【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬

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(十六)姉川の合戦(一)

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 六月二十七日の夜に、浅井・朝倉勢は大依山から南下を開始した。

 そして翌朝の未明には姉川北岸の野村に浅井勢が、その西の三田村に朝倉勢が布陣を終えた。

 姉川を挟んだ南岸側には織田勢が右翼、徳川勢が左翼に陣取っていた。

 織田勢は姉川の流れに沿うように、先陣から右流れの雁行陣を形成している。

 対する浅井・朝倉勢はそれぞれが独立した魚鱗の陣型を作り、左翼側の浅井が織田、右翼側の朝倉が徳川を正面に見据える形になった。

 自然、寡勢の浅井が敵の主力である織田を相手にすることになる。

 兵数の多い朝倉が敵の主力ではなく、援軍の徳川勢を相手取るのに不満を漏らす者もいなくはなかった。

 しかし、浅井家の領内において、浅井方の横山城を後詰するための合戦である以上、やはり浅井が主敵を相手どらない訳にはいかなかった。

 先陣を受け持つ員昌は、眼前で陣形を整える織田勢に厳しい視線を向けていた。

 旗印などから、織田勢の先鋒は坂井政尚勢であると知れた。

 かつて員昌が伊勢攻めの手伝いに赴いた際、足場の悪い場所からの陣場替えを政尚が認めてくれなかった苦い記憶が蘇る。

(因縁の相手という訳か。私怨で戦さをする訳ではないが、坂井殿には、儂の武者ぶりをとくと拝んでもわらねばな)
 そんな思いを抱く員昌の背後から、やたら図体のでかい若武者がやってきた。

「それがし、藤堂与右衛門高虎と申しまする」
 員昌の馬廻りに誰何された若武者は、気負った調子で名乗りをあげる。

 大柄な体躯に似合わぬ、声変わりが済んだばかりの若さを感じさせる声だった。

「おお、九郎兵衛尉殿のわっぱが、随分とでかくなったものじゃ。本陣からの使者か」

 員昌は、口上を聞こうとしたが、高虎と名乗った若武者は首を横に振った。

「それがし、先陣を務める磯野様の元で働くことをお許しいただきたく参った次第にござる」

「その方、殿の御守りにつかぬでよいのか」
 合戦がはじまる間際のことであり、煩わしさがなくもない。

 だが、犬上郡の土豪である藤堂九郎兵衛尉虎高の嫡子からの申し出となれば、そう無下にも出来ない。

「此度、それがしの初陣なれば、先手に加わりたく願い出たところ、殿よりお許しを頂戴しておりまする」

「気持ちはよう判るがの。儂は家臣に信長の本陣に斬り込むことのみを思い定め、敵は突き捨てにせよと命じておる。その方が兜首を得たとて、首実検に供することは出来ぬ。故に、儂と共に来たところで功名など挙げられぬ。それで構わぬのか」

「それならば、総大将の首級を頂戴するまでのこと。どうか同陣をお許しくだされ」
 胸を張って敵の総大将を討つと公言する高虎に、員昌はにやりと笑った。

 空虚な軽口は好みではないが、若者の大言壮語は嫌いではない。

「よう申した。ならば好きにせよ」
 員昌の返事に、高虎が相好を崩した。



 夜明けを待ちかねるように、朝倉勢の先手が徳川勢との交戦を開始した。

 喚声に交じり、押し太鼓の響きが風に乗って流れてくる。

 後の世に「姉川の合戦」として語り継がれる野戦の始まりだった。

 織田方の先陣である坂井勢もまた、員昌からみて左手側へと張り出しながら渡河しようと動き出している。

 大外から回り込み、浅井の本陣を伺う気配ともとれる動きに対しては、放置しておくわけにはいかない。

 だが、敵の動きに引きずられる形で陣を移動させれば、織田の第二陣に側面を衝かれることになる。

 というよりも、そうなるように坂井勢が磯野勢の鼻面を引っ張ろうとしているのは明らかだった。

(敵の動きに惑わされてはならぬ。なにはさておき、間合いを詰めねばならぬ)

