【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬

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(十四)誤算続き

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 「信長は早晩、岐阜に戻る」との員昌と善住坊の読み通り、五月九日に信長は京を発して東に針路をとった。

 東山道を員昌の佐和山城が扼している以上、伊勢から美濃に抜ける他はなく、八風街道か千草越えのいずれかを選ぶと思われた。

 信長は敢えて、六角家の勢力圏内である千草越えで伊勢を目指したが、まさしく千草山中の甲津畑の地には、善住坊が潜んでいた。

 しかし、絶好の狙撃の機会を得ながら、善住坊が放った鉄砲玉は信長の袖衣を撃ち抜いただけで、その身体に傷を負わせることすらできなかった。

 信長はそのまま駆け去り、二十一日には岐阜に帰還したらしかった。

 狙撃失敗の噂に続き、実行者が「射撃の名手・杉谷善住坊」であるとの風聞がほどなく佐和山の城下にも伝わった。

 激怒した信長が、善住坊の首に懸賞を掛けたとの噂も同時に広まっていく。

(しくじったか。善住坊も無念であろうな。それにしても、あまりにも話が早くないか)
 あたかも見てきたかのように善住坊の狙撃が城下の話題となっていることに、員昌は朗報が届かず落胆する一方、疑念も抱いた。

 おそらくは、逃げた善住坊をいぶりだすために織田方が故意に噂をばらまいているのだろうと思われた。

 人の口に戸は立てられぬとの言葉どおり、噂は広まるに任せるしかない。

 員昌としては、善住坊の無事を祈るしかない。

 仮に、行き場をなくしても善住坊の性分からして、員昌に助けを求めてくることはないのではないかと思われた。

 ただ、行きがかり上、六角であれば無下には扱われないのではないかと期待する。

 しかし、六月四日になって、永原城の佐久間信盛と長光寺城の柴田勝家によって、失地回復を目指した六角承禎の軍勢が撃破されてしまう。

 これでは、善住坊を匿う余裕があるか判らない。

 思惑を外し続ける反織田陣営に対して、明らかに織田勢は体勢を立て直しつつあった。

 信長が岐阜に帰還した以上、近江への侵攻は避けられない。
 もはや、員昌にも善住坊の身の安全を懸念していられる余裕はなかった。

 無論、小谷城の長政も無策ではない。
 鎌刃城の堀秀村に命じて、美濃と近江の国境に苅安城と長比城と呼ばれる城砦を築かせるなどして、織田に対する守りを固めさせていた。

 堀秀村は、かつて員昌が美濃討ち入れの際に同陣した、堀遠江守秀基の子である。

 秀基亡き後に堀家を継いだ秀村は、弘治三年(一五五七年)の生まれで十四歳と年少であるため、引き続き樋口直房が家老として実権を握っていた。

 ところが数日後、「堀秀村と樋口直房が苅安城と長比城を手土産に織田に降った」との衝撃的な報せがもたらされた。

 すぐさま長政は兵を動かし、堀家の居城である鎌刃城を攻めて奪い返した。

 そもそも、堀勢は苅安城と長比城に人数を割いていたこともあってか、鎌刃城にはわずかな番兵しか残っていなかった。

 最初から鎌刃城の放棄は想定済みであったらしく、浅井勢は気勢を上げたものの大勢を覆すには至らない。

 さらに堀家を誘降したのが、「かつて斉藤龍興に背いて兵を起こしたものの、美濃から退去して浅井家に身を寄せたこともある竹中半兵衛重治である」との噂が広まり、なお一層長政を悔しがらせることになる。

 織田の兵が加わって防備を整えた苅安城と長比城を攻め落とすのは、もはや容易なことではない。

 仮に我攻めを仕掛けたところで、手こずっている間に織田勢が後詰に来て立ち往生するのは目に見えていた。

 長政も両城の早期の奪還は断念せざるを得なかった。



 六月十九日。
 遂に信長は自ら大軍を率いて岐阜城を出陣し、織田方の手に落ちたばかりの長比城に入った。

 その翌々日、二十一日には北国脇往還を抜けて小谷城近くまで攻め寄せて、村々に火を放った。

 長政は城から出ることなく、この挑発に耐えた。

 いくら信長でも、堅城である小谷城をいきなり力攻めで落とすことはほぼ不可能である。

 これ見よがしに挑発して浅井勢を引きずり出して野戦で叩きたい思惑があるのは明らかだった。

 ただ、長政が易々と誘いに乗らないことを悟ったのか、虎御前山に本陣を敷いた信長は、小谷城からおよそ二里半ほど南東にある横山城に兵の主力を転進させた。

 浅井方からみれば、退却と見える。

 長政は血気盛んな若武者達で編成された旗本衆を投入し、織田勢の追撃にあたらせた。

 朝倉勢の着陣前に決戦を挑むつもりはないが、居城の目の前の領地を荒らされて黙って見過ごすことはできない。

 ともかく一戦して蹴散らさねば、浅井家の当主として面目が立たないのだ。

 後に八相山の退き口と呼ばれるこの戦いにおいて、信長はしんがりとして配置した梁田広正、中条家忠、佐々成政らの馬廻衆に鉄砲五百挺を集めて託す思い切った策を講じていた。

