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(十八)前田慶次
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「おお、既にお越しのようじゃな」
にじり口の外から耳慣れた声が聞こえたかと思うと、巨躯をかがめて僧形の男が茶室に入ってくる。
「や、これは」
ぎょっとして、斯忠がうろたえる。
男は、前田慶次であった。
茶室の周囲で警備にあたっていた本庄繁長の兵も、この男ばかりは制止できまい、と斯忠は妙な納得の仕方をする。
「これ、茶の湯の最中に横入りなどあってたまるものか、この無礼者めが」
一喝してみせる本庄繁長だが、明らかに笑いをこらえており、声音にも迫力はない。
(この様子では、本庄様があらかじめ仕組んだ訳でもないのか)
斯忠は今更ながら、前田慶次が名うてのいたずら者であることを思い出す。
「真に申し訳ござらぬ。どうかご容赦くだされ。されど、こうでもせぬ限り、どうも車殿はそれがしと会うてくださらぬようでな」
斯忠の相伴という体裁で、末席にどっかと腰を下ろした慶次が、にかりと笑う。
(ちくしょう、良い顔してやがる)
斯忠はまぶしげに金壷眼をさらに細め、腹の中で毒づく。
天賦の性分なのだろう、慶次の所作の一つひとつが人の目を惹きつける。
「遠ざけておったのではござらぬ。前田殿のような立派な御方の前には、この身が恥ずかしうて顔を出せなかったまでのこと」
斯忠は汗をかきながら弁明すると、慶次は思わぬ言葉を聞いたとばかりに目を丸くした。
「なんと、まあ。人取橋の戦いにて伊達勢の本陣に斬り込んだ勇者が何を仰せか。それがしなど、一手を率いての武功などさしてござらぬゆえ、車殿を羨ましう思うておりますぞ」
しみじみと呟き、慶次が丸めた頭を撫でる。
そういった何気ない仕草すら、どうにも好ましいものに見えてしまう。
「まったく、かないませんな」
慶次ほどの武辺に、勇者と称されては嬉しくならない筈がない。
おだてに載るまいぞと思いながら、斯忠はつい相好を崩してしまう。
(そうか、こうなると判っていたから、俺は前田殿と話すのが億劫だったんだな)
今更ながらに己の心に気づく斯忠である。
「なんじゃい、亭主の儂のことはどうでも良いのか」
それまで二人のやり取りを黙って聞いていた繁長が、わざとらしく鼻白んだような声をあげる。
「あ、いや。無論、本庄様の茶も喜んで頂戴いたしますぞ。それに、本庄様にもお話がござれば」
「ふむ。それは後で聞くゆえ、まずは飲むがよかろう」
言いながら、繁長は手際よく濃茶を練り、慶次に茶碗を差し出す。
慶次は無造作に茶碗を持ち上げてひと息に飲み干す。
「いやあ、旨い。さすがですな」
作法に叶う所作には程遠いのだが、不思議と様になってみえる。
「それで、話とは」
繁長は表情を変えることなく問うた。
「さて、それでござる。ここにおられる車殿もご承知であろうが、組外衆の中には、伊達に一杯食わされたことを恥辱として、白石城を奪い返すべしと声をあげておる者がおる。まあ、誰とは申さぬが」
慶次は、ちらりと斯忠の顔を伺いながら、声を潜める仕草をした。もっとも、仕草だけで実際には地声のままであったが。
「無謀じゃな。白石城を攻め落とすのにどれだけの兵が必要になることか。この城には二千そこそこしかおらぬ。城攻めどころか、この城を守り切れるかを思案すべきであろう」
繁長は言下に強硬策を否定する。
いま、上杉勢の主力は白河口にて徳川家康を迎え撃つべく、直江兼続が必勝を期して講じた策に基づいて布陣している。
白石城は要衝とはいえ、既に伊達の手に落ちた以上、奪い返すには万余の兵が必要である。だからといって、御家の存亡がかかる対徳川の布陣を崩して兵を動かせるはずもない。