 いつものように、員昌は味方と敵の動きを頭の中で思い描き、己が適切と見極めた好機が訪れるのを待つ。

 その「機」は、ほどなく訪れた。

 員昌は大きく息を吸い込み、必勝の思いを込めて口を開く。

「行くぞ、まずは敵の先鋒の頭を押さえる! 押し出せぃ!」

「おう!」
 員昌の大声は、命令の形となって素早く隷下の将兵に伝わる。

 磯野勢の兵と騎馬が地響きを立てて動き出す。

「鉄砲組を前に出せ! 放てぇ!」
 員昌の号令一下、歩調を速めた鉄砲組が最前列に進み出た。

 鉄砲足軽共は足を止めて鉄砲を構えるや否や、無造作とも言える素早さで筒先を揃えて引き金を引く。

 一度に揃った轟音が響き、黒煙が視界を妨げる。

 迫りくる坂井勢の最前列に銃弾が撃ち込まれ、坂井勢の動きが一瞬止まる。

 鉛玉が有効打となるには、彼我の距離はやや遠い間尺であった。

 そこを磯野勢から間合いを詰めて撃つ形になったため、坂井勢は銃撃への備えの間を外された。

 遠いだけに威力が落ち、よほど当たりどころが悪くない限り、致命傷とはならない。

 実際、深手を負って倒れ伏したのは数えるほどだ。

 しかし、坂井勢の気勢は微妙に削がれていた。

「かかれぇ!」
 立ち上る白煙が風に吹き散らされるのも待たず、員昌が吼えた。

 磯野勢一五〇〇は、その場で次弾を込め始めた鉄砲組の将兵のみを残し、前掛かりとなって一気に前進する速度をあげていく。

 勝手知ったる地元の地であり、渡河に適さぬ深みを避けるのは造作もない。

 たちまち浅瀬を選んで姉川を押し渡る。

 坂井勢は、数度の射撃を交わしたのち、長柄鑓による叩き合いで押し切る算段であったと思われた。

 そこに、数に劣る磯野勢が一斉射のみで自ら討って出たことで、読みを外される格好になった。

 ――攻め続けて敵を押し込むより、腰を据えて迎え撃つべきではないか?

