【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬

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(十五)夜間行軍

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 軍評定を終えた員昌は御殿の自室に戻り、嫡子の員行と妻の美弥を呼び出した。

「今日の日没を待って出陣いたす。織田弾正自ら大軍を率いて横山城を攻め寄せておるゆえ、後詰めせねばならぬ。かつてない大戦さとなるであろう。右近よ、留守居の員春を下知を違えずによく聞き、城を固く守ってくれよ」

「はっ。決して父上の名は汚しませぬ」
 員行は、顔面蒼白になり、声を上ずらせて返事する。

 その健気さに、員昌は思わず目を潤ませる。

「織田様の軍勢は、お強いのですか」
 美弥が小首をかしげながら問う。

「尾張と美濃を制した後、六角を追い散らして南近江を瞬く間に制して、京洛を抑えておる御方じゃぞ。此度も、二万五千から三万は引き連れておろう。弱いはずがあるまい」
 半ば呆れながら員昌が応じると、美弥はにこりと微笑んだ。

「でも、浅井きっての猛将であるお前様は負けぬのでしょう?」

「むっ」
 思いがけない美弥の言葉に、員昌の背筋が伸びる。知らぬ間に、悲観的になっていた自分に気づく。

(良き女房を持ったわ。切所ではいつもこうして、予想だにせぬ言葉で儂の迷いを払うてくれる)
 員昌は大きく息をつき、美弥、次いで員行の肩を強く抱き寄せた。

「そうじゃな。儂は負けはせぬ。勝って戻ってまいるゆえ、祝宴の準備でもして待っているが良い」
 その言葉に迷いはなかった。



 員昌は日が沈み切るのを見計らって、陣触れに応じて佐和山城に集結した兵のうち、守備兵を除く手勢一五〇〇を率いて出陣する。

 率いるのは、全員が佐和山城の兵ではない。

 員昌の指揮下にある国衆がそれぞれ一〇〇、二〇〇と率いて加わった結果、この人数となっている。

 佐和山城から小谷城までの距離はおよそ六里。

 夜通し急いで行軍すれば、夜明け前に小谷城下までたどり着ける計算である。

 ただしそれも、道に迷うことなく、織田勢に見つからないことが前提だ。

 東山道を堂々と行軍していたのでは、織田方に捕捉される可能性が高い。

 仮に夜間の遭遇戦となっても員昌は負けるつもりなどなかったが、決戦を前にして、小競り合いで兵を傷つけたくはなかった。

 従って、勝手を知る脇街道や間道を用いて、織田方の見張りに行軍を悟られることなく北上を続ける必要があった。

 特に、織田勢が間近に仕寄る横山城の西側を抜けていく際には、ひときわ緊張が高まった。

 員昌は思い切って湖岸ぎりぎりの間道を選び、息をひそめ、身をかがめるようにして通り抜ける。

 幸い、織田勢は横山城の動きを注視しており、その背後を密かに磯野勢が抜けていくことを感知しなかったようだ。