「同感ですな。こちらが後詰が出せぬ状況を伊達は見越しておりましょう」
斯忠が横から相槌を打った。
「まったくもってご両人の申されるとおりで。まあ、誰とは申さぬが、一度は直談判をしてくれとうるさいゆえ尋ねたまでのこと。これで義理は果たしたというもの」
慶次自身も白石城攻めに賛同している訳ではないのだろう。粘ることもなく引き下がる。
誰からの突き上げなのか詮索する気はないが、慶次と仲の良い山上道牛あたりではないかと斯忠は踏んだ。
「すまぬな。儂もできることなら攻めに転じたいところじゃが、伊達が白石城ひとつで満足するとは思えぬ。後詰が得られぬ以上、今は守りを固めるときじゃ」
そう応じた繁長の視線が斯忠に向けられる。
「そこでじゃ、車殿。済まぬが、その方の手勢を率いて梁川城に向かってもらいたい」
「この城に、車丹波の居場所はない、そう仰せか。先の前田殿の話ではないが、誰とは申しませぬが、随分と嫌われてしまいましたからな」
戦力にならないと言われたようで、斯忠としては面白くない。
つい、上泉泰綱の名を思い浮かべながら、皮肉げな口ぶりで問い返していた。
斯忠の問いに、繁長は渋い表情で首を横に振る。
「さにあらず。梁川城の守りを固めるためであり、他意はござらぬ。まあ、強いて申せば……」
何か言いかけた繁長が、ちらりと慶次の様子をうかがう。
「さて、それがしは席を外したほうが良いのかな」
「いやまあ、傾奇者に聞かれたところで何がどうなる訳でもないわな。……実はな、梁川城内には、伊達を手引きする内応者の気配がある。それが誰かはつかめておらぬが、伊達が攻め寄せる前に見つけ出すのは難しかろう」
兵を分派して守りを固めたいが、しょせんは寄せ集めである組外衆からの人選を誤れば、城内に別の内応者を送り込みかねない、と繁長は言った。
「なるほど、その点では車殿の手勢は最適ですな。手ずから常陸で集めた兵に間者を忍ばせるのは、さしもの黒脛巾も無理というもの」
慶次が、それは良策とばかりに膝を叩いて頷く。
しかし斯忠自身は、見込まれたとはいえども、今一つ素直に奮起する気になれない。
「いかにも余人には聞かせづらい、茶室で聞くべき話ですな。とは申せ、裏切り者がいると判っておりながらその城に入って守れとは、存外な話ですな」
内応者、と聞いて斯忠が真っ先に連想するのは和田昭為のしかめ面である。
元亀二年(一五七一年)、昭為は白河結城氏の下に逐電した。
昭為が他国の間者と密会していたことを知った斯忠が、当時の主君・佐竹義重に告げたためだ。
昭為に裏切る気はなかったとはいえ、疑われても仕方ない行動をしていたのは事実であり、斯忠に責任はない筈だった。
しかし、結果的には「昭為は車丹波の讒言で失脚した」と常陸では陰口を叩く者がいつまでも後を絶たず、斯忠の苦い記憶となって消えることはない。
そんな斯忠だけに、これから向かう城に敵に内応している者がいる、などと聞かされると渋面を作らざるを得ない。
「無理は承知じゃが、車殿の武勇を見込んでお頼み申す。かの人取橋の合戦で伊達の本陣に迫った御仁が参陣したとなれば、梁川の兵は意気あがり、政宗も出鼻を挫かれよう」
老いたりとはいえなお意気盛んな反骨の士である繁長から頭を下げられては、断れないのが車丹波という男である。
ただ、殺し文句が先ほどの慶次の言葉の受け売りなのは若干気になったが……。
「見込まれたとあっちゃあ、致し方ありませんな。ただ、伊達勢は二万とも噂が聞こえておるなか、我が手勢の五百ばかりの増援で、どうこうできるものでもないと存じますが……」
思わず腕を組んで思案する斯忠に対し、繁長は眉間にしわを刻んで顎を撫でる。
