯野勢は織田勢の最も南側の陣を突き破った。

「ゆくぞーっ! 足を止めるでないぞ!」

「おう!」

 員昌の叱咤に対して、配下の将士は戦い詰めにも関わらず、疲れをものともせずに気勢を上げる。

 佐和山城を目指してひと塊になって駆けていく磯野勢に対し、織田勢からの組織だった追跡はなかった。

 数度、落ち武者狩りのつもりか、追いすがってくる小集団がいたが、時に員昌自身が殿軍をつとめてたやすく蹴散らす。

 磯野勢が戦場を離脱した頃、浅井の本陣も小谷城に向けて引き上げに移っていた。

 こうして、後世「姉川の合戦」と呼ばれる合戦は、無念にも浅井・朝倉勢の敗北に終わる。

 だが、員昌の戦いはまだ終わってなどいなかった。
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