 わずかな休息以外は夜通し歩き詰めとなったが、日が昇るころには、小谷城の城下に無事到着した。

 城下の磯野屋敷には、一五〇〇の兵の全てをとても収容しきれない。

 員昌は、兵が腰を落ち着ける場所を確保するよう小堀正房らに命じ、自らは久々に戻った屋敷の自室に身体を投げ出すようにして、しばし眠りについた。

 員昌、当年四十九歳。
 日々の鍛錬は怠っていないとはいえ、さすがに徹夜の行軍は身体に堪えた。

 やがて、近習が軍評定が開かれる旨を伝えてきた。

「すぐに参る」
 員昌はそう応じて身体を起こした。疲れが抜けきった訳ではないが、気力は回復している。

 小谷城本丸まで早足で昇り、御殿の大広間に向かった。

 大広間では、数名の重臣が床に置かれた絵図を囲み、軍議に先だってそれぞれの思惑を話し合っている最中だった。

「おお、さすがは丹波守殿。敵の見張りを出し抜き、無事に参られたか」
 員昌に気づいた赤尾清綱が腰を上げ、来着を歓迎する意味なのか、両腕を広げてみせた。

 登城までの早足と変わらぬ足運びで近づいた員昌は、間髪入れずに清綱の胸倉をつかみ上げた。

「なにをするっ」

「何故、殿の御短慮をお止めにならなんだっ!」
 員昌の怒号が大広間に響き渡る。

「ぐ、ぐふっ」

「またしても儂をないがしろにしたことは、御家の大事とあらば百歩譲って水に流してもようござる。されど、不意打ちで織田に叛いておきながらみすみす取り逃がし、寡勢で決戦を挑まねばならぬ仕儀に至るとは、なんたる不覚!」
 吼える員昌の剣幕に、居並ぶ重臣も止めに入れない。

 彼らとて、清綱同様に戦さ場で命のやりとりを重ねてきた強者揃いであったが、この場に限っては員昌の気迫にのまれてしまっていた。

 あるいは、それぞれの胸のうちにある後ろめたさが、気後れを招いているのかもしれなかった。

「そこまでにしておけ、丹波よ。戦う前から、味方同士でいがみおうてどうする」
 背後からの鋭い声に、員昌は清綱の胸元から手を放した。

 小具足姿の長政がちょうど大広間に入ってきたところだった。
 まなじりを決した面持ちながら、その瞳には哀しみの色を浮かべ、じっと員昌を見つめている。

「取り乱し、申し訳ござらぬ」
 員昌は長政に向き直って頭を下げると、背中を折って呼吸を整えている清綱の肩をかるくたたいた。

 喉を締めあげられた苦しさに耐え、清綱は涙目で頷く。

「丹波は、織田が相手では不足か」
 上座に腰を下ろした長政が厳しい声で問う。

「敵に不足なし、と申したいところではござりますが、であればなおのこと、背後からの不意打ちなどではなく、しかるべき手順を踏んで断交すべきにございましたな」
 員昌の口調は、どうしても厳しいものになる。

 長政は、員昌の諫言にも、目をそらさず聞き入り、小さくうなずく。

「かもしれぬ。お主の申すとおり、背後を襲いながら取り逃がしたことで、浅井はおおいに面目を失った。それゆえ、此度の戦さでは必ず勝たねばならぬ」
 長政が語気を強めて鋭く言い放つと、居合わせた家臣たちが「おう」と声をそろえて応じた。