「その通りであるが、無い袖は触れぬとも言う。あまりこの福島城を手薄にしては、政宗の気が変わって直接こちらに攻め寄せてきかねぬでな」
繁長の言葉には、斯忠も反論できない。
「そうとなれば、伊達勢にめっぽう強い車殿にお尋ねいたす。伊達の軍法に、何か付け入る隙など見抜いておられるのか、後学のため、いまのうちにお教えいただけぬか」
茶室の沈んだ空気を払おうというのか、不意に横合いから慶次が明るい声を出した。
面映ゆい思いはするが、伊達家相手の合戦の勝敗に関わることだと言われれば、斯忠としても笑い話として流せるものでもない。
軽く咳ばらいを一つして、往時を思い起こしながら口を開く。
「高説を垂れるほどじゃありませんがね。思うに、伊達勢は腰が軽い。当主の気性にもよるのでしょうが、大将が本陣の床几に腰を据えることなく、軽々に前線に出ようといたしまする」
戦場にあって、冷静に状況を俯瞰して分析などできるものではない。
言葉にできるのは、無我夢中の興奮状態の中で記憶に残った印象でしかなかった。
「動きの軽さは強みともなりましょうが、わたしのようにまっしぐらに攻め込むと、意外とたやすく敵陣を突き抜けて本陣まで達することができまする。もっとも、そこに政宗がおるとは限りませぬが」
「大将が不在となれば、本陣の守りは当然おろそかになる、か。いや、これは良き話を聞かせてもろうた」
慶次が頭を下げて謝辞を述べる。
「政宗はまだ若いゆえ、そういうこともあろう。うかうかと攻め寄せてきた折には、その軽き腰をしたたかに衝いてくれよう」
何か感じるところがあったのか、繁長が不敵に微笑んだ。
考えてみれば、茶室を見渡せば、五十路と六十路が三人、膝を突き合わせているのだ。
彼らからすれば永禄十年(一五六七年)生まれで当年三十四歳の政宗など小僧っこに過ぎない。
「ところで、梁川城の城主とはどのような御方でしょうかね」
斯忠はなんとなく照れくさくなり、強引に話題を変える。
「おお、それよ。須田大炊介殿は、当年二十三であったかな。若年ではあるが、なかなかの出来者ぞ。いずれは父御にも劣らぬ良将となろう」
「その若さで城主とは、大炊介殿の御父上はお亡くなりに?」
あるいは隠居しているだけかも知れないが、と思いつつ斯忠は遠慮がちに尋ねた。
「うむ。須田相模守満親殿は、世に隠れなき大将であった。上杉が会津に移封となった折に、戦いもせず越後を明け渡すことを無念に感じ、居城の海津城にて腹を召されたわ」
「なんと」
「まあ、歳を重ねた後に故国を追われるというのは堪える。もっとも、相州殿の生国は信濃であるが。武田信玄に信濃を追われて上杉を頼った訳でな」
繁長は「信玄」と口にする際にわずかに頬をゆがめた。
斯忠も、この老将がかつて上杉謙信に対して反旗を翻したのは、武田信玄との連携をあてにしたものであることと、けっきょく援軍はやってこず、ただ謙信の足を引っ張るための使い捨てにされた経緯については、どこかで耳に挟んだ記憶がある。
「しかし、それこそが武士の鑑などと申されると、わたしなどは肩身が狭い。主君より放逐され、故郷を捨てたわけですからな」
「いや、いや。その段でいけば、会津への転封に応じた上杉家は上から下まで肩身が狭くなってしまう」
横から慶次が笑いを含んだ声音で口を挟む。
斯忠と繁長は、身につまされる思いを共有して顔を見合わせ、思わず苦笑いを浮かべる。
「ともあれ、本庄様お墨付きの良将が城主であるならば、こちらも文句はございませんや。この車丹波、梁川城をきっと守り通してみせましょう」
斯忠は気を取り直し、声に力を込めて請け負った。
「頼む。おっと、一つ大事なことを言い忘れておった。須田殿には姉御がおられてな、これがまた評判の器量良しと来ておる。楽しみにされるがよい」