 敵将・坂井政尚が束の間、そんな逡巡にとらわれたために生じたであろう隙を、員昌は見逃さなかった。

 坂井勢の長鎗組が槍衾を作って受け止める前に、磯野勢は敵陣に肉薄していた。

「敵手に構わず、駆け抜けよ! 首級は要らぬ!」

 員昌の大喝に、磯野勢の将兵は野生の雄たけびで応じる。

 向かって右手へと流れて布陣する坂井勢の進行方向に回り込む形で間合いを詰めた磯野勢は、坂井勢の備えの内側へと内側へと踏み込んでいく。

 磯野勢が押し込む針路は、ちょうど雁行陣と一直線上に重なっている。

 そのため、浅井勢の先鋒の横腹を衝く算段だったであろう第二陣以下も、左右どちらに回るべきか判断がつかず、とっさに身動きがとれない。

 あたかも柔らかな肌に尖った剣山を押し付けられたように、磯野勢の鋭い浸透によって、坂井勢の陣はずたずたに切り裂かれていく。

 磯野勢の将士は、敵との斬り合いや組み討ちにはまともに応じない。

 ただ相手を蹴り飛ばし、肩から体当たりしてはねのけ、敵兵の間に生じた隙間に身体をねじ込むようにして前進を続ける。

 脇を抜けられた坂井勢の兵は、振り返って敵の背に斬りつけようとするが、後から後から押し寄せる敵兵の波にのまれていく。

 気が付けば無謀な侵入を図る敵ではなく、踏みとどまって戦おうとした自分が敵中に孤立していることに気づく。

 そして、右往左往するうちに死角から伸びた手鑓に突き倒されることになる。

 磯野勢の最前線の中央部で、馬上の員昌は自ら「無銘」の十文字槍で敵をはねのけて血路を開く。

 その眼前に、二十歳そこそことおぼしき若武者がたちはだかった。真新しい甲冑が、朝日を浴びて艶やかに輝いている。

「これ以上は行かせぬ!」
 そう叫ぶ声は、迫力よりも痛々しさを感じる。

 緊張の為か、名乗りを挙げることも忘れている様子だった。

 会ったことはないはずだが、どこかで見たような顔立ちだと員昌は思ったが、思い出している暇などない。

「死にたくば、かかって参れ!」
 名乗らぬ相手には、敢えてこちらも名乗る必要はないし、わざわざ問う必要もない。

 気合一声、まっしぐらに員昌は間合いを詰める。

 こわばった表情の若武者が、手鑓を突き出してくる。

(遠いわ)

 穂先の軌道を見切った員昌は上体をひねって軽く躱しざま、攻防の間を開けることなく、右手一本で十文字槍を若武者の喉元目掛けて繰り出す。

 若武者もまた、すんでのところ員昌の突きを避けた。

 が、員昌の得物は穂先の両脇にも刃が突き出した十文字槍である。右側の刃が若武者の兜を引っ掛けていた。

「うわっ」
 若武者の悲鳴が上がる。

 員昌の手に、刃が身体を切り裂いた感触は伝わらなかった。

 大した衝撃でもなかったが、かわした筈の穂先が兜に触れたことに驚いたのか、若武者は体勢を崩して落馬する。

 若武者の従者が慌てて駆け寄るのを尻目に、員昌は先を急ぐ。

 首級を獲らぬように家臣に命じているのは他ならぬ員昌であるし、わざわざ突き捨てにしていく必要もないと思われたからだ。

 落馬した状態で、後続の浅井勢から逃れられるかどうかは、当人次第だと員昌は思った。

(そうか。先の若武者は、坂井殿に似ておったのか)

 前方で揺れる坂井勢の旗指物に目を向けた際、不意に若武者の面立ちが、伊勢の大河内城攻めで同陣した際の坂井政尚の強面に重なった。

 親族、あるいは子なのかもしれない。

 だが、名を問わなかった後悔が員昌の思考を占拠することはなく、意識の大半は敵兵の動きを素早く観察することに向けられていた。

 どうやら坂井政尚は、磯野勢が試みている浸透突破を阻止すべく、左右両翼に広がっていた手勢を中央部に集め、間隙を埋めようとしているらしかった。

 右往左往する坂井勢の向こう、本陣が敷かれていると思しきあたりたで馬印が揺れている。その下で、馬上の政尚が懸命に指図する姿も望見できた。

(坂井殿は、よう見ておられる。なれど、それは裏目というものじゃ)
 員昌の口元の笑みが大きくなる。

「足を止めるな! ひたすらに押し出せぇ!」
 員昌が発した胴間声が、喧噪に包まれた戦場にひときわ大きく響き渡る。

 全面で攻勢に出ている磯野勢に対して、政尚は己の手勢を中央部に集めて受け止めようと動いていた。

 そのため、自然と磯野勢の左右両翼が中央部より前に出て、三方向から坂井勢を包み込む形になった。

 両脇から圧迫される格好となった坂井勢の本陣では、政尚の采配の結果、兵が中央部に密集しすぎてしまい、思うように得物を振り回せなくなる。

 そこに、勢いを止めないままの磯野勢が、当たるを幸い、鎗の穂先を揃えて押しまくる。

 左右にも前にも進めない坂井勢は、体勢を立て直せないまま、圧力に負けてずるずると後退するしかない。

 そして坂井勢が後退する先には、織田の第二陣が控えていた。

 もろくも崩れたった坂井勢が逃げ込んでくるため、第二陣にも動揺が走る。

(よし。今のところはうまくいっておる)
 戦況を見極め、員昌は意を強くする。

 しかし、信長の本陣までは、まだまだ遠い。
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