 しかし、意気込みを示したにも関わらず、長政はその日の軍評定では出陣を下知しなかった。

 朝倉勢の援軍を待って動く。それが長政の下した結論であった。

 浅井勢は、員昌が率いてきた一千五百を含めても、出陣できる兵数はおよそ八千と見込まれていた。

 一方、織田勢は優に二万を超える。浅井家単独ではとても対抗できないのだ。

 六月二十四日になって、ようやく朝倉勢が木目峠を越えたとの報せが届いた。

 小谷城に詰める浅井の諸将は沸き立ったが、朝倉勢を率いる大将は当主である朝倉義景ではなく、安居城主・朝倉景健であった。

 朝倉景健は朝倉氏の中核を成す同名衆の中にあって、大野郡司の朝倉景鏡、敦賀郡司の朝倉景恒に次ぐ地位にあるとされる。

 重臣ではあるが、当主自らの出陣と比べれば、格が下がることは否めない。

 さらに景健が率いてきた兵数がおよそ八千から一万程度と知れると、やや気勢を削がれる格好になった。

「この大戦さに、朝倉はご当主の左衛門督様自らは御出馬なさらないのか」

「兵数も一万五千は欲しいところであったな。これでは、織田勢に数では相当劣ることになるぞ」

 諸将の間で、そんな会話があちこちで交わされる。

 ここで浅井が敗れるようなことがあれば、越前朝倉も再び危険に曝されるという自明のことが、どうも一乗谷に籠っている朝倉義景には伝わっていないのではないか。

 口には出せぬが員昌としてはそう思わざるを得ない。

 自身が伊勢の大河内城攻めの援軍として派遣された経験を思い出す。

 当主自らの出馬でも無い限り、他家の戦さに駆り出された援軍に、元々戦意など期待できないのだ。



 ともあれ朝倉勢が小谷城と龍ヶ鼻の中間にあたる大依山に布陣すると、浅井勢も小谷山を出て合流し、本陣を据えた。

 この動きに呼応する形で、虎御前山の信長は兵を龍ヶ鼻まで進め、横山城を圧迫する構えをみせた。

 後詰に出てくる浅井・朝倉勢を叩こうとする魂胆は明らかであった。

 この時点で、徳川家康の援軍五千を加えた織田勢はおよそ三万弱に達していた。

 対する浅井・朝倉勢は、横山城を含む各城の守備兵を除き、野戦に投入できるのは約一万八千程度である。

 敵の半数ほどの兵数で野戦に持ち込む策は、兵法の常道には反している。

 しかし、横山城を奪われては、浅井家領地を南北に分断されることになる。たとえ、信長が野戦を望んでいると判っていても、このまま座視はできないのだった。



 六月二十七日の夕刻。
 浅井家の本陣では、朝倉景健を交えて軍評定が開かれた。

「敵が我等に倍する数とて、臆することはない。皆、野良田の戦いを思い起こせ。戦いは数ではないぞ」

 長政は居並ぶ諸将を見回しながら、頬を紅潮させてそう檄を飛ばす。

 浅井家の将で十年前を知る者の顔つきが、一段と引き締まる。

 言われるまでもなく、誰もが家運を上昇させたあの戦いを思い起こしている筈だった。

(彼の折も、敵の数のほうが多く、まず勝ち目はないと思われた戦さであった。同じことがもう一度できぬと、決まった訳でもあるまい)

 員昌も、そう胸の内で自らに言い聞かせる。
 臆していては、ただでさえ乏しい勝ち筋を見出すことはなお難しい。

「されど信長も、我等が野良田の戦いを心の拠り所としていることは読んでおろう。よって、同じ手は用いぬぞ」

 長政が、殊更に義兄の名を呼び捨てにして不敵に笑みを刻み、己の策を語る。

 曰く、
 野良田の合戦においては、川を前にして敵兵を受け止め、焦れた六角勢が前掛かりになるのを見計らい、迂回した別動隊が手薄になった本陣を衝いて勝利した。

 よって、そのことを知る信長は、守りも意識した布陣を取らざるを得ず、先鋒の動きが鈍るに違いない。

 我等はその隙を衝いて、緒戦から全力で敵陣を突き崩し、立て直す暇を与えず正面から本陣を叩く。目指すは信長の首級のみ。

「皆、覚悟を決めよ。これ以外に我等が勝利する道はない。先陣を磯野丹波守に命ず!」

「はっ!」
 長政の声に、員昌は臆することなく腹から声を出して応じ、頭を下げる。



 浅井勢は最終的に、次のような陣立てで戦いに挑むことととなった。

 ・第一陣 磯野員昌 一五〇〇
 ・第二陣 浅井政澄 一〇〇〇
 ・第三陣 阿閉貞征 一〇〇〇
 ・第四陣 新庄直頼 一〇〇〇
 ・第五陣 東野行信 一〇〇〇
 ・第六陣 浅見孝成 一〇〇〇
 ・本陣  浅井長政 一五〇〇

「この戦い、まず何よりも磯野殿の働きにかかっておりますぞ。側背は必ず守ります故、どうか存分に、まっしぐらに兵を推し進められたい」

 軍評定を終え、それぞれの陣所に戻る間際になって、第三陣を率いることになった阿閉貞征が員昌に声をかけてきた。

 阿閉貞征は京極家の累代の被官の出身ではなく、国人あがりである。

 そのためか、浅井亮政への同心が比較的遅かった磯野家に対して、ある種の親近感を感じているらしい。

 低い家格にも関わらず、この大一番の戦さにおいて、浅井久政の従弟にあたる浅井政澄に続く第三陣を命ぜられるあたり、貞征の戦巧者ぶりを長政が認めていると言える。

「よろしくお頼み申す。もし、武運拙く我が手勢が挫けることあらば、その屍を乗り越えて、信長の首を狙うてくだされよ」
 笑みを浮かべて返した員昌に、貞征も力強くうなずいた。
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