「おお、それはなんとも羨ましいこと」
斯忠に口を挟む間も与えずにまたも慶次が軽口を放ち、繁長は口を開けて大笑した。
にじり口の外から耳慣れた声が聞こえたかと思うと、巨躯をかがめて僧形の男が茶室に入ってくる。
「や、これは」
ぎょっとして、斯忠がうろたえる。
男は、前田慶次であった。
茶室の周囲で警備にあたっていた本庄繁長の兵も、この男ばかりは制止できまい、と斯忠は妙な納得の仕方をする。
「これ、茶の湯の最中に横入りなどあってたまるものか、この無礼者めが」
一喝してみせる本庄繁長だが、明らかに笑いをこらえており、声音にも迫力はない。
(この様子では、本庄様があらかじめ仕組んだ訳でもないのか)
斯忠は今更ながら、前田慶次が名うてのいたずら者であることを思い出す。
「真に申し訳ござらぬ。どうかご容赦くだされ。されど、こうでもせぬ限り、どうも車殿はそれがしと会うてくださらぬようでな」
斯忠の相伴という体裁で、末席にどっかと腰を下ろした慶次が、にかりと笑う。
(ちくしょう、良い顔してやがる)
斯忠はまぶしげに金壷眼をさらに細め、腹の中で毒づく。
天賦の性分なのだろう、慶次の所作の一つひとつが人の目を惹きつける。
「遠ざけておったのではござらぬ。前田殿のような立派な御方の前には、この身が恥ずかしうて顔を出せなかったまでのこと」
斯忠は汗をかきながら弁明すると、慶次は思わぬ言葉を聞いたとばかりに目を丸くした。
「なんと、まあ。人取橋の戦いにて伊達勢の本陣に斬り込んだ勇者が何を仰せか。それがしなど、一手を率いての武功などさしてござらぬゆえ、車殿を羨ましう思うておりますぞ」
しみじみと呟き、慶次が丸めた頭を撫でる。
そういった何気ない仕草すら、どうにも好ましいものに見えてしまう。
「まったく、かないませんな」
慶次ほどの武辺に、勇者と称されては嬉しくならない筈がない。
おだてに載るまいぞと思いながら、斯忠はつい相好を崩してしまう。
(そうか、こうなると判っていたから、俺は前田殿と話すのが億劫だったんだな)
今更ながらに己の心に気づく斯忠である。
「なんじゃい、亭主の儂のことはどうでも良いのか」
それまで二人のやり取りを黙って聞いていた繁長が、わざとらしく鼻白んだような声をあげる。
「あ、いや。無論、本庄様の茶も喜んで頂戴いたしますぞ。それに、本庄様にもお話がござれば」
「ふむ。それは後で聞くゆえ、まずは飲むがよかろう」
言いながら、繁長は手際よく濃茶を練り、慶次に茶碗を差し出す。
慶次は無造作に茶碗を持ち上げてひと息に飲み干す。
「いやあ、旨い。さすがですな」
作法に叶う所作には程遠いのだが、不思議と様になってみえる。
「それで、話とは」
繁長は表情を変えることなく問うた。
「さて、それでござる。ここにおられる車殿もご承知であろうが、組外衆の中には、伊達に一杯食わされたことを恥辱として、白石城を奪い返すべしと声をあげておる者がおる。まあ、誰とは申さぬが」
慶次は、ちらりと斯忠の顔を伺いながら、声を潜める仕草をした。もっとも、仕草だけで実際には地声のままであったが。
「無謀じゃな。白石城を攻め落とすのにどれだけの兵が必要になることか。この城には二千そこそこしかおらぬ。城攻めどころか、この城を守り切れるかを思案すべきであろう」
繁長は言下に強硬策を否定する。
いま、上杉勢の主力は白河口にて徳川家康を迎え撃つべく、直江兼続が必勝を期して講じた策に基づいて布陣している。
白石城は要衝とはいえ、既に伊達の手に落ちた以上、奪い返すには万余の兵が必要である。だからといって、御家の存亡がかかる対徳川の布陣を崩して兵を動かせるはずもない。
「同感ですな。こちらが後詰が出せぬ状況を伊達は見越しておりましょう」
斯忠が横から相槌を打った。
「まったくもってご両人の申されるとおりで。まあ、誰とは申さぬが、一度は直談判をしてくれとうるさいゆえ尋ねたまでのこと。これで義理は果たしたというもの」
慶次自身も白石城攻めに賛同している訳ではないのだろう。粘ることもなく引き下がる。
誰からの突き上げなのか詮索する気はないが、慶次と仲の良い山上道牛あたりではないかと斯忠は踏んだ。
「すまぬな。儂もできることなら攻めに転じたいところじゃが、伊達が白石城ひとつで満足するとは思えぬ。後詰が得られぬ以上、今は守りを固めるときじゃ」
そう応じた繁長の視線が斯忠に向けられる。
「そこでじゃ、車殿。済まぬが、その方の手勢を率いて梁川城に向かってもらいたい」
「この城に、車丹波の居場所はない、そう仰せか。先の前田殿の話ではないが、誰とは申しませぬが、随分と嫌われてしまいましたからな」
戦力にならないと言われたようで、斯忠としては面白くない。
つい、上泉泰綱の名を思い浮かべながら、皮肉げな口ぶりで問い返していた。
斯忠の問いに、繁長は渋い表情で首を横に振る。
「さにあらず。梁川城の守りを固めるためであり、他意はござらぬ。まあ、強いて申せば……」
何か言いかけた繁長が、ちらりと慶次の様子をうかがう。
「さて、それがしは席を外したほうが良いのかな」
「いやまあ、傾奇者に聞かれたところで何がどうなる訳でもないわな。……実はな、梁川城内には、伊達を手引きする内応者の気配がある。それが誰かはつかめておらぬが、伊達が攻め寄せる前に見つけ出すのは難しかろう」
兵を分派して守りを固めたいが、しょせんは寄せ集めである組外衆からの人選を誤れば、城内に別の内応者を送り込みかねない、と繁長は言った。
「なるほど、その点では車殿の手勢は最適ですな。手ずから常陸で集めた兵に間者を忍ばせるのは、さしもの黒脛巾も無理というもの」
慶次が、それは良策とばかりに膝を叩いて頷く。
しかし斯忠自身は、見込まれたとはいえども、今一つ素直に奮起する気になれない。
「いかにも余人には聞かせづらい、茶室で聞くべき話ですな。とは申せ、裏切り者がいると判っておりながらその城に入って守れとは、存外な話ですな」
内応者、と聞いて斯忠が真っ先に連想するのは和田昭為のしかめ面である。
元亀二年(一五七一年)、昭為は白河結城氏の下に逐電した。
昭為が他国の間者と密会していたことを知った斯忠が、当時の主君・佐竹義重に告げたためだ。
昭為に裏切る気はなかったとはいえ、疑われても仕方ない行動をしていたのは事実であり、斯忠に責任はない筈だった。
しかし、結果的には「昭為は車丹波の讒言で失脚した」と常陸では陰口を叩く者がいつまでも後を絶たず、斯忠の苦い記憶となって消えることはない。
そんな斯忠だけに、これから向かう城に敵に内応している者がいる、などと聞かされると渋面を作らざるを得ない。
「無理は承知じゃが、車殿の武勇を見込んでお頼み申す。かの人取橋の合戦で伊達の本陣に迫った御仁が参陣したとなれば、梁川の兵は意気あがり、政宗も出鼻を挫かれよう」
老いたりとはいえなお意気盛んな反骨の士である繁長から頭を下げられては、断れないのが車丹波という男である。
ただ、殺し文句が先ほどの慶次の言葉の受け売りなのは若干気になったが……。
「見込まれたとあっちゃあ、致し方ありませんな。ただ、伊達勢は二万とも噂が聞こえておるなか、我が手勢の五百ばかりの増援で、どうこうできるものでもないと存じますが……」
思わず腕を組んで思案する斯忠に対し、繁長は眉間にしわを刻んで顎を撫でる。
「その通りであるが、無い袖は触れぬとも言う。あまりこの福島城を手薄にしては、政宗の気が変わって直接こちらに攻め寄せてきかねぬでな」
繁長の言葉には、斯忠も反論できない。
「そうとなれば、伊達勢にめっぽう強い車殿にお尋ねいたす。伊達の軍法に、何か付け入る隙など見抜いておられるのか、後学のため、いまのうちにお教えいただけぬか」
茶室の沈んだ空気を払おうというのか、不意に横合いから慶次が明るい声を出した。
面映ゆい思いはするが、伊達家相手の合戦の勝敗に関わることだと言われれば、斯忠としても笑い話として流せるものでもない。
軽く咳ばらいを一つして、往時を思い起こしながら口を開く。
「高説を垂れるほどじゃありませんがね。思うに、伊達勢は腰が軽い。当主の気性にもよるのでしょうが、大将が本陣の床几に腰を据えることなく、軽々に前線に出ようといたしまする」
戦場にあって、冷静に状況を俯瞰して分析などできるものではない。
言葉にできるのは、無我夢中の興奮状態の中で記憶に残った印象でしかなかった。
「動きの軽さは強みともなりましょうが、わたしのようにまっしぐらに攻め込むと、意外とたやすく敵陣を突き抜けて本陣まで達することができまする。もっとも、そこに政宗がおるとは限りませぬが」
「大将が不在となれば、本陣の守りは当然おろそかになる、か。いや、これは良き話を聞かせてもろうた」
慶次が頭を下げて謝辞を述べる。
「政宗はまだ若いゆえ、そういうこともあろう。うかうかと攻め寄せてきた折には、その軽き腰をしたたかに衝いてくれよう」
何か感じるところがあったのか、繁長が不敵に微笑んだ。
考えてみれば、茶室を見渡せば、五十路と六十路が三人、膝を突き合わせているのだ。
彼らからすれば永禄十年(一五六七年)生まれで当年三十四歳の政宗など小僧っこに過ぎない。
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斯忠はなんとなく照れくさくなり、強引に話題を変える。
「おお、それよ。須田大炊介殿は、当年二十三であったかな。若年ではあるが、なかなかの出来者ぞ。いずれは父御にも劣らぬ良将となろう」
「その若さで城主とは、大炊介殿の御父上はお亡くなりに?」
あるいは隠居しているだけかも知れないが、と思いつつ斯忠は遠慮がちに尋ねた。
「うむ。須田相模守満親殿は、世に隠れなき大将であった。上杉が会津に移封となった折に、戦いもせず越後を明け渡すことを無念に感じ、居城の海津城にて腹を召されたわ」
「なんと」
「まあ、歳を重ねた後に故国を追われるというのは堪える。もっとも、相州殿の生国は信濃であるが。武田信玄に信濃を追われて上杉を頼った訳でな」
繁長は「信玄」と口にする際にわずかに頬をゆがめた。
斯忠も、この老将がかつて上杉謙信に対して反旗を翻したのは、武田信玄との連携をあてにしたものであることと、けっきょく援軍はやってこず、ただ謙信の足を引っ張るための使い捨てにされた経緯については、どこかで耳に挟んだ記憶がある。
「しかし、それこそが武士の鑑などと申されると、わたしなどは肩身が狭い。主君より放逐され、故郷を捨てたわけですからな」
「いや、いや。その段でいけば、会津への転封に応じた上杉家は上から下まで肩身が狭くなってしまう」
横から慶次が笑いを含んだ声音で口を挟む。
斯忠と繁長は、身につまされる思いを共有して顔を見合わせ、思わず苦笑いを浮かべる。
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斯忠は気を取り直し、声に力を込めて請け負った。
「頼む。おっと、一つ大事なことを言い忘れておった。須田殿には姉御がおられてな、これがまた評判の器量良しと来ておる。楽しみにされるがよい」
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