 そのため、勢い込んで追い慕った浅井の旗本衆は集中砲火を浴びて思わぬ大損害を被った。

 それでも中条家忠には手傷を負わせて文字通り一矢を報いたが、織田勢の撤退を許し、横山城の包囲を防げなかった。 

 元々、横山城は対六角の拠点として永禄四年(一五六一年)に長政が築城させた新しい城であり、政庁としての機能を有さない純粋な軍事拠点である。

 名目上の城番として一門の浅井井演が任じられていたが、浅井と織田が同盟関係にある間は、意味を失っていた存在であった。

 しかし織田と手切れとなったいま、横山城は北国脇往還を睨む要地として、存在感を急激に増していた。

 横山城には元々城兵が詰めているわけではないため、長政は三田村国定、野村直隆、大野木秀俊といった、家中の有力な将を配して防備を固めていた。

 しかし、およそ二万と号する織田の大軍に四方から攻め掛かられたのでは、いつまで持ちこたえられるか、予断を許さなかった。

 この事態に、長政はあらためて越前の朝倉義景に急使を走らせて危機を伝え、援軍を要請した。



「後手に回っておるのう」
 員昌は、思わずそう唸っていた。

 佐和山城本丸の大広間にて、長政からの出陣の命令を届けた使者から、一連の推移を改めて聞いた末の感想である。

 佐和山城にあっても、盛造と、彼自身が鍛え始めた配下による調者働きにより、おおむねの戦況は掴んでいた。

 しかし、長政が寄越した使者から直接聞かされると、なお一層状況の厳しさを思わずにはいられなかった。

 ともあれ、出陣そのものに異を唱えるつもりはない。

 使者を送り返して後、員昌はただちに軍評定を開いた。

 軍評定には佐和山城における員昌の家臣だけでなく、犬上郡の国衆らも登城して顔を揃える。

 彼ら国衆はそれぞれが小なりとも一城の主であり、長政の被官ではあるが員昌の家臣ではない。

 戦の進退に関してのみ員昌の指揮下に入る間柄である。

「小谷城の殿より、出陣のご下命である。横山城の後詰となる。おそらく決戦となろう」

 員昌が手短にそう宣言すると、下座に居並ぶ国衆と、員昌の家臣たちからどよめきの声があがる。

「我等も持てる力を全て出し切らねばならぬ。とは申せ、この城を空にする訳にも参らぬ」

 そう続けた員昌の言葉に、家臣たちの視線が期せずして員昌の右斜め前に座る員春に向かう。

「また、儂に留守居役をせよと申されるか」
 さすがにその場の空気に気づいた員春は、肩をゆすって声を荒げる。

「すまぬ。お主が城を守ってくれるからこそ、我等は憂いなく戦さ場に挑めるというものじゃ」

「兄者は、いつもそれじゃ」
 員春が口をとがらせる。

 だが、心利いたる老臣のいない磯野家においては、ここぞという時に城代が務まる家臣となれば、やはり員春をおいて他にいないのだった。

「すまぬ」
 員昌は再度、頭を下げた。

「判ったから、頭を上げてくれい。兄者に二度も頭を下げられては、否とは言えぬ」

 苦り切った表情で員春が首を振ると、緊迫した大広間の空気がやや緩み、家臣の間から忍び笑いが漏れた。

「しかし、横山城が小谷囲まれておるとなれば、その間近をかすめていかねば小谷まで行きつけませぬぞ」
 嶋秀安が難しい表情で問うた。

「加えて、六角勢が敗れた以上、この城の守りが手薄とみれば、永原城の佐久間信盛と長光寺城の柴田勝家が攻め寄せる懸念もござる。およそ五千ばかりと見込みまするが、両名は織田の重臣。彼らを織田の本軍と合流させないのも大事ではござらぬか」
 小堀正房が嶋秀安に同意し、慎重な態度を見せる。

「その方らの気がかりはもっともであるが、かと申して出陣の命令に背くことは出来ぬでな。今こそ、鍛えに鍛えた夜間行軍の腕前で、織田の目を欺く時であろう」
 員昌の言葉に、居並ぶ家臣と国衆から「おお」と声が上がる。

「兵書に言う『金蝉脱殻』の計にございますな。横山城を囲む敵の目を欺くだけでなく、うまくすれば佐久間や柴田を釘付けにしたままにしておけるやも知れませぬ」
 既に幾度も夜間行軍の修練に参加してきた嶋秀淳が、ここぞとばかりに膝を打って身を乗り出す。

 これまで、さまざまな形で夜間に行軍し、夜討ちをかける修練を行ってきたが、大々的に実戦で用いたことはないのだ。

 鍛えた技をみせる機会が巡ってきたことに、家臣たちは気勢を上げた。
 かくして、軍評定は決